ワンスがカフェに戻ると、想定よりもひどい有り様になっていた。
「ぁあ? サインできないっていうんですか?」
「ご、ごめんなさい……お金がなくて……」
「そんなの知りませんよ、サインしてくださいよ、ねぇ??」
「で、でもお金が、ホントに……」
陰から様子を見ていたワンスは、頭を抱えた。ミスリーが派遣してきた詐欺師が、二流どころかド素人だったからだ。もっとマシなやつを寄越せと。
「それとも、お嬢様の身体で払ってもらおうかな? それでもいいですよ?」
「ひぃ……!」
―― おぉ! 身体で払ってもらおうかって、本当に言う奴いるんだ! 初めて見たー! フォーリア頷け! 身体で払ってやれ、頷け!
ワンスは、心の中でやんややんやと野次を飛ばしながら、結構楽しんでいた。最低だ。
すると、フォーリアの顔がだんだんと顰めっ面になってきた。眉をグッと寄せて、目は力いっぱい開いて、口が真一文字になっている。美人が台無し。そう、フォーリアは、泣くのをものすごく我慢している様子だった。必死に我慢しすぎて、顔が変だ。素人詐欺師も若干引いていた。
―― 出た! あの顔、笑える!! 変わんねぇな
ワンスは、口元に手をやって笑いをかみ殺した。そして、『さて、そろそろ出ていくか』と一呼吸。本当は色々と面倒でこのまま帰るか~、なんて思ったりもした。でも、ケーキをご馳走するという約束をしていたからね。
―― 約束は約束だな、仕方ないか
ワンスは詐欺師ではあるが、詐欺に関係ない約束は割と守る男だった。
医者だって風邪を引くし、料理人だって食事を抜くこともあるだろう。詐欺師だって、約束を守ることもあるのだ。この美学、詐欺師の中でも分かる人には分かるはず。親友であるファイブルには、いつも首を捻られるが。
「フォーリア、お待たせ」
「ワワワワワンスさまぁぁああ!!」
ワンスの顔を見るや否や、フォーリアの変な顔はパァっと輝く笑顔に変わってしまった。変な顔を間近で見たかったから、ちょっとガッカリした。
「あー……お連れ様。お戻りでございますか。帰られたかと、ははは」
「少し席を外していたんだが。あれ? 君は先日の宝石商かな?」
「ええ、偶然、フォーリアお嬢様にお会いしまして~」
「宝石か……僕も見てもいいかな? 今日は時間があるからね」
「ワンス様!?!」
ワンスが宝石に興味がある素振りを見せると、詐欺師の目がキラリと光った。ワンスは、その目を見て胸の奥から熱いものが煮えたぎるような心地がした。
そう、ワクワクと胸が踊ったのだ。
―― 詐欺師 vs 詐欺師、だな
フォーリアはかなり焦った様子だったが、詐欺師にバレないようにワンスがウインクをして見せると、ぽーっとして大人しくなった。簡単で従順だ。
「ええ、ぜひご覧ください! こちらがカタログでございます」
「ほう、種類が多いね。でも……カタログだけでは買う気にはなれないかな。実物はないのかい?」
「実物は、一点のみ用意してございます。ただこちらは見本品でして……ご購入はご遠慮頂きたく存じます」
「そうなのか。とりあえず見せてもらっても?」
詐欺師は一つ頷いて、カタログの実物だという宝石を取り出した。ワンスはそれを手に取ってじっとみた。それは紛れもなく本物だった。転売すれば26,000ルドは堅い。
ワンスは、頭の中で作戦を組み立てた。
―― よし、9,000ルド!
