青森市内にある八甲田山雪中行軍遭難資料館に隣接する幸畑陸軍墓地があり、そこにはこんな石碑が存在している。
”あゝ陸奥の吹雪”
雪中行軍遭難六十周年記念
あゝ陸奥の吹雪
青森市長 横山実 書
昭和37年6月9日建立
(台石 歩兵第五聯隊兵舎基礎石使用)
墓標に向かうまでにここがどんな場所なのかを説明する案内台が設けられており、説明文が記載されたプレートにはこう記されている。
青森市指定文化財(史跡・天然記念物)
幸畑陸軍墓地(多行松七七株を含む)
〇所有者 青森市
〇指定年月日 昭和三十八年七月十九日
〇面積 六九五九㎡
明治三十五年(一九〇二年)一月二十三日早朝、八甲田山中において耐寒訓練のため、青森歩兵第五連隊兵舎(現青森高校)を出発した将兵二百十人中、死亡した百九十九人の霊を葬った場所である。
この事件は、世界山岳遭難史上最大の惨事と言われている。
墓標は、翌年七月二十三日陸軍省が建設した。
正面に大隊長山口鋠少佐以下士官十人、むかって左に九十五人、右に九十四人の墓がある。
墓地がつくられたときに植栽された多行松は四国産のものであると言われ、当地方では極めて珍しい松である。
なお、右側の墓碑は奇跡的に救助された十一人のものであり、その後戦死や病没したため、昭和三十七年その名を刻んで合祀したものである。
そして時は流れ、2026年1月24日土曜日の朝9時を迎えた。
「はあ。寒い。寒すぎる。陸上自衛隊の慰霊登山ですら2月とか3月に行うのに俺達ボランティア霊能者の仕事は過酷すぎる。」
侑斗があまりにも寒さにぶるぶると震わせながら、沖縄からこのために駆けつけてくれた白鳥は「ああ。寒い。貼るカイロの意味がなくなってきたよ。でも仕方がない。未だに多くの英霊達が彷徨っているのだから多数の犠牲者を出したこの日に合わせて供養に来たんだからね。」と話すと、星弥は「年々寒くなってきているし、陸自ですら極寒の時期を避けての慰霊登山を行わなくなったのは分かる。でも遭難した日に合わせて供養をしてほしいというのは陸上自衛隊の青森駐屯地直々の依頼でもあるし、ボランティアだって言うのにお金まで貰ったら引き受けるしかない。しかしながら俺達三人で供養するには人手が足りなすぎるから応援を頼んだよ。」と話すと、駐屯地から「お待たせ!あ~寒いね、案内役を務める、歩兵第5連隊の連隊番号を継承している第5普通科連隊隊員の烏藤です!」と軽く自己紹介をすると、侑斗は烏藤に対して「わかっているから、とにかく現地に行こう。寒すぎて話にならない。」と語ると烏藤は「わかっている。でも本当に銅像茶屋に来るまでいくにしても豪雪でガレージが雪の壁に覆われていて大変なことになっているから現地へは可能な限り除雪はしてもらった状態で中に入れるようにはして貰うから、皆で後藤伍長の像のところまで行って供養のための御経を読んであげよう。」と話すと、烏藤の話を聞いた白鳥が思わず「まず突っ込みたい。後藤伍長の像に辿り着くまでに俺達が第五聯隊の二の舞になりかねない。話にならないぐらい寒すぎる。凍死してしまうよ。」と震える声で話すと、烏藤が「貼るカイロを貼ってきた割には果たしてそのカイロ、効果を果たしているのか疑問に思うよ。せめてマグマ級とかを選んで貼るべきだったね。」と話すと白鳥が「何言っているんだよ。超高熱マグマと書かれた貼るカイロを4枚も貼って来ているんだよ。来ている上着だって防寒ジャンパーも含めて10枚も着ている。それでも寒いんだよ!」と強く言い返すと、侑斗も負けじとばかりに「俺だって、寒いもん!だから上着11枚も着てやったよ!」と同じように強い口調で言い放つと、烏藤が呆気にとられたような表情で二人に対して「幾ら寒いと言っても着こみ過ぎだよ。それに福岡だって佐賀だって雪が降るときはあるだろ。そんなときに果たしてそれだけ厚着してくるかとなると違うだろ。星弥だっていったい何枚着こんでいる?」と星弥に対して聞き始めると星弥は「俺はこの完全防寒仕様のジャンパーのおかげでめっちゃあったかい。だからこれも含めて8枚しか着ていない。