殺し屋隼人の回想録

2年前に死んだはずの妹が、別世界から死ぬためにやってきた
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一章:少女の願いは届かない

執務室と休息時間

公開日時: 2020年9月3日(木) 19:04
更新日時: 2020年10月12日(月) 08:12
文字数:3,253

 街の中心地にある建物の最上階には、2人の男が無言で向き合っていた。


 市街地を見渡せるほどの高さのある最上階の執務室に2人はいた。


 1人は黒髪の背の高い男。

 ストライプシャツに黒いガーディガン、ベージュスリムパンツを履き、片手にグレースタンドコートを持っていた。


 何処にでもいそうな、男性の姿をしていた。


 もう1人はダークブラウンで染められた髪で格好つけている、30代前半の男。


 2人が向き合ってから5分は過ぎたが、その間に交わされた会話はほんの僅か。


「いつもの報告書です」

「ご苦労様。見させてもらうよ」


 ただそれだけだった。


 それ以外の言葉が交わされることはなかった。


 背の高い黒髪の男は、目の前にいる人物が報告書を読み終わるのを待っていた。その時間が長いことはいつものことで慣れている。それよりも今は、いつもなら外で待機している大柄な男2人が、散弾銃を持って無言で立っていることに疑問を抱いた。


三芳みよしさん、一つ質問してもよろしいでしょうか?」


「ああ、いいよ」


 報告書に視線を落としたまま、三芳と呼ばれた30代前半の男は頷いた。


「扉の前で立っている男2人の役割は?」


「もちろんボディガードさ」


「監視のためではなく、ですか?」


 その言葉と同時に、背後から複数の金属音が聞こえた。


 ゆっくりと顔だけを動かし後ろを向くと、2人だけだったはずの男は4人となり、全員が散弾銃を背の高い男へと向けていた。


「……失礼しました。聞く必要のない質問でした」


「いや、構わないよ。そうだね。監視という名のボディガード、といったところかな」


 三芳は特に咎める事もせず、黒髪の男の言葉に頷いた。そして云った。


たちばな君」


「はい」


 三芳はこれ以上ないと思うほど、不気味な笑みを浮かべている。心臓を鷲掴みにされた気分だと、橘と呼ばれた青年は思う。


「いつも通りよく出来ている。流石としか云えないよ」


「お褒めに預かり、光栄でございます」


「そんなに畏まらなくていいよ。君の働きには私たちも大変感謝しているんだ。君のお陰で私たちは大儲け。これからも頼りにしているよ?」


「私などで良いのであれば、いつでも」


 彼は深々とお辞儀をした。


 そのまま踵を返し、出入り口まで歩く。


 けれど散弾銃を持った男たちは動こうとしなかった。


 ーー退いて欲しいんだけど。


 そう云おうとした時、三芳はゆっくりと口を開いた。


「まあ、待ちたまえ。君に一つ伝えなければならないことがある」


 その言葉を聞いて、男たちが扉の前から退かなかった理由が、ようやく分かった。


「何でしょうか?」


 彼は深い溜息と共に振り返った。

 薄い笑みを浮かべている三芳は、彼の不機嫌なオーラにクククと喉を鳴らした。


「そんなに不機嫌にならないでくれたまえ。君にとっては朗報だと思うよ?」


「それは?」


 薄い笑みを浮かべたまま、三芳は云った。


「明日君は休みたまえ」


「………………は?」

 

 彼は自分が何を云われたのか、理解できていなかった。頭が情報に追いついていなかった。


「そ、れは……何故?」


「私が君に休めと云うことが、そんなに不思議かい」


「不思議だし、謎でしかない」


 その声は震えていた。


「何故急にそんな事……」


「急じゃないさ。一つ下の階にいる神代かみしろ君とは、1ヶ月ほど前からこの話をしていた」


「なら神代はこのことを、当然のことのように知っているということか……?」


「ああ、知っているよ。この話を最初に持ちかけたのは、神代君本人だからね」


 ーーーーッ!


 彼は驚くことしかできなかった。


 彼はわからなかった。


 自分の働きで大儲け。それは良い。それは別に気にしていない。


 だが、だからと云って何故……何故それで、休みという単語が出てくる……?


