「まじか……」
ワンスは思わず私室に入れてしまったフォーリアを見て、自分で自分の行動に驚いた。三秒前までは私室に入れるなんて思っていなかったのに、フォーリアの青ざめて震える姿を見たら身体が勝手に動いていた。
頭と心は別物だ。ワンスはそれを深く理解している。だからこそ、かなり気をつけていたのだが最近はそれが頻発している。自分の危うさに少しだけ身震いした。
「ワンス様……ありがとう、ございますぅ、命の恩人です……」
フォーリアは安堵したのだろう、目を潤ませて感謝しながら柔らかく笑う。
「仕方なくだ、仕方なく」
ワンスは部屋の現状を頭の中で確認していた。
私室は三つのスペースに分かれている。部屋に入ってすぐ、現在いる部屋はソファと小さなテーブルが置いてあるリビング的なスペース。そこには詐欺師っぽいものは何も置いていない。
入って右側の部屋が衣装室。衣装室には騎士団兵の制服などが入っているが、まあコスプレと言って誤魔化せるレベルだ。
そして、入って左側の部屋が書斎スペースだ。その書斎部屋が大問題。廊下の人物とドア越しに会話をするために、普段はドアを開けっ放しにしている。今もだ。フォーリアから見えるところ、入ってすぐにデスクがあり、壁一面が書類棚。そこは遠目に見られる分には問題ないだろう。そのデスクの隣にベッド。仕事をギリギリまでして倒れるように寝るからだ。
で、そこから先のことを考えて、ワンスは思わず背中がヒンヤリとした。ベッドの奥の壁一面の本棚。その一部が隠し扉の金庫室になっている。なんと不運なことに今、まさに金庫室は全開だった。
昼過ぎにメンタルが復活したワンスは、ハンドレッドから奪った金や宝石を細かく数えるために、ご機嫌にカウントしている途中だったのだ! ご機嫌に数えている場合ではなかった。うっかりワンスである。
しかし、ワンスは目の前にいるフォーリアを見て『まあ大丈夫か』と思った。フォーリアのことだ、ワンスが動くなと言えば動かずにいるだろう。この従順盲目女が悪さをするとは思えない。
「まだハチの声がするな……ったく、何やって……あー、風呂掃除か」
全員が風呂に入り終わったところで、風呂掃除をするつもりなのだろう。そんなの明日の朝やってくれや! ……と思うかもしれないが、実はこれもファイブルの差し金だ。ハチとテンはただ、このタイミングで風呂掃除をしろとおばあちゃんに命じられただけだが。
「あの、ワンス様、着るものを下さい……恥ずかしくて死にそうです」
「えー別にそのままでいんじゃね? 二人だけだし」
「ダメです! 私の中の何かが死にそうです!」
ワンスは必死で訴えるフォーリアを見て「仕方ねぇな」と言って右側にある衣装室に向かった。羽織る物を着せた後にハチとテンを一旦遠ざけて、フォーリアの部屋の鍵を開けてやるか……と考えたりしていた。
「フォーリア、そこから動くなよ? 何も見るなよ? いいな?」
そう言いながら衣装室に入って「えーっと、何か羽織るものは~」と言いながらガウンを取り出した。
そして、衣装室から出るとフォーリアがいない。『ん?』と思った。なんで廊下に出たんだよ……と思ってガチャと扉をあけたが、ハチとテンが掃除をしている姿があっただけだった。
―― あ……
そう言えば、フォーリアに動くなと言ったとき、彼女は返事を……しなかった。瞬間、ワンスは背筋がヒヤッとして、同時に心臓がドクンと跳ねた。扉を閉めて、鍵を閉めて、下を向いて浅く呼吸をする。やけに静かだった。廊下の声も聞こえない。聞こえるのは、心臓の音だけ。
そんなわけない。絶対違う。そう言い聞かせながらも、足は書斎部屋に向かっていた。
