「え! なんで!」
フォーリアは目を覚まして驚いた。ソロリと目だけ動かしてみると、ここは確かにワンディング家の客室。間借りしている部屋に間違いない。
昨日は、しっかり内鍵をかけて一人で寝たはずなのに、なぜかワンスにガッチリホールドされている状態で目が覚めた。『なぜ? なぜなの??』と、フォーリアは頭に???と三つくらいクエスチョンマークを浮かべた。
「ふぁー、おはよ」
フォーリアの声で目が覚めたのだろう。ワンスは、普通に伸びをして朝の挨拶をしてくる。
「おはようございます……?」
フォーリアも首を傾げながら、つられて普通に朝の挨拶を返す。なんとものんびりな朝の雰囲気だ。
「朝食は目玉焼きが食べたい。目玉焼きは半熟がいい」
「あ、はい」
「隣で仕事してるから出来たらノックして」
「え、あ、はい……?」
それだけ言って、ワンスは部屋から出て行こうとした。フォーリアは慌てて起き上がって「なんでここにいるんですか!?」と聞いた。すると、彼は悪びれた様子もなく面倒そうに「え? ダメ?」と逆に質問で返してきたではないか。
フォーリアは考えた。ダメかと言われると、ダメではない……? 恥ずかしいけれど、嬉しいような気もする……?
「ダメではないです……けど?」
ワンスから返事は返ってこなかった。その代わり、彼はフォーリアをただじっと見ていた。その視線があまりにも強かったため、フォーリアは少しいたたまれない気持ちがする。何とも言えない沈黙が、朝の爽やかな空気にぷかりと浮かんだ。
「じゃあ、いいじゃん」
一分ほどじっと見られたかと思ったら、一言それだけ。ワンスはサッサと部屋から出て行ってしまった。
フォーリアはワケが分からなかった。しかし、とりあえずは朝食を作らなければと身支度をしようとして、またもやナイトワンピースのボタンが全開だったことに気付いた!! 丸見えどころの状態ではない!! 寝相が、悪すぎる! 見られてた、明るいこの部屋で! 一分間ずっと!
「~~~!!!?」
フォーリアは枕に顔を埋めて、声にならない声で叫んだ。ワンディング家で迎えた初めての朝は、恥という静かなる絶叫から始まったのだった。
気を取り直して。
ワンディング家では使用人もワンスも、一緒に食事を食べる。元々、ワンスが侍従頭だったことを考えれば自然な流れだ。
フォーリアは父親と二人暮らしであるため、大人数での朝食というのは何だか新鮮で嬉しかった。そして、『お父様は一人でどうしてるのかな』と思うと、フォーリアは少しだけ寂しくなった。
ワンスは、それはもう朝食とは思えないほどたくさん食べた。
パリっと焼かれたパン、絶妙な半熟具合の目玉焼き、塩こしょうがよく効いた厚切りベーコンはパサつきもなく程よい肉汁が食欲をそそる。カボチャのポタージュには、後のせサクサクの手作りクルトンが添えられ、サラダは瑞々しいのに水っぽくなく、フルーツは食べやすいように皮を除かれて一口サイズに切られている。
こんなパラダイスモーニングを目の前にすれば、ワンスのテンションも朝から上がってしまうというもの。隠れ家には調理器具が無かった為、ここまで完璧な朝食は出されなかった。おばあちゃんには申し訳ないが、こんなに好みの食事が朝から出てくるなんて、それだけでフォーリアをワンディング家に連れてきた甲斐があったというもの。
ワンスは、パクパクと食べながら「あ、そうだ」と思い出したように、フォーリアに話しかける。
「フォーリア、今日は少しだけ外に出る」
「はい、分かりました!」
