その日は、いつもと騎士団の配置が違った。ワンス・ワンディングは、街に出た瞬間にそれを感じ取っていた。
―― そうか、今日は金曜日。国庫輸送の日か
こんな日は、賢い犯罪者だけが鳴りを潜めてじっとして過ごす。ワンスはそんな静かな街が好きで、ランタラッタランタッタと足取りは軽く、いつもより商売が捗る男だった。
「それでは、契約完了ということで」
王都で一番口が固いと評判の個室カフェ。
ワンスは、また一つ金を稼いだ。ホクホクと満足そうに部屋を出る契約者を、彼はいつも笑顔で見送る。俺たちWIN-WINの関係だね、なーんて思いながら。
まるで恋人からのラブレターのように、契約書を鞄にしまい込み、ワンスはご機嫌で個室を出た。
従業員に、閉じた勝利のピースサインでチップを渡し、タタタタと音を立てながら颯爽と階段を降り、店の正面扉から出たところで、足がピタリと止まった。
昼間の明るい日差しをさんさんと受けながら、白い紙飛行機が飛んでいたからだ。ここは王都のど真ん中。一体、誰が紙飛行機なんて飛ばすのだろう。
ひゅーん、ふわり、ひらり。
道行く人の何人かは紙飛行機を見ていた。ワンスも何となく、その紙飛行機を目で追いかけた。紙飛行機はふわりと風に乗って、目の前にある噴水広場にストンと着陸成功。
「懐かし~」
ワンスは、ふっと小さく笑って紙飛行機を拾おうと、用事もなかった噴水広場に足を踏み入れた。白い紙飛行機を優しく拾い上げ、投げただろう人物に返そうと辺りを見渡したが、紙飛行機を探す素振りをする人間はいない。
思わず拾ってしまった紙飛行機。ポイッと地面に捨てるのも何だし……かと言って持って帰るのも何だな…と思い、テーブルの上にでも置いておくかと、噴水広場のテラス席に近付いた。
すると、そのテラス席に目を引く人物が座っていた。ものすごい美人だ。
詐欺師だって男だ。ワンスは道行く男共と同様にチラリと彼女を見たところで、胸に痛みが走った。続いて、何だか背中がぞわぞわとする。
―― この感覚、覚えがある
もう一度美人を見てみると、どこかで見たような……という既視感が脳を通り抜ける。
ワンスは一度見たものは絶対に忘れない。どんなものでも、確実に思い出すことが出来る。彼の脳はちょっと特殊な作りをしているから、一瞬で思い出せないこの既視感は生まれて初めてのことだった。
忘れるなんてことは、有り得ない。ワンスにとって、それは『特別なこと』だった。
リーンゴーン。リーンゴーン。
ちょうどその時、十二時を知らせる鐘の音が王都に鳴り響いた。それを聞いたワンスは、何故だか噴水広場から逃げ出したくなった。
空いていたテーブルの上に紙飛行機をそっと置いて、美人が座るテラス席の横を足早に通り過ぎようとする。そこで、こんな会話が聞こえてきた。
「ええ、そうでございます。では、フォーリア様。こちらのカタログから、お好みの宝石をお選びください」
目を引くような美人は、押しの強い商売人にやり込められていた。今にも宝石を買わされそうな雰囲気だ。
―― あらら、ご愁傷様
ワンスは退散退散と心で唱えながら、美人の横をそのまま素通りした。そして、何かを誤魔化すように鼻歌交じりに八歩進んだところで、黄色のドレスを着た小さな女の子とすれ違った。
―― 黄色のドレス……?
