ワンスと仲直りしたフォーリアは、ルンルン気分で夕食を作って、ランランスキップの超ゴキゲン。これからもしばらくはワンディング家に居られると思ったら、羽が生えたくらいに気持ちが軽くなった。
ワンスが他の女性と結婚をしないと約束してくれた。それだけで、人生はなんて素晴らしいのかしらルララ~とクルクル回り出すくらいに浮かれきっていた。
昼前までの陰鬱とした雰囲気とは打って変わって、キラキラと輝くフォーリアの様子に侍従の二人は思わず二度見したくらいだ。基本的に無表情無反応のテンでさえも、あまりの変わり具合に二度見していた。
いや、しかし。
浮かれていたのが良くなかったのだろうね。
フォーリアはお風呂に入って「るるる~♪ 嘘だって~♪ それは恋~♪」なんて歌を口ずさんでいると、脱衣所からおばあちゃんが声をかけてくれた。
「フォーリア様、お湯加減はいかがでしょう?」
「おばあ様、とても良いお湯です。いつもありがとうございます」
「それはようございました。……新しい夜着をご用意しましたので、バスタオルと一緒に置いておきますね、ほほほ」
「は、はい? ありがとうございます?」
フォーリアは少し不思議に思った。おばあちゃんがこんな風に声をかけてくることはよくあることだったが、新しいパジャマを用意してくれるのは初めてのこと。
「それでは、素敵な最後の夜を……ほほほ」
「は、はい……?」
そこでフォーリアはハッと気付く。おばあちゃんとおじいちゃんには明日領地に行くと言ったきり、訂正をしていなかったのだ。だから最後の夜だとか、新しいパジャマだとか、手厚く用意してくれたのかとフォーリアは申し訳なくなった。
もう夜も遅い。翌朝、訂正してまだお世話になることを言わなきゃ~なんて呑気に考えながら、また「るるる~♪ 嘘つきのアナタが~ぁ好きぃ~♪」と歌の続きを口ずさんだ。
そして長湯を楽しんだ後、バスタオルで身体を拭いて、また歌を口ずさみながら髪を拭いて、服を着ようかなと新しいパジャマとやらを手に取ったところで、フォーリアは絶句した。
「………布?」
布切れが置いてあった。いやいや、布切れとは失礼な。れっきとした、それ用の夜着である。
「え? え? パジャマどこ? そういえば下着は? え?」
フォーリアはキョロキョロと脱衣所を探した。当然、自分が用意した安心安全なナイトドレスや下着は実行犯であるおばあちゃんが持って行ってしまっている。
「え……これ着るの?」
フォーリアは夜着をそっと広げて、また絶句。とんでもなく防御力が低かった。下着もセットで置いてあったけれども、ちょっと面積が……しかも下だけしかなかった、上はなかった。絶妙に透けてる夜着を直接着るしかなかった。
おばあちゃんは一体どこでこんなものを買ってきたんだ! 店員の気持ちになったら居たたまれないよ!
でも、そこでフォーリアは考えた。ちょっと足りない頭で考えた。
フォーリアの部屋は浴室からすぐだ。ほとんど目の前。この夜着を着て注意して部屋まで行けばいいのだ。誰にも見られずに、部屋においてある安心安全ナイトドレスに着替えればそれで万事解決! 賢いぞ、フォーリア!
「よ、よし、がんばろう……」
なぜおばあちゃんがこんなことをしたのかとか、そういう複雑なことなどフォーリアは考えない。目の前にある大問題を解決することに、普段からほぼ機能していない脳のリソースは割かれていたからだ。
恐る恐る夜着を着てみたが、到底直視出来ないくらいにアレな感じだった。どうやらおばあちゃんは過激派らしい。バスタオルを巻こうかとも思ったが、長い髪を拭いた後のバスタオルはすでにびっちゃびっちゃであった。
脱衣所のドアをソロリと開け、顔だけ出してみると廊下には誰もいない。幸先が良いぞ!
「ゴー! フォーリア!」
なんて、小声で気合いを入れて、フォーリアはソロリとドアから出た。廊下に立って見ると、何だかスースーと心許なさすぎて、泣きたくなった。こんな姿を誰かに見られたら、もう一生部屋に籠もって夜着をズタズタに切り裂きながら生きていくしかない、と思うくらいに泣きたくなった。
タタタタっと素早くかつ音を立てずに小走りで移動し、フォーリアの部屋の扉を開ける。すると、ガチャと音が鳴っただけで開かなかった。あれ? 鍵なんてかけたかしら? いやいや、鍵はかけなかった。だって、鍵は部屋の中。
「なんで鍵が!? 大丈夫、落ち着いてフォーリア。鍵は部屋の中だから、部屋の中から鍵を取って開ければいいのよ!」
部屋の中に入ろうとしてまたガチャと音が鳴った。そりゃそうだ。大馬鹿者である。落ち着いて欲しい。いやいや、落ち着くわけもなくフォーリアは青ざめた。震える手と足で、立っているのがやっとだった。
もうお気づきだろう。これはファイブルが仕掛けた面白爆弾だ。主犯はファイブル、実行犯はおばあちゃん。なんと!おばあちゃんはファイブル派の内通者であったのだ!! なんてこった!! どうりでワンスのことが筒抜けなはずだ。
実はワンスもそれは分かっていたが、ファイブルの遊びみたいなものなので、気にせず放置していた。その被害者がフォーリアなのだから可哀想すぎる。
ファイブルは『夜に裸で廊下にポイッと出してみよう!』とおばあちゃんに鬼畜提案をしたけれど、おばあちゃんが独自アレンジを加えて夜着を用意してくれたのだ。よって、夜着を選んだのはファイブルではなく過激派のおばあちゃんなので、そこはご安心を……(?)