下は3枚、防寒用のズボンに普通のズボン、防寒用タイツも含めて3枚着用している。上下共に防寒仕様ばっちりだ。」と言って答えると、星弥の思いがけない答えに侑斗と白鳥は「え?」となって驚くばかりだった。二人の反応を見た星弥は「上だけ着こんでもしょうがない。下もカバーしきれないと、上だけが厚着状態になってしまう。上は出来る限り着こんで、下もしっかりと着こまないと、地面からくる寒さに耐えられないよ。」と言い放つと、烏藤は「せっかく九州から遥々青森駐屯地に来てくれたんだ。三人には是非見せたいものがある。」と言うと、早速駐屯地内へと案内し始めた。
先頭を歩く烏藤が「資料館である防衛館に先ず見学をしてほしいんだ。建物は明治11年に建てられた歩兵第5連隊の本部兵舎を移築したもので、中には八甲田山雪中行軍遭難事件の展示物が充実している。ここは一般の人も入ることが出来るけど要予約で、広報担当が展示物の説明や質問に対して対応するんだ。」と言って説明すると、侑斗が「つまり予約をすれば入れるってことだよね?でもさすがに年中無休ではないよね。」と聞くと、烏藤は「いや。陸上自衛隊の駐屯地内に存在する資料館ではあるがここは年中開館しているよ。だからいつでも予約さえしてもらえたら対応が出来るようなシステムになっている。」と話すと、星弥が「要は自衛隊の敷地内に年中無休の観光施設があるってことだよね。八甲田山雪中行軍遭難資料館は年中無休ではなかったのは記憶に覚えている。」と語り、烏藤は星弥の話に頷きながら「あそこは12月31日から1月1日、2月24日から25日は休館日になるからね。さ、ここが入り口だからどうぞ先に入って。」と話すと、早く寒さから解放されたい侑斗を先頭に白鳥、星弥、烏藤の順に管内へと入っていく。
そして展示物が展示されている2階へと上がろうとした時に侑斗が思わず「階段の微妙な傾斜、上るのがなんだか怖い!ってか安全面を考慮してさ税金を使ってでも傾斜の部分を直せよ!すんげぇ気になるんだけど!」と突っ込み始めると、先に階段を上り始めた烏藤が踊り場に立ち始めると「これはね、当時の訓練の際に隊員が階段を駆け下りては途中で立ち止まったりなんて訓練をしていたもんだから階段自体が歪み傾斜になってしまっているんだ。これはこれで陸軍の鍛錬する様子を垣間見ることが出来る貴重な資料だろ?勿論こんなところに御霊は現れたりしない。」と話すと、侑斗は「烏藤さん!そう言って階段の上り下りの訓練をし続ける旧陸軍の兵士の霊が彷徨っている!なんて心霊スポット検索サイトで探せば出てくるんじゃ?」といい方を変えて聞くと、それを聞いた白鳥は苦笑いをしながら「いくら何でも自衛隊の敷地内に心霊スポットは存在しないよ。」と答えると、一同は上りづらい階段をゆっくりとした歩調で上っていく。
展示物が展示されてある部屋に辿り着くと、現存している貴重な資料を興味深く閲覧していくと、侑斗が「前に一度来た雪畑の資料館とは違って貴重な資料がこんなにも遺品も含め展示されてあるからやっぱり色んなことを考えさせられるね。」と言った後に、一同は展示されてあるすべての展示物を閲覧し終えた後に1階まで戻ってくると展示されてある現自衛隊で行っている国連平和維持活動の記録や災害救助、国際支援、衣類の展示などを見終えたところで、四人は防衛館を後にすると、駐屯地内で烏藤が使用している部屋のところまで案内される。
侑斗と白鳥の格好を見た烏藤が二人に対して「その恰好では上が暑すぎても下が寒すぎる。ズボンと靴下だけでは厳寒の八甲田山に対処できる恰好ではない。フリーサイズの防寒ジャンパーと防寒ズボン、それから防寒タイツがあるから、それを履いてほしい。あとそれから三人が履いているスニーカーも大変危険だ。長靴もあるから星弥も長靴に履き替えて、それで向かわないと雪の中を歩くんだからそれに対処できる身なりにしないといけない。雪解け水が靴の中に入り込み凍傷の危険性がある。」と説明した上で、箪笥の中から三人に対して用意できるものを準備し始めると、ミニテーブルの上に置かれてあったある資料に思わず三人は目が釘付けになった。
