「いや~、ハンドハンドから俺の名前が出たときはちょっと焦ったね! 楽しかったぁ!」
時は遡り、レッド・ハンドレッドと飲んだ帰り道の馬車。ファイブルは楽しそうにキャッキャとしていた。
「ハンドレッドも、かなり近いところまで来てるな。予想通りダッグ・ダグラスからフォーリアの情報を引き抜こうとしてきたか」
「ダグラスには口止めしてあるのか?」
「まぁ一応。……悪いけど、ファイブル。お前はここで……」
「分かってる。一旦引っ込むことにする」
「ファイザック商会の跡取り息子の件は、俺が引き伸ばしておく。用心しろよ?」
「りょーかい」
ワンスとファイブルは、目を合わせて「ふっ」と笑い合った。昔からワルイコトをしてみては、こうやって帰り道にあーだこーだ言いながら反省会をしてみたり、次の作戦会議をしてみたり、親友悪友大親友として同じ時を過ごしてきた。
ワンスとファイブルが出会って八年間。一番楽しいワルイコトが、今だった。
「最終段階……青い屋根の家に踏み込むときには宜しくな」
「おっけー。でも、ニルド、フォーリアに引き続き、俺も使えなくなっちゃったな。実働、ミスリーと二人で大丈夫か?」
「ああ。もうほとんど仕込みは終わってる」
「何かあったらいつもの方法で連絡をよこせ。捕まるなよ?」
「了解、じゃあな」
「愛しのフォーリアちゃんによろしくな~」
「ちげぇよ」
ワンスが睨みながら低い声で言い放つと、ファイブルはすっごい良い笑顔をしながらウインク一つ、サッサと馬車を降りていった。
ガチャ。キィー。バタン。ガチャ。
夜も遅く、ワンスは隠れ家に帰ってきた。さすがにフォーリアはもう寝ているだろう。鞄を持ったままジャケットも脱がずに、すぐにベッドルームに向かった。しかしというべきか、案の定というべきか、フォーリアはいなかった。
「ったく、面倒だな」
そう呟いてリビングに向かうと、ブランケットにくるまってソファで寝ているフォーリアの姿が。彼女のことだ、ベッドを占拠するのが忍びないとでも思ったのだろう。どうせ今日も一緒に寝るのだから、初めからベッドで寝ていればいいものを。まさに二度手間。
鞄を置いてジャケットを脱いでからダイニングテーブルをチラリと見ると、小さなテーブルにフードカバーが置かれていた。それを取ると、さすがである。冷めても美味しい軽食が作り置きされていた。
ハンドレッドの金で大食いをしていたワンスであるが、先ほどの店の料理はワンスの舌にピタリとは来なかった。目の前の絶対美味しいだろう料理を見るとお腹が空いてくる。よく食べる男だ。
しかし、その前に。
「フォーリア、起きろ。ベッドで寝ろ」
ワンスはフォーリアの肩を軽く叩くが、全く起きる気配がない。イラッとして軽く頬をつねったりムニムニさせてみたが起きない。あれ、そういえば昼寝もしていなかったっけ……? よく寝る女だ。
ワンスは起こすのをサッサと諦めて、ベッドまで運ぶことにした。ブランケットを取り上げると、昼間にワンスが持ち込んだナイトワンピースを着ているではないか。
脚は足首まで、胸は首元まで、しっかりと覆われている姿に、ワンスは正直なところかなりガッカリした。あのシャツ姿はなかなかだった。いやいや、男心は全く擽られないかもしれないが、これはこれで可愛いから良いのだ。
「よいしょ」の掛け声でフォーリアを抱き上げると、柔らかい良い香りがふわりと漂った。その香りと共にベッドルームへ彼女を運ぶが、やはり起きる気配はない。こんな無防備で大丈夫なものか、逆に心配になるな……。
ベッドにそっとフォーリアを置いて、チラリとダイニングの方向を見て、もう一度フォーリアを見て、「うーん」と少し唸った後にため息をついてから、そっと布団を掛けてあげた。そして、ダイニングでとても美味しい食事をすませた。どっちを食べるか悩んだ……なんてことはない。
食器を片付け、風呂に入り、仕事をフルスピードで片付けると、もう深夜だった。さすがに寝るかと思い、何の迷いもなくフォーリアと同じベッドに入る。ここらへん、まさにワンスという行動である。
フォーリアに軽くキスをして、髪を撫で、そしてちょっとそこかしこ触ってから彼女を抱き寄せて眠りに……いや、もう少しだけ色々触って、キスを何回かして、ぎゅっと抱きしめながら寝た。疲れた身体に甘く柔らかい香りが広がって、浅い欲と深い眠りを誘った。
◇◇◇◇◇
翌朝。フォーリアはワンスにガッチリホールドされている状態で目覚めた。
―― ワンス様!? 私、ソファで寝てたのに! なぜ!?