「テン、目立たないワンピースを用意しておいて。あとツバが広い帽子。御者と護衛もよろしくな」
「はい」
そのやり取りを聞いていた女好きのハチが、ジトリとした目でワンスを見る。羨ましいと顔中に書いてあった。
「ワンス様ばっかりずるい。俺もフォーリア様と街にいきたいんですけどー? ぶーぶー!」
「あー……まあ短時間だからいっか。それならハチも来い」
ワンスは一瞬思案した後に、スルリと了承した。そうなると、今度はフォーリアがジトリとした目でワンスを見てくるではないか。あちらを立てればこちらが立たず。
「ワンス様と二人がいいです!」
歯に衣着せぬフォーリアの物言いに、ばあちゃんの瞳がキラキラと輝いていたし、じいちゃんはふぉっふぉと笑っていたし、ハチは泣いていた。
「ったく、うるせぇな。面倒だからハチとフォーリアの二人で決めておいて。ごちそーさまー」
興味なさそうに冷たい声でそう言うと、ワンスはサッサと私室に戻ってしまった。ダイニングの扉が閉まると同時に、ハチとフォーリアの視線がぶつかって、ダイニングテーブルの上ではじけて混ざって戦いの狼煙に火がついた。
「フォーリア様、一緒に行きましょう!」
「ハチさん、ご遠慮願います!」
ギリギリとぶつかる二人の視線の上を、じいちゃんの「ふぉっふぉっふぉ」という柔らかい声がふんわりと通過していった。
そして出掛ける時間。紺色のスカートをヒラリフワリと膨らませた、にこやかなフォーリアの姿が。
「ふーん、ハチの負け?」
「はい! 丁寧にお願いしたら了承してくれました。意外と良い方ですね!」
「あー……必殺・上目遣いね」
「ひっさ……? なんですか?」
「なんでもない。自覚されると面倒だから。行くぞ」
「は、はい」
スタスタと足早に歩いて玄関を出てしまうワンス。フォーリアはタタタタと小走りで付いていった。そしてワンスは御者席に座るテンに「例の花屋までお願い」と伝えてから馬車に乗り込み、フォーリアの右隣に座った。
フォーリアは思わぬ距離感にドキンと胸が鳴って、右半身だけビビビと緊張が走った。致すところまで致しているのに何ともピュアな娘だ。
「えっと、今日はどこに行くんですか?」
「花屋で花を買う」
「あら、素敵ですね~。私、チューリップが好きです」
「いつも頭に咲いてるもんな」
「???」
ワンスは小さく笑ってから、フォーリアをチラリと見て、急に顔を近付けたかと思ったらそのままチュッと軽くキスをしてくれた。突然のキスに、フォーリアは右半身だけでなく全身がビビビと固まって、耳まで赤くなるほど顔に熱が集まった。
「あ、あの……」
「んー? なに?」
柔らかく微笑むワンスに、フォーリアの愛は溢れて止まらなくなった。
「~~っ!! 好きです!」
「飽きないやつだな」
「すごく好きです、大好きです。好き」
愛は溢れ続けた。ワンスを好きという気持ちが心の奥から流れて止まらなくて、急流に乗るように『好き』が口から零れた。
それにしてもこの二人、関係が大変複雑である。恋人みたいなのに恋人ではない。両思いみたいなのに、片思いみたい。片思いみたいなのに、想い合ってるような。
まるで波だ。近付きすぎると遠ざかる。遠くなりすぎると寄せられる。寄せては引いて、ゆらりと揺れて。
好きと言っても返してはくれない。でも、言うなとも諦めろとも言われない。詐欺師相手の恋は如何ともし難い、ややこしや。
「さて、今日は任務だ」
フォーリアの溢れて止まらない告白を無視するように、それを急にせき止めて任務の話をするワンス。まさにダムのクレストゲート。ゲートを閉じるなら放流とか簡単にするんじゃない!
