殺し屋隼人の回想録

2年前に死んだはずの妹が、別世界から死ぬためにやってきた
退会したユーザー ?
退会したユーザー

朝倉千尋と2年前

公開日時: 2020年9月3日(木) 08:57
更新日時: 2020年9月8日(火) 20:03
文字数:2,796

 2年前、彼女は地獄を見た。


 11月17日。

 3日連続で雨が降り続いた日だった。


 当時の彼女は20歳。

 彼女は淡々と仕事をしていた。

 誰のためでもない。自身の弟に少しでも楽しい生活をしてもらいたくて。


 彼女の弟は高校生だった。

 高校1年生。

 人生はこれからだと誰もが思っていた。


 本人以外は。


 その日、妙な胸騒ぎを覚えた彼女は、仕事を早めに切り上げて弟の通う学校へ行った。


 ズキンズキンと胸が苦しかった。

 激しい痛みが彼女を襲った。

 それでも彼女は弟の通う学校へ急いだ。


 その胸騒ぎを嘘のものにしたかったから。


 彼女が学校に着いた時、皆屋上を見つめていた。

 誰も一言も言葉を発さぬまま、ただ呆然とその姿を見つめていた。


 誰かが止めるだろう。

 そう思う気持ちと、

 誰か止めてあげて。

 そう思う気持ちが交差していたように見える。


 皆の視線を辿ると、そこには彼女の弟がいた。

 妙な胸騒ぎが現実のものとなってしまう。


 自分にとっての希望の光が、徐々に遠くなっていくのを、彼女は感じていた。


 ほとんど無意識のうちに駆け出していた。

 体はもう理解していた。今から行っても恐らく間に合わないと。

 理解していなかったのは、彼女の頭だけだった。


 階段や廊下にいた生徒たちを、突き飛ばすようにして彼女は屋上へと向かった。


 屋上の扉の前には、野次馬とも云える無数の生徒でごった返していた。


 誰かが云った。


 ーー扉に鍵が掛かっていて開かないんだとよ。


「……ッ! どいて!」


 彼女は叫んでいた。


 扉の前で立っている生徒を無理やり退かし、彼女は扉を蹴っ飛ばした。


 バゴーンと扉の壊れる音とともに、彼女は弟の元へ駆けた。


 あと少し。

 あと少しで手が届く。


 けれど現実とはとても残酷だ。

 彼女が手を掴もうとしたその瞬間、彼女の弟はその身を投げた。


 終わりが一瞬にして過ぎ去った。


 ーーゴシャ。


 嫌な音が鳴った。


 頭から落ちた音だった。

 頭蓋が割れたのだろう。


 彼女が屋上から地上を見ると、そこは既に血の海と化していた。


 他生徒たちの悲鳴が飛び交う。


 間に合わなかった。

 その現実だけが彼女の心を蝕んだ。


 どこからか叫び声が聞こえた。

 悲鳴とは違う叫び。

 その事実に嘆き悲しむ叫び声だ。


 やけに近くから声がし、その喉が痛むから彼女は気付いた。叫んでいたのは、自分だったと。



 救急車と警察が到着した。

 学校側が連絡したのだろう。

 彼女はその場から立ち去った。


 彼女の存在が警察に知られてはいけないからだ。

 彼女の職業は殺し屋。人から依頼を受け、人を殺し、人からお礼にお金をもらう。それが彼女の仕事で、彼女の生き方だった。


 人の死など見慣れていた。

 もうどれだけ見てきたのか分からない。

 それでも、そんな彼女でも、弟の死を受け入れることはできなかった。受け止めることができなかった。


 たった1人の大切な弟。

 その弟のために今まで頑張ってきた。将来的に弟が困らないように。


それなのに……


 彼女は生きる糧を失った。


 生きている心地がしなかった。

 まるで地獄にいるかのような感覚だった。


 彼女の瞳には光はなかった。

 全てを闇で覆われてしまった彼女には、この先なんてどうでも良かった。


 彼女は自宅へと戻った。


 弟の思い出に浸りたくて、彼女は弟の部屋へと入った。もう何年も入っていなかった弟の部屋。


 弟の机の上には、一冊のノートが置いてあった。

日記帳と書かれたノートを、彼女は何の疑いもなしにページを開いた。