それを見た瞬間、固く蓋をしていた記憶が全て思い出された。ガクンと落ちる心地がした。
「フォーリア!? あー……、最悪。思い出しちゃった」
ワンスは数年かけて頑張って、努力に努力を重ねて、ありとあらゆる様々な方法を使って、やっとこさ蓋をした記憶を、バーッと鮮明に思い出してしまった。げんなりである。その場にしゃがみこんで、両手で顔を覆って落ち込むくらいにはげんなりとした。
そして一瞬、視線を左から右に彷徨わせた後に「ちっ」と舌打ちをしてから、八歩ぴったり歩いてテラス席に戻った。
テラス席では、ペンを握らされた美人がサインをする寸前であった。ワンスは一つ呼吸をして、ニコリと微笑んで声をかけた。
「フォーリア、遅れてごめん」
美人は、手を止めてパッと顔を上げた。見たこともない男性だとでも言うように、不思議そうに首を傾げていた。その瞬間、風が吹いて、きらめく金髪がふわりサラッと大きく揺れた。
二人の視線がカチッと合った。
一方、向かいに座っていた商売人は、邪魔が入ったとでも思っている様子で、苦々しい顔をしていた。
本物の前で、そんな顔を見せてはならない。だって、こう思われてしまうからね。
―― とんだ雑魚だな
ワンスは、少し困ったように微笑んで見せた。
「フォーリア、買い物かい? 申し訳ないが、またの機会に改めてくれないか?」
ワンスは濃紺の髪を爽やかな風になびかせ、淡い黄色の瞳で商売人をジロリと見た。
その身なりから窺える賢く高貴な雰囲気に、分が悪いと思ったのだろう。商売人は「かしこまりました、また今度」と言いながら、カタログや契約書を隠すように鞄に詰め込んで、足早に去っていった。
声をかけてしまった以上は仕方がない。ワンスがフォーリアに向き直ると、エメラルドグリーンの瞳と目が合った。文句なしの美人に育ったもんだ、なんて思ったりもした。
所作は、まあまあだが……しかし身なりを含めると、背伸びしてやっとこさ宝石を買えるかなという程度だ。商売にはならなそうだな、とワンスは思った。
「あ、あの?」
フォーリアは、戸惑うように声をかけてきた。その声は酷く甘ったるくて耳障りで、ワンスは彼女を無視するように、先程去っていった男の背中に視線を移した。
「あの男、詐欺師ですよ」
「え?」
「『カタログ詐欺』です。本物の宝石は見せずに、カタログから選ばせて買わせるんです。でも、実物は質が悪い」
「え!? そうなのですか? お金は後日宝石と引き換えと仰っておりましたが……多少、質が悪くてもお買い得でしたわ」
―― ったく、相変わらず鈍くさいやつ
何が悲しくて、こんな馬鹿な女に懇切丁寧に教えてやらなければならないのか、と。
「契約書の金額は、しっかりとお確かめになりましたか?」
「金額?」
「ええ、カタログの金額とは違う数字が、契約書に書かれていましたよ」
「そ、そんな、本当に?」
「一瞬だけ見ましたが、カタログの金額は10,000ルド。契約書の金額は20,000ルドになっていました。品質の悪いものを、高く買わされていた」
きっと契約書の金額を確認していなかったのだろう、騙されたことを知って美人顔面蒼白。青い顔でも美しい。
「次は、気をつけて下さいね」
ワンスが心にもないことを言うと、フォーリアは瞳を潤ませて「ありがとうございます」と礼を返してきた。
「いえ。それでは僕はこれで」
約束は果たしたとばかりに、さっさと踵を返そうとした。が、そこで『グン!』と、つんのめった。腕を引っ張られたからだ。
「ありがとう、ございます」
ワンスの腕を引っ張っていたのは、勿論フォーリアだった。ワンスは、フォーリアにじっくりと見つめられた。じっくり。やたら瞳がキラキラとしていた。なーんか嫌な予感がした。
「いえ、たまたま見かk「お礼をさせて下さいませ。ぜひ」
「いや、急いでいr「ぜひ、我が家へ」
「ですから、僕はk「辻馬車カモンです!」
―― 話を聞けよ!!!
先ほどの契約が成立したことで、ワンスは銀行に行きたかったのだ。他人の家でダラダラ過ごす時間はない。
しかし、フォーリアは、めちゃくちゃ押しが強かった。この勢いで詐欺師も突っぱねれば良かったのに……と、ワンスは腕を引っ張られながら思った。そして、ドーンと辻馬車に押し込められて、着いた先は。
―― フォースタ伯爵家じゃん~♪
一軒家というには大きすぎるが、お屋敷というには結構小さめ。ワンスの頭の中にある王都貴族マップを見ると、ここはフォースタ伯爵家だ。
フォーリアは、淑女の礼でワンスに挨拶をした。
「改めまして、先程は危ないところを助けて頂き、有り難うございました。私、フォーリア・フォースタと申します」
―― へぇ、伯爵家の娘だったのか
ワンスは、心の中で少し驚いた。まさか伯爵位とは思っていなかった。男爵か子爵くらいかな、なんて予想していたのだが。
ワンスはどの名前を名乗るか一瞬考えたが、彼女相手ならこの名前だろう。
「ワンス・ワンディングです」
「ワンディング……あら、ワンディング伯爵家の御嫡男様…?」
「いえ、そんな大層なものじゃないですよ。そうなれたらとは思っていますが、はは」
―― なれたらと思っているだけですけど、ね
フォーリアは一つ頷いて、にこやかに扉を開けてくれた。
「どうぞ、小さな屋敷ではありますが」
「ありがとうございます」
綺麗な笑顔の裏で、ワンスは笑った。
―― さーて、どうしよっかな~?
ワンス・ワンディング。その男、詐欺師ですよ。
よろしくお願いいたします。
覚えやすいように、主要登場人物は数字をベースに名前をつけております。
お楽しみ頂けると幸いです。
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