フォーリアは、ニルドに連れられてニルヴァン邸に入り、そのまま裏側まで屋敷内を素通りし、使用人が使う裏口から外に出た。警戒をするように周りをうかがうニルドの後ろから、ドレス姿のフォーリアが普通にトコトコ付いていく姿は異様だった。
「ニルヴァン、こっちこっち」
暗がりの中から、ワンスの小さな声が聞こえる。思わず返事をしそうになったフォーリアであるが、「声を出すなよ?」とニルドに言われたので、黙って頷く。そして、ワンスとニルドが小声で話をしている様子を、フォーリアはお口にチャックかつ神妙な面持ちで聞いてる風を装った。
「一応警戒はしたけど、ハンドレッドの動向がわかんないからな。はー、ファイブルも会場入りさせとけば良かった……悪い、失敗した」
「どうやってフォーリアを帰す?」
「馬車を何台か乗り変えてフォースタ邸まで行く。御者は全員、俺が直接雇ってる人間だから大丈夫だ。もう手配した」
さすが犯罪者! 逃走ルートが常に確立されている!
「分かった、俺が護衛する」
「頼む……いや、待て。ダメだ。ニルヴァンはここにいろ。ハンドレッドは会場からここに来るはずだ。絶対に来る」
「だろうな」
「だから、時々外から見える場所に立って姿を見せてやれ。フォーリアもここにいると思うはずだ。もし可能なら、フォーリアっぽい侍女に協力を仰いで窓際に立たせろ」
「なるほど。了解」
ワンスとニルドは目を合わせ、一つ頷いて解散した。各々やるべきことをやるのだ。
「フォーリア、こっち来て」
ワケが分からないフォーリアは、ワンスに手を引かれるままに黙って付いていくことにした。そして、どこの家紋だか分からない馬車に乗せられる。
ワンスは向かいには座らずに、フォーリアの右隣に座った。右手には馬車に置いてあった剣を持っていた。
―― 剣……ワンス様が持ってるの初めて見た……襲われるかもしれないってことかしら
フォーリアがじっと剣を見ていると、視線に気付いたのだろう、ワンスは「あぁ、大丈夫だと思うけど一応な」と軽く言って微笑んでくれた。フォーリアは少しホッとして、黙って頷く。
ちなみにニルドに声を出すなよと言われて以降、一言も話してない。小馬鹿にしたように笑いながらも、ワンスが「話していい」と言ってくれたので、ふーっと息を吐いてから口を開く。
「はぁ、何だかよく分からないうちに馬車に乗っています」
「……悪かった。俺のミスだ。読み違えた」
珍しくというか初めて、ワンスが本気で申し訳なさそうにしていた。フォーリアは、ニコッと笑って「いつも、ありがとうございます」と言った。
「なんで御礼?」
「難しいことを考えてくださって、いつもありがとうございます、ってことです。悪いとか悪くないとか、そういう簡単なことは、ワンス様が考えることじゃないです」
「……簡単なことか?」
「すごく悪いのはお金を取ったハンドレッド。少し悪いのは、お金を取られたフォースタです。私にも分かります。簡単でしょ? ふふふ」
フォーリアがそう言うと、ワンスは小さく笑った。
「お前の馬鹿さ加減に慰められるとはな」
「ちょっとションボリしてるワンス様も好きです」
「はいはい」
そんないつものやり取りをして、ワンスはふーっと息を吐いていた。そして、少し真面目な顔をしてフォーリアを見る。
「ニルヴァンにはフォースタ邸に帰すと言ったが、ちょっと迷ってる」
「……といいますと?」
「うーん、大丈夫だとは思うけど、万が一ハンドレッドがお前の正体……フォーリア・フォースタだと気付いていた場合を想定すると……ちょっと怖いんだよなぁ」
「はぁ、なるほど。そしたら、どこかに泊まればいいですか? あ! 私、前から泊まってみたい宿屋があって~。そこにしていいですか? ふふふ」
「呑気なやつだな。宿屋ねぇ、うーん……」
ワンスは左手を顎に当てながら、悩んでいるようだった。時折フォーリアをチラリと見ては、また「うーん」と唸っている。
「仕方ない。決めた」
といって、鞄から紙を取り出してサラサラと手紙を書き出した。彼が四通ほど書き終えたところで、ちょうど馬車が到着したようで、車輪がピタリと止まる。
「ここからまた馬車を変えるから付いて来て」
「愛の逃避行ですね!」
「……黙ってろ」
着いた先は、赤い屋根の一軒家だった。ワンスは御者に手紙を渡し、郵便屋に届けるように言いつけて帰した。
そして、目の前の一軒家の家に入ると、そのまま素通りして裏口から出る。裏口には、また家紋の違う馬車があった。
「乗って」
ワンスにエスコートされて、フォーリアはまたワケが分からないまま馬車に乗せられた。
そして、その次は、雑貨屋のようなお店の前で降ろされ、そして雑貨屋の中を素通りして裏口から出て、また馬車に乗る。その次は、開店中の全個室レストランの中を通り抜けて裏口へ。そして馬車に乗る。
もはや自分がどこにいるのか、フォーリアはよく分かっていなかった。目の前にいる魔法使いのような大好きな人の背中だけをぼんやりと見て、ただただ彼に付いていく。
そうしてレストランから馬車に乗った先で、ようやく目的地に着いたようだった。それがどういうわけか、やたら可愛らしい小さな家で。まるで御伽噺に出てくる善き魔法使いが住んでいるような一軒家だった。