ニコリと笑って、詐欺師に身体を向けた。
「これがいい」
「お客様、申し訳ございませんが」
「30,000ルド出すよ、それでもダメかい? とても気に入ってしまったんだが」
「30,000ルド!?」
「足りなければ、40,000ルドでもいいよ」
「40,000!! 売ります!」
「話が早くて助かるよ。おっと、紅茶が冷めてしまったね」
ワンスは、紅茶を三人分用意するように店員に告げた。フォーリアが心配そうにワンスを見ていたので、耳元で「大丈夫」と囁くと、フォーリアは天に召されて使い物にならなくなった。
―― 扱いやすいな、ちょろいー
ワンスは、ちょっと味を占めた。
「それで、契約書は用意があるのかい?」
「勿論、用意してございます」
カタログ詐欺師は、様々な注意事項――例えば返品はできませんとか、契約破棄の違約金とか、そういう細則が予め書かれた契約書を取り出した。空欄は、金額欄とサイン欄のみだ。
ワンスは、その契約書を手に持ちサラリと眺めた。
「契約破棄の違約金は、双方ってことでいいのかな?」
「……と申しますと?」
「そちらから契約破棄をした場合は、そちらが違約金を支払うってことさ。実物を購入するのは、異例なのだろう? それを理由に破棄されては困るからね」
「ええ、そうでございます」
「ならば、ここにその旨を追記願おう」
ワンスが契約書に追記を求めると、詐欺師はサラサラと追記をしてくれた。
「では、金額欄も書いて貰えるかな?」
「かしこまりました」
詐欺師が金額欄に40,000ルドと記載したのを見たワンスは、そこで「あぁ、しまったな……」と呟いた。
「どうかなさいましたか?」
「今、金がなくてね。8,000ルドしか払えないんだ。悪いがここで契約をして、屋敷まで一緒に来て貰うことは出来るかい?」
「ええ、勿論でございます」
「ならば、支払いは8,000ルドで。宝石は、屋敷で渡してもらおう。フォーリアもそれでいいよね?」
「……はい、好きです……」
フォーリアは、使い物にならないままだった。
「では、サインを」
「わかった。フォーリア、サインを」
『って、お前がサインするんじゃないんかい!』と、詐欺師は思ったはずだ。しかし、使い物にならないフォーリアは、「はい……」と言いながら、さらりとサインをし始めた。ダメだこいつ。
そこでワンスは、覗いているだろうミスリーの方向を見て、ニヤリと笑ってみせた。ミスリーは、『2,000ルドを奪ったらフォーリアから手を引く』と明言していたからね。これでミスリーは、彼女から手を引くことになるだろう。
これは別にフォーリアのためにやっているのではない。儲けるついでに、ミスリーに貸しを作りたかったのだ。あと、元々フォーリアにサインさせる気だったし。
そのタイミングで紅茶が三つ運ばれてきた。タイミングがバッチリである。
ワンスはそれを受け取る素振りを見せて、うっかりと詐欺師に熱々の紅茶を思いっきりこぼしてやった。うっかりワンスである。
詐欺師の高そうなスーツは、太ももからすねまで紅茶まみれになってしまった。こんな常套手段が容易く通じるとは、こいつ相当な素人だな。
「あああ熱っぅう!!」
「あぁ! すまない! 大変だ! 誰か別室で彼の脚を冷やしてくれないか!?」
ワンスの声を聞いて、カフェの店員が慌てて詐欺師を連れ出そうとした。相当焦っているのだろう、鞄も何もかもそのままにして、詐欺師も慌てて別室に行こうとするではないか。
―― ちょ、馬鹿かこいつ! 契約書も置きっぱなしじゃねぇか!!
「ああ、待って。サイン済みの契約書が置きっぱなしだ。不正だとか難癖つけられても気分が悪いからね。持っていってくれ」
ワンスは押し付けるようにして、サイン済みの契約書や鞄を渡した。素人の相手は、これだから大変なんだ。
詐欺師が別室に行ったことを確認したワンスは、フォーリアに「手洗いにいってくる」と一言告げて、適当に空いてる部屋に入った。
そして、いつも持っている鞄をガバッと開けると、そこには少しずつ質感や色の違う白紙の紙がたくさん、ペンが百本ほど、小分けにされたインクが五十種類ほど入っていた。
「えーっと、紙はコレで、ペンはコレ、インクはコレね~」
サササッと選ぶと、ワンスはすごい勢いで紙に書き始めた。
ワンスの脳は、少し特殊だ。見たものを写真のように鮮明に記憶することが出来る。そう、ワンスは今さっき見た契約書の、金額欄以外の全てを完璧に複製しているのだ。
誤解がないように言っておくが、彼の特殊能力は記憶をすることだけだ。他は全部、本当に血の滲むような……という言葉では表せないほどの、多くの努力を長年積み重ねて得たものだ。
親友ファイブルの協力の元、国で流通する紙、ペン、インクの全てを網羅し常に持ち歩いた。そして、契約書に使用されている紙・ペン・インクの種類を、瞬時に判断する。
さらに、見たものを素早く且つ、寸分の狂いもなく正確に書き起こす。これは一朝一夕で出来るものではなかった。まさに努力の賜物なのだ。
勿論、この『偽造契約書すり替え詐欺』は、いつも使えるわけではない。契約書の種類や状況によっては使えないこともある。
しかし、ワンスが割と頻繁に使っている手法であり、得意とする詐欺であった。ワンスがこの詐欺で失敗したことは、ない。
「よし、カンペキ~。では、宣言通り『支払いは8,000ルドで』と。口約束もお約束~♪ってね」
ワンスはニヤリと笑いながら、金額欄に8,000ルドと書いて、契約書を仕上げた。ついでに手洗いに行って、何食わぬ顔で席に戻った。
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