「粗茶ですが」
「ありがとうございます。貴女が自ら淹れてくれるなんて、生涯忘れられない紅茶になりそうです」
出されたお茶が粗茶すぎて、ニコリと素敵な笑顔が出てしまった。
―― 金、なさすぎじゃね?
フォーリアが玄関を開けた瞬間、ワンスは驚いた。全く金の匂いがしなかったからだ。使用人がいる様子もなければ調度品も皆無。こりゃあ相当な金ナシだなと、ワンスは逆に心配になった。
「あの……」
紅茶を飲んでいると、向かいに座っていたフォーリアが何やら頬を染めながら、ワンスを見つめていた。
「はい、なにか?」
文句なしの美人が頬を染めて恥ずかしそうにしていたら、九割九分の男は彼女に落ちるだろう。
しかし、ワンスは少し違う。頬が染まっていようと、美人だろうと、ワンスには全く関係ないのだ。無関係。
「えっと、その、あの、昼食はまだ召し上がっておりませんか? お礼にご馳走させてくださいませ!」
フォーリアは、まるで勇気を絞り出したとでも言うように、ワンスにそう言った。そして、狙ったように必殺・上目遣いを決めてくるではないか。
ワンスは、そこで考えた。『なるほど、自分はワンディング伯爵家の嫡男だと思われている。ワンディング家は資産も豊かだ』、と。そして、フォースタ家は金に困っている様子。
―― なにこれ? 金目当て?
フォーリアをチラリと見ると、何も気にしていない様子でニコッと笑って返された。ワンスは、その作り物みたいな笑顔を見て、とりあえず話に乗ってみるかという気になった。
「そうですね、せっかくなのでご馳走になろうかな」
ワンスがランチの誘いを受けると、フォーリアはパァっと顔を輝かせて「すぐに支度をいたします!」と言って、ランタッタと軽快な足音と共に、奥に引っ込んでいった。
―― うん? 今のは演技じゃないな
詐欺や美人局とも違う。金目当ての男漁りとも雰囲気が異なった。
―― とりあえずは、現状把握だな
そう思って立ち上がり、当然のように部屋をザッと物色し始めた。引き出しも棚も開けまくる。しかし、開けども開けども何もない。ワンスは、何とも肝が据わっている男だった。遂には、隣の部屋に移動して棚や引き出しをガンガン開けまくる。
―― 本当になんもねぇな! 何なんだ、この家は!!
ここで最後の引き出しだと開けてみると、やっとこさ綺麗な白い封筒に入った10,000ルドを見つけた。
―― さっきの宝石の額とピッタリ同じだ
ワンスは「ふむ」と顎に手をやって、また思案する。こんなに金目のものがない貴族も珍しい。彼女を獲物と見るならば相当な金ナシだ。
―― 金が無さすぎる……何か理由が?
ワンスは、封筒には手を付けずにそのまま返した。彼は詐欺師ではあるが、泥棒ではないんでね。
―― それにしても遅いな
フォーリアの支度が遅いおかげで物色が捗ったわけだが、どれだけおめかしをするつもりやら。臆することなくスタスタと廊下を進むと、何やらキッチンの方から音がするではないか。
―― え? 支度ってそっち!? まじ!?
まさかの手作りランチ。身支度ではなく、料理の支度だったとは。
フォーリアの人物像を少しは知っているワンスとしては、『食べてはならぬものでも入れかねない』と不安になり、忍び足でキッチンを覗いた。
そこには「ふんふ~んららら♪ 出会ってしまった~♪ これは恋〜♪」と歌を口ずさみながら料理をするフォーリアの姿が。窓の外には鳩がパタパタ……と飛んでいた。平和だった。
―― ……うん、放っておこう
乗り掛かった船。ワンスはそっと応接室に戻った。
―― うーん、よくわっかんねぇな
正直言って、フォーリア・フォースタがわからない。噴水広場で詐欺に遭い、別の詐欺師に助けられ、家に詐欺師を招き、そして詐欺師に料理を振る舞う。偶然にしては引きが強すぎる。
「ワンス様! お待たせいたしました」
そんな風に唸っていたら、フォーリアが応接室の扉からひょこりと顔を出して手招きをした。ワンスは「ありがとうございます」と言いながらも、手作りは嫌だな〜なんて気持ちになっていた。
だって、きっと美味しくない。あんな女が作る料理が美味しいはずもない。不味いことは確定事項として、リアクションをどうするか。それを考えると憂鬱だった。
しかし、用意された食事を見た瞬間に、気持ちは一変。
こんがりと焼かれた丸いパン、ミンチのテリーヌには食欲をそそる香草ソースが掛けられ、添えられた野菜たちは彩り豊か。そして、湯気立つ美しいコンソメスープ。
「驚きました。これは貴女が?」
「はい、私のたった一つの取り柄なんです~、ふふふ」
フォーリアは、ちょっと恥ずかしそうに肩を小さくしながら微笑んでいた。
そうして、二人は向かい合わせで手を合わせ。
「「いただきます」」
ぱくぱく、もぐもぐ、ごっくん。
―― うまっ!!
