「あぁ……髪は茶色で瞳は黒くて特徴がないんだ。ただ、暗いところで会ったとき、瞳がやたら赤く見えたんだ。そのせいか、レッドと名乗っていたが」
庭園の茂みの中で、ワンスはニヤリと笑っていた。ダグラスのこの言葉を聞いた瞬間、胸が大きく高鳴った。
レッド・レドルド。
またの名を、レッド・ハンドレッド。
ここ二年間程、界隈を騒がしている若い新星の詐欺師だ。画期的な詐欺手法を、百種類は生み出したことから賞賛の意味を込めて、ハンドレッドと呼ばれるようになった。
好奇心旺盛で強欲、富と名声が大好きな男。活躍は王都だけでなく地方にも及び、稼いだ額はたった二年で一千万ルド以上という噂もある。
間違いなく大物詐欺師だった。運命の出会いだ。
この日、花が咲き乱れる美しく華やかな庭園の、暗くジメジメした茂みの中で。
稀代の詐欺師同士の騙し合いが、静かに始まったのだった。
フォーリアが大声で手洗いに『イッテキマス!』と宣言してから五分後。茶髪のカツラを被り眼鏡をかけたまま、ワンスは茂みの中から音もなくスッと出て、服についていた葉っぱをパパッと取り除いた。
そして、葉っぱを一枚だけ目立つようにそっと肩に乗せて、ダッグ・ダグラスの前に立った。
「こんにちは、ダッグ・ダグラス郷」
ダッグ・ダグラスはワンスに見覚えがないのだろう。訝しげにワンスを睨んだ。二人の間に、寒々しい風が通り抜けた。
「誰だ?」
「ああ、そちらは初めましてか。いつも見てましたよ」
「見ていた……?」
「どうも、レッドのオトモダチです。たまたまあの女を見張るように仰せつかってね」
フォーリアには極力嘘を付かせないために『同じ被害者』という立場を取らせたワンスであるが、彼自身が仕掛けるならば被害者のフリなどしない。発端の詐欺師の仲間のフリをする。それをダグラスに信じさせて、情報を引き出す方法を取る。その方が『情報を漏らした』とダグラスに悟られにくいからだ。
『相手が元々知っている情報を話している』と思い込むことで、人はスルリスルリと話をしてしまうものなのだ。
「マリアを見張っていたのか……?」
ダグラスは、少し地面に視線を落としていた。
「そうしたら貴方と二人でいい雰囲気だったものだから、いやぁ驚いたよ。あの女、いい女だよねぇ。レッドには、なんて伝えようかな?」
ワンスは肩についた葉っぱにたった今気付いたようにそっと取って、ダグラスに見せつけるように地面に落とした。ずっと見ていましたよ、というメッセージだ。
「待ってくれ! 違う、彼女も詐欺を働いたんだ。だからこちら側だ」
「知ってるさ。だから僕が見張っていたんだからね。レッド・ハンドレッド、あぁ君にはレッド・レドルドと名乗ったかな? 彼は、お仲間同士で連むのは……どうだろう、あまり好まないと思うなぁ」
ワンスは肩をすくめて軽く小首を傾げた。しかし、視線は鋭く刺すようなものだった。ダグラスはほんの少しだけ肩を震わせていた。
「ダグラス郷、あの女に何を話したんだい?」
「……レッドという名前と会った場所だけだ! そもそも、僕だってレッドのことはほとんど知らない。彼女だってレッドには会っている、問題ないだろう?」
「それを判断するのは、他でもないレッド本人さ。あのことは言ったのか?」
「言えるわけないだろ! もしあんなのを流したってどこからか漏れたら……」
―― あんなのを流した……? 何を流した?