「万力公園西 警官人形 資料?」
侑斗が読み上げると、思わず烏藤に「この資料って何なんですか?」と単刀直入に質問すると烏藤が「今、それ調べているんだよ。何せ、個人が撮影した呪われたホームビデオで投稿されたのをきっかけに心霊スポットとして知られるようになったんだけどもね、情報があまりにもなくてね。」と話すと、それを聞いた白鳥は「どうしてこれを調べている?」と聞き始めると、烏藤は「僕が運営している心霊研究会で御祓いの依頼があってね。2月か3月ぐらいには現地に向かおうと思っているんだ。ただそのためには調べても調べても出てくるのは呪われたホームビデオだけ。後ろには馬頭観音がある、それぐらいだよ。」と答えると、白鳥が笑いながら「ここに知っていそうなスペシャリストが一人いるよ。星弥、知っているよな?」と聞き始めると、星弥は「知らない。」と答えると再び写真を眺め「でもこれ交通事故が多くって注意喚起のために人形を設置したようにも思えんし、投稿された動画に写る写真を見ても明らかに人形から出ている、これは警察官の人形に救いを求める何かとは言い切れない。恐らく何かあったはず、だって交通事故が多いなら具体的な注意喚起をするけどこの写真を見ると明らかに”安全運転をしなさいよ”ぐらいでとどめているし、道路の形状から見ても緩やかなカーブになっているから事故が多発しやすい要因になっているとは思えない。それにわざわざ人形を作る必要もあるのか、パネルだけで十分だろ。」と話すと、それを聞いた烏藤が「そうなんだよ。そこが引っかかるんだ。普通、観音様やお地蔵様に救いを求めて御霊達が寄り集まるのは分かる、警察官の人形に救いを求めることは現実的に考えて有り得ない。だから俺の中ではそこでかつて警察官がひとり殉職されたんじゃないかなあって勝手な意見だけど、でもそうじゃなかったら何もこんなリアルな顔立ちの人形を作らないし、映し出された顔の男だって明らかに人形の顔と合致する。御霊の正体は警察官だろうと考えている。」と話すと、星弥は「山梨の事情はよく分からないが、でもなんかそんな気がするな。観音様が祀られている岩にふざけたりしてその行為を咎めるために現れた、そんな印象だな。」と答えたところで、三人は烏藤が用意した装備に着用したところで、早速烏藤の車で幸畑陸軍墓地へと向け出発することにした。
青森駐屯地から幸畑陸軍墓地へと向かう最中に烏藤から改めて八甲田山雪中行軍遭難事件についての説明がなされた。
「八甲田山雪中行軍遭難事件は一度話したことにもなるけど、世界で最大の山岳遭難事故であり同時に人災事故でもある。そもそも日程があまりにも強行過ぎた、歩兵第5聯隊がこのルートを1泊2日で青森から田代新湯への雪中行軍が決まったのは5日前の1月18日に行った予行演習が成功したからだよ。1ヶ月前から隊列なども念入りに調整して準備に取り掛かった弘前第31聯隊との決定的な違いはそこだろう。前もって日程が決まっており、もしものことがあったらこうするなどの緊急時における連携を具体的に決まっていない状態にも関わらず”軍のプライドと意地”が邪魔させたのだろう。おまけに青森県民含む岩手県民、宮城県民、山形県民、秋田県民の農家出身者等で構成された第5聯隊に八甲田の雪の恐ろしさを知る者など皆無に等しかった。平野部での雪中行軍の知識はあるが山岳部出身者は誰もいなかった。冬山の恐ろしさを甘く見過ぎたがゆえに、来ていた装備品だって、防衛館で展示されてあったと思うけど厳寒の八甲田山をそんな格好で突破するのか、と言った仕様で濡れたときに替えることが出来る軍手や軍足はおろか、兵卒の防寒具は毛糸の外套を2着渡されただけだからね。計画も最初から念入りにしていたら安易に直近で行われた予行演習が成功したからと言って直ぐにでも実行に移すべきではなかった。当時としては日清戦争で得た課題として寒冷地での戦いに向けてより強化をしなければいけない立場でもあったため、対ロシア戦に向け益々苦手とする寒冷地での戦いを克服しなければいけなかったのだろう。急ぎ過ぎた結果、多くの犠牲者を出すことになった。しかしその一方で、多数の犠牲者が出たことで日露戦争では教訓を学ぶことが出来た。皮肉にも、犠牲者が出なかったら未来はきっと変わっていたに違いないだろうね。」
