「だからね、悟。今日、部活紹介が思ったより長くて、遅くなるの」
古い部活棟の空き部屋で、高校に入学したばかりの少女がスマホで通話をしていた。電気もついていない薄暗い室内では、ブルーライトを減らしたスマホの画面でもかなり目立っている。
『お姉ちゃん、とうとう運動部に入るつもりになったんだ』
画面の向こうから、まだ声変わりをしていない少年の声が聞こえてくる。
「まさか。私は生涯帰宅部を貫くつもり」
『生涯帰宅部って、お姉ちゃんは一生、学生でいるつもりなの?』
「もう、悟の意地悪。とにかく、そういうことだからお母さんに今晩の夕食当番変わってって言っておいて」
『わかった。僕もその方がいいから言っておくよ』
「悟、それとね――あ……」
少年はゲームをしている途中だと言っていたので、要件が終わったと思った途端に通話を終了してしまった。
大した要件ではないというより、雑談の部類だったので諦めて電源を切って、スマホを鞄にしまい、部屋を出た。
「空き部屋を勝手に使ったらダメですよ?」
背後から声をかけられ、彼女はビクっとした。
先生に見つかったのかと思ったけれど、振り返った先にいたのは、同じ女子生徒だった。
眼鏡をかけた短い髪の少女だ。
「驚かせてすみません。百束鈴さん……でしたよね?」
「え? あ、はい。ええと……」
鈴は彼女のことを見たことがあった。
昨日の入学式で新入生代表の挨拶をしていた少女で、鈴のクラスの委員長でもある。
「たしか、蜂須賀さんですよね?」
「はい、蜂須賀ヤヨです。こうしてふたりで話すのは初めてですね」
ヤヨはそう言うと、鈴の横に並んだ。自然の流れでふたりは歩きながら話す。
鈴が自分の名前をフルネームで名乗ったのは、昨日の自己紹介一度キリだ。
ヤヨの場合、昨日の入学式のパンフレット等で何度も名前を聞く機会があったが、それでも鈴はフルネームを覚えていなかったというのに。
頭 のいいひとは名前を覚えるのも早いのだと鈴は納得した。
「百束さんもオカルト研究会の研究ですか?」
「うん。運動部に行ったら勧誘がしつこいから。蜂須賀さんも?」
「はい。文学部、茶道部と見て、これで三カ所目です」
彼女たちの高校では、部活紹介はそれぞれの部室で行われ、学生は最低三カ所の部活動を見学しないといけないという決まりがあった。
昔は一カ所だけでもよかったらしいが、部活の存在だけでも知ってもらいたいという弱小部の申し出により生徒会がそういう規則を作ったそうだ。
二人は一番奥の部屋、オカルト研究会というプレートのかかった部屋の前に立つ。窓には理科室で使うような黒いカーテンがかかっていて、中の様子はわからない。
後ろの扉をノックし、中に入る。
鈴がこれまで行った部活紹介では、少なくても十人くらいの見学者がいたのだが、中にいたのはツンツン頭の男子生徒と、背の低いツインテールの少女、そして金髪の少女がいるだけだった。
一方、オカルト研究会の部員と思われる生徒は、ピカピカの水晶の前でなにか話しているが、声が小さくて全然聞こえない。
(やった、これは当たりだ!)
鈴は内心喜んだ。
部活によっては勧誘が激しく、鈴はそれを断るのが面倒で仕方がなかった。相手は一応先輩だから強く断ることも申し訳ない気持ちになる。しかし、この様子なら向こうからしつこく勧誘してこないだろうと思った。
私はニコニコ顔で同じ一年生の横に並ぶ。
部活見学が終わったら家に帰るため、全員通学鞄を持っている。
「へぇ、オカルト研究部ってオタクばかりだと思っていたけど、見学者は女子が多いんだ。なぁ、お前たちも……ええと、幽霊とかUFOとかに興味があるのか?」
鈴と同じくオカルトにまったく興味がないのであろう男子生徒が声をかけてきた。
まったく興味がなかったが、それならなぜ部活紹介に来たのか? と言われては何も言えない。鈴が困っていたら、
「私はこういう場所なら変わった本があるのではないかと思って来ました。文学部の部室にあった本は、漫画とライトノベルばかりだったので」
ヤヨがそう言った。
「本――へぇ、本になんて興味があるんだ。こういうのか?」
男子生徒はそういうと、棚に置いてあった本を手に取った。
羊皮紙でできているらしい本それは、紙一枚一枚が分厚く、そして本そのものが大きい。
「これはラテン語に似ているけれど違うようです。見たことのない言語ですね」
ヤヨが文字を見て興味深げに言った。
それを見て、金髪の子がなにやらぶつぶつ言っている。
(魔法……それとも召喚……異世界……)
なにを言っているのだろう?
