「さあ、聞きたいことは?」
「えっと……ワンス様の……」
「うん?」
「誕生日っていつですか!?」
ワンスはずっこけた。自分が詐欺師だと告白したすぐ後に、金や宝石がたくさん詰まっている異常な金庫室の中で、一番初めの質問がそれとは。
「はぁ? なんで誕生日?」
「ずっと聞きたかったんですけど、なんか本人に聞くのも違うかな~って思ってて! 誰に聞いても知らないって言うんですもん、ずっと気になってたんです」
「……じゃあ生まれたときの話をすればいいか?」
「え! そんなスペシャルコースがあるんですね! それでお願いします」
―― ぇえ? 詐欺師の話からじゃなくていいのか……?
「思ってたのと違う。もっとシリアスな展開を予想していたんだけど」
「え? シマリス?」
「シリアス。泣かれたり罵られたり軽蔑されたりとか……まぁいいか」
立ち話も何だなと思い、ワンスはフォーリアをベッドに座らせて、自分はデスクの椅子に座った。とてもじゃないが隣に座れる気はしなかった。先ほどより幾らかマシだが、未だに心臓がバクバクしていたし、怖くて手は震えている。ギュッと拳を握って誤魔化す。
「家族のことを他人に話すのは初めてだな……嫌だけど約束だ。仕方ない」
「はい、お願いします!」
ワンスはフォーリアから視線を逸らし、壁一面の本棚の端っこに置いてある古ぼけた本をぼんやりと見ながら話をし始めた。
◇◇◇◇◇
時は二十年と少し前に遡る。
【二十年と少し前・国の東にて】
当時、国の東端には『東端集落』と呼ばれる統治されていない集落が幾つか点在していた。
どこの国にも所属していない、村とも呼べない、スラムとも違う、戸籍も持たない小さな人間の集まりだ。その集落がチームとなり、他チームと奪い合ったり騙し合ったり小競り合いをする。それが日常だった。
そんな集落に一人の若い女性がいた。その女性は生まれたときから、その、何というか、単純で考えが足りなくて騙されやすくて……平たく言うと頭が悪かった。それでも明るく楽観的で『まぁ何とかなるわよ~』とか『仕方ないわ~』が口癖の女性だった。
ある日、その女性が畑仕事をしようと鍬を持って振りかぶったとき、悲劇が起きた。なんと、鍬を前後逆に持って振りかぶってしまったのだ! なんてこった! 鍬の刃が背中に刺さったではないか!
「あぎゃー! 痛いー! 背中に鍬ぁ~」
『背中にうっかり鍬』の発生である。割と深くグッサリやってしまった為、医者に見せねばなるまいと同じ集落のおじいちゃんが大慌てで医者を呼びにいってくれた。本当におっちょこちょいでどうしようもない女性だった。
一方、そんな治世も知性もない集落の人々から『東のヒーロー』と呼ばれる男がいた。
彼は、東端集落に近い東の都付近を領地に持つ伯爵家の分家筋であった。やたらと頭が良く、志が高く、誇りが高く、彼が選んだ職業は医者だった。
無数にあるその東端集落を巡回し、怪我や病気の人を無料で診てくれていた。医学など未知の塊である集落の人々にとって、彼はまぎれもなくヒーローだった。
そんな賢く誇り高い『東のヒーロー』は、巡回先の集落の一つでうっかりと恋をしてしまう。惚れた相手は、鍬を前後反対に持ってしまうような、とてもおっちょこちょいな女性だった。
『背中にうっかり鍬』の治療で二人は出会った。鍬もびっくりである。彼はもうめっちゃくちゃ惚れ込んでしまい、全身全霊をかけて口説き落とした。
もうお分かりだろう。うっかり鍬の女性がワンスの母親で、その医者が父親というわけだ。
しかし、父親は良いところの生まれだった為に、戸籍すら持たない集落の人間との結婚など親が認めるわけもなかった。当然ながら、擦った揉んだのあと、父親は生家を出て愛する女性と暮らすことを選ぶ。父親は分家筋の人間であり、嫡男でも何でもなかったことが不幸中の幸いだったのかもしれない。
そして、一人の男の子が生まれた。どんなときでも何度でも、強く負けない心を持って欲しいと意味を込めて『Wonse』と父親が名付けた。