「ダグラス郷に教えて貰えて、レッドはお気に召した様子だったけどね」
ワンスが適当に話を合わせると、ダグラスは「はぁ」と深いため息をついた。
「……なぁ、大丈夫なんだろうな?」
そして、怯えたような表情で、まるでやっと現れたレッドの関係者に縋るような……そんな目でワンスを見てくる。この様子からすると、ダグラスはレッドとは自由に連絡を取れないのだろう。
ダグラスは、レッド・ハンドレッドに何を流したのか。きっとあまり良くないものなのだろう。ひどく不安がっているようだった。
「なにがそんなに不安なんだ?」
ワンスがサラリと何でもないように聞くと、ダグラスは眉をひそめて小声で詰め寄った。
「レッドが秘密裏の調査のために必要だって言うから渡したんだ。詐欺の件を黙ってる代わりに寄越せって……。あいつ、王城文官だって言ってたけど、伝手を使って調べたらレッドなんて文官はいなかったぞ!? 取られた金よりも資料の方が気になって……。なあ、あんなの何に使うんだ? 犯罪じゃないよな?」
「心配症だなぁ、大丈夫だよ。まあ、君の言うとおりレッドというのは本名ではない。そして、確かに彼は文官でもないが、そんなに心配することではないよ」
「文官ではないなら、レッドは何者なんだ?」
「ははは! それを言ったら、僕がレッドに怒られてしまうよ。詳しくは僕も聞かされていないしね。君が渡した資料をちょっと思い返してみればわかるんじゃないか?」
「そう言ったって、ただの全領地の収入の資料だぞ? 後は、日程とか」
―― 全領地収入の資料……? 日程?
瞬間、ワンスは頭の中の全ての記憶を呼び起こした。
―― 全領地収入とダグラス侯爵?
まるで脳内を検索するかのように、全ての情報が駆け巡った。これも違う、違う、違うと凄い速さで関係ないものを避けて行った結果。
二年前に見た新聞記事、一年半前に見たゴシップ記事、五年前に偶然見た地方院の資料の三つが引っかかった。それを繋げると、レッドの狙いが一瞬で理解できてしまった。
―― そうか、国庫輸送か! すげぇとこに手出すな!
国庫輸送とは、その名の通り国の金を輸送することを言う。地方の税収を、王都に運び入れるのだ。
レッドの狙いが国庫輸送の詐取だとするならば、フォースタ家が巻き込まれた連動詐欺は、ダグラス侯爵家の人間であるダッグ・ダグラスの弱みを作るためだけに仕掛けられた罠であったのだろう。ダグラスに詐欺を働かせること自体が目的で、それをネタに彼を強請、国庫輸送の情報を抜き出せば、それで目的達成。
どうりでスタンリーとフォースタの間で成立した連動詐欺が、杜撰なわけだ。ダグラスから先の連動詐欺なんて、レッドはどうだって良かったのだから。
ワンスの中で、全てがカチッとはまった心地がした。
「僕にも国庫輸送の資料を見せてもらいたいもんだな。残念ながらレッドには少ししか聞かされてないんだ。所詮はレッドの駒ってことさ。駒をやっていて良かったことと言えば、いい女の見張りが出来たことくらいだ」
ワンスがウインク一つおどけてみせると、ダグラスの表情が少しだけ緩まった。
「残念だけど、レッドに渡したメモしかないんだよ。あれは普段は騎士団保管だからな。たまたま親父の書斎にあったのを所々書き写しただけだ」
「あぁそうだった、半年後の日程だったかな?」
「あぁ。あとは輸送される全領地収入の金額だけさ」
「資料は騎士団本部にあるんだろう? レッドがもう少し詳しい資料を見たがってたな~? どうだ、一枚噛むか?」
「……いやだ、もうやらない。なあ、僕が詐欺を働いたって話は」
「分かっている。お口にチャックはマナーだからね。お互い様さ」
ワンスは『こっちだって詐欺荷担を知られたら困るんだ』というような表情で微笑んだ。すると、ダグラスも安心したようにホッと息をついた。
「あぁそう言えば。さっきの女はこっちで引き取る。この後、詐欺の件で少し用事があるんだ」
「おい、マリアに何かしたら……」
「ただじゃおかないのだろう? 分かってるさ。僕は見た目通りの紳士だからね」
そう言って、ワンスはヒラヒラと手を振ってダグラスの前を去った。
そして、庭園を出てすぐに郵便屋に入った。マリアを装って、女性らしく愛らしい字で丁寧に手紙を書きあげた。内容は、別れと口止めの手紙。金がないから田舎に引っ越しますと。身の危険があるため、お会いしたことは誰にも言わないでと。それをダグラス侯爵家に送っておいた。
「三十分くらいか? 運命の出会いだったのに、短い恋でさぞかし残念だろうな~」
ワンスはちょっとだけダグラスに同情しながら、フォーリアの家に向かった。
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