ハンドレッドはそろっと人畜無害そうな様子で手を挙げた。そして、ごくりと一瞬喉を鳴らしてから弱々しい声を出した。
「私はここの家主ですが…騎士団の方が何故ここに?」
「通報があった。この家に空き巣が入っているという通報だ。貴方が家主であるという証明が成されるまでは拘束する」
「それはそれは…仕方ありませんね」
「では、手はそのまま…ん?あれ?レッド?」
顔を覗き込まれ、ハンドレッドは濃紺の髪の男と目が合った。
「ワング!?」
「なんだよ~!レッドじゃん!びっくり~。おーい、ファイザ!レッドがいるぞ~」
「本当だ、レッドじゃないか」
ワングが大きな声を出すと、奥からファイザが顔を出した。ワングは騎士団の制服を着ていたが、ファイザはスーツ姿だった。ハンドレッドは一瞬だけ不可思議に思ったが、ファイザは普通の騎士団兵とは異なることを思い出して、とりあえずは一人納得した。
「偶然じゃーん!いえーい!」
ワングは先ほどのピリッとした緊張感のある騎士団特有の声とは全く違うほわわ~んとしたゆる~い声でハイタッチを求めた。ハンドレッドはちょうど手を挙げていたところだったので、そのままワングとハイタッチをすることになり、何だかちょっと嫌だった。
「ってか、レッドの家なの?ここ」
ハンドレッドは若干言葉に詰まった。この金庫室、一般的な家では見ないものだろう。しかも今は金庫を開けたまま。怪しい金や宝石であることなど見ればすぐに分かる。
しかし、肯定せざるを得なかった。
「ああ、そうなんだ。私の家だよ」
「…ちょっと待っててくれる?あ、ごめんだけど念のため動かないでね?ファイザ、集合!」
何やら密談をするのだろう。ワングとファイザは金庫室の中でコショコショと相談していた。
―― この金庫室の説明と…口止めをするしかないか。来たのがワングとファイザで幸運だったな
「いや~、悪い悪い!お待たせレッド!」
「大丈夫だ」
「あのさー、友達相手にすっごーく聞きにくいんだけどさぁ」
「この金庫室のことだろう?」
「うん、これって何?なんかやばい金?」
「まさか!」
ハンドレッドは人好きのする笑顔で笑ってみせた。
「これは全部、私の資産なんだ。親から相続したから多いけれど、全部真っ当な金だよ」
「銀行には預けないってことか?」
「ああ、10年前に銀行が倒産したことがあっただろう?私の親がそれで資産を失ってね。それ以来、銀行は信じていないんだ」
―― この説明で納得して貰いたいものだが…
ハンドレッドは焦っていた。何故ならば、この後国庫輸送詐取のために南の森に向かわねばならないからだ。もう時間ギリギリであった。
「もし、疑いがあるなら後日いくらでも調べて貰って構わないから、今日はもういいかな?この後、仕事があるんだよ。頼むよ、2人とも!」
ハンドレッドが頼み込むようにお願いすると、ワングとファイザの顔が曇った。2人は目を合わせて、頷き合った。そしてハンドレッドに向き合って、そっとプレゼントを出すみたいに拘束用の縄を取り出した。
「レッド…悪いけど、やっぱり拘束していいかな?」
「どういう意味だ?」
「実は…、さっき言った通報内容は嘘なんだ。本当の通報内容は『青い屋根の家は詐欺師の隠れ家だ』って通報内容でさ」
「詐欺師…?」
「レッドのことは信じてるけどさ、念のため。な?」
―― どういうことだ?まさか、あの女詐欺師からの通報か!?狙いはこれか…!資産を守るための足止めではなく、騎士団に捕縛させるためか!?あの女!!!