「え! 任務? 今日はデートですよね?」
「違う」
「がーーーん!!」
「今日は総仕上げ一歩手前の任務だ。下準備の最終任務ってとこだな。花屋の男性店員をサクッと落としてほしい」
「……ひどい!! ひどいです!」
「は? なにが?」
フォーリアにひどいと言われるのも当然だ。キスなんかしておいて、その同じ口で他の男を落とせと言う。酷い男だ。
「さては! 他の男性に私を押し付ける気ですね? そうはいきませんよ? しがみついて離れませんから!」
フォーリアはワンスの腕にしがみついて、この難攻不落の男から振り落とされまいとしていた。しかし、ワンスは冷ややかな目でフォーリアを見て、どういう抜け技なのか簡単にスルリと腕を抜いてやった。
「違う。お前が落とされる必要はない」
「はい! 振り落とされてなるものですか!」
「はぁ……ばーか。よく聞け。相手に好かれればいいんだよ。お前が男性店員を好きになる必要はない」
「え? あ、なるほど~!」
フォーリアは「勘違いしちゃった! なぁんだ~」と楽しそうに笑っていた。何がそんなに楽しいんだろうと、賢いワンスは心底理解できないかったが。
「落とすって、どうすればいいんですか?」
「1、花を買う。2、ニコリと微笑む。3、この手紙を渡す」
そう言って、ワンスはフォーリアに手紙を渡す。その手紙は花柄の可愛らしい封筒で、すでに封がされていた。
「これは……何の手紙ですか?」
ワンスはニッコリと微笑んで「深く考えなくていい」と答える。
「花を買って、笑って、手紙を渡す。これだけでいい」
「花を買って、笑って、手紙を渡す……」
「覚えたか?」
「はい! 手紙を渡して花を買って笑えばいいんですよね!」
すでに微妙に順番が変わっている。
「……まぁなんでもいいや。俺も花屋にはいるけど他人のフリしろよ?」
「分かりました! えっと、花を渡して、手紙を笑って買う……ん? 笑いを渡して、手紙を放す? 話を笑って、紙を手で書く?」
「……まじでやべぇな」
しかし、ワンスはフォーリアの才能を信じていた。ダッグ・ダグラス然り、ハンドレッド然り、オーランド侯爵然り、すべての男は一度くらい彼女に惹かれる。その才能があれば細かいことはどうにでもなるだろう、と。
花屋の男性店員。これは勿論、ハンドレッドのお抱え鍵屋だ。趣味同然の副業で花屋のバイトをしているというのだから、ここで常勝フォーリアという餌で一発釣りをする。何も金庫の開け方を聞こうってわけではない。ただ繋がりを持てれば、それで目的達成なのだ。
そうして花屋に入ってみると、フォーリアを見た瞬間に男性店員の目の色が変わった。ほれ、見たことか。簡単なものだ。簡単ではないのは、この世でワンス・ワンディング唯一人なのではないかと思わせる程のイージーモードであった。
「いらっしゃいませ! どういった花をお探しでしょうか?」
男性店員は駆け足集合でフォーリアの前にやってきた。後ろの方で他人のフリをしているワンスも一応客なのだが、もはや店員の目には入っていない。ワンスは少しだけ寂しかった。
フォーリアは思い出すように頬に手を当てながら、ニコッと微笑んでいた。よし、良いスタートだ。案の定、男性店員の目がもっと欲にまみれた色になったではないか。
「えっと……何の花を買ったらいいかしら」
そう言いながら、フォーリアはキョロキョロとワンスの姿を探す素振りを見せた。
―― なんでもいいから買えよ!
ワンスはスッとその場を離れて、花が群がるショーケースの陰に隠れる。ここで話し掛けられては元も子もない。
「お好きな花は何でしょうか?」
「え? あ、チューリップが好きです」
「チューリップ!! チューリップですか! ちょうど今朝、今年で一番活きの良いチューリップが入荷したところなんですよ!」
「あら、素敵!」
活きの良いチューリップとは?
「こちらにございます。何色になさいますか?」
「えーっと、大好きな黄色で♪」
ワンスの瞳の色を指定したのだろう。ショーケースの陰で見守るワンスは、それが一瞬で分かってしまい、少しげんなりとした。しかし、ワンスを思い出したのが功を奏して、フォーリアは恋する顔を店員に見せ付けた。頬を染めて少しとろんとした瞳で、恥じらう表情だ。
「はい……お代は、結構です、美しい人」
その様子にワンスは小さくガッツポーズ。
―― よっしゃ! 落ちた!