ゆっくりと書斎に入ると、デスクの奥、ベッドの奥、金庫室の扉の奥にフォーリアは立っていた。物珍しそうに金庫をグルリと見ていた。この金庫室が異常なものであることは、いくらお馬鹿なフォーリアと言えどもすぐに分かるだろう。
目の前が真っ暗になった。
「な……なにやってんの、お前……」
ポツリと呟いたその一言は、驚くほど小さく震えていた。
見られた。一番知られたくない人に、知られてしまった。感覚はない手が、ガタガタと震えている。これは恐怖だ。怖くて仕方がない。
思考は完全に止まっていた。その立場に立たされた人間が皆等しくそうなるように、足下に真っ暗な穴が突然現れて、ドンと突き落とされたような心地がする。
―― あ……終わった。もう終わりだ。全部、もうダメだ
そう思ったら、ワンスは少しだけ安堵のような類いの感情が生まれた。この苦しくも深い快楽を味わえる恋人ごっこも終わりなんだなと思うと、少し力が抜ける。大怪我をしたとき、痛みを感じないように脳が勝手にアドレナリンを分泌するようなものだ。
次に高揚感を感じた。もう感情がぐっちゃぐっちゃだ。『選べない大切なもの』と『選べる大切じゃないもの』と、その両方が金庫室に入っているという光景に酔いしれそうだった。このまま金庫室の扉をガチャリと閉めれば、自分はどっちも選べる立場になれるんだ……と思ったら、ひどく高揚した。
でも、そんな現実離れした高揚感も安堵感も、フォーリアの素直な疑問を前にして一瞬で砕け散る。頭が割れそうに痛かった。
「ワンス様って、何者なんですか?」
フォーリアは目を瞑って、動かないつもりだった。彼に言われた通りにするつもりだった。見るなと言われて返事をしようとした。
でも、返事をする直前にデスクの上の花瓶を見たのだ。そこには、萎れて色褪せた黄色のチューリップがまだ飾ってあった。花びらはもう半分くらい無くなっていたのに、大事そうに飾られていた。思わず近付いてみたくなった。
そこでファイブルの言葉を思い出した。『私室に入ったら色々見て回れ』という言葉を。
フォーリアはどうしても知りたかった。ワンスの瞳の奥に隠れているものを。心に置いてあるものを。ワンス・ワンディングという男を、もっともっと知りたかった。
なんで萎れた黄色のチューリップを飾ってるの? 私室に入れてくれたのはなぜ? なんで毎日抱きしめてくれるの? 優しく愛おしそうな瞳で見るのは? どうしてこんなに大切にしてくれるの? いつも、何度も、どこにいても、絶対助けてくれるのは何故?
ワンスが隠しているものを知りたかった。それを知ったら、怒られて嫌われてしまうかもしれないとも思った。
だけど、今日、ここで。彼の私室に入ったこのときに、全力で彼を知ろうとしなければいけない気がした。今日を逃したら、もう二度とワンスのことを教えてもらう機会は訪れないような気がした。これはフォーリアの勘だ。たぶん、その勘は当たってる。
「ワンス様、教えてください」
金庫室にいるフォーリアから残酷な言葉が飛んできて、ワンスは顔を歪ませる。一瞬、手のひらをギュッと握りしめ、この短くも幸せな日々を思い出してギュッと握りしめ、そしてパッと手の力を抜いた。
その時が来たのだと、ワンスは悟った。
「俺は、詐欺師だ」
フォーリアは不思議そうな顔をしていた。一歩一歩近付いて、持っていたガウンを着せようと、彼女の手をそっと取って袖を通す。彼女の手は八年前と変わらずに白く綺麗なままで、触れるのが怖いくらいだった。
そして、まるで睨むかのように暗い目でフォーリアを鋭く見下ろす。
「お前、さっき返事しなかったろ。騙されたのは初めてだよ、おめでとう。記念に質問に答えてやる。さぁ、何が聞きたい?」
【第二章 国庫輸送】終
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