チラリとワンスを見ると、スヤスヤと寝息を立てていた。狡賢いことばかり考えている意地悪顔も、こうやって寝ているとあどけない顔に見えるものだ。
―― ワンス様が、寝てる……! 寝顔可愛い!
フォーリアは目を見開いてじっくりと見る。心と目と頭に焼き付けて、あとで絵師に書かせようと決意していた。
この決意を胸に……と思ったら、そこで何だか胸がスースーすることに気付いた。チラリとナイトワンピースを確認すると、胸元からおへその上くらいまでボタンが全開になっているではないか! 丸見えだ!
―― ぎゃ! いつの間に!!
着慣れないナイトウェアだったからだろうか。フォーリアは自分の寝相の悪さに恥ずかしくなって、顔を真っ赤にしながら超高速でボタンを止めた。ワンスに見られていたらどうしよう!と思って、またチラリと彼を見ると、まだクークーと寝ていた。
そのあどけない顔にホッとして、またぼんやりとワンスの寝顔を見ては、こんな無防備な彼を見るのは初めてだな~なんて思ったりした。そんなことを考えていると、ふと、思いついてしまった。
思いついてしまった!!
瞬間、フォーリアは顔を輝かせる。今を逃したらこんなチャンス、二度と来ないかも!
ガッチリホールドするワンスの右手をそっと外して、音を立てないようにそーっとそーっと寝室を出た。こそこそとリビングからペーパーナイフと紙を取って、また寝室に戻る。抜き足差し足忍び足。
人間、悪いことをしようとすると、やたらドキドキとして物音に敏感になるものだ。フォーリアはそーっと忍び足で寝室の床を踏むと、ギーーっと少し音がした。ビクッとしてベッドの方を見るが、大丈夫、まだ標的は寝ている。
小さく息を吐いてから、またそろーりそろーりとワンスに近付いた。
―― いざ、血判を!
おいおいおい、フォーリアは勝手に婚姻届を出すつもりで、血判を不正に奪おうとしているではないか! なんて悪いことを考えるんだ!
女詐欺師もびっくりの悪い女は、寝ているワンスのそばにちょこんとしゃがみ、彼の右手の人差し指に狙いを定めた。
ペーパーナイフをグッと握って彼の指に傷を……しかし、そこでピタリと止まった。
―― 痛いかしら……
当たり前のことだが、他人に傷をつけたことなどないフォーリアは、ワンスの指先にキズをつけることがひどく躊躇われた。まるで人を殺すかのような思い詰めた顔をして、ペーパーナイフを握る手がブルブルと震えた。とんだ度胸なしだ。
―― あ! それなら!
そこでフォーリアは、自分の指先を切ってワンスの指先に血をつけて血判を貰えばいいことに気付いた。賢いぞ! ペーパーナイフを握り直し、左手の人差し指を少しだけ切ろうとしたところで「くっくく……ふ……」と押し殺すような笑い声が聞こえてきた。
「え?」
「怖じ気づいてやんの、うけるわー」
「ワンス様! 起きてたんですか!? いつから!」
笑いながら起き上がったワンスに、フォーリアはペーパーナイフを奪い取られた。
「お前が服のボタンを閉めてるとこから起きてた」
「えー!」
ほぼ初めから起きていた。無防備な寝顔だと思っていたのは、ただの意地悪な狸寝入りであった。
「寝ている間に血判ねぇ、悪いこと考えちゃって」
「ギクリ」
「あー、俺キズついたわぁ」
「え!! ペーパーナイフでですか!?」
「ちげぇよ、心のキズだよ」
「心!?」
そう言うと、ワンスはボフっと勢いよく枕に顔を埋めて「驚いたよ……」と嘆き出した。
「まさか黙って血判を奪おうとするなんて」
「ごめんなさい……だって、ワンス様が結婚してくれないんだもの」
「じゃあフォーリアは、誰かに無許可で婚姻届を出されても許せるのか!?」
枕でくぐもったワンスの悲痛な叫びに、フォーリアは顔面蒼白になった。もしも好きでもない男性に勝手に婚姻届を出されていたら……と思うと、怖くて足が竦んだ。どれだけ酷いことをしようとしていたのか……身に沁みた。
「私、なんてことを……! ごめんなさいっ!! 申し訳ございません」
「……」
「どうやって償えば良いかっ!」
「……信じてたのに」
フォーリアは、両脚を真っ暗な穴に突っ込んでヒューッと急落下したかのように絶望した。
愛しのワンスの信頼を裏切った、即ち嫌われてしまった……。あれ、そもそもに好かれてたんだっけ……? 好きって言ってもらったことはないけれど。いやいや、好かれていなかったとしても嫌われてはなかったはずだ! 仕事のパートナーにもなってるし!
