【三年前・王都にて(続き)】
ファイブルはすぐに調べてくれた。ワンディング伯爵当主は相変わらずの偏屈じいさんで、独身かつ跡取りはいない状態。分家筋の方もワンスと縁切りしている上に、戸籍上の孫世代はワンスのみ。ならば養子を取るかと思いきや、そんな様子もないらしい。
―― これはいよいよ没落間近だなぁ
ワンスは早速、偏屈じいさんに手紙を書いたが案の定返事など来なかった。ならば、やはり突撃するしかない!
というわけで、八年ぶり。
ワンスはワンディング家にやってきた。
本当は紙飛行機を投げたかったが、残念ながら十七歳はもう大人。上等なスーツを着て手土産を持って、堂々と正門から入る。
―― 相変わらず使用人もいないし、ボロッボロの屋敷だなぁ
八年前とほとんど変わらない屋敷の様子に、まるでタイムスリップでもしてきたような感覚だった。そして、懐かしさだけでなく不思議な心地良さを感じた。
「あらあら、お客様でございますか? 失礼いたしました」
無断で玄関前に立ってぼんやりと屋敷を眺めていたワンスに、庭の方から声がかかる。声の主を見て、ワンスは思わず笑いそうになった。記憶の中の『おばあちゃん』と『おじいちゃん』がそのまま立っていたからだ。変わらなすぎである。
「お邪魔してます。突然申し訳ありません。ワンディング伯爵にお取り次ぎ願えますか?」
「あらあら、はいはい。お客様なんて珍しいことでございます。お名前を頂戴しても宜しゅうございますか?」
ワンスはニコッと笑った。この場所でこの名前を言うことになるなんて、思いもしなかった。
父親から貰った大事な大事なプレゼント。この名前だけは汚さずに傷をつけずに、いつも綺麗にしてきた。
「ワンス・ワンディングです」
その瞬間、風が吹いて庭の木々がカサカサと揺れた。優しい温かい風が頬を掠めて、まるで涙を拭ってくれているような気がした。住んだこともないこんなボロッボロで寂しい屋敷を見上げて、思わず『ただいま』と言いたくなった。
おばあちゃんに取り次いで貰うと、意外なことに偏屈じいさんはすんなりと通してくれた。ワンスを見て、遠い記憶の中で数回会っただけの自分の甥っ子に瓜二つであることを確認し、ワンスが持ってきていた戸籍情報を見て少しは話をしてくれる気になったようだ。
そうして偏屈じいさんと交渉の末、いきなり跡取りにはしてくれるわけとなく、ワンスはワンディング家の侍従になる。そういうわけで、フォーリアと再会したときは侍従だったのだ。
ワンディング伯爵は相当金に困っているのだろう、かなり多めの手土産が後押しになって、屋敷に住むことも許された。
金は余るほどあったものだから、まともに働いたのは初めてのことだった。家事も十三歳で一人暮らしし始めた時点で全て外注化していたため、皿を洗ったり掃除をしたり『普通っぽい』ことが孤児院以来のことで今更ながら意外と楽しかったりする。
「ワンス様、ほら掃除が甘いですよ! ここ! 埃!」
「ばあちゃん厳しい~」
「ワンス様、皿洗いが甘いですよ! ほらここ! 油残り!」
「ばあちゃん細かい~」
なんてやり取りをすること一週間、ワンスは完璧に侍従の仕事をこなせるようになっていた。とんでもない適応力だ。元々、何をやっても器用にこなせる才能があった。ただ……
「ワンス様……料理だけは壊滅的ですねぇ」
「ばあちゃん辛辣~」
「ふぉっふぉっふぉ」
料理だけは何故か上手くできなかった。不思議である。自分でも食べたが、正直言ってくっそまずかった。おじいちゃんだけは「ふぉっふぉっふぉ」と言いながら食べてくれていたが、ワンスにとって唯一とも言える『苦手なこと』だ。まあ、運命ってことですね。
以来、ワンスは食材がもったいなさすぎて料理だけはノータッチを決め込んだ。というわけで、引き続きおばあちゃんが料理担当になってしまったというわけだ。
