街の中心地にある建物の最上階には、2人の男が無言で向き合っていた。
市街地を見渡せるほどの高さのある最上階の執務室に2人はいた。
1人は黒髪の背の高い男。
ストライプシャツに黒いガーディガン、ベージュスリムパンツを履き、片手にグレースタンドコートを持っていた。
何処にでもいそうな、男性の姿をしていた。
もう1人はダークブラウンで染められた髪で格好つけている、30代前半の男。
2人が向き合ってから5分は過ぎたが、その間に交わされた会話はほんの僅か。
「いつもの報告書です」
「ご苦労様。見させてもらうよ」
ただそれだけだった。
それ以外の言葉が交わされることはなかった。
背の高い黒髪の男は、目の前にいる人物が報告書を読み終わるのを待っていた。その時間が長いことはいつものことで慣れている。それよりも今は、いつもなら外で待機している大柄な男2人が、散弾銃を持って無言で立っていることに疑問を抱いた。
「三芳さん、一つ質問してもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいよ」
報告書に視線を落としたまま、三芳と呼ばれた30代前半の男は頷いた。
「扉の前で立っている男2人の役割は?」
「もちろんボディガードさ」
「監視のためではなく、ですか?」
その言葉と同時に、背後から複数の金属音が聞こえた。
ゆっくりと顔だけを動かし後ろを向くと、2人だけだったはずの男は4人となり、全員が散弾銃を背の高い男へと向けていた。
「……失礼しました。聞く必要のない質問でした」
「いや、構わないよ。そうだね。監視という名のボディガード、といったところかな」
三芳は特に咎める事もせず、黒髪の男の言葉に頷いた。そして云った。
「橘君」
「はい」
三芳はこれ以上ないと思うほど、不気味な笑みを浮かべている。心臓を鷲掴みにされた気分だと、橘と呼ばれた青年は思う。
「いつも通りよく出来ている。流石としか云えないよ」
「お褒めに預かり、光栄でございます」
「そんなに畏まらなくていいよ。君の働きには私たちも大変感謝しているんだ。君のお陰で私たちは大儲け。これからも頼りにしているよ?」
「私などで良いのであれば、いつでも」
彼は深々とお辞儀をした。
そのまま踵を返し、出入り口まで歩く。
けれど散弾銃を持った男たちは動こうとしなかった。
ーー退いて欲しいんだけど。
そう云おうとした時、三芳はゆっくりと口を開いた。
「まあ、待ちたまえ。君に一つ伝えなければならないことがある」
その言葉を聞いて、男たちが扉の前から退かなかった理由が、ようやく分かった。
「何でしょうか?」
彼は深い溜息と共に振り返った。
薄い笑みを浮かべている三芳は、彼の不機嫌なオーラにクククと喉を鳴らした。
「そんなに不機嫌にならないでくれたまえ。君にとっては朗報だと思うよ?」
「それは?」
薄い笑みを浮かべたまま、三芳は云った。
「明日君は休みたまえ」
「………………は?」
彼は自分が何を云われたのか、理解できていなかった。頭が情報に追いついていなかった。
「そ、れは……何故?」
「私が君に休めと云うことが、そんなに不思議かい」
「不思議だし、謎でしかない」
その声は震えていた。
「何故急にそんな事……」
「急じゃないさ。一つ下の階にいる神代君とは、1ヶ月ほど前からこの話をしていた」
「なら神代はこのことを、当然のことのように知っているということか……?」
「ああ、知っているよ。この話を最初に持ちかけたのは、神代君本人だからね」
ーーーーッ!
彼は驚くことしかできなかった。
彼はわからなかった。
自分の働きで大儲け。それは良い。それは別に気にしていない。
だが、だからと云って何故……何故それで、休みという単語が出てくる……?
