来客はニルド・ニルヴァンと、ファイブル・ファイザックであった。
フォーリアが扉を開けた瞬間のニルドの驚きと言ったら、この世の終わりが突然やってきたかの様であった。ちなみにファイブルの目はキラキラと楽しそうに輝いていて、相反する二人の反応に、それを眺めていたワンスは口元を隠してちょっと笑っていた。
「………」
「こんにちは、ニルド様」
「えーっと……」
「ミスリー・ミスラです」
「いやー……なんでここに……?」
「偶然ってあるんですね、私とフォーリアって親友なんです」
「親友!?」
「ニルドとミスリーって知り合いだったのね! ミスリーは、私の乳姉妹なの~」
「姉妹!?」
「びっくりですね! これからよろしくお願いしま~す♪」
腹を括ったミスリーは強かった。
まだ昼間と呼べる時間に、こうやって本当の名前を名乗れる喜びに胸が大きく躍った。本当はずっとこうしたかった。こうやって彼と面と向かって会いたかったのだ。八年間の歪んだ愛が、ほんの少しだけ浄化されたような爽やかさがあった。
だが、一方でニルドは青ざめて奥歯がガタガタ言っていた。そりゃそうだ、知らず知らずのうちに大本命の親友とそういう関係になっていたのだから。『もう取り返しが付かない。もしや、すでにフォーリアは知っているのでは……?』とか思ったりしたニルドは、人生の落とし穴に両足突っ込んでヒューっと落下中であった。
「ニルヴァン、一旦落ち着こう。こちらへ」
同じ男として、ほんの少しだけ同情をしたワンスがニルドの肩をポンと叩いて、心も身体もガチガチの背中をそっと押して応接室に運んだ。いや、そもそもにワンスが全て仕組んだことなわけだが。
ファイブルはニヤつきを抑えきれない様子でスルリと応接室に入ってきた。楽しそうなやつだ。
そして、ミスリーに目配せでフォーリアを押し付け、二人はキッチンに下がらせる。ミスリーがいると目配せで事が進むから楽だ。
「へえ、ニルド様、ぐふっ……気を確かに……げふん」
「ワンス、なにがどうしてこうなった……? お前がノーブルマッチのオーナーなら、俺とミスリーのことは知っていただろう!?」
「勿論。俺がマッチを決めてるからね」
「だったら、こんな風に会うのを防ぐのがお前の仕事だろうが!! あー終わった、俺のフォーリア人生が終わりを告げた……」
「え~? だってさー、ミスリーがニルヴァンのことガチで好きって言うからさぁ」
「え? そうなのか? それホント?」
「ぐふっ……げふんげふん」
満更でもない様子のニルドであった。さすが女たらし! クズの極み!! そして笑うなら出ていけファイブル!!
ワンスは『いける!』と思ったのだろう。取って付けたような苦しそうな切ない顔をして、ニルドの肩に手を置いた。
「ミスリーはずっとお前を好いていたんだ。俺とは旧知の友人だったからさ、ニルヴァンとマッチして欲しいと頼んできたんだよ……身体だけの関係でもいい。彼のそばにいられるならと。泣きながら懇願してきたんだ」
「ミリーが……?」
嘘である。泣いてはいない。
「あぁ。だからさ、これからはミリーじゃなくてミスリーとして彼女を見てやって欲しい」
「ミスリーとして……?」
「ニルヴァンの本命がフォーリアだというのも知ってはいるが、フォーリアは……ほら、伯爵夫人としては若干アレだろう? ぼんやーりふんわーりしすぎてる」
「まあ、確かにニルヴァン家の夫人が勤まるかと聞かれると……でも! フォーリアのあの可愛さ! 美しさ! 優勝だろう!? あぁ好きすぎる」
ニルド杯によって勝手に優勝させられていたフォーリア。八年間、一体誰と戦ってきたのか。さぞかし激戦だったのだろう。
「ニルヴァン。美貌はいつか衰える。ミスリーの(あるかは知らないが)衰えない内面を見てやって欲しい。少しずつでいいんだ。フォーリアにはバレないようにするから、二人の時間を取ってやって欲しい。ミスリーもフォーリアには内緒にしたいそうだ」
