宴もたけなわ。というわけで、片付けを終えた五人はそれぞれ帰路に着くために帰り支度をしていた。馬車が来るまでの間、ワンスとニルドは、またやいのやいの言っていた。なんだかんだで仲が良い。賑やかなことである。
そして、その隙に今度はミスリーが手招きでフォーリアをキッチンに連れ出す。ファイブルといい、ミスリーといい、裏で工作するのが大好きなのだから困ったものだ。工作される側のフォーリアの気持ちも考えて頂きたい。
もう片付けは終わってピカピカのキッチン。フォーリアは少し不思議そうに付いてきてくれた。
「どうしたの? ミスリー」
「あのね、さっきの話だけどワンスに聞いたのよ」
「え! ワンディング家に置いてもらえるか聞いてくれたの? ありがとう、ミスリー!」
ミスリーは少し悪い顔をしながら「残念だけど」と続けた。
「フォーリアは領地に行くべきだと思うわ……」
「……そうよね、やっぱりご迷惑よね。でも大丈夫! 時々会いにくればいいんだもの。そんなに遠くないし!」
フォーリアが努めて明るく言うと、ミスリーは俯いて首を横に振った。
「違うのよ、フォーリア」
「?? どうしたの? ミスリー」
「ワンスには口止めされたんだけど、私……言わずにはいられない!」
「う、うん?」
「フォーリア、泣かないで聞いてくれる?」
「うん? なあに?」
「ワンス、結婚するんですって……」
勿論、嘘である。
ミスリーはパーティーを楽しみながらもずっと考えていた。フォーリアがワンスを諦めるときはどういうときなのか、を。
ワンスにフラれてもフラれても、弄ばれても何をされても、一切心が折れないメンタルマッチョのフォーリア。唯一心が折れるとしたら、やはりワンスの結婚。これ以外ないだろう! 鬼畜すぎる! 最低だ!
しかし、ミスリーとて私利私欲の為だけにこんな嘘をついているわけではない。ミスリーから言わせれば、そもそもにワンスが悪いのだ。手を出しておきながらも全く結婚の意思はない。それどころか『フォーリア以外となら結婚するかも』と言い放った酷い男。許してはおけなかった! 正義の鉄拳、悪を成敗である。しかし、それを言うなら二股クズにも鉄拳をお願いしたい。
フォーリアはきょとんとした。
「ごめんね、ミスリー。今なんて?」
「ワンス、結婚するんですって」
「……え?」
「お相手は子爵家のご令嬢らしいわ。婚約は来月、結婚は半年後ですって。本当は随分前に決まっていたのに、ハンドレッドを捕まえるためにフォーリアの協力が必要で黙っていたみたい」
すべてデタラメなのに、妙にリアル。ワンスがやりそうなことを的確についてくる。さすがミスリー。
フォーリアは心ここにあらずといった様子で、ぼんやりとキッチンの床を眺めていた。
「ワンス様が、結婚……?」
「辛いよね……わかる。ねぇ、フォーリア。領地に行った方がいいわ。私ね、フォースタ伯爵に手紙を書いたの。そしたら領地でフォーリアのことをお嫁さんにしたいって男性がいるらしくてね。お父さん、悩んでたわ」
「領地……」
「そうよ、領地。領地に行けば全て丸く収まるわ。ワンスを忘れて領地長の息子さんと結婚するのが一番よ。領地なら、きっと穏やかな気持ちで忘れられる」
「領地なら、穏やか……」
「ワンスのことは諦めるしかないわ」
ミスリーは胸が痛んだ。でも、この嘘でフォーリアを救ってみせると掲げたこの正義は、胸の痛みなどには屈しない! ミスリーは女優になりきった。
「私、前にワンスから聞いた事があるの。フォーリアと結婚することはないって。それどころか……ワンスは言ったのよ。フォーリア以外と結婚することならあり得るって。ごめんね、黙ってて」
「私以外となら……結婚する?」
その瞬間、フォーリアの目が死んだ。