結婚はできなくても、父親は妻とワンスに戸籍を与えたかった。しかし、国の統治外の生まれである妻の戸籍獲得は不可能だった。
一方、母親が無戸籍である場合、その子供の戸籍作成も非常に難しく、生まれたばかりの頃は苗字も持たない『ただのワンス』だった。
「ワンス~! 土は食べちゃだめよ~」
「あーい」
「母さんは畑を耕しますからね、そこで遊んで待っててね!」
「あーい、かあたん、がんばって。きをつけて」
「鍬を持って、よーいしょ! あぎゃー!」
全ての記憶をほぼ覚えているワンスであるが、最古の記憶は一才半。畑を耕していた母親が鍬を前後反対に持ったまま振りかぶってしまった瞬間だ。
「いったーい! 人生二回目のうっかり鍬ー!」
「……かあたん、だいじょぶ?」
母親が背中に怪我を負ったのを、土遊びをしながら見ていたという記憶である。二十歳になった現在でも時々その光景を思い出すが、なんで鍬を前後反対に持ったんだろうという疑問しかない。
ちなみに一歳半の記憶があるのも、一歳半でこれだけ意味のある言葉を正しい位置で話せる子供も稀有だ。生まれたときからワンスの頭は異常だった。
ワンスに苗字がついたのは、彼が二歳のとき。父親が諦めずに国の文官と調整すること二年間。やっと戸籍が得られたのだ。ワンスは未婚の父親の婚外子として国に登録され、父親の姓を名乗ることになる。
「ワンス、お誕生日おめでとう」
「おとうたん、あいがとー」
「誕生日プレゼントは戸籍だよ」
「こせき?」
「ワンスが生まれてから死ぬまでの間、国が君を守ってくれるってことだよ。ワンスは父さんの子供だという証明だ」
「しょうめいってなに?」
「うーん、そうだなぁ。本当のことだと皆が認めるってことかな」
「ふーん」
「今日から君はWonse・Wandringだよ」
「わんすわんでぃんぐ」
「きっと、この名前はワンスをずっと守ってくれる」
「だいじにする。あいがとー」
父親は頭を撫でて、愛おしそうに微笑んでくれた。このとき『ただのワンス』は『ワンス・ワンディング』になったのだ。
「ワンスー! お母さんからはギューッのプレゼントでーす! お誕生日おめでとう、愛してるのギューッ!!」
「ぐるじい……」
ワンスの抱きしめ癖は母親譲りであった。
そんな父親は、稼ぎの主力であった東の都の診療所に加えて、無数にある集落の巡回をしなければならない忙しい身であった。月に二、三度ほど家に帰って来るのが普通だった。親子揃ってワーカーホリックだ。
でも、ワンスは父親から確かに愛されていた。そして、年中無休で楽観的な母親だ。父親が多忙であっても家には全く寂しい雰囲気もなく、むしろ騙されやすくうっかりさんである母親を必死にフォローしなければならないワンスの幼少期は、毎日がヒヤヒヤでスリル満点の大忙しであった。
ワンスの異常な頭の出来具合に一番最初に気づいたのは父親である。ワンスが三歳くらいまでは『この子は賢いなぁ』と思うくらいだったが、五歳のときに一度見た絵本を全て暗唱したのを見て『化け物級の賢い子供が目の前にいる』と認識を改めた。どうりで同じ絵本を二回と読まないはずだと。頭の中で何度も読んでいるのだからね。
毎日一緒に暮らすことは叶わなかったけれど、父親はたくさんの本を与え、色々なことを教えた。あまりに賢い子供だったため、教えるのも楽しかったのだ。
ワンスもまた、教養高い父親が大好きだった。聞いたことは何でも答えてくれた。分からないことを調べる術を教えてくれた。最高の父親だった。
ある日、久しぶりに帰ってきた父親とワンスが『より遠くに飛ばした方が勝ち』という折り紙遊びをしていたときのことだ。
子供心に何故この父親があの母親を好いているのか不可思議だったワンスは、紙飛行機を折りながら父親に聞いたことがあった。
「なんで母さんを好きになったの? 馬鹿すぎて大変じゃない?」
すると父親は「あはは!」と大笑いをして、ワンスの頭を撫でながら「苦労をかけるね」と続けた。