懇願してる風を装って目頭を押さえながらワンスがそう言うと、八年間も拗らせてしまったニルドも、さすがに思うところがあるのだろう。小さくだが、確実に頷いた。結局は、フォーリアには内緒にするという言葉が響いただけだが。あぁ、どこもかしこも最低な男ばかりである。
ファイブルが「それが良いでしょう、へえ」と所々に相槌を入れたのもなかなか良かった。ファイブルは、ミスリーとニルドがノーブルマッチの大人な関係だと知って、笑顔が輝いていた。今日一日の出来事だけでも、計画に加担した甲斐があったというものだ。こちらも最低な男だった。
「落ち着いたら、一旦ミスリーと二人で話しておけ」
ワンスが顎でファイブルに『出るぞ』と指示を出すと、ファイブルは少し残念そうにしながら従った。ニルドは心細い表情をしてはいたが、いつかは通らねばならぬ道だと、一瞬の後に腹を括った様子だった。
コンコンコン……コン。
迷うように四回。ノックが聞こえてきて、ニルドは「どうぞ」と答えた。すると、少しの間を置いてミスリーが紅茶を持って応接室に入ってくる。
ミスリーは「入るね」と小さな声で言った。カチャカチャと茶器が揺れてぶつかる音が、やたら応接室に響く。きっとミスリーが緊張して少し震えているからだろう。
ニルドは紅茶をテーブルに置くミスリーの手をじっと見た。記憶の中よりも白い手だった。会うのはいつも、暗い夜。ノーブルマッチの部屋だけの関係だ。それが何の因果か、まさかの愛しいフォーリアの家で二人きり。
「ニル……じゃなくて、ニルド様って呼ぶべきよね」
彼女が苦笑いで問いかけてくるから、苦笑いで答えた。
「いや……今更『様』というのも変だろう。ニルドでいい。俺もミスリーと呼ぶよ」
ニルドがそう言うとミスリーが目を見開いて、その後、泣きそうな顔でクシャッと笑った。心の底から嬉しそうな笑顔だった。『初めて見た』とニルドは思った。
何回も何回も会っているはずなのに、こんな風に明るいところで無邪気に笑う姿を見るのは初めてで。そこでワンスが言っていたことを実感した。ミスリーに恋慕を抱かれていると。
「フォーリアとは……幼い頃から付き合いが?」
「うん、そうよ。私の母親がフォーリアの乳母をやってて、それで姉妹みたいに育ったの。ここにも何度も来てるわ」
「全然気付かなかった。よくかち合わなかったな」
「そのことなんだけど……」
そこでミスリーはグッと手を握りしめた。握りしめていないと、手がガクガクと震えるからだ。言うなら今しかない。今言わないと、もう言えなくなると思った。
「ごめんなさい、私は知ってたの」
「え?」
「ニルドがフォーリアを好きだって、知ってた。マッチする前から知ってたの。だからここでかち合わないように気をつけてた。フォーリアにはニルドと知り合ったことは隠してたから……ごめんなさい……」
「そうだったのか」
「怒っていいよ、自分でも最低だと思ってる。黙っていてごめんなさい」
ニルドは少し考えた。これって最低なことなのか。これは怒ることなのか。
自分だったらどうだろう。フォーリアに好きな男がいて、それが実は自分の親友で、そいつにバレないようにフォーリアと関係を持つために『すべてを黙っている』という選択。
「うーん、別に怒ることでもない、かな」
「え?」
「だって、ミリー……じゃなくてミスリーは俺が好きなんだろう? じゃあ仕方がない。俺がその立場でも同じように黙っているかもしれない。黙っていないにしても、何かしら邪魔はするだろう」
ニルドが一人で納得したように、うんうんと頷いていると、ミスリーの顔が沸騰したみたいに一瞬で赤くなった。
「なんだ、どうした? 顔がすごく赤い」
「だって! 私がニルドを好きって……なんで?」
「ワンスがさっき言ってたけど」
「うそ!? アイツ本当にろくな事しないんだから! もう!」
「え、嘘なのか?」
ミスリーは「うぐっ」と変な顔をして押し黙ってしまった。そして俯いて、何かを迷うようにギュッと目を瞑った。
「うそ、じゃないです……」