烏藤がそう語ったところで、白鳥が「付け加えて言うなら責任者を任された神成大尉が奥さんの出産に立ち会うために軍から長期休暇を貰っていた。そのために事前調整が直近になってからでないと出来なかった事情もあるね。」と付け加えて説明をしたところで、一同は幸畑陸軍墓地に到着した。
「雪で覆われている。まあこの時期だししょうがないといやしょうがないか。」
入口に入ろうとしたがあまりにも雪が深いために侑斗が思わず声を出すと、烏藤が「この深さだと流石にあの真ん中の墓石までは辿り着けないね。墓標があれだけ雪に埋まっていたら歩くだけで危険が伴うね。一先ず俺達が今立っているこの入り口付近で手を合わせてから、伍長の像へと向かおう。」と打診したところで、四人は一列に並び始めると手を合わせ黙祷を捧げた。
四人は素早く幸畑陸軍墓地を後にすると、後藤伍長の像が建つ雪中行軍遭難記念像へと向けて出発した。
「段々と雪の壁が大きくなっていく。果たして車入れるのか?」
侑斗が不安になって烏藤に訊ねると、烏藤は「入れるところまで入っていく。それしかない。」と話すと、車はあっという間に駐車場へと到着した。
「よかった。でも車1台くらいしか停められるスペースがないね。」
烏藤が運転しながらそう呟くとそのスペースに車を停車させてから、伍長の像のある階段のほうへと移動し始めた。
移動する最中でも、何かの気配を感じたのか、白鳥が「御祓いをしている様子の動画はあったんだけど、果たしてあれで除霊しきれたのか?となるとあれは霊能者として疑問に残るけど、でも俺達が歩いているちょうど茂みのほうから男の呻き声のような声がするんだよ。さっきから。」と話すと、侑斗は「そうだね。”ううう”とか聞こえてくるね。公衆トイレには女性の霊が現れるという話もあるけどトイレは封鎖されていて中を確認することはできない状態だね。心霊映像も昔確認したことがあったけど果たしてあれを女性と断言して良いのかどうか、際どい所がある。」と話すと、星弥が「試しにスピリットボックスでも使ってみるか。」と話すと、鞄の中からスピリットボックスを取り出して、「女性の幽霊はいますか?いたら応答して下さい。」と言ってスピリットボックスを使用し始めると、思わず烏藤が「そんな小道具を使うなよ~やらせみたいになっちゃうじゃん。」と言って指摘すると、スピリットボックスに何ら変化はなかった。
星弥は「一応試しね。俺もさっき男の呻き声は聞こえたが女性の霊の信憑性を確かめたくてね。でも反応を示さなかったってことは女性の霊はここにはいないってことだね。」と言って答えると再度スピリットボックスで「歩兵第5聯隊の隊員の方はいらっしゃいますか?」と言って質問すると交信音が数秒鳴った後に”ここにいる”と伝えられ、それを聞いた侑斗や白鳥、さらに烏藤は「え?ここにいる?」と思わず反応を示すと、侑斗がその場で霊視を開始し始めた。
侑斗が人差し指で霊の気配を感じた場所を指し示し「あの木々のほうから何名か、恐らく亡くなられた隊員だろうか。隊列を組んで練習をしているね。」と話すと、一同は思わず侑斗が指摘した場所を確認することにした。
「完全除霊は不可能だってことか。確かにあの内容では一部の隊員の除霊は出来たとしてもたった一人ではその場にいなかった今も彷徨っているだろう100名以上の隊員の除霊を行うことは不可能だろう。」