そんなこんなでワンディング家に住み込むようになり三ヶ月後、偏屈じいさんが趣味……というには本格的すぎる釣りに没頭している間に、ワンスは勝手に書斎に入り込み、ワンディング伯爵家の財政状況を把握し始める。
収支、納税の状況、領地の状況、借金の有無など見ること二時間でポツリと「まじでやべぇな」が出てしまった。この家、支出もなければ収入もほとんどない。今のところ領地の収入だけで生活は何とか賄ってはいるが、次の貴族税は支払うことは出来ないだろう。
領地の収入も雀の涙……今まで良くやってこれたなと思ったら、借金をしていた!! 詐欺師の傍らで金貸し業を行っているワンスからしたら絶句である。
「金は貸すものであって借りるものじゃねぇっつーの」
十七歳のワンスは書斎で頭を抱えた。
そこからは早かった。
「まずは、借金の返済!」
これは心底嫌だったが、仕方がないと割り切って立て替えた。利子なんてこの世で最も忌むべき最悪な金を取られるよりはマシだ。
「次! 領地の状況把握!」
領地にいる分家……ワンスの実祖父に手紙を書いて領地状況を細かく報告するように指示を出した。勿論、偏屈じいさんの名前と筆跡でね。
縁切りしたのに戻ってきたとなっては不都合なので、ワンスは縁切りしたことは黙っていた。偏屈じいさんは偏屈なので、実弟であるワンスの祖父とも領地のこと以外は連絡は取らない。まぁそのうち祖父も死ぬだろう……と最低な目論見を立てていた。
そもそもに、なんでワンディング伯爵家が王都に居を構えているのかもワンスには分からなかった。王都にいる貴族は政に関わったり金策をするべきであるが、偏屈じいさんは何もしていない。それならば領地に居を構えるべきある。
ワンスは領地に引っ越しするか一瞬考えたが、本末転倒。本職の詐欺師業が滞ってしまう。
「何をやるにも、まずは初期投資の金がいるか。よし、エスタインの力を借りよう」
仕方がないと割り切って、エース・エスタインの名前で興していた事業の内、伯爵家が担っても違和感のないもの幾つかをワンス・ワンディング名義に変更した。それをワンディング家の収益として計上。
「黒字化達成~! よくやった俺!」
そんなことをやっていると三ヶ月程度でワンディング家は黒字化。この実績から、高々半年で偏屈じいさんはワンスに全てを丸投げするようになる。ワンスはこれ幸いと伯爵家当主の仕事もやってみたら……すごく面白い。結構ハマッた。
「領地改善! 手初めに農業効率アップ作戦~」
作物が効率良く育つ方法を本や人から学び、それをブラッシュアップして領民向けに落とし込んだ。効率の悪そうな農具や使いにくい道具は全て廃棄させた。例えば前後が見分けにくい鍬とか、ね。
そして、ファイブルの協力で使いやすく効率の良い農具を開発。一気に普及させた。これも初期投資はワンス個人の稼ぎで立て替えたが、後に回収できるくらいに売れっ子農具となる。
「次は経済を回す!」
さらに、ワンス・ワンディングの名前で稼いだ金を使って、観光スポットの設立や街の修繕を行って領地に人を呼ぶ。特色のある料理や土産物もガンガン作った。
「ふーん、トラブル解決も伯爵家当主の仕事なのか」
領民のトラブルは双方の言い分を聞き、まるで弁護士や裁判官のような立ち位置で楽しく解決。領民の婚姻許可や税金未納の取り立てなんかも当主の仕事で、ついでに婚姻カップルにはワンス経営のドレス工房を紹介してみたり、取り立てなんかは金貸し業で鍛えた手腕を発揮してみせた。
詐欺師のときには巡り合わない仕事の数々。どれもこれも楽しくて、十七歳の一年間は本職の詐欺師が疎かになっていた。それではいけない!と思い直して十八歳あたりからまた詐欺師業にも精を出す。頑張らなくていいのに!