考えた。
考えて考えて考えた結果、明日が11月17日であることに気が付いた。
「不躾なことを聞いてもよろしいでしょうか」
「いいよ」
「明日私を休みにする。神代からそれを持ちかけたとあなたは云った。けれど最終的にあなたはその意見に同意した。それは俺が哀れだと思ったからですか?」
三芳は何も云わなかった。
その代わりに背後で金属がぶつかるような、小さな部品が噛み合うような音がした。
彼は自分が失敗したことを悟った。
「度々申し訳ありません。愚問でした」
「別に構わないよ」
三芳はニヤリと嗤った。
「後ろの4人がすまないね」
「いえ、あなたを守るために配置された人間ならば、この判断は正しいです。私はあなたに危害を加えようとは少しも思っていませんが、どんな行動にも目を光らせることができる人が、この場所にいるに相応しい。ーー次は言葉を選んで物事を発しようと思います」
頭を下げた彼に、三芳は少しつまらなさそうな顔をした。
「君ならもっと反抗してくれると思ったのだが?」
「反抗して欲しかったのですか?」
「そうだねえ。私に反抗してくる人は君くらいしかいないからね。皆従順で、少しだけつまらないよね」
「あなたに反抗したら首が飛ぶと分かっているからでは?」
「けれど君の首は飛んでいないよね?」
その言葉に彼は平然と返した。
「私がまだ、あなたにとって使える駒だからでしょう?」
その言葉に、後ろで黙っていた男の1人は声こそ出さなかったものの、無表情でいた顔が強張った。
いつ殺されてもおかしくない。
今の彼はビルの屋上の塀の端を、命綱なしで歩いているようなものだった。
「ふむ。やはり君はそうでないとな」
「…………?」
「安心したまえ。私が彼らに君を殺すように命令を下すことはまずない。君はこの組織に大きな利益を出している。殺すには惜しい存在なんだよ」
「つまり、この組織に大きな利益を出せなくなったその時は、捨て駒のように扱われる、ということですね?」
後ろの男4人が一斉に銃を向けた。
「やめたまえ。君たち、彼が出ていくまで、扉の外に出ていなさい」
「し、しかし……」
1人の男が弁明の余地を施した。
しかし、三芳はそれに取り合わなかった。
「出ていなさいと云っているのが、君には聞こえなかったのかい? 私の命令が効かないというのであれば……」
ガタンと立ち上がった三芳に、男は一目散に部屋から出て行った。
バタンと扉が閉まった音と共に、彼は云った。
「大人げないですね。怯える部下の姿はそれほどまでに面白いですか?」
笑いを堪えている三芳に、彼は云った。
「くくく……くく……」
三芳は喉を鳴らしながら嗤った。
何がそんなに面白いのか分からないと彼は思った。
「話を元に戻そうか。私はね、君の身を案じているんだ。哀れだと思っているのかと君は聞いたね」
「ええ、聞きました」
「残念ながら、この椅子に座っている以上、君や部下たちを哀れむ暇はない。同情はするがね」
「つまりその判断を下したのは同情から……ということでしょうか?」
「まあ、簡単に云ってしまうとそういうことだね」
まあ、理由なんて何でもいいじゃないか。
三芳はそう云って嗤った。
その瞳の奥に映し出されているものが何か、彼には知る由もない。
「私からは以上だよ。良い休日を過ごしたまえ」
手に持っていた報告書を置いたのを合図に、彼は一礼して扉へと向かった。
「橘君」
後ろ姿を見た三芳は、最後に呼びかけた。
視線だけ向けた彼に、三芳は云った。
「明日は休み。これは上司命令だからね、橘隼人君」
隼人と呼ばれた青年は、黙って三芳のことを見た。
命令。それには従わなくてはならない。
「失礼します」
それだけを云って隼人は執務室を後にした。
三芳はそんな隼人の背中をみて薄笑みを浮かべながら眺めた。
隼人が見えなくなったことを確認し、三芳は1人の男に電話をかけた。
「もしもし、私だよ」
『ああ、三芳か。隼人がそっちに来たのか?』
「ああ。鍵は挿しておいたんだが、恐らく君の元へ行くだろう。依頼は渡さないでくれたまえよ?」
『当然だ。この提案をしたのは俺だからな。俺がそれを破るわけがない』
「それもそうだな」
三芳はゆっくりと息を吐いた。
「連絡はそれだけだ。それじゃあね」
『ああ。わざわざすまないな』
三芳はお互い様だと云って、電話を切った。
三芳はゆっくりと外を眺めた。
外では止まない雨が降り続いていた。
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