「でもね、母さんのそういうところが大好きなんだ」
「そういうところって……まさか馬鹿なところってこと?」
「違うよ、馬鹿なところじゃないさ。母さんはね、父さんには無いものをたくさん持っているんだよ」
「ええ? 考え無しなところとか、うっかりしてるところとか、ぼんやりしてるところとか?」
「あはは! ちょっとニュアンスが違うかな~。ほら、父さんの飛行機は完成だ」
「俺も完成! せーので飛ばそう!」
「「せーの!」」
ふわりと舞った二つの紙飛行機は、風にあおられてすぐに不時着してしまった。
「あー! せっかく流体力学の観点からトライ&エラーを繰り返して頑張って作ったのにぃ! 横風め!」
「相変わらず七歳とは思えない言動だな……ははは」
そのとき、洗濯を干しに庭に出てきた母親が鼻歌交じりに「なになに~?」と参加してきた。
「この紙一枚使って遠くに飛ばした方が勝ちって遊びだよ」
「よーし! 母さんも参加するわ!」
そういうと、母親は紙をぐっしゃぐっしゃに丸めてボールみたいにして思いっきり投げた。不時着していた二機の紙飛行機を大きく超えて、風にあおられることもなくヒューンと一番遠くまで行ってポサッと落ちる。
「やったー! 母さんの勝ち~! 洗濯で鍛えた腕力の差よ、ほほほ!」
そう言って、母親は鼻歌交じりに洗濯を干し始める。
「……父さん、これってアリ?」
「ワンス、こういうところだよ」
父親は苦笑いをしながらウインクをした。七歳のワンスには母のどこが良いのかサッパリ分からなかった。二十歳のワンスには幾らかわかるかもしれないけどね。
しかし、そんな馬鹿馬鹿しくも楽しい毎日は突然終わりを告げる。
ワンスが八歳のときだ。東端集落や東の都で流行った病によって、母親と父親が一度に他界してしまったのだ。いつだって、悲しみは突然やってくる。
ある日、母親が高熱を出して倒れた。数日後にワンスも高熱を出したものの、父親が駆けつけてくれて大事には至らなかった。しかし、そのとき母親はもうすでに助からない状態だった。
父親は流行り病で阿鼻叫喚の集落の診療や治療の一切止めて、家に留まった。後から聞いた話だと彼に対する非難は多かったらしい。しかし、父親はワンスと一緒に母親の最期を看取ってくれた。選んでくれた。そのとき、ワンスは確かに救われた。
直後に父親も同じく病気になり、ワンスが看病をしようと試みたが当然どうにもならない。賢いワンスは、早々に父親の生家に手紙を書いて助けを求めた。しばらくして父親は都に運ばれてフカフカのベッドで治療を受けたが、ダメだった。ワンスは父親の最期には会えなかった。
たった八年間だった。それに変な家族だった。
でも、大好きだった。
母親は愛と楽観とスリルと『どうにかなる明日』を教えてくれた。父親は教養と好奇心と利他的な救済心と『明日をどうにかする術』を教えてくれた。
ワンスは、ほとんど泣かない子供だった。だって、泣いても意味がないことを早くから理解していたから。
でも、大好きな二人が死んだとき、八歳のワンスは泣いた。賢いだけの子供は、子供らしく大泣きをした。大粒の涙を流して、声を出して、わんわんと泣いた。
涙を拭ってくれる人は誰もいなかった。ひとりぼっちで膝を抱えて、グイッと無理矢理に伸ばした洋服の裾でゴシゴシと涙を拭って、ずーっとずーっと泣いていた。
そして、涙が枯れる頃には、両親が教えてくれたたくさんの糧を小さな手にしっかりと握って、孤独と少しの強さを得た。
これがワンス・ワンディング、八歳までの記憶である。二十歳の現在まで、あと十二年。語ることはまだまだある。しばしのお付き合いを。
第三章開始です。
ワンスの姓の補足ですが、Wand=魔法使いの杖、ring=輪。
『嘘という魔法で繋ぐ』という意味を込めてWandring(ワンディング)と名付けてあります。
お読み頂き、ありがとうございます。
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