ハンドレッドは内心でブチ切れていた。あの女をどうにかしないことには気が収まらない。地獄を見せてやりたい。あの甘ったるい声が悲鳴に変わるところを見てやりたい。瞬間、赤黒い瞳が真っ赤に光った。
「ワング、ファイザ。取引をしようか」
低く冷たい声をハンドレッドが放つと、それはやたらと金庫室に響いた。そして、その声に応えるように冷たい空気がヒンヤリと漂った。
「国庫輸送の資料を流出させた罪で裁かれたくなければ、このまま見逃せ」
「な!!?」
「レッド、どういうことだ?」
「そのままの意味さ。ファイザだって例外ではない。調べればファイザがワングに協力したことで機密情報が外部に漏れたことなど、すぐに分かるはず」
「外部って…レッドは王城文官だろう…?」
「ははは!そんなことまだ信じていたのか?私はね、詐欺師だよ。詐欺師、レッド・ハンドレッドさ。聞いたことくらいあるんじゃないか?」
「…は…?」
奇妙な程に驚いたワングの顔は、後で思い出すくらいにハンドレッドの脳裏に焼き付いた。
思わず笑い出してしまうほどに愉快だった。涼しげな顔、朗らかな笑顔、快活な声、そういうものが崩れる瞬間がハンドレッドは大好きだった。
「さあ、ワング、ファイザ、どうする?時間がない。今すぐ決めてほしいのだが」
ワングはファイザを見た。縋るような目で、ファイザだけを見ていた。そして、ファイザはハンドレッドを見た。値踏みするような目で、ハンドレッドだけを見ていた。そして、諦めたように下を向いた。あるいは、それは頷きだったのかもしれないし、落胆だったのかもしれない。
そんな2人を眺めて、ハンドレッドは自分の勝利を確信した。
「取引、成立ということで」
「くっ…!!」
「ファイザ…ごめん…ごめん」
ワングは罪悪感をひどく感じているのだろう。騎士団としての信念と、自分の過ちと、保身と、全てが混ざり合って強い罪悪感が表情に刻まれていた。
一方、ファイザは少し挑戦的な目でハンドレッドを睨んでいた。
「ただ、ここから逃げられるとは限らないぞ。応援部隊がすぐそこまで来ている。俺たち2人は先行部隊なだけだ。この家はあと5分もすれば騎士団に囲まれる」
「なんだと?」
「レッド、本当のことだよ。逃げるなら…今のうちだ…」
ワングは諦めたようにポツリと呟いた。
―― まずいな。時間がない
「この部屋を出ろ。鍵をかける」
「待って。その前に一つ大事なことを忘れてた~」
ハンドレッドはワングののんびりとした話し方に少し苛立った。
「なんだ?」
「逃がしてやる代わりにさ。ここにある金とか宝石、ちょうだい?」
「…は?」
「俺、借金もあるしぃ、金に困ってるんだよ。な?」
「あげるわけないだろ。見逃す報酬は、お前たちの機密情報漏洩を黙っていてやること。それだけだ」
すると、ワングは口を尖らせて不満そうな顔をした。
「えー?でもそれじゃ割に合わなくない?それにこれって悪いことして稼いだ金だろ?いいじゃんケチ」
「馬鹿!ワング!何言ってんだ!急げ、時間がない」
「なんだよ、ファイザは金に困ってないからいいよなぁ。なぁ、レッド頼むよ。な?いいじゃんいいじゃんー!」
ハンドレッドは色々と面倒になった。どのみち今すぐに金を運び出すのは無理だ。それならば、この分からず屋のワングを適当に言いくるめて、さっさとこの場を離れたかった。後日、この金や宝石と共に、ワングの前から消えてしまえば、金を奪われることなどないのだから。
「分かった」
「え!くれるの?全部だぞ?」
「あぁ、分かったから早く逃げるぞ!」
「やった~!レッド、ありがとう!口約束もお約束だからな?」
「ああ」
適当な生返事でやり過ごし、3人はバタバタと金庫室を出て、ハンドレッドは握りしめていた鍵束から鍵を選び、金庫室の鍵穴に差し込んだ。ピッキング不可能な特殊仕様だ。いくら騎士団と言えども手は出せないだろう。
「裏から逃げられないのか?表は鉢合わせになるぞ」
鍵を閉めている横でファイザがそう聞くと「裏の窓から逃げるさ」とハンドレッドは答えた。
「玄関の鍵は開けたままで平気か?調べられて困るものは置いてないか?」
「あー…ワングが複製した国庫輸送の資料が置いてあるな…。そういえばワングからの手紙も引き出しの中だ」
思い出したように言うと、ワングの顔が真っ青になった。この瞬間、3人は共犯になったとハンドレッドは手応えを感じた。『バレたら困る』という固い絆で結ばれた仲間だ。
「おいおいおいおい!!まじかよ!レッドの馬鹿!なんでそんなに落ち着いてんだよーもー!」
「潜り抜けてきた修羅場の数が違うんでね」
「馬鹿ー!!証拠どこ!?隠せる場所は!?」
「証拠はデスクのサイドの引き出し。とりあえず金庫室にぶち込むしかないな」
「じゃあ金庫室開けとくから鍵貸して!レッドは証拠まとめて持ってきて」