フォーリア砲によって、彼は瞬殺された。南無阿弥陀仏。商売人としては代金くらい貰って欲しいものだとワンスは思ったが、客の立場としてはラッキー。
「嬉しい! ありがとうございます~」
しかし、ここで問題が発生した。お代は結構ですという貧乏人にはよく効くパワーワードに、フォーリアは手紙の存在をスッカリ忘れてしまった様子。夜なべをして愛らしい字で一生懸命に書いた手紙を忘れられて、ワンスは少しだけ寂しかった。
―― ったく、仕方ねぇな
黄色のチューリップの花束を嬉しそうに抱えて、そのまま店を出ようとするフォーリアと、ワンスはすれ違うように店内を歩いた。そして、すれ違う瞬間、フォーリアのワンピースのポケットから誰にも気付かれることなく手紙をスって取り戻す。この手捌き、玄人のスリである。ピッキングの速さといい、やはりこの男は犯罪者だ。
「お嬢さん、手紙を落としましたよ」
すれ違った瞬間に、ワンスはそう言いながら振り返って、フォーリアに手紙を渡した。
「あ、ワン……ひぃ!」
フォーリアは思わず『ワンス』と言いそうになっていた。しかし、優しいワンスが、氷のように冷たく、殺傷力の激強い目で見てあげたおかげで、口をつぐんでくれた。怖い! 名前を呼んだら殺される!
「おや? 宛名を見るに……花屋さんへの手紙かな?」
「ハイ、ソウデシタ。アリガトウゴザイマス」
「ドウイタシマシテ」
フォーリアはトテチテタと音が鳴りそうな歩き方で手紙を受け取り、そのまま男性店員にそっと渡していた。男性店員は不思議そうにぼんやりと手紙を受け取って、宛名を見た瞬間にハッとしたようにフォーリアを熱っぽく見つめて返す。宛名に『素敵な花屋さんへ』と書かれていたからだ。
しかし、宛名すら見ていないフォーリアは、突然の男性店員の強い視線の意味が分からず、思わず怪訝な顔をしそうになったところで、ワンスが「すみません、花を買いたいのですが……」と店員に話し掛ける。ナイスフォローだ。『失敗しても俺が何とかする』といつも豪語するだけのことはある。
「は、はい! いらっしゃいませ!」
「そうだなぁ……このカレンデュラの花を使って、花束を作ってくれるかな?」
そんなことを言いながら、背中の後ろで『先に馬車に戻れ』とワンスは指示を出した。フォーリアは馬鹿正直に深く頷いて返事をしてくれて、先に店を出ていった。
ちょうど店員が見てないときで良かった……とワンスは胸を撫で下ろす。ダッグ・ダグラスのときもそうであったが、フォーリアに対するこのヒヤヒヤ感、逆に癖になりそうである。
ワンスがカレンデュラの花束を持って馬車に戻ると、黄色のチューリップの花束を持ったフォーリアが「お帰りなさい」と笑顔で出迎えてくれた。
馬車の中は甘い花の香りが漂っていた。よく晴れた青空と相まって、まるで花畑にいるような爽やかな心地がする。
「ワンス様」
「なに?」
「あの……花束、交換しませんか?」
ワンスは一瞬だけ迷った。フォーリアの持つ花束を受け取りたくない、そう思ったからだ。
「いいよ」
でも、ワンスはもうすでに現実を受け止めていた。もうずっと、八年前から分かってた。だから、ぽつりと一言承諾して、カレンデュラの花束をフォーリアに渡す。
フォーリアはすっごーく嬉しそうにそれを受け取って、宝物みたいに抱えていた。黄色のチューリップの花束に一つキスをして、それを微笑みと共にワンスに渡してくる。残酷なほどに綺麗な笑顔だった。
「ありがとうございます、お部屋に飾っていいですか?」
「別にいいけど」
「ふふふ、ワンス様大好きです」
「あっそ」
「ワンス様もチューリップ、ちゃんと飾って下さいね。瞳の色とお揃い! ピッタリでしょ?」
黄色のチューリップの花言葉は『望みなき恋』『正直』。
「あぁ、どちらにしても、俺にピッタリな花だな」
大事そうにカレンデュラの花束を抱えてニコニコと笑うフォーリアを見て、ワンスは少しだけ……ね。
国庫輸送まで、あと十二日。
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