それなのに、今この瞬間に嫌われてしまった。フォーリアは、自分の浅はかさを呪いながら絶望の闇に落下した。
「ワンス様、嫌いにならないで……」
すがるように懇願した。でも、彼は何も答えてはくれない。もうだめだ、終わったと思った。
フォーリアは、もう泣きそうだった。例の変な顔でめちゃくちゃ我慢していたが、もう今にも泣きそうだった。とにかく謝り続けるしかない……許してくれるまで……何年でも!
「ごめんなさい……」
「……」
「ご、ごめんなさい、許してください」
「……」
「何でもします、どうすればいいですか……?」
「え? ナンダッテ!? もう一回言ってくれる?」
彼の悲しみはとても深いのだろう、枕に顔を埋めたままではあったものの、レスポンスがあったことに一筋の希望を見つけた。返事をしてくれた! まだどうにかなるかもしれない!、と。
フォーリアは懇願するように胸の前で手を組んで、懺悔台に跪くつもりでワンスに言った。この贖罪と切なる願いが、彼の悲しみを少しでも和らげますように……と。
「ワンス様、何でもします。許してください」
「本当に?」
「はい」
「何でも?」
「はい、何でもします。誓います」
すると、ワンスはガバッと起き上がった。枕にも目元にも涙の跡はなく、何だかめっちゃいい笑顔だった。
「じゃあ、今日は上に乗ってもらおっかな」
「え……? あれ?」
朝っぱらから仲のよろしいことで。
◇◇◇◇◇
色々と何でもしてもらった後、二人はシーツにくるまりながら、今後の話をしていた。
「でさ、ハンドレッドと話してきたんだけど」
「ええ!? ワンス様ってハンドレッドと知り合いなんですか……?」
「え? そこから? やばくね?」
そういえば……。思い返してみれば、フォーリアには計画も進捗状況もほとんど話をしていなかった。ワンスは「うーん」と考え込んでいるフリをしながらも、内心では説明するのがとても面倒で。よって、ほぼ全てをスパッと割愛することにした。
ワンスは心配そうにしているフォーリアにチュッと軽くキスを落として「詳しくは割愛するけど」と続ける。フォーリアはふわっとごまかされた。簡単で容易い。
「ハンドレッドが俺たちにかなり近いところまで来ている。想定の範囲内ではあるけれど、思っていたよりも距離が近い」
ワンスの読みでは、ハンドレッドからファイブル・ファイザックの名前は出ない想定であった。ニルドを犯人の一味だと匂わせる時点でファイブルに行き着く可能性はあったが、ここまで躍起になってニルドに固執するとは思わなかったのだ。
「ニルヴァンはフォーリアのことを普段から頑なに隠してはいたから、お前までは行き着かないとは思うんだけど……万が一ということもある。万が一が起きたときに、フォースタ邸は防犯対策ゼロの家だから詰む」
「えっと、家に帰るのが危ないってことですか?」
「そういうこと。賢くなったなぁ」
「えへへ」
幼児に対する褒め方だ。よくできたねー、えらいねー、すごいねー、よしよし。逆に馬鹿にされていることに気付いて!
「ただ、ここに一人で居させるのもなぁ。日中は俺もいないし」
「私はひとりでも平気ですよ?」
「お前は平気だろうけど」
「……? 何が平気じゃないんですか?」
ワンスは質問には答えずにまた一つキスをしてから「色々考えたんだけど」と続けた。
「正直、苦渋の決断ではあるんだよなぁ。あーどうしよ」
そこでチラリとフォーリアを見て、また「うーん」と唸って考え、そしてまた彼女を見た。そして、心の底から嫌そうな顔をして、天井を見て大きな大きなため息をつく。
「なんですか?」
「うーん、すごく嫌だ。だが致し方ない」
「はい……?」
「お前をワンディング家に連れていく」
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