白鳥がそう話すと、星弥が「隊員の大方は遭難して精神が錯乱状態に陥り、正常な状態では保てなくなったうえに、矛盾脱衣により凍死された方及び駒込川に飛び込むなどの狂乱者が出た。そんな死に方をした人に、”家に帰れ”と言ってしまえば軍人としての意地とプライドがそれを邪魔するのだろう。何としてでも打破するしか思っていない御霊達に対してあれだけで除霊が出来ました、とは断言してはいけない。永続的に、それこそ毎日のように御経を唱えて、粘り強く説得するぐらいのことをしないとそれは出来ないだろう。しかしこんな雪山だから、人間のやることにはそもそも限度がある。森のしずく公園のように亡くなられた方々を弔うための観音様か複数体のお地蔵様か、設置して祀ることが喫緊の課題のようにも思えてくる。」と話すとそれを聞いた烏藤は「ごもっとも。その通りだよ。」と話すと、四人の前に後藤房之助伍長の像が目の前に現れると、さらに囲まれているような気配を強く感じ取り、流石に星弥も気づいたのか「さすがにば〇たんでもスピリットボックスも必要がないぐらいに感じたな。俺達の周りに兵隊が囲んできているな。数えられないけどざっと100名以上はいるな。」と話すと、四人は兵達の霊に囲まれながら後藤伍長の像の正面のところまでやってくると、白鳥が持ってきたお線香に火をつけるとお供えのための三ツ矢サイダーの缶ジュースを備えたところで四人は供養のための御経を唱え始めた。”南無阿弥陀仏”、”南無妙法蓮華経”とそれぞれの宗派で御経を唱え終えたところで、四人を囲むように集まっていた兵達の霊はいつの間にか消えていた。
侑斗が「俺達を囲むようにいた兵達の霊が御経を唱えているうちに消えたね。しかし成仏したって言えるのかな?」と話し始めると、星弥は「彼らはまだまだ行進し続ける。それが軍人としての自分たちの任務だと思っているからね。戦争が終わってもなお、お国のために戦って散るというのが美徳だと考えている以上は、彼らの思考に理解を示さなければいけない。可哀想だけど、霊能者では手に負えない。それこそ観音様かお地蔵様を祀って神様の力に頼るしかない。人間ではやることに限度がある。」と語ったところで、烏藤が「今日は遠いところからこの供養のために足を運んでくれてありがとう。俺も近くにいる以上出来る限り、御経は唱えてあげたいけど、完全に除霊をするというのは難しいだろうな。」と話し終えたところで、白鳥が「そういや教えて頂いた日程では明日まで後藤伍長の像の所まで来て御経を唱えるって内容じゃなかった?」と聞き始めると、烏藤は「そうだよ。明日も引き続き後藤伍長の像の前で御経を唱えてもらう。今日停めておいたスペースは何としてでも綺麗に残っていてほしいなあ。今日の晩は雪は降らないみたいだし、何とかいけるかも。」と語ると、侑斗が思わず「忘れていたよ。お金をもらっていたけどそういやそうだった。明日までだった!25日までだったんだ・・・!」と語ると、星弥は「仕方ない。また俺達は199名の亡くなられた兵達の霊に囲まれながら御経を唱えることになる。」と話すと、烏藤が大きな声で「また明日も心を込めて御経を唱えます。宜しくお願い致します!では失礼いたしました!」と叫ぶと像に向かって敬礼をし始めると、白鳥が続けて敬礼をすると、それを見た星弥と侑斗も敬礼を行った。
そして、烏藤の部屋で一晩泊めさせて貰い、1月25日(日)の朝を迎えた。
一同は早速朝の9時に八甲田山雪中行軍遭難資料館にやってくると観覧料の270円を支払ったところで、資料館の中に展示されてある展示物をゆっくりと観覧したところで、昨日は御参りすることが出来なかった幸畑陸軍墓地に足を運んでみることにした。先に雪の深さを確認するために烏藤が歩くと「何とか歩ける深さにはなっているね。行こう。」と切り出すと、一同は墓標を一望できるところまで進んだところで手を合わせ拝むと、さっと切り上げて後藤伍長の像がある場所にまで移動をすることにした。
「よかった。俺達運に恵まれている~!また駐車場は1台限り駐車が出来るぞ!」