ずっと前に聞いたみたいな雰囲気を出しているミスリーであるが、その話は五日前に聞いたばかりだ。
「お願い。この話を聞いたって、ワンスには言わないで。口止めされてるの」
「口止め……」
「分かった?」
フォーリアがこくんと頷いたのを確認して、ミスリーはフォーリアの手を引いてリビングに戻ろうとした。そのとき、ちょうど各々の迎えの馬車が来た為、ミスリーはそのまま玄関の外までフォーリアの両手を引く。まるで介護のようだった。
「おーい、フォーリア帰るぞー。って、どうした? 何か様子が変じゃね?」
「間違えてお酒飲んじゃったみたい。ぼんやりしてるけど大丈夫よ!」
よくもまあ、そんなスラスラと嘘が言えるものだ。
「そうか……? あんまり大丈夫な感じしないけど。まぁいいや、ほら帰るぞ」
ワンスがフォーリアを引き継いでワンディング家の馬車に乗せると、そこでニルドが噛みつく。
「おい待て。なぜ同じ馬車に乗る?」
そこでワンスは『フォーリアをワンディング家本邸に住まわせている』という事実をニルドに秘匿していたことを思い出した。どえらい面倒くさいなと思って、また濁すことに。
「あー、ほら、ワンディング家が持ってる家に住んでるからさ。ついでに連れてくだけだから」
テキトーな事を言いながら馬車に乗り込んで「じゃあな~」とすぐに扉を閉めた。そして出発させて事なきを得た。
「おい、待て。俺も……」
「はぁい~ニルドはこっちの馬車ね」
「ミスリー、離せ!」
「近所迷惑ですよ、ニルド様。へえへえ」
なんて会話を聞き流して、ワンスは少し苦笑いでフォースタ邸を後にしたのだった。ミスリーとファイブルが仕掛けた爆弾を乗せたままで、ね。
馬車の中でもフォーリアは空虚を見つめたまま一言も話さなかった。
ワンスは何度か『フォーリア?』と声をかけたり目の前で手をヒラヒラさせたりしたが、まるっきり反応がなかったため『これは人形かな?』と思って放っておくことにした。
ワンディング家に着くと、フォーリアはヨチヨチと歩いて浴室に直行していたので、ワンスは訝しげにしながらも『まあいっか』と風呂に入ったり寝る支度をした。
この時点で、フォーリアがワンディング家に来てから十五日程度。その間、ワンスは普通にフォーリアと一緒に寝ていた。するしないに関わらず、仕事が片付いたらマスターキーでフォーリアの部屋の鍵を開けて、普通にベッドに入り込み、普通にフォーリアを抱きしめて寝ていた。毎日だ。
フォーリアも初めは戸惑っていたものの、何だかそれが普通のことのような気がしてしまい、五日目くらいからはすんなりと受け入れていた。流され上手だ。
そんなわけで、今夜もワンスはマスターキーを指の先でクルクル回しながらご機嫌に私室を出て、フォーリアの部屋の鍵を開けた。そして、両開きの扉の片方だけをグッと押したところでピタリと止まった。何かが引っかかって扉が開かないのだ。
「……なにこれ……」
僅かに開いた扉の隙間から見えたのは、両開きの扉の取っ手同士をグルグル巻にした紐で結び、開かないようにしている細工であった。そのグルグル巻きの仕方が『入らないでください』と強くワンスを拒否しているようで、正直なところ面食らった。
「フォーリア?」
何かの間違いかなーなんて思いながら、ノックをしつつ一応声をかけてみたが、すでに寝ているのか返事はなかった。
「え、なにこれ」
ワンスは賢い頭で考えた。考えたけど、フォーリア級のアレな思考回路を読み解くのはワンスでも難しいのだ。
よく分からない。よく分からないのだが、残念なことに拒否される要素がたくさんありすぎて、思い当たることしかなくて、ワンスは『うーん、どれが原因だろ?』と悩んだ。