想像以上に美味しかった。『なんだこの無駄スキル! 無駄すぎる!』と、驚いて開いた口に次から次へ料理を運んだ。
パンは手作りなのだろうか、口に入れると甘味がじわりと広がって、テリーヌとよーく合う。スープなんか何の材料を使っているのか分からないが、よくここまでコクを出せたなというくらいだ。
「美味しい……とても美味しいです。正直なところ、すごく驚いています」
ワンスは、心からの賛辞を送った。
詐欺師というと嘘ばかりだと思われるが、彼は無駄に嘘は付かない。事実、ここまで嘘は一つも言っていない。たくさんの本当の中に、必要なときだけ嘘を入れる。すると、嘘も本当になるというのが彼の持論だ。木を隠すなら森ではなく、木は家具にして売れ、である。
「お口に合って良かったです。ホッとしました。嬉しいです」
フォーリアは何度も安堵とお礼を口にした。そして、「デザートも」とか「また是非」とかニコニコしながら話すものだから、ワンスは先程見た白い封筒を全部ペロリと召し上がるのも……なんだか気が引けてしまった。
ワンスは、彼女をぼんやりと眺めた。
ニコニコと笑って楽しそうに食事をするフォーリア。上目遣いでお礼がしたいと言ったフォーリア。頬を染めて、見知らぬ男を家に招き入れるなんて危なっかしいことをしてまで、彼女は何故お礼をしてくれたのか。
ワンスは、そこでハッとした。フォーリアの目的が分かってしまったのだ。
―― あれ……? これ、好かれてる、よな?
フォーリアが、ワンス……というか猫を被ったワンス・ワンディングに恋心があるならば、これまでの彼女の言動行動の全てに辻褄が合う。
―― えーー? ちょろくね……?
と、思ったところで。外の光が強くなって、昼を大分過ぎていることにワンスは気づいた。美味しすぎて、うっかり食事に夢中になりすぎたのだ。うっかりワンスである。
「いけない! もうこんな時間か!」
「あら、何か御用があるんですか?」
「いえ、この後、仕事があるんです。それに銀行にも寄りたくて」
「え!?」
「大丈夫です。お気になさらずに」
ワンスはそこで思い付いてしまった。あの白い封筒に入った金の有効な使い道を。
―― どうやって仕掛けようかな~
ニヤリと笑いたくなるところをニコリと笑って、もう一度時計を見た。
「すみません、この付近に銀行はありますか?」
わざわざ聞かなくても、そんなこと知っているけれど。
「銀行……えーっと20分くらい歩いたところにあります」
「それは良かった」
「えっと、今は14時30分。銀行は15時まで。間に合いますかしら?」
ワンスは返事をせずに、どうするか考えた。このまま銀行に直行すれば間に合う。しかし、運悪く手持ちがなかったのだ。あと8,000ルド足りない。
―― 一度、金を取りに戻ると間に合わないかー。手続きは来週にするべきか……
と思ったのだが、目の前のフォーリアが真っ青な顔をしてワンスの答えを待っていた。『間に合わなかったらどうしよう、私のせいだわ!』とでも思っているのだろう、顔に書いてあった。それを見たワンスは、ここで仕掛けることにした。
「いえ、大丈夫です。家にある資金を取りにいけば……」
「資金?」
ワンスは『おっと、口が滑った!』とでも言うように、口を手で覆ってみせた。これじゃあまるで、金を強請っているみたいに思われてしまう。まるでというか、まさに強請っているわけだが。
「ごめんなさい、聞かなかったことに」
そう言って、人差し指を口に当てながらウインク一つで誤魔化した。次に、畳みかけるように「見送りは結構です」と鞄を持って、焦るように玄関に向かおうとした。
すると、「ワンス様、お待ちください!」と引き止められた。予想通りだ。彼女は大急ぎで隣の部屋から白い綺麗な封筒を持ってきて、ワンスにそっと差し出してくれた。
「ここに、10,000ルド入っています」
「え?」
「これでは足りませんか?」
ワンスは「これは……」とか言いながら封筒の中身を確認した。うん、10,000ルドとの再会だ。
「いいのかい……?」
なんて言ってはみたものの、心の中では。
―― きたきたぁ♪ よーこせっ! よーこせっ!
と、聞いたこともないほどの最低なコールをしていた。彼は最低な男ではあるが、詐欺師なのだから当たり前だ。
「ワンス様。貴方に救って貰えなければ、このお金は詐欺師に取られていました。家に戻ってからでは、銀行には間に合いませんよね? どうぞ使ってください」
フォーリアは、ニコリと笑ってくれた。目の前にいるのも詐欺師なのに……。
「ありがとう」
そう言って、少し震える手で封筒を握りしめたりしてみた。
―― げっとー! 過去最速記録更新だな
ワンスは心の底から驚いていた。詐欺師に騙されたその同じ日に、誰かを信じ、誰かを助けようとする彼女のその心根に。
「こういうのは、ちゃんとした方がいいからね、借用書を作ろう」
「借用書!? そんな大層な……」
「記録を残すのは大事だよ。すぐに出来るから」
そういうと、ワンスは鞄からペンと紙を取り出してサラサラ〜と借用書を作った。ペンを走らせる速度がやたら速い! ワンス・ワンディングのサインを書くと、紙をくるりと回し、向かいに座るフォーリアに差し出した。
「ここにサインを」
「は、はい!」
フォーリアは、さらさら〜とサインを書いていた。
―― 内容も金額も確認しない、か
本日二度目である。ワンスは、内心でうんざりとした。そして、白い封筒から8,000ルドだけを受け取り、残りの2,000ルドはフォーリアに返した。
「恩に着るよ。ありがとう、ご馳走さまでした」
ワンスは申し訳なさそうにしながら、足早にフォースタ家を去った。
そして銀行に寄って手続きを済ませ、辻馬車に飛び乗った。嘘ではなく、本当に仕事に遅れそうなのだ。ワンディング家に戻ると、定刻ギリギリ!! 急いで準備をして、侍従の仕事に取りかかった。
今日はワンディング伯爵家の仕事で、色々とやるべきことがあったのだ。16時すぎに客が来ることになっていたから。
「はー、あっぶねぇ、間に合わないかと思った」
彼は嘘をついて金を騙し取ったわけではない。
そんなこと、するわけもない。
ワンスは嘘なんて一つも言っていないのだから、ね。
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