烏藤が運転しながらそう語ると、その場所に駐車してから後藤伍長の像がある場所へと向かい始めた。慎重な足取りで段差を進んでゆく中、白鳥が「またしても兵達の霊に囲まれたな。御経を唱えたら消えてはまたここに戻る、その繰り返しを続けるのだろうか。」と話すと、星弥は「昨日俺達、自身への御祓いも済ませてから烏藤の宿舎に戻ってきたけど、俺も侑斗も白鳥も”ついて来ていない”って思っていたのに、夜中あの兵達が履いていた靴の”ザッ、ザッ、ザッ”と行進してくる足音、俺たちの目的は肝試しじゃないのに一瞬何の音だと思って目が覚めたらあの兵達の霊が俺達の部屋にまで来ていたじゃないか。どう説明するんだ?俺は慌ててその場で除霊を行ったから取り憑かれてはいないけど、暫くこれがずっと続くのか、除霊してもまた山に帰って残っている仲間の事を思い行進するのか。白鳥も侑斗も気をつけなよ、彼らは那覇市だろうが小城市だろうがついてくる可能性がある。俺も気を付けないと。」と話すと、白鳥は「わかっている。覚悟は出来ている。これはずっとずっと付け回されることになるなと感じ始めている。侑斗君のほうが心配だ。」と侑斗に対して話すと「兵達の霊は三ツ矢サイダーの缶ジュースの数が1本だけじゃ足りないだろって言いたかっただけじゃないのか。とは冗談だけど、浮遊霊である以上場所がどこだろうが救済を求めついてくるのだろう。そりゃあ俺達は困っている人がいる以上は引き受けなければいけないけど、他の霊能力者は絶対嫌がるのも理解できる。」と語ると、烏藤は「星弥にも侑斗君にも勿論沖縄から白鳥に来てもらって本当に助かった。弘前にいる芦原は”絶対嫌だ”って言われて強くお断りされたけどな。支倉も与那国島にいる以上遠すぎていけないって言われたしね。頼れるのは饗庭兄弟と協力してくれた白鳥だけだったよ。お礼を言っても言い切れない。だから三人には渡したいものがある。まずは後藤伍長の像のところまで行って昨日と同様に御経を唱えてあげてから、効果はあるかどうかわからないが託したいものがある。」と説明して三人を納得させた上で再び後藤伍長の像のところまでやってくると、正面のところで再度四人は唱えるまでに烏藤がお線香に火をつけると再びお供え用に購入した三ツ矢サイダーの缶ジュースをお供えした後に宗派の異なる供養のための御経を唱えた。
唱え終えたところで再度兵達の霊がいるかいないかを確認するために烏藤が霊視を行うと、三人に対して「大丈夫だ。森の茂みのほうへとさっと消えたようだ。しかしあれだけ説得をしても言うことを聞かないのだから、まだまだ粘り強く成仏に向けて霊能者の俺達が諦めずに彼らの御霊と向き合い続けるしかない。まだまだ終わりは見えてこない。」と話すと、それを聞いた侑斗は「そういや白鳥さんが喇叭持って来ていたけど、ここで軍歌演奏してもらおうか?」と話すと白鳥のほうをちらっと見ると白鳥は「そうだね。そのために喇叭を持ってきたから軍歌を演奏しようか。」と語ると持ってきたケースから喇叭を取り出し、日本陸軍の軍歌を像に向かって正面にある森に向かって演奏することにした。すると喇叭の音色に合わせて消えたはずの兵達の霊が続々と前に出てくると、その様子を見た現れた軍勢を前にして近づくと星弥が高らかに「ここで眠る御霊達よ、戦争はもう終わった。あなたたちの行軍は決して無駄ではなかった。どうか安らかに、寒さなど関係のない温かい黄泉の国へ逝きましょう。行きたかった温泉にも黄泉の国に逝けばつかり放題ですよ。元々は田代新湯の温泉につかることが目的だったんじゃなかったんですか。黄泉の世界で好きなだけ温かい温泉に入って、凍ってしまった顔も体も溶かすほどのお湯につかりましょうよ。」と宣言すると、その言葉に理解を示せないのか戸惑いの表情を見せながらも、やはりこの世の中に心残りがあり拭えない思いがあるのか、昇天することは出来なかった。
星弥の働きぶりを見た白鳥は星弥のところに駆けつけると「もういい。気持ちは伝わったはずだ。温かいところに逝ってください。それしかもう言いようがない。俺達の彼らの事を思う気持ちが伝わったらそれだけで十分だ。」と語ったところで、二日間にかけて行われた後藤伍長の像の前での供養のための儀式を終えた。
最後に四人の乗る車が青森田代十和田線の道沿いにある”後藤伍長発見の地”と記された看板の前を通り過ぎたところで星弥と侑斗そして白鳥の三人が車の中で思わず手を合わせ心からの成仏を願うのだった。
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