鈴がそう思ったときだった。
「あ、この青い文字なら読めるな」
男子生徒が文字を指さして言った。
しかし、鈴が見たその文字は、やはり意味のわからない文字だったし、なにより青くなかった。
「え? 青い文字ってどれですか?」
ヤヨにも見えなかったらしく、彼女は眼鏡の位置を少し調整して尋ねた。
「ほら、これだって。『グラドゥーリッツ』」
男がそう言った、その瞬間だった。
気付けば、鈴がいた場所は教室ではなかった。
鈴だけでなく、ヤヨや金髪の少女、背の低い少女、ツンツン頭の男がいたが、前でボソボソと話していたオカルト研究会の先輩はいない。
代わりに、ローブを纏った見たこともない成人男女が約十人、鈴たちの周りで倒れていた。
「え? なに、これ?」
鈴はなにがなんだかわからない。
「……こっちを見て」
背の低い少女が言った。
彼女はいつの間にか窓から外を眺めていた。
「窓? 双子窓ですね。ルネサンス期の建造物によく使われていたという窓です」
本気なのかボケているのか、ヤヨが言った。
だが、窓から外を見ると、ことの異常さがよくわかった。
オカルト研究会があった場所は一階のはずなのに、窓の外に広がる景色は建物の五階くらいの高さにあった。この場所は小高い丘の上のさらに高い位置にあるらしく、町全体を見下ろすことができる。
そして、その町は日本の町ではなかったのだ。
煉瓦造りの家が並ぶ街並みが広がり、そして高い壁。壁の向こうには家はほとんどなく、畑や森が見える。
「城郭都市っすね」
金髪の子が言った。
「城郭都市って、ヨーロッパの町だよね? え? どういうこと?」
「はん、VRか催眠術ってところか。オカルト研究会だしな」
ツンツン頭の男はそう言って、倒れている人たちの顔を見ていく。
彼らもまた、日本人とは違った顔立ちをしていた。
「しっかし、リアルな催眠術だな――おっ、美人」
男子生徒はそう言って、彼女に手を伸ばそうよする。
「ちょっと、やめなさいよ!」
「うっせぇな、まだなにもしてないだろ」
鈴が文句を言うと、男子生徒は手を引っ込めて頭をポリポリと掻いた。
「蜂須賀さん、どう思う?」
「流石にヨーロッパに一瞬で移動したとは考えられませんが、しかし仮想現実や催眠術と決めつけるのは早計かと思います」
「……私もこれが偽物とは思えない」
背の低い子もヤヨに同意した。
「あの、これって異世界召か――」
金髪の少女が何か言いかけたそのとき、扉が開いて槍を持った兵士の姿の男が五人入ってきた。
「将軍、問題ありません」
ひとりの兵がそう言って敬礼した。
(日本語? なにかの撮影? それとも本当にVR?)
鈴がますます混乱した、その時だった。
兵士たちに遅れて、立派な髭を蓄えた大柄の男が入ってきた。
男は鈴たちを見回したのち、その場に跪いてこう言った。
「ようこそおいで下さいました、勇者様! どうか、我らの世界をお救い下さい」
突然の展開に鈴たちは戸惑ったが、ひとりだけ事態を理解していたものがいた。
金髪の少女だ。
「やっぱり異世界召喚がきたっすよ!」
彼女はやや興奮気味に言ったのだった。
その時だった。
一瞬部屋が暗くなった。
窓の外を一匹の巨大な空飛ぶ蜥蜴――いや、鈴の想像が正しければ、ドラゴンが通過した。
鈴は窓の外、そして男の言葉を聞いて諦めるように心の中で呟いた。
(悟へ。お姉ちゃん、間違えて異世界に来ちゃったようです。今晩、帰るの遅くなりそうです)
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