 ノートをめくった彼女は、その内容を見て涙を流した。


 ノートは全てを物語ってくれていた。

 何故自殺をしようと思ったのか。

 その内容が逐一書いてあった。


 彼女の弟はいじめを受けていた。


 洋服から隠れる部分を殴られ蹴られ、タバコの吸殻を押し付けられ、ナイフを当てられ脅されたこともある。ノートや教科書は隠されるわ破られるわ。物はどんどん消え、ついには何も残らなくなった。

 

 何のために学校に行っているのか分からない。

 辞めたいなら辞めればいい。

 このノートを見ている人は、実態を知っている人は簡単にそう云うのだろう。


 けれど、そんなこと出来るはずがなかった。

 俺には姉がいる。

 姉は俺を養わせる為に、ほぼ24時間フル稼働してお金を稼いでいる。

 俺の為に頑張ってくれている姉に、心配をかけるようなことは云いたくなかった。


 だから云わない。

 俺が1人で抱えればいい話だ。

 けど……それでも……やっぱり辛いよ……

 助けて、お姉ちゃん……

 

 ページは全て埋め尽くされていた。

 最後のページ。

 そのページを見て、彼女は自分がとんでもないミスを犯してしまったことに気付いた。


 最後のページには……



 それから1週間後、地獄はそれだけでは終わらなかった。


「す、すまない。悪戯したかっただけなんだ。だ、だから命だけは……ッ!」


 そう懇願するのは、弟をいじめた中心人物だった。


 少し頬を切っただけで、本当に情けない。

 彼女は冷徹な目を向けながらそんなことを思う。


「なら案内してよ」


「あ、案内……?」


「そう。あなたの所属するクラスに。いるんでしょう? 弟がいじめられているのを知っていた奴が他にも。囃し立てていた奴も、黙って見ていた奴も。いじめの中心人物にいたあなたなら、それくらい把握しているよね?」


「わ、わかった」

 

 その場所にいるのは屋上だった。

 彼女の弟が飛び降りた場所。

 辺りは既に血の海と化していた。

 いじめの中心人物にいた取り巻きの命乞いを無視し、四肢を切り裂き、目玉をくり抜き、見えなくなったことに恐怖している取り巻きの首を、ゆっくりと裂いて殺したからだ。


 鮮血の血がしぶく。

 辺り一面に取り巻きの血が弧を描いてコンクリートに付着した。


 その様子を見て、死にたくないと思ったのだろう。

 その命乞いは無様だったと、終わった後に彼女は思った。


 頷いた中心人物の男に歩かせ、ゆっくりとその後ろを彼女は歩いた。


 その足取りは軽かった。

 大切な弟を失った彼女には、これ以上失うものなど何一つとしてなかったのだ。


 ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。

 男は1つの教室の前でピタリと足を止めた。


「……ここです」


 男の言葉を聞き、彼女はゆっくりとそのドアを開けた。彼女は男と一緒に教室へ入った。


 ーーガチャン。


 ドアを閉める音とともに、彼女の声が響いた。


「復讐の時間だよ」


 それからどれほどの時が経っただろうか。


 教室から聞こえていた悲鳴は、時が進むごとにどんどん、どんどん小さくなっていき、やがてそれは消えた。


「復讐は完了した。だから後は……あなたが私を殺すだけ。ねぇ、隼人。今まで気付いてあげられなくて、本当にごめんね」


 彼女は泣き崩れた。

 ノートに書いてあった最後のページ。

 そこに全て書いてあった。

 そのページを読んだ彼女は、弟の本当の願いを知ってしまった。


 ノートの最後には……


 大好きなお姉ちゃんと、もっと一緒にいたかった。


 それが、彼女の弟のずっと思っていた願いだった。


これは、

2年前に妹を奪われ、復讐に囚われた青年と、

2年前に弟を奪われ、悲しみに暮れる青年が出会い、共に助け合う、

命懸けの物語。

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート