ニルドが帰宅した後も、フォーリアはまだ沈んだままだった。
しばらく膝を折って打ちひしがれていたが、そのうちソファに座り直して、一点を見つめて泣くのをグッと我慢しているようだった。口を真一文字にして目を見開き眉を寄せる、まさに変な顔だった。
ワンスは紅茶を飲みながらソファの肘掛けに頬杖をついて、その変な顔を真正面から眺めていた。もはや観賞だ。
―― 変な顔、笑える……! いつまで落ち込んでるんだろ、こいつ
最低である。『そんなにワンス・ワンディングが好きかねぇ』とワンス・ワンディングである本人は少し呆れた。
そうやって三十分くらい経っただろうか。もうすぐ十五時になるかなというところで、フォーリアが突然立ち上がってワンスの隣にボスンと座った。
「私、諦めません!」
「……元気がいいね」
「好きです! 結婚してください!」
「……ははは」
「ワンス様に愛する女性がいても、諦めません! まだ婚姻は結んでないんですよね!?」
「うーん、まあ、そうなるね」
「何がきっかけで好きになったんですか!?」
「えーっと、まあ所謂、一目惚れかな」
「どういうところが好きなんですか!?」
「ぇえ……? あー、僕には無いものをたくさん持っている……ところかなぁ」
ワンスは考えて答えるのすら面倒で、昔どこかで聞いた話をそのまま答えるという誠意の欠片すらないテキトーを発揮していた。
「恋人関係なんですか?」
「グイグイくるね」
ワンスはちょっと考えた。ここで恋人がいると言ってしまうと、どこかで恋人役を用立てる必要が出てきそうだ。それは激しく面倒だ。
「恋人ではないよ、上手くいかないんだ」
というわけで、こんな回答にしておこう。すると、フォーリアの顔が『ぱぁ!』と輝いて笑顔になった。瞬間、ワンスは『うわ、やっちまった』と思った。
「まだ勝ち目はありますね!」
「うーん、それはどうかなぁ」
「私、絶対諦めません! 結婚してください!」
「……フォーリア嬢はさ、」
コンコンコン! コンコンコン!
そこで、玄関のドアを叩く音が聞こえた。客が来たのだ。大抵、客はいいところで来てしまうものだ。
十五時ちょうど。元々約束をしていた訪問客がフォースタ家に訪れた。詐欺の加害者Bである旧知の友人・スタンリーだ。
ちなみに、約束の時間は十五時だったのだが、ワンスは十二時にはフォースタ家に来ていた。フォーリアから昼食を作るから早めに来ないかと誘われたのだ。美味しいご飯に抗えなかったワンスは、ついつい誘いを受けてしまった。金欲八割・食欲二割が仇となった。
そして昼食後、スタンリーが来るまでの間に、突然ニルドが来たというわけだ。結局8,000ルド儲けたから良かったのかもしれないが。
勿論というべきか、昼食もめちゃくちゃ美味しかった。正直、胃袋だけはフォーリアに掴まれていると言ってもいい。思わぬ副産物だ。
「スタンリー! よく来てくれた、会えて良かった!」
「フォラン……」
親友であるという二人は、久しぶりに再会をした。フォラン・フォースタ伯爵はここ一カ月ほど、スタンリーにずっと手紙を送り続け、訪問をし続けていたが一切音沙汰がなかったのだ。
しかし、詐欺対策コンサルタントであるワンスが一通手紙を送ったことで、こうして再会が叶った。それだけでフォースタ伯爵から涙を流して感謝をされたワンスは、伯爵の善き人間っぷりに若干引いていた。金は、まだ1ルドだって返ってきていないのに、よく喜べるなと。
「フォラン、本当にすまない。すまなかった……なんて詫びていいか……!!」
「スタンリー、いいんだ。全ては詐欺師が悪いんだ。スタンリーは悪くない」
―― いや、悪いだろう
ワンスはそこに関しては、連動詐欺に荷担した加害者全員が確実に『悪い』と思っている。彼らには連動させないという選択肢もあったはずだからだ。
ワンスは被害者面した加害者が割と嫌いだった。悪事を働くのであれば、是非とも悪いと自覚を持ってやって欲しいものだと、一番あくどい詐欺師の美学がそう言っていた。
「手紙でも少しご説明しましたが、被害者加害者連動詐欺。これでお間違えないですね?」
ワンスがコンサルタントの顔をして穏やかに聞くと、スタンリーは小さく頷いた。
「知り合いに騙し取られたのです。初めは返金を要求しましたが、そのうちに相手から『自分も騙し取られたんだ』と打ち明けられたのです。そして『君も誰かから騙し取ればいい』と……フォラン、すまない」
フォースタ伯爵は優しく微笑んで「私が相手で良かったよ」と言った。
「その相手を教えて頂くことはできますか? 僕の狙いは、発端である詐欺師から被害者の皆さんに順々に返金させることです」
スタンリーは苦々しい顔をして、今度は小さく首を横に振った。
「スタンリー……」
「フォラン、すまない。言えない……言ったら君たち全員に迷惑がかかる。フォランから騙し取った金は何とかする、すぐに返す。どうか……それで収め、」
「収まりませんね」
ワンスはスタンリーの言葉を遮った。そして彼を追い詰めるように鋭く睨んだ。
「ワンス様……?」
「分かりませんか? 事態はそんな易しい状況を既に逸脱しているんです。今の時点で、あなたは紛れもない犯罪者だ」
「ワンス君、そんなスタンリーを責めないでやってくれ」
「僕は責めますよ。そうでなければ、また次も同じことをする」
「何を……スタンリーは反省しているんだから」
ワンスはまた言葉を遮るように、資料をバシンとテーブルに叩きつけた。
「捕縛された詐欺師の再犯率は89%です。詐欺に再び遭う確率よりも、詐欺を再び働く確率の方が高いんです。所謂、味を占めるというやつですよ」
「89%……」
―― 目の前に、その最たる例がいるんですけどね。捕まったことねぇけどな、はは!
まさに犯罪者、最低である。
「今回は旧知の友人だったから心苦しかっただけですよ。もし無関係の人間から金を取っていたら? きっと心苦しいなんてことはないはずだ」
スタンリーは、グッと押し黙った。違うと否定する自信がないのだろう。一度、ボーダーラインを跨いでしまった人間は、自分自身を信じることが出来なくなるものだ。次はやらないと決めたところで、本当に守れるものかと。
「あなたが取れる贖罪の道は一つだけです。ここで今すぐに相手の名前を告げ、発端である詐欺師に繋がる道を示すことだ。そこで初めて、あなたは被害者になれるのだと……僕は思います」
スタンリーは苦しそうに目を瞑り、そっと「ダ……」と言った。しかし、またそこで迷うように押し黙ってしまった。
瞬間、ワンスの目がギラリと光った。思わずニヤリと笑いそうになるのを、必死で堪えたくらいに気持ちが高ぶった。想定よりも、ずっと大物だったからだ。
「なるほど。あなたが金を騙し取られた相手は、ダグラス侯爵家、次男のダッグ・ダグラスですね?」
「なぜ!? なぜ、わかったんだ!?」
ワンスは、穏やかに微笑んで「簡単なことです」と言った。
「言えないような名前ということは、家格は侯爵家以上でしょう。ダから始まる侯爵以上の家名は、ダグラス侯爵家のみです。ダグラス侯爵家の当主は、連動詐欺に荷担するような人間ではありません。嫡男である長男も国の中枢で働く勤勉な男だと評判ですから、外れます。残るは、少しだけ悪評がある次男のダッグ・ダグラスのみ」
ワンスがサラサラと理由を述べると、スタンリーもフォースタ伯爵もぽかーんとした。フォーリアに至っては「素敵、好きぃ……」とか呟いていた。
上記の理由の他にも、ワンスの所には貴族に関する情報が効率良く集まるのだ。そんな情報を並べていくと、ダッグ・ダグラスに繋がるのは当然の帰結であった。
「間違いないですね?」
ワンスがもう一度問い質すと、スタンリーはハッキリとした声で「はい、間違いありません」と答えた。この瞬間、彼は被害者となったのだ。
そして、スタンリーから事件の詳細を聞いた後、フォースタ伯爵とスタンリーは二人で「久々に飲もう!」と街に繰り出していった。仲の良いことだ。
そう。飲みに行けるくらい、夜と言っても差し支えない時間になっていた。外が暗くなっているにも関わらず、ワンスはフォースタ家の応接室から動くことなくソファに座って考え事をしていた。
詐欺師にとって、伯爵位と侯爵位の間のハードルは非常に高い。ワンスは詐欺師として、今まで一度も侯爵家の人間を相手取ったことはなかった。もちろん、他の商売では侯爵位ともよく関わっていたが。
ワンスが侯爵位を避けていた理由は、リスクが高い割に取れる金は伯爵位以下と大差がないからだ。得られるのは、金そのものよりも名声や評価と言ったものだろう。『侯爵位相手に騙し取った』という犯罪者的勲章だ。ワンスはあまり名声には興味がなかったのだ。
犯罪者にとってはトロフィーである侯爵家の人間を相手に連動詐欺を働いた詐欺師。こいつはなかなかのやり手だと、ワンスはそう確信をした。金も相当持っているだろう。
―― 決めた
この日、フォースタ家が巻き込まれた連動詐欺にワンスは初めて本気になった。正直なところ、のらりくらり適当にやるくらいでもいいかなと思う気持ちもあったが、状況が変わった。本気になる価値がありそうだと踏んだのだ。
さて。
そこでワンスはフォーリアを見た。ぼんやりと自分を見つめて、ぽーっとしていた。
―― こいつどうすっかなぁ……
ワンスは少し迷っていた。このぼんや~りとした娘をこのまま関わらせるかどうか。
ワンスの目から見ても美貌は一級品だ。利用価値はありそうだが、一方で足手まといにもなりそう。利用できるくらいに仕上げるためには、かなりの指導が必要そうだ。優しい柔らかなワンス・ワンディングのままでは無理だろう。
勿論、『俺は詐欺師だ』なんて本当のことを告げるつもりは毛頭ないわけだが、ワンスの素顔とも言える厳しく冷たいワンス・ワンディングを彼女に見せるべきか。否か。
ワンスは腕を組んで「うーん」と唸った。フォーリアをチラリとみて、今度は額に手を当てて考え始めるワンス。もう一度、チラリとフォーリアを見て、左から右に視線を滑らせて、最後にため息をついた。
―― まぁ、それならそれで仕方ないか
「フォーリア」
ワンスは呼んだ。二人きりのこの部屋で、フォーリアと呼んだ。
「は、はい!」
「お前との契約は、何でも俺の言うことを聞くという契約だった。俺はこれから本気で例の詐欺師を相手取るつもりだ」
ワンスの口調が変わったことに気付いたのだろう。フォーリアは少し瞬きをパチパチとして、とても驚いた顔をした。そしてすぐに真剣な目で頷いた。
「お前が降りるなら、ここでコンサルタントの契約書を破って捨ててやってもいい。違約金も報酬もいらない。どうする?」
「え? 降りません!」
フォーリアの即答にワンスはちょっと驚いた。いや、結構驚いた。今度はワンスの目が瞬いた。ワンスの口調が変わったことに臆せず答えたところも驚きであった。
「……いいのか?」
「はい、もちろんです」
「割と……いや、結構、かなり危ない目に遭うかもしれないけど」
「うっ、それはちょっと怖いですけど、降りません」
「フォースタの分の金を取ったら、ちゃんと渡すと約束する」
「もー! お金のことじゃありませんよ!」
「じゃあなんで? あー……、待った。やっぱりいいや、何でもない」
「ワンス様が大好きだからですよ、ふふふ」
「聞いた俺が馬鹿だった……」
「結婚してください!」
「あのなぁ、お前本当に何なの……? 馬鹿すぎじゃない?」
ワンスが煩わしそうに言うと、フォーリアは瞳を輝かせて満面の笑みで返した。こんなに嬉しそうな顔は初めて見たな、とワンスは思った。
「口の悪いワンス様も素敵ですー! 結婚してください!」
「断る」
ワンスがフォーリアの求婚に初めてちゃんと返事をしたのも、この日が初めてとなった。返事はお断りであったが、ね。一歩前進かな。
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