 考えた。


 考えて考えて考えた結果、明日が11月17日であることに気が付いた。


「不躾なことを聞いてもよろしいでしょうか」


「いいよ」


「明日私を休みにする。神代からそれを持ちかけたとあなたは云った。けれど最終的にあなたはその意見に同意した。それは俺が哀れだと思ったからですか?」


 三芳は何も云わなかった。

 その代わりに背後で金属がぶつかるような、小さな部品が噛み合うような音がした。


 彼は自分が失敗したことを悟った。


「度々申し訳ありません。愚問でした」


「別に構わないよ」


 三芳はニヤリと嗤った。


「後ろの4人がすまないね」


「いえ、あなたを守るために配置された人間ならば、この判断は正しいです。私はあなたに危害を加えようとは少しも思っていませんが、どんな行動にも目を光らせることができる人が、この場所にいるに相応しい。ーー次は言葉を選んで物事を発しようと思います」


 頭を下げた彼に、三芳は少しつまらなさそうな顔をした。


「君ならもっと反抗してくれると思ったのだが?」


「反抗して欲しかったのですか?」


「そうだねえ。私に反抗してくる人は君くらいしかいないからね。皆従順で、少しだけつまらないよね」


「あなたに反抗したら首が飛ぶと分かっているからでは?」


「けれど君の首は飛んでいないよね?」


 その言葉に彼は平然と返した。


「私がまだ、あなたにとって使える駒だからでしょう?」


 その言葉に、後ろで黙っていた男の1人は声こそ出さなかったものの、無表情でいた顔が強張った。


 いつ殺されてもおかしくない。

 今の彼はビルの屋上の塀の端を、命綱なしで歩いているようなものだった。


「ふむ。やはり君はそうでないとな」


「…………?」


「安心したまえ。私が彼らに君を殺すように命令を下すことはまずない。君はこの組織に大きな利益を出している。殺すには惜しい存在なんだよ」


「つまり、この組織に大きな利益を出せなくなったその時は、捨て駒のように扱われる、ということですね?」


 後ろの男4人が一斉に銃を向けた。


「やめたまえ。君たち、彼が出ていくまで、扉の外に出ていなさい」


「し、しかし……」


 1人の男が弁明の余地を施した。

 しかし、三芳はそれに取り合わなかった。


「出ていなさいと云っているのが、君には聞こえなかったのかい? 私の命令が効かないというのであれば……」


 ガタンと立ち上がった三芳に、男は一目散に部屋から出て行った。


バタンと扉が閉まった音と共に、彼は云った。


「大人げないですね。怯える部下の姿はそれほどまでに面白いですか?」


 笑いを堪えている三芳に、彼は云った。


「くくく……くく……」


 三芳は喉を鳴らしながら嗤った。


 何がそんなに面白いのか分からないと彼は思った。


「話を元に戻そうか。私はね、君の身を案じているんだ。哀れだと思っているのかと君は聞いたね」


「ええ、聞きました」


「残念ながら、この椅子に座っている以上、君や部下たちを哀れむ暇はない。同情はするがね」


「つまりその判断を下したのは同情から……ということでしょうか?」


「まあ、簡単に云ってしまうとそういうことだね」


 まあ、理由なんて何でもいいじゃないか。

 三芳はそう云って嗤った。

 その瞳の奥に映し出されているものが何か、彼には知る由もない。


「私からは以上だよ。良い休日を過ごしたまえ」


手に持っていた報告書を置いたのを合図に、彼は一礼して扉へと向かった。


「橘君」


 後ろ姿を見た三芳は、最後に呼びかけた。

 視線だけ向けた彼に、三芳は云った。


「明日は休み。これは上司命令だからね、橘隼人たちばなはやと君」


 隼人と呼ばれた青年は、黙って三芳のことを見た。

 命令。それには従わなくてはならない。


「失礼します」


 それだけを云って隼人は執務室を後にした。

 三芳はそんな隼人の背中をみて薄笑みを浮かべながら眺めた。


 隼人が見えなくなったことを確認し、三芳は1人の男に電話をかけた。


「もしもし、私だよ」


『ああ、三芳か。隼人がそっちに来たのか?』


「ああ。鍵は挿しておいたんだが、恐らく君の元へ行くだろう。依頼は渡さないでくれたまえよ?」


『当然だ。この提案をしたのは俺だからな。俺がそれを破るわけがない』


「それもそうだな」


 三芳はゆっくりと息を吐いた。


「連絡はそれだけだ。それじゃあね」


『ああ。わざわざすまないな』


 三芳はお互い様だと云って、電話を切った。


 三芳はゆっくりと外を眺めた。


 外では止まない雨が降り続いていた。

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