ワンスが迷わずその家に入るものだから、フォーリアも続いて入り込む。お邪魔します、なんて言う雰囲気ではないけれど、「お邪魔します~」と言うのがフォーリアだ。
「悪いが、今日はフォースタ邸には帰らない。二、三日ここに居てほしい。万が一を想定して、安全が確保できたらフォースタ邸に帰る」
「はい、わかりました」
「……物分かり良すぎじゃね?」
「ワンス様の言うことを聞いておけば間違いありませんから」
フォーリアがニコッと笑うと、ワンスは少し居心地が悪そうに視線を逸らした。フォーリアを前にするとその素直さに当てられて、自身も犯罪者である事を忘れそうになるのだろう。
「あっそ。フォースタ伯爵には手紙で連絡しておいたから大丈夫……だと思う、たぶん、ちょっと怖いけど」
「?? 何がですか?」
「いや、捨て置こう。家を案内する……って言っても小さい家だけど」
ワンスはそう言いながら、キッチンや洗面所、ベッドルームなどを案内してくれた。家具類は全てシンプルで、家の外観に似合わず飾り気がなかった。
「家の中のものは全部好きに使っていいから」
「あのー……」
「なんだ?」
「この家って、何なんですか?」
「あー、やっぱりそれ聞いちゃう?」
ワンスの言いよどむ様を見たフォーリアは、とっても腹が立った。全力の膨れっ面を披露してしまい、次に悲しい気持ちが押し寄せて、膨れっ面から打って変わって変な顔で泣くのを我慢した。
一方、ワンスは、またもやワケがわからないと言った様子で能面顔になっていた。大抵のことは訳知り顔で余裕綽々のワンスだって、フォーリア級の思考回路の持ち主が相手だと分からないこともあるのだろう。
「なんでここで泣きそうになるんだ?」
「私、分かっちゃいました。ここが愛する女性との愛の巣なのですね!?」
ワンスは、ガックリと頭を垂らした。
「うわ……出た、愛する女性……出ちゃったよ。全然分かってねぇじゃん。ちげぇよ」
「こんな可愛い外観、女性の家としか思えません! こんなところに連れてきてひどいです! ひどい!」
「あー、そうなるわけね。なるほどなるほど」
言わずもがな、ここはワンスの隠れ家の一つである。女性が住んでいそうな外観というのを隠れ蓑にして詐欺師がのんびりと過ごす為の家なのだが、それが仇となってしまった。
他にも隠れ家は複数あるのだが、犯罪者っぽいものや資産が一切置いてなくて、フォーリアが寝泊まりしても問題なさそうな隠れ家が此処しかなかったのだ。そもそもに隠れ家に誰かを招くことは想定していないのだから仕方ない。
「フォーリア。よーく聞け」
「なんですか! ひどいです!」
またもや『ひどいひどい』と言うだけの人形と化したフォーリアをどうにかするべく、ワンスは彼女の目をじっと見た。
「ここは、俺が羽を伸ばすためだけの別邸だ。ここに他人を入れたのはフォーリアが初めて。これが事実」
「え、私が初めて?」
「外観が可愛い感じの家を買っただけで、使うのは俺一人だ」
「あ、そうなんですか~。なんだぁ、良かった。私が初めてだって、ふふふ」
一瞬でニコニコ顔に戻ったフォーリアを見て、ワンスは「容易い……もはや有り難い」と小さく呟いて拝んだ。
「え? なんですか?」
「いや、何でもない。疲れただろ、ゆっくり風呂に入ってサッサと寝ろ」
「はい、ありがとうございます」
そうして、ワンスは温かいお風呂を用意してくれた。フォーリアは初めての夜会・任務・逃走劇からの馬車の旅で、かなり疲れていたのも事実。早くドレスを脱いでお化粧を落として着替えて……あれ……。
「お化粧落としがありません。着替えもないです」
「あー、はいはい。これ化粧落としね。それとタオルと着替えな。着替えは俺ので我慢して」
「化粧落としが何故ここに!? 女の影!?」
「ちげぇよ、さっき雑貨屋寄ったときに店頭から取ってきた。見てなかったのか?」
「全然見てませんでした……」
「言っとくけど泥棒じゃねぇからな? あの店は俺の店だから」
「また出ました。俺の店……謎のワンス様」
「ほら、お湯が冷める前に風呂入れ」
「はーい」
はぁ、疲れた疲れた。早くドレスを脱いでお化粧を落として着替えて……あれ……。
「大変です…」
「はぁ? 今度は何だよ」
「ドレス、一人じゃ脱げません……! ミスリーはどこですか?」
「あ、そうだった。ミスリーがいるわけねぇじゃん。安心しろ、俺が脱がすから大丈夫だ」
「ななななな!?!」
フォーリアはドレスを着ているとは思えない速度で後ずさり、壁際にビタッと張り付いた。
「何言ってるんです!? 全然大丈夫ではないです!」
「俺が作ったドレスなんだから脱がし方くらい知ってる」
「そういうことではなくて!」
「あーもーうるせぇなー。ったく、本当面倒だな」
そう言いながら、ワンスは目を閉じて両手を挙げてみせた。無罪ですよアピールだ。
「え……本気ですか?」
フォーリアは顔を真っ赤にして、うかがうようにワンスを見る。ワンスは何でもないように「本気本気~」と軽く言って、目を閉じたまま何度か頷いていた。
「絶対目を開けちゃダメですからね!」
ワンスは、もちろん返事などしなかった。
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