「分かった。ファイザは玄関の鍵を内側から掛けておけ」
「了解」
レッドは一瞬迷ったが、後で返して貰えば問題ないだろうと、ワングに鍵束を渡した。そして玄関の鍵を掛けて戻ってきたファイザと共に証拠を両手に抱えるようにして持って、金庫室に投げ入れた。
「もういい?閉めるぞ!?」
ワングは金庫室の鍵を閉めて、すぐに鍵束をハンドレッドに返した。ハンドレッドは扉をグッと引っ張って鍵がかかっていることを確認した。
「時間がない。裏側から逃げるぞ」
裏側の窓から3人とも出たところで、表に馬車が止まる音がした。「来た!あっぶねぇ」とワングが顔を青くして呟いた。
「レッドはとりあえず逃げろ」
「ああ、お前らはこの後どうする?」
「表に回って、このまま家宅捜索にならないように誤魔化し切る。様子を見ながら夜にでもここに戻ってこい。証拠はそのとき隠滅しろよ?絶対だからな?」
「あとお金もちゃんと貰うからな~?」
「仕方ない、分かった」
「ワング、行くぞ」
「おう!じゃあな、レッド」
こうしてハンドレッドは、青い屋根の家からの逃亡に成功したのだった。彼が幸運だったのは、ワングとファイザという彼の手駒が先行部隊として青い屋根の家にやってきたということだろう。そうでなければ、今頃は騎士団本部で取調を受けていた。
しかし、ハンドレッドは貪欲な男であった。時間を見ると、まだ国庫輸送に間に合う時間ではあった。元々準備してあった早馬に飛び乗ると、ハンドレッドは急いで南の森に向かった。馬車道をすごい速度で駆け、もうすぐ南の森の定位置というところで時間を見ると、11時半。ギリギリだ。
ハンドレッドは馬を下りて茂みの中で鞄を開き、騎士団の制服に着替えた。そしてまた馬に跨がり駆けること3分。定位置に到着した。遠目から見ると、自分が準備しておいた馬車が置いてあった。
「はぁ…間に合ったか」
「いや、待ちくたびれたぞ」
そのとき、またもや。後ろから声をかけられ、ハンドレッドは硬直した。本日二回目の硬直である。正直、もう嫌だ…とハンドレッドは思ってしまった。
しかも、今度の声は金庫室で聞いた声よりも遥かに鋭かった。きっと背中に剣を突きつけられているのだろう、振り向いた瞬間…いや、動いた瞬間に斬られることをハンドレッドは悟った。
「ゆっくり手を挙げろ」
騎士団兵特有の鋭く重い声だった。ワングの比じゃない、本気で殺すことを厭わないという空気がピリピリと放たれていた。
「レッド・ハンドレッドだな?」
ハンドレッドは動かなかった。詐欺師であるが故に重要な問いには否定も肯定もしないのだ。
「国庫輸送詐取未遂で捕縛する」
ハンドレッドの返事の有無など関係ないのだろう。その一言で、自分の立たされている場所が分かってしまった。ハンドレッドは一瞬逃げようと試みたが、それはすでに遅かった。それを察知したように、騎士団兵は一瞬でハンドレッドを後ろ手にして押さえた。
「俺からは逃げられない」
騎士団兵は冷たい声でそう言い放ち、流れるような動作で腕と身体を縄で縛りあげた。ハンドレッドは、これはもう無理だなと心底観念して抵抗する力と心を全て手放した。
まだ昼だ。木漏れ日が降り注ぐ森の地面に膝をつき、ハンドレッドは自問した。
なぜここに騎士団がいる?どこで間違えた?ワングとファイザに見逃されたところで切り上げておけば良かったか?
いや…そもそもに、あの女詐欺師が全ての元凶だ。あの夜会から…?北通りで女詐欺師とすれ違ったところから…?違う、初めてあの女を見たのは…ダッグ・ダグラスと一緒にカフェにいたところだ。あのときから何かがおかしかったのか…?
時を戻せたら、そこからやり直すのに。
そんなことを自問していたハンドレッドに、木漏れ日を遮るようにすーっと黒い影が落ちてきた。その影を落とした人物を確かめるように顔をあげると、森の中でも輝くことを忘れない金髪の騎士が目の前に立っていた。
「ニルド・ニルヴァン…?」
「どうも」
「なぜ…ここに?」
「お前を捕まえるために此処にいる」
「女詐欺師はどこだ?」
「…なんの話だ?団長!捕縛完了です」
「ニルド、ご苦労だったな」
ニルドが声をあげると、あちらこちらに張り付いていたのだろう、騎士団兵がワラワラと出てきた。
「どういうことだ?」
ニルドはハンドレッドの問いかけには答えず、とても良い笑顔で縄を引っ張った。引っ張られたのが痛いのだろう、ハンドレッドは顔を歪めてニルドを睨み付けた。
「ぐっ…!!」
「俺は騎士団兵として、お前を捕まえることだけを考えていた。ずっとずっと。夜会の前からずっとな。会えて嬉しいよ、ハンドレッド」
「夜会の前から…?」
「さぁ、王都への道中、話を聞かせて貰おうか?」
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