「じいちゃん、ばあちゃん。これがフォーリア。今日からウチに住むことになったから」
「あらあらあらあら! 可愛らしいお嬢さんだこと! ねぇあなた!」
「ふぉっふぉっふぉ」
おばあちゃんは顔を輝かせてフォーリアをベタ褒めしていた。尚、おじいちゃんは普段から「ふぉっふぉっふぉ」としか言わない。
「フォーリアと申します。よろしくお願い致します」
「あらあらまあまあ! 若奥様とお呼びしましょうね」
「若奥様……! なんて素敵な響き! ぜひお願いします」
「ちげぇから。ばあちゃん、こいつはただの居候。結婚はしない」
「「え!!」」
ワンスの慈悲もない一刀両断に、おばあちゃんは一瞬で気落ちしてしまった。その横で何故かフォーリアも気落ちしている。まだ期待していたのか。
「御当主様然り、ワンス様然り、どうしてワンディング家の男はこうなのでしょう……痛ましい!」
「おばあさま……。力及ばず、申し訳ございません」
フォーリアがガックリとしたまま謝罪をすると、おばあちゃんは彼女の肩にそっと優しく手を置いて「ややもすると……ワンス様を好いてらっしゃる……?」と聞く。
「はい、大好きです。求婚は今のところ765回してます」
ワンスと再会してたった半年足らずで765回。そのうちアボガドロ定数もびっくりの数を叩き出しそうだ。
「数えてたのかよ。そのリソース、他に割いた方がいんじゃね?」
「最近では、ワンス様の『断る』は愛してるって意味だと思うようにしてます」
「器用な脳みそだな」
「結婚してください」
「断る」
「私も愛してます。766回分、愛してます!」
「メンタルが強すぎる」
そんな二人の言い合いを前に、おばあちゃんは驚いて目を丸くし、フォーリアを見ていた。
冷静になってみると、そりゃそうだ。ワンスも顔はまあまあ良い男ではあるものの、フォーリアの一級品レベルを相手にしてしまうと、力不足が否めない。ギリギリお似合いとも言えるが、それはワンスがフォーリアにゾッコンであればの話だ。フォーリアの方から求婚して断られまくっていると聞くと、『え? 貴女ほどの美女がなぜ?』となるのは必然である。
「というわけで、なかなか結婚を承諾しては貰えないのですが、まだまだ頑張ります! ガッツです!」
「まあまあ! そんなにワンス様のことを……! なるほどなるほど、分かりました」
「ふぉっふぉっふぉ」
ばあちゃんは一言そういうと、深く頷いてフォーリアをニコニコと見ていた。じいちゃんはいつも通りふぉっふぉと言っているだけだった。
ワンスはなんか嫌な予感がしたけれど、面倒で無視をした。どのみち、ワンスが頷かなければ結婚など出来るわけもないのだから。面倒なことは放置放置。
「あ、そうだ。こいつがいる間は、料理はフォーリアにやってもらうから。ばあちゃんは掃除と庭仕事を手伝ってあげて」
「あらまあ! ありがたいわ~。若奥様はお料理がお出来になるのですねぇ」
「は、はい! 新参者なのに申し訳ございません。女主人としてがんばります」
「女主人でも若奥様でもねぇから。まじでやめろ」
心底嫌そうな顔で否定しているワンスであるが、三食も美味しい食事が食べられることに心中で大歓喜していた。腰が痛いと言いながら毎日料理をしてくれていたおばあちゃんには内緒だけど。
一旦、荷物を整えようと部屋に戻るついでに、ワンスは屋敷内をサラッと案内する。
「こっちに掃除道具があって、ここが洗濯室。あと、浴室はお前の部屋の近くに二つあって……フォーリアがいる間は男女で分けるか」
「ありがとうございます」
ある程度案内が終わったところで、フォーリアは何やら意気込んでいた。ワンスは『あ、嫌な質問がきそうだな』と予感がしたから、全力スルーをしようと足を早めたが、彼女はもちろん空気を読まない。彼女がここに来てから一番気になっているだろうことを聞いてきた。