そして、十八歳を過ぎたある日、ワンスは過労で倒れた。
ワンス・ワンディングとして侍従の仕事、伯爵家の仕事、エース・エスタインの仕事もノーブルマッチを始めていたため超多忙。それに加えてヒイス・ヒイルの詐欺師業。働きすぎである。
これは早死にするな……と思ったワンスは、早々に手を打った。ここで、同じ孤児院育ちだったテンとハチが登場する。二人を素性調査をした上で、侍従としてワンディング家に迎え入れたのだ。
「よー! 久しぶり、大きく育ったなぁ」
「エース! 久しぶり~、じゃなくて、なになにこれ、どうした? どうしてこうなった?」
ある日突然、伯爵家というヒエラルキーハイクラスに招かれた二人は困惑していた。ハチはワケワカランと興奮していたし、テンは相変わらず無口だったが顔が青かった。
「いやぁ、実は俺ここで働いててさー」
「侍従ってやつ? すごいじゃん!! エースは昔から賢かったもんなぁ……懐かしいなぁ」
「二人は何やってんの?」
素性調査をして知ってはいたが、敢えて質問をする。これは面接でもあるのだ。
「俺は十四歳で孤児院出て、今は酒場で働いてる~」
「へー、俺が孤児院出たのは十三歳だから、割とすぐにハチも出たんだな」
「うん、孤児院に長居するのも気が引けるしね」
「あー、わかるわかる。テンは?」
「印刷屋で働いてる」
「昔から本とか好きだったもんな~。よく図書館でテンが本読んでるとこ見かけたよ」
質問を繰り返しながら、ワンスは『この二人ならとりあえずは大丈夫だろう』と思った。詐欺師業で鍛えた人を見る目がその判断を下していた。
事実、二人は二年経った現在でもワンスが何をやっているか深く詮索はしないものの、言われたことは全て忠実にこなしてくれている。そしてワンスが思った通り、能力値も申し分なかった。ハチの女好きな部分だけは頂けないが。
「今日、ここに呼んだ本題なんだけど、お前らここで働かない?」
「は!? 俺らが? 伯爵家で? ……侍従ってこと? いいのかよ、俺ら孤児院育ちだし礼儀もなってないし」
「ばーか、俺も孤児院育ちだろ。礼儀作法は幾らでも学べる。どうする? やってみるか?」
「やる! 即答だろ、そんなの。やる!」
テンも真剣な顔で頷いた。
「雇用主は俺だからな。忠誠を誓えよ~?」
「ん? 当主じゃなくてエースが雇うのか?」
「あー……俺、本当はエースって名前じゃないんだ」
ワンスは柔らかく微笑んで告げる。
「ワンス・ワンディングだ、改めてよろしく」
ワンディング家に勤めるようになり、本当の名前を名乗ることが増えた。
「ワンス・ワンディング」と口にすると、何かに守られているような優しい気持ちになる。何度も何度も口にするたびに、不思議なことにワンスの瞳のほの暗さは消えていき、少しずつ明るくなる。
名前とは、そういうものなのだろう。父親が戸籍を与えた意味をワンスは少しだけ理解して、そして感謝をした。十年越しに愛を感じた。
というわけで、十九歳になる頃には今のワンス・ワンディングはほぼ出来上がっていた。
そして二十歳。ワンスは忘れていた。
毎週金曜日の十二時。
噴水広場には必ず彼女がいるということを。
リーンゴーン リーンゴーン
頑張って忘れた甲斐があったね。忘れていなければ、きっと二度と会うことはなかった。
再会したときに鳴ったあの鐘の音は、運命の鐘の音だったというわけだ。八年かけて、やっと噴水広場で会えた二人。
運命の鐘だって鳴りたくもなるものさ。
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