「鍵が、開かない!」
どうしよう、どうしようとオロオロしながらフォーリアは考えた。小さい頭で考えた。
鍵は三つ。一つは部屋の中。二つ目は現在フォーリアが使っている客室の掃除担当であったおばあちゃん。おばあちゃんの部屋は離れたところにあって、ここから安全にたどり着けるわけもない。そして三つ目は、全ての部屋のマスターキーを持っている……
「ワンス様……」
フォーリアは究極の選択を迫られていた。ここから忍者のように人目を避けておばあちゃんのところまで行くか、すぐそこの私室で仕事をしているだろうワンスを頼るか。
「えー、もうやだ……」
でも冷静になってみれば、ワンスにはもう色々と見られてしまっているわけで、今更こんな姿見られたところで……あー! めっちゃ恥ずかしい!! しかし、おばあちゃんの部屋まで行くよりは幾らかマシだ。
「あ! いいこと思い付いた!」
窮地に追い込まれたフォーリアは少し頭が働いた。ワンスは扉の前に誰かがいるときは絶対に扉を開けない。それを逆手に取って、ドア越しに鍵を開けてもらうようにお願いして、一旦隠れて鍵を開けて貰い、そして部屋に入る。なんともナイスな作戦だ。人生の中で一番賢いことを思いついた!! すごいぞ! やれば出来る!
フォーリアは震える足でワンスの私室の前に立ち、震える手でノックを……あー! ドア越しでも恥ずかしい!! でもノックをした!!
コンコンコン。
……。
「なに?」
ドア越しにワンスの声がして、フォーリアは少しだけホッとする。万が一、彼が寝ていたら詰んでいたからだ。
「あの、フォーリアです」
「分かってる。どうした?」
「部屋の鍵を閉められてしまって、鍵は部屋の中にあって入れないんです! 鍵を開けて貰えませんか?」
「……? なんで部屋の中に鍵があって、鍵が閉まってるんだ?」
「わかりません! 何者かの陰謀かもしれません!」
おばあちゃんの陰謀である。
「はぁ? なんかよくわかんねぇけど、鍵を開ければいいのか?」
「そうです! 一刻も早く開けてください! 私はここから立ち去りますので、その後に……あ、」
ガチャ。
いつもなら誰かが扉の前にいるときは絶対に開けないはずなのに、目の前の扉がガチャと開いてしまった。
マスターキーをクルクルと指先で回しながら部屋から出てきたワンスと、目は……合わなかった。目より下の方をガン見である。マスターキーの回転もピタリと止まっていた。
「~~~!!!? なななんで出てくるんですかぁ」
「……なにその格好。あ、お誘いってこと? 回りくどい誘い方だな。普通に言ってくれたらするけど」
「違います! 何かよく分からないんですけど、こうなってしまっただけなんです!」
「俺の人生において、よくわからない間に裸同然の格好で廊下に立たされたことなんて一度もねぇけど。すげぇハードな人生送ってんなぁ」
「うぅ……見られました……恥ずかしくて死にそうです!」
そのとき、廊下の突き当たりの方から声が聞こえる。こんなところでイチャイチャと話をしていたのがまずかった。さっさと鍵を開けて部屋に帰れば良かったのに!
「だだだだれかが来ます! くせ者です!」
「ハチとテンだろ」
「ひい! ワンス様! 早く鍵を、早くぅ!」
ワンスは賢い頭で一瞬で考えた。ハチの声から察するに、角を曲がればすぐにこの廊下。あと五秒くらいでフォーリアのこんな姿と彼らはエンカウント。五秒でフォーリアの部屋の鍵を開けるのは無理だ。五秒でハチとテンを遠ざけるのも無理だ。
ワンスは迷った。でも、五秒しかない。
二択だ。このままフォーリアを彼らの前に差し出すか、ワンスの私室に引き入れるか。
……まあ別にフォーリアの裸同然の格好を誰かが見たからと言って、フォーリアの何かが減るわけでもないし、ワンスとしては別にどうでもいいかなーって感じであった。相変わらずの最低具合だ。ワンスには独占欲とかそういう感情は皆無であった。あるとすれば、後で上書きすればいいかな程度の感覚である。
そこまで二秒で考えて、チラリとフォーリアを見たら、驚くほど青ざめてガタガタと震えていた。それを見てワンスは思った。このまま彼らの前にポイッと彼女を差し出したならば、これは確実にフォーリアの何かが減るな……と。まぁ、平たく言えば、結構怒られるだろうな。
フォーリアが怒ったらどうなるんだろう……と、残り二秒でワンスは考えた。料理はワザと不味くされるかな。それだけならまだ良いが、もしかしたら口を聞いてくれなくなるかも。
ふと、今日の昼までの五日間を思い出す。フォーリアの死んだ目と、ニコリとも笑わない死んだ表情と、ドア越しだけの冷たい会話、そして、扉の取っ手のグルグル巻の紐。
バタン!!
気付いたときにはフォーリアの手を引いて、ワンスは私室に彼女を入れていた。きっと同時刻にファイブルの銀縁眼鏡はさぞかし光っていたことだろう。
とうとうフォーリアは入ったのだ。
ワンス・ワンディングの部屋の中に。
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