「妹は俺が殺した」
雨が降る中、傘も差さずに隼人は立ち尽くしていた。隼人の妹である紅葉の死。それを隼人は受け入れられなかった。
神代は何て声を掛ければいいのか分からなかった。
掛ける言葉が見つからなかった。降り続ける雨の中で、お互い何も云わなかった。
今から丁度2年前。
11月17日。
今日と同じように、3日連続で雨が降り続いた日のことだった。
妹の紅葉は当時17歳だった。
学校帰りだった少女は、突然その命を奪われた。
頭のおかしい男の復讐の的にされて。
神代は懺悔した。
本来なら復讐されるべき人物は自分だったからだ。
男をクビにし、二度と組織に関わらせないようにした。自分のその判断を悔やんだ。
何故殺さなかったのかと、処刑しなかったのかと後悔した。恨まれるべきは自分だったのに、頭の回らない男は、結果的に仕事を奪った隼人に怒りの矛先を向けた。普通な人間なら、頭の回転が良い人間なら、自分を怒りの矛先として向けるはずだと、後に神代は語った。
妹を失ってから、隼人の中で何かが壊れた。
取り返しのつかないほどに壊され、修正不可能な場所まで追い込まれた。隼人の瞳に色はなかった。モノクロの風景が、流れるように映し出されていくだけ。そこに色はなく、隼人の心を表していた。
それからだ。普段から依頼を受けてくれていた隼人が、倍の数の依頼をこなすようになったのは。
依頼を受けることで、その時のことを頭の片隅に追いやろうとしているように、神代には見えた。
普通の人間なら過労死するだろう。
神代や三芳の制止を振り切って、隼人は依頼をこなしていた。
隼人の瞳に映るモノクロの世界には、神代と三芳も含まれている。人間も、動物も、物も。全てがそこにあるだけの付属品。それ以外の何者でもなくなっていた。
今まで妹のために依頼をこなしていた隼人。
この世界にはもう、妹はいない。
それなのに尚、動こうとする隼人の原動力が、神代には分からなかった。
何を原動力として動いている?
妹は死に、復讐する相手も消えた。
これ以上、原動力にして動こうと思えるものがない。
その答えを、三芳は分かっていた。
三芳は神代に云った。
『死に場所を探している』
『あれはまだ生きていたくて動いているわけではない。死に場所を求めて動いている。この世界に絶望し、生きる意味を失い、1日でも早く向こうの世界に行こうとしている。つまり原動力は死、だな』
三芳は簡単に云った。
『確かに人間には生きる原動力が必要だ。どんなに些細なことでも良い。周りからしたらちっぽけなことでも、本人にとっては重要なことだからな。それを失った者の末路は、大体皆同じだ』
神代は大きく息を呑んだ。その言葉はまるで、過去に自分も同じ経験をしたことがあるような、そんな人間の言葉だったからだ。
三芳は云った。
『分かるか? このままだと隼人は死ぬまで苦しみ続ける。その身を自ら壊すだろう。もし隼人にまだ生きていてほしいと願うなら、俺たちが生きる原動力を与えなければならない。けれど今の俺たちには、それができない。だから……』
最後に小さく囁いた。
『今はあいつが、自力で地獄の沼から抜け出すのを待つしかないのさ』
ーー抜け出せなかったら、あいつもそれまでだったということだ。
三芳の頭の中に、隼人を失った時に立て直す方法が、既に出来ているのかもしれない。
そしてその考えとは別の感情が三芳の中にはあった。
ーーここで隼人を失うのは惜しい。早急になんとかしなくてはならない。
その思いが神代にひしひしと伝わった。
人の感情がどう変わるのかも、正しい言葉がどれなのかも分からない。俺たちのために生きてくれだなんて、死に場所を探している人間に掛けていいのか、神代には分からなくなっていた。
三芳の言葉通り、隼人を信じるしかない。
神代は隼人が求める量の少しだけの依頼を渡した。
他の者たちに渡す依頼がなくなってしまうという、分かりやすい嘘までついて。
隼人は疑わなかった。ただ黙ってその言葉に頷いた。依頼を渡してもらえれば何でもいいらしい。
隼人の心には未だ尚、穴が空いたままだ。
誰かがその穴を埋めなくてはならない。
彼女なら、隼人の心の穴を埋めてくれるだろうか。
彼女に無理なら、もう打つ手はない。
彼女が神代たちの前に現れた。
それが最後の希望だった。
神代と三芳から休むよう言い渡され、俺は命令通り休んでいた。
11月17日。
この日は妹の命日だ。
この2年間、事故現場へは行っていたものの、妹の眠る墓へ行ったことはなかった。
怖かった。
妹が俺を恨んでいるのではないかと思ったから。
資格はないと思った。
俺のせいで妹が死んだ。会いに行く資格などないと思った。
けど、神代たちが背中を押してくれたから、だから……
俺は事故現場にいた。
この場所に来ると、いつも色々なことを考えさせられる。妹との思い出も、同時に蘇ってくるのだ。忘れてはいけない思い出。2人で過ごした時間の日々。
だが、それが尚更俺のことを縛り付ける。
思い出を忘れてはいけない。
そんなこと分かっている。
けれど今の俺には、その思い出が……辛い。
俺は事故現場に花を添え、手を合わせた。
どんなに願っても、未来を変えることはできない。
なら俺は……
「続きはお墓の前で……な」
少しばかりの時間が経ち、俺はゆっくりと目を開けた。
「行くか」
声に出してみた。
途中で迷ってしまわないように。
今まで怖くて行けなかった場所。
大切な妹が眠っている場所。
俺はゆっくりとその場所に向かい歩き出した。
家から1時間ばかりの場所に、それはある。
妹の眠るお墓に一歩、また一歩と近付く。
『橘家』
墓石にはそう刻まれていた。
「今まで来てやれなくて、本当にごめんな」
降り続ける雨に、俺は苦笑した。
「この日はいつも雨になるな」
11月17日。
この日は必ず雨になる。
妹が亡くなった日も、昨年も、決まって雨が降っていた。まるで妹の死を嘆くように。
俺は花立を洗い、水を入れて花を差した。
雨が降っているためあまり意味はないと思う。
それでも俺は墓石を拭いた。
今まで来てやらなかった罪滅ぼしをしたいのだろうか。本音は俺自身にも分からない。
けれどもう少しだけ、妹と一緒にいたい。
そう思った。
もしかしたら、それだけなのかもしれないな。
俺は自分自身の気持ちに苦笑した。
「静かな場所でゆっくり休めているか? 俺のように、彷徨ってはいないか? 俺のせいで本当にごめんな。ゆっくり休め。また来年に来るからな」
俺はその場を後にした。
何故あんなことを云ってしまったのか、俺には分からない。自分自身の感情が分からない。
ーーまた来年。
そんな守れるのかどうかも分からない約束なんて、無闇にするものじゃない。分かっていた。分かっていた、はずなのに……
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