殺し屋隼人の回想録

2年前に死んだはずの妹が、別世界から死ぬためにやってきた
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3度目の11月17日

公開日時: 2020年9月4日(金) 19:03
更新日時: 2020年10月12日(月) 08:13
文字数:2,716

「妹は俺が殺した」


 雨が降る中、傘も差さずに隼人は立ち尽くしていた。隼人の妹である紅葉の死。それを隼人は受け入れられなかった。


 神代は何て声を掛ければいいのか分からなかった。

 掛ける言葉が見つからなかった。降り続ける雨の中で、お互い何も云わなかった。


 今から丁度2年前。

 11月17日。

 今日と同じように、3日連続で雨が降り続いた日のことだった。


 妹の紅葉は当時17歳だった。

 学校帰りだった少女は、突然その命を奪われた。


 頭のおかしい男の復讐の的にされて。

 神代は懺悔した。


 本来なら復讐されるべき人物は自分だったからだ。


 男をクビにし、二度と組織に関わらせないようにした。自分のその判断を悔やんだ。


 何故殺さなかったのかと、処刑しなかったのかと後悔した。恨まれるべきは自分だったのに、頭の回らない男は、結果的に仕事を奪った隼人に怒りの矛先を向けた。普通な人間なら、頭の回転が良い人間なら、自分を怒りの矛先として向けるはずだと、後に神代は語った。


 妹を失ってから、隼人の中で何かが壊れた。


 取り返しのつかないほどに壊され、修正不可能な場所まで追い込まれた。隼人の瞳に色はなかった。モノクロの風景が、流れるように映し出されていくだけ。そこに色はなく、隼人の心を表していた。


 それからだ。普段から依頼を受けてくれていた隼人が、倍の数の依頼をこなすようになったのは。


 依頼を受けることで、その時のことを頭の片隅に追いやろうとしているように、神代には見えた。


 普通の人間なら過労死するだろう。

 神代や三芳の制止を振り切って、隼人は依頼をこなしていた。


 隼人の瞳に映るモノクロの世界には、神代と三芳も含まれている。人間も、動物も、物も。全てがそこにあるだけの付属品。それ以外の何者でもなくなっていた。


 今まで妹のために依頼をこなしていた隼人。

 この世界にはもう、妹はいない。

 それなのに尚、動こうとする隼人の原動力が、神代には分からなかった。


 何を原動力として動いている?

 妹は死に、復讐する相手も消えた。

 これ以上、原動力にして動こうと思えるものがない。


 その答えを、三芳は分かっていた。

 三芳は神代に云った。


『死に場所を探している』


『あれはまだ生きていたくて動いているわけではない。死に場所を求めて動いている。この世界に絶望し、生きる意味を失い、1日でも早く向こうの世界に行こうとしている。つまり原動力は死、だな』


 三芳は簡単に云った。


『確かに人間には生きる原動力が必要だ。どんなに些細なことでも良い。周りからしたらちっぽけなことでも、本人にとっては重要なことだからな。それを失った者の末路は、大体皆同じだ』


 神代は大きく息を呑んだ。その言葉はまるで、過去に自分も同じ経験をしたことがあるような、そんな人間の言葉だったからだ。


 三芳は云った。


『分かるか? このままだと隼人は死ぬまで苦しみ続ける。その身を自ら壊すだろう。もし隼人にまだ生きていてほしいと願うなら、俺たちが生きる原動力を与えなければならない。けれど今の俺たちには、それができない。だから……』


 最後に小さく囁いた。


『今はあいつが、自力で地獄の沼から抜け出すのを待つしかないのさ』


 ーー抜け出せなかったら、あいつもそれまでだったということだ。


 三芳の頭の中に、隼人を失った時に立て直す方法が、既に出来ているのかもしれない。


 そしてその考えとは別の感情が三芳の中にはあった。


 ーーここで隼人を失うのは惜しい。早急になんとかしなくてはならない。


 その思いが神代にひしひしと伝わった。


 人の感情がどう変わるのかも、正しい言葉がどれなのかも分からない。俺たちのために生きてくれだなんて、死に場所を探している人間に掛けていいのか、神代には分からなくなっていた。


 三芳の言葉通り、隼人を信じるしかない。

 神代は隼人が求める量の少しだけの依頼を渡した。

 他の者たちに渡す依頼がなくなってしまうという、分かりやすい嘘までついて。


 隼人は疑わなかった。ただ黙ってその言葉に頷いた。依頼を渡してもらえれば何でもいいらしい。


 隼人の心には未だ尚、穴が空いたままだ。

 誰かがその穴を埋めなくてはならない。


 彼女なら、隼人の心の穴を埋めてくれるだろうか。

 彼女に無理なら、もう打つ手はない。


 彼女が神代たちの前に現れた。

 それが最後の希望だった。



 神代と三芳から休むよう言い渡され、俺は命令通り休んでいた。


 11月17日。


 この日は妹の命日だ。


 この2年間、事故現場へは行っていたものの、妹の眠る墓へ行ったことはなかった。


 怖かった。

 妹が俺を恨んでいるのではないかと思ったから。


 資格はないと思った。

 俺のせいで妹が死んだ。会いに行く資格などないと思った。


 けど、神代たちが背中を押してくれたから、だから……


 俺は事故現場にいた。


 この場所に来ると、いつも色々なことを考えさせられる。妹との思い出も、同時に蘇ってくるのだ。忘れてはいけない思い出。2人で過ごした時間の日々。


 だが、それが尚更俺のことを縛り付ける。


 思い出を忘れてはいけない。

 そんなこと分かっている。


 けれど今の俺には、その思い出が……辛い。


 俺は事故現場に花を添え、手を合わせた。

 どんなに願っても、未来を変えることはできない。

 なら俺は……


「続きはお墓の前で……な」


 少しばかりの時間が経ち、俺はゆっくりと目を開けた。


「行くか」


 声に出してみた。

 途中で迷ってしまわないように。


 今まで怖くて行けなかった場所。

 大切な妹が眠っている場所。


 俺はゆっくりとその場所に向かい歩き出した。


 家から1時間ばかりの場所に、それはある。

 妹の眠るお墓に一歩、また一歩と近付く。


『橘家』


 墓石にはそう刻まれていた。


「今まで来てやれなくて、本当にごめんな」


 降り続ける雨に、俺は苦笑した。


「この日はいつも雨になるな」


 11月17日。


 この日は必ず雨になる。


 妹が亡くなった日も、昨年も、決まって雨が降っていた。まるで妹の死を嘆くように。


 俺は花立を洗い、水を入れて花を差した。

 雨が降っているためあまり意味はないと思う。

 それでも俺は墓石を拭いた。


 今まで来てやらなかった罪滅ぼしをしたいのだろうか。本音は俺自身にも分からない。


 けれどもう少しだけ、妹と一緒にいたい。

 そう思った。

 もしかしたら、それだけなのかもしれないな。


 俺は自分自身の気持ちに苦笑した。


「静かな場所でゆっくり休めているか? 俺のように、彷徨ってはいないか? 俺のせいで本当にごめんな。ゆっくり休め。また来年に来るからな」


 俺はその場を後にした。


 何故あんなことを云ってしまったのか、俺には分からない。自分自身の感情が分からない。


 ーーまた来年。


 そんな守れるのかどうかも分からない約束なんて、無闇にするものじゃない。分かっていた。分かっていた、はずなのに……

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