そして、この紐を解いたり切ったりしてはいけないのだろうということだけは分かったため、そのまま鍵を閉めて私室に戻った。
私室に戻ったワンスは、もちろん朝まで仕事をした。ハンドレッドとやり合って朝から大忙しでクタクタの一日であったが、一睡もせずに溜まった仕事をひたすら片付ける。よく働く男だ。
翌朝、フォーリアの部屋の扉が開く音が聞こえたと共に、ワンスは仕事をパッと止めて廊下に出る。
廊下にはヨチヨチと歩くフォーリアがいたが、その顔がまあ酷い。泣き腫らした目だった。昨夜同様に空虚な瞳で少し俯いて、床を眺めているだけ。
「……フォーリアさーん? おーい? どうした?」
声をかけるのを戸惑うくらいに、フォーリアは虚無だった。
「オハヨウゴザイマス、朝食の支度をシマス」
ロボットかな?っていうくらいの抑揚のない声でぽつりとそう言うと、彼女はキッチンに行ってしまった。笑顔の伴わない『おはよう』は初めてだった。
しかし、朝食は普通に美味しいのだから驚く。ワンスは衝撃だった。異常な状態ならば料理だって失敗するだろうなと予想していたからだ。むしろ失敗してくれていた方が良かったくらいだ。
フォーリアの様子がおかしいことは、侍従たちもすぐに気付いた。特に、ハチがキャンキャンとうるさくワンスにまとわりつく。よく吠える侍従だ。
「フォーリア様はどうしちゃったんですか? ってか、ワンス様が何かしたんでしょ? 絶対それだわ。心あたりあります?」
「心あたりしかないから、正直わからん」
「この最低男! どうせ嫌われたんでしょうよ。あーあ、フォーリア様かわいそう~。今なら俺と結婚してくれるかなぁ。どう思います?」
「お前をクビにしようかなって思う」
「ひぃ! ごめんなさい! お許しを!」
ワンスは面倒そうにハチを眺めた。
―― そうか。とうとう嫌われたか。そうだよな
頬杖をついて一人納得する。どうせ、いつかこんな日が来ると思っていた。だから別に、どうという事もない。
ワンスはまた私室に籠もって仕事をする。ハンドレッドのことで忙しく、通常の仕事が溜まりに溜まっていたのだ。
昼になるとノックをされて「昼食の準備ができました」とドア越しにフォーリアの声が聞こえる。「分かった、ありがとう」とドア越しにワンスは答える。
そして、食事が終わるとフォーリアはキッチンで片付けをし、ワンスは私室で仕事をする。夕食のときも同じだった。ドア越しに会話をした。一日中、私室で仕事しかしなかった。
そして、寝る時間になってワンスは少し迷った。マスターキーに少し触れて、やっぱり止めとこうかと手を放し、でもやっぱり……と手に取って隣のフォーリアの部屋の前に立った。
でも、鍵を差し込むことが出来なかった。ここで鍵を開けて、あのグルグル巻きの紐がされていたらと思うと、鍵を差し込む気など到底起きなかった。さすがに眠くて、私室の冷たいベッドに倒れこむようにして寝た。
ハンドレッドを捕縛する前後で二人の関係がこんなに冷えるとは、賢いワンスだって予想できるわけもない。
倒れこむようにして寝ても『ハンドレッドから金を返して貰うためにフォーリアに利用されていた』……なんて救いようもない夢を見たりして、目が覚めたときは少し笑った。夢の中のフォーリアの切り捨てるような冷めた視線が、賢いワンスの頭に刻まれてしまって少しだけ参った。
夢で良かった、なんて思えるはずもない。現実のフォーリアの方がよっぽど堪えるから。
でも、ワンスは対話をしようなんて思わない。理由を知ろうともしない。離れていく人間を追いかけることもしない。そっと手を放して、忘れることの出来ない不自由な脳に刻まれた記憶と共に一生を過ごすだけ。それだけ。
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