「あ、あの!」
「……なに?」
「ワンス様の私室はどこですか!?」
ワンスは至上最高に嫌そうな顔をして「お前の部屋の隣」と答えた。
「隣……! なんか素敵な響きですね!」
「フォーリア。お前の為に、これだけは言っておく」
「はい」
ワンスは今までで一番冷たい目でフォーリアを見下ろした。フォーリアは身体をビクッと震わせ、一瞬で頭の先からつま先まで硬直していた。
「俺の部屋には何があっても絶対に、入るな」
過去一番、めっっっちゃくちゃ怖かった。入ったら即時に殺されるのだろう、それが容易に理解できる程の恐怖だった。フォーリアは息を止めたまま直立不動の無言状態で、カクカクと何度も頷いて、そのまま何とか動く足をガクガクと震わせながら一生懸命に運んで、トテチテタとオモチャの兵隊のような歩き方で部屋に入っていった。
ワンスはフォーリアの怯えた様子を見て「よし」と一つ安堵してから、私室に入った。
言わずもがな。ハンドレッドの『青い屋根の家』が、ワンスにとっての『ワンディング家の私室』なのだ。悪事で稼いだ金の七割がこのワンディング家の私室に保管されている。それだけではない。普通の伯爵家令息は持っていないものだらけだ。
衣装部屋には、平民服から上等な正装まで。騎士団の制服やカフェ店員、御者、医師、新聞記者など様々な『それっぽい服』が所狭しと並べられている。
そして、書斎スペースには、イチカ・イチリスとエース・エスタインの仕事が山のように置いてあった。借用者やノーブルマッチの名簿は勿論のこと、経営するすべての店の帳簿や経営資料だ。その書斎スペースの隠し扉の奥には、金庫が複数置いてあり、それがワンスのメインバンクだ。
ワンスには、名前が概ね四つある。
ワンス・ワンディング。これは本名だ。これを名乗るのは、ワンディング家の仕事関係者を除けば、気心の知れた人間あるいは嘘を付く必要のない間柄のみである。ニルドやミスリーは異例中の異例だ。
イチカ・イチリス。主に平民向けの商売はこの名前で行っている。メインは金貸し業。ミスリーには、この名を使っていた。
エース・エスタイン。貴族向け事業。ノーブルマッチもこの名前だ。こちらはもう一つの本名である。高位貴族の間では超有名、一種のブランド化されている名前でもある。八年前、フォーリアと出会ったときはエースと名乗った。
ヒイス・ヒイル。本職である詐欺師専用の名前。ものすご~く悪いことをするときの名前である。即逮捕レベルのやつばかりだ。
そのうち、ヒイスとして使うような激しく犯罪者っぽいものは、ワンディング家には置いていない。別のヒイス用の隠れ家に置いてある。
このワンスの私室は、屋敷の人間も含めて誰一人として入ったことはない。掃除も全てワンス本人が行っている。
この部屋は、ワンス・ワンディングの心の内と同じだ。
誰一人として入ることはない。誰かに侵入されそうになった途端、その人間の首をはねることを厭わないほどだ。そろそろ入れるかなぁと期待しても、絶対に入れては貰えない。入れて貰えないことに憤慨して彼から離れたとしても、追いかけてきてはくれない。
親友のファイブルでさえ、家には何度も訪ねているが私室に入ったことはない。ワンスは家の中に他人を宿泊させることは許さなかったし、私室の隣の部屋に誰かを入れることすら嫌っていた。
そう。隣の部屋に誰かを入れたのも、誰かを屋敷に泊まらせたのも、フォーリアが初めてだった。
近いところに来ている。でも、まだ壁がある。
壁を越えて扉の向こうに入れるか、入れないか。
フォーリアの腕の見せ所だ。
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