「ふんふふ~♪ ららら~これは恋~♪」
その日、ミスリー・ミスラは鼻歌まじりにおめかしをしていた。ワンピースは清楚に、香水は控えめに、髪は崩れないことより触り心地を重視して、そして一番下に着るものは? ……そう、とびきり妖艶にね。
ノーブル・マッチ。
知る人ぞ知る、奔放な貴族だけが会員のサロンのことだ。ミスリーの趣味嗜好は『人付き合いが多い』というのは、そういうこと。彼女は自由で奔放なタイプだった。
そうしておめかしして向かったのは、ノーブルマッチ専用の高級個室サロン&ホテル。
ノーブルマッチの会員たちは、ノーブルマッチ本部が設定した相手とのみ、逢瀬をすることが出来る。直接連絡を取り合うことは禁止され、必ず本部が間に入る。そうすることで、プライバシーは保護され、知り合い同士がバッタリ会うなんて悲劇が起きないようになっているのだ。
体面を気にする貴族が大層お気に召す、画期的なシステムだった。
ミスリーは没落貴族ではあるがノーブルマッチの本部に伝手があったため、特別に会員になることが許されていた。その分、会費はどえらいことになっているが。
しかし、毎日必死に働いてどえらい会費を払ってまでも、ミスリーがノーブルマッチに在籍し続けたい理由がある。
「やあ、ミリー」
「こんばんは、ニル」
愛称というよりは、なんとも安直な偽名で呼び合うこの二人。ノーブルマッチで出会った身体だけの関係の二人だ。
しかし、ノーブルマッチのどの組み合わせよりも逢瀬の頻度は多く、恋愛感情は抜きのノーブルマッチベストカップルであった。相性のいい二人が、出会ってしまったのだ
そうして此処では書けないようなあんなこんながあった後、ミスリーはベッドサイドに置いてあった果実酒をニルに渡した。
「ニル、乾杯しよ?」
「乾杯? 何か良いことでもあったのか?」
「うん、とーっても良いことがあったのよ。親友にね、好きな人が出来たんですって」
「ふーん? それが良いこと?」
「そうよ。ニルもお祝いしてあげてね」
ミスリーは満面の笑みで「乾杯~」と、ニルが持ってるグラスにカチンと音を立てて合わせた。グラスが合わさった瞬間、ミスリーは言い表せない程の愉悦を感じた。
「あ、そうそう。ねぇニル、ワンディング家って知ってる?」
ニルは喉が乾いていたのだろう、ごくごくとグラスの半分ほどを一気に飲んだ。すると、少しグラスを傾けすぎせいか、口元からツーッと果実酒が垂れてしまった。
それをミスリーがベッドサイドに置いてあったハンカチでスッと拭ってあげると、ニルは「ありがと」と軽くキスを返してくれた。
「ワンディング家って伯爵位の?」
「そう、知り合いがそこの嫡男に会ったって言ってて」
「嫡男? 確か偏屈な爺さんが当主で、結婚もせずに独身貫いてるって話じゃなかったか?」
ミスリーは頬に手を当てて「そうよねぇ」と言った。
―― ニルドが知らないってことは、やっぱりワンスって男は詐欺師?
ミスリーは心の中で大きく舌打ちをした。フォーリアがワンス・ワンディングと上手くいけば、手放しで心から祝福できるのに。詐欺師じゃあ上手くいくわけはない。
とは言え、ニルはそこまで情報通ではないはずだ。女性関係は派手だが、噂話には少し疎い。それを知っているミスリーは、ニルからこれ以上の情報は得られないと思い、ここで打ち切った。
ーー こういうのはファイブルに聞くのが一番ね
ミスリーがニルドの周りを調べ上げてるときに出会ったのがファイブルだ。今ではミスリーが働く酒場によく来るようになり、お互いに噂話を教え合う『井戸端会議』の友達だった。
ミスリーにとって、ファイブルの情報は欠かせないものだった。
「っと、もうこんな時間か」
ニルが時計をチラリと見て、わざとらしい程の言い方でそう言うと、ミスリーもわざとらしく頬を膨らませた。茶番である。
「えー? 今日も帰るの? たまには朝までいよーよ」
「悪いな、最近忙しくてさ」
『悪いな』だなんて、まるで男友達に謝るみたいにサラリと言うものだから、ミスリーは一瞬だけ腹の底から煮えたぎるような怒りが沸き起こった。せめて『ごめんね』だろう。
しかし、そんな怒りを彼にぶつけたところで、もう二度と会えなくなるだけ。
ニルが服をパッパッと手際よく着る姿を見ながら、ミスリーはさっきの乾杯の音を思い出して怒りをそっと鎮めた。
「もー、わかった。そのかわり、次も私にしてくれる? お願い、ね?」
ミスリーはニコッと笑って軽く返した。ニルがこういうサラッとした甘え方が好きだと知っているからだ。
そして百発百中。ニルは仕方ないなぁという顔をして、また一つキスをくれた。
「もう最近はミリーだけだよ」
「ふふ、ニルのそういうとこ好き」
「可愛い。じゃあ先に行くな」
ニルはミリーの髪をふわりと撫でて、ウインクをしながら部屋を出ていった。茶番である。
残されたミスリーは「寂しいものね~、ふふ」なんて言いながら、自分の鞄から真新しい小さな紙袋を取り出して、ハンカチを大事そうにしまった。先程、ニルの口元を拭いたハンカチだ。
ここで怖い事実を告げることになる。
そう、ミスリーはニルド・ニルヴァンの超絶・ストーカーだった。ハンカチを大事に保存するくらいにはガチのストーカーだった。
ミスリーがニルドと出会ったのは8年前、11歳のときだった。親友の家に用事があって寄ったときに、たまたま遊びにきていたニルドを見かけて一目惚れをした。
そこでミスリーは、執着という快楽に出会ってしまったのだ。
そこからはもうニルド一色だ。家を突き止め、彼がよく訪れる店の前で待ち伏せし、好きなものも嫌いなものも全部把握し、彼の交友関係を調べあげた。
でも、相手は貴族だ。しかも、めちゃくちゃモテる。社交界の王子様と呼ばれているくらいだ。声をかけたってどうせ断られる。それが怖くて声をかけることも出来ず、煮詰めに煮詰めたこの恋心。どうしようもなくて、それはもうストーカーが捗った。
そんなある日、転機が訪れた。ニルドがノーブルマッチの会員になったのだ。
これだ、と思った。
とは言え自分は没落貴族。ノーブルマッチは貴族だけしか入れない。
ノーブルマッチにどうにか入るために、ミスリーは人脈を使いまくった。
そして、ノーブルマッチのオーナーに伝手があるいう人間を見つけ、その人物に仲介してもらいミスリーは会員になった。仲介者に拝み倒して高い金を払って、ニルドとマッチングしてもらった。夢が叶った。
ミスリーが奔放であることは確かだが、それなら酒場で適当に引っ掛ければそれで事足りる。すぐに誰かしら引っ掛かる程度には、ミスリーも可愛らしい容姿をしていたしね。事実、ニルドへの気持ちが高ぶったときなんか、どこかしら似ている男を捕まえてそうしてきた。
全部、ニルド。
ミスリーの人生は全部、ニルドなのだ。
「出会ってしまった~♪ それは恋~♪」
ミスリーは歌いながら、ニルドが飲み残した果実酒をごくりと飲んだ。
「んー! さいっこー! 美味しい!」
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