目を瞑ったまま、ミスリーはそうポツリと呟いた。恥ずかしくて顔から火が出そうだった。ベッドの上で何回も好きだの何だの茶番みたいに言い合ってきたくせに、『ミスリー』になった途端に上手く言葉が出てくれない。
ミスリーはフォーリアが眩しかった。ワンスにストレートに感情をぶつける姿を見て、心底羨ましくて。ニルドに愛されるのは、彼女のああいうところなのかなと思うと、全てを黙って裏で手を回して相手を調べあげて、やっと身体だけの関係を手に入れた自分が真逆すぎて、ひどく汚い人間に思えた。
だから、今だけは。この昼間の光の中だけは、綺麗な自分をニルドに見てほしかった。もう一度、手をギュッと握って、勇気と度胸を手繰り寄せる。
「好きです」
目を開けて、ニルドを見つめて言い切った。手は震えていたし、いつもみたいにサラリと言う可愛らしい『好き』とは全然違う。カッコ悪くて恥ずかしかった。
「好きでいても、いいですか?」
震える右手を、震える左手でギュッと押さえ込んだ。逃げ出したい。でも動けなかった。
八年分の歪んだ愛情が、窓からの光でジュワっと浄化していくのが分かる。気持ちを吐露できて、ミスリーはとても心地が良かったのだ。動けなくなるほどに。
「ミスリー、ありがとう」
ニルドはミスリーの姿をしっかりと見ていた。真剣な目で彼女を見据えて、口を開いた。
「……でも、俺はフォーリアが好きだから、ミスリーの気持ちに答えられない」
「うん」
「でも、ミリーじゃなくて、ミスリーをもっと知りたいとも思ってる。ごめん、そんな中途半端な答えでもいいか?」
ニルドが苦笑いで答えると、ミスリーは俯いていた顔をバッとあげて、小さく「うん、いい!」と言いながら何度も何度も頷いていた。ニルドはその様子を見て、ホッとして少しだけ微笑んだ。
「ニルドが私のことを知りたいって思ってくれて……嬉しい」
ミスリーは、何だか急に気持ちがラクになった。『自分のままでいいんだ』と思ったら、今までの自分が馬鹿らしくなったのだ。所謂、吹っ切れたという状態だろう。積年の歪んだ気持ちに一つの区切りがついたのだ。
すると、そのとき! キッチンの方から「あれ? ミスリー?」とフォーリアの呼ぶ声が僅かに聞こえてきた。その瞬間、ニルドの目がキラリと光った。愛しいフォーリアの声に、ニルドの胸が高鳴ったのだろう。そして、それを見逃すミスリーではなかった。さすが年季の入ったストーカーである。
吹っ切れたミスリーは、これまた強かった。スッと立ち上がって、迷うことなくニルドの隣に座り直した。
「ねぇ、ニルド。フォーリアが好きだけど私のことを知りたいって、私のことをキープするってことよねぇ?」
「え゛?」
平たく言うとそういうことになる。フォーリアのことは諦めないが、ミスリーも気に入っているということだ。心の内を読まれたニルドはギクリと肩を跳ね上げて、そのまま固まった。
そこでミスリーは妖艶にふわっと笑って、ニルドにチュッとキスをする。
「私のことキープするなら、こういうこともしてくれないと飽きちゃいそうかも。いい?」
「……いやー、それはさすがに……」
「え~? なんで? お願い、今までと同じでしょ?」
「でも、ミスリーはフォーリアの親友だろ……? そういうのはちょっと……」
ミスリーは知っていた。ニルドは可愛い甘え方が大好物であることを。そして、彼の下半身が大変緩いことを誰よりも知っていた。
もう一度ニコリと微笑んで、ニルドの耳元に唇を寄せると、魔法の言葉を囁いた。
「お願い。フォーリアには内緒にするから、ね?」
そう言って、試しにまたキスをしてみると、彼の理性がグラリと傾く音が聞こえてきた。グラリ。すごく良い音色だった。
ミスリーのキスにニルドが応えたことで、答えは『イエス』。双方が合意をしたというわけで。先程の純愛告白っぷりはどこへやら~。あちらに比べてこちらは大人の世界であったとさ……。
さて、あちらとこちら。
どちらの恋が成就するかな?
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