ワンスが風呂から上がると、フォーリアがサンドイッチを作ってくれていた。料理は一切しないワンスの隠れ家だ。かろうじて包丁が一本あるくらい。それなのにどうやって作ったんだ、と疑問に思うようなサンドイッチが並べられていた。
「あ、ワンス様~。お腹減りました? 食べましょ」
男物のシャツから白く綺麗な脚をスルッと出したまま、ニコニコと微笑む美味しそうなフォーリアと、可愛いサンドイッチ。……あ、逆だ、間違えた。可愛いフォーリアと、美味しそうなサンドイッチ。そして、風呂上がりのサッパリほかほかのワンス。
何だか……何だか、ねぇ? ワンスは、珍しいことに少し居たたまれなかった。
「ありがと。よくこんなの作れるな」
「たった一つの取り柄ですからね。いただきま~す」
「じゃあ、遠慮なく。いただきます」
ぱくぱく。もぐもぐ。ごっくん。
「うまっ! いやいやいや、おかしいだろ。めっちゃくちゃ美味いな! この材料でどうやったんだよ、なんだこれ」
「あ、良かったです~」
「うーん、お前を料理人にして店でも開くかな……儲かりそう」
「また仕事のこと考えてますね、ふふふ」
「やばい、癖になるほど美味しい」
そんな風に二人であーだこーだ話ながら美味しい料理を食べていると、先程までハンドレッドと対峙していたことも、なんだか現実味がなくなってくる。しかし、あれはまぎれもない現実。二人は食べ終わった皿を片付けて、リビングのソファで紅茶を飲みながら話をした。
「しばらくの間、フォーリアはハンドレッドの前に出さないことにした」
「……と、いいますと?」
「フォーリアはしばらく待機ってこと」
「え!! クビですか!」
「クビじゃなくて、待機な」
「待機。なんだか分かりませんが、クビではないなら良いです! ワンス様の言うことを聞きます」
「そうしてくれ。ハンドレッドの目がまじでやばかったからな。あれは久々に焦った」
「ひえ、そんなにですか。ゾワリとしました……」
フォーリアは鳥肌が立ったのだろう。両腕をさするようにして怖々としていた。
「安全を確保したらフォースタ邸に戻すから」
「はい!」
「戻すは戻すが……。計画が終わるまで残り十五日。悪いけど、買い物もしないでずっと家にいて欲しい」
「それは大丈夫ですけど。食事はどうしましょう?」
「そこらへんは俺が何とかするから安心して」
「はい、よろしくお願いします」
ニコッと微笑んで了承するフォーリアに、ワンスは少しだけ呆れた。なんでも言うことを聞き過ぎだ。
「まあ、そんなとこかな。今日は疲れただろ、もう寝ろ」
「はい、……いえいえ、待ってください。この家、ベッドが一つでした」
「あぁ、フォーリアが使え。俺は仕事するし、寝たとしてもソファでいい」
「え!? 家主の方を放り出してスヤスヤぬくぬくなんて出来ません! ワンス様がベッドを使ってください」
「出た。この不毛なやり取り、お約束だよな」
ワンスは『ふむ』と思案するようにしてから、フォーリアを足の先から頭のてっぺんまでスイーッと眺めた。そして『あ、いいこと思いついた!』みたいな顔でニヤリと笑う。とてもとても意地悪な……いや、もはや極悪な笑顔だった。
「いや、風邪を引いたら大変だ。フォーリアがベッドを使ってくれ」
「ダメです! ワンス様が使ってください!」
「いやいや、フォーリアが使ってくれ」
「ワンス様が使って!」
「フォーリアが使えって」
フォーリアは思い通りにいかない歯痒さを感じてしまったのだろう、有りがちなその言葉を言ってしまった。
「もー!! そんなに言うなら二人で使いましょう! 一緒に寝ましょう!」
「ナンダッテ!? よし、そうしよう」
フォーリアの『二人でベッドイン』発言を聞くや否や、ワンスは彼女の手を引いて、まさに引きずるようにベッドに連れて行った。ドサッと押し倒せば、僅か数十秒で男女がベッドイン。ワンスは、彼女を組み敷いてやたらいい笑顔でニコリと笑った。
「あの、ワンス様……?」
「お前さぁ、俺からは絶対手出されないって思ってんだろ?」
「え!! ぎくり!」
図星だった。フォーリアは、彼が全く靡かないことから、こんな状況で二人きりだったとしても、まさか艶やかな何かが起こるなんてことはないと、なんとなーくふんわりと根拠もなく思っていた。
だからこそ、先日のキスもフォーリアから積極的に攻めたし、ドレスを脱がすことを了承したのも、こんなシャツ一枚でウロウロするのも、全てそういうわけだ。フォーリアの考えなしの無防備というより、これまでのワンスが築き上げた『仕事人間・鉄壁草食男子』に対する全幅の信頼であった。
「やっぱりな。騙されてやんの、ばーか」
そう言うと、ワンスはフォーリアにキスをし始めた。
「ん……」
二回目の濃いキスに、フォーリアの頭はすぐに沸点まで達する。ワンスの舌がフォーリアの口の中を攻める度に、二人の熱が混ざり合ってより高く、熱くなっていった。
「鼻で息するんだよ」
苦しそうなフォーリアを見て、ワンスがクスリと笑いながら教えてあげるも、フォーリアは赤い顔をしながら「ふ……?」と声を零すだけで、意識の半分以上は天に召されているようだった。
それを良いことに、ワンスは彼女の首筋から鎖骨にかけて、いくつもキスを落としながら話を続けた。
「いつもならスルーするところだけど、今日は無理」
「え……?」
「脱衣所から始まって八年前だの一目惚れだの、完全にお前が悪い。めちゃくちゃムラムラする、やばい」
「むら……? え?」
気が付くと、フォーリアのシャツはボタンが全て外されていた。着替えはないからシャツ一枚しか着ていないのに。フォーリアは、それに気付いて「はっ!」と、一瞬で意識が戻った。
「脱がしやすくていいな」
「あ、あの! 待って、」
「脱衣所で押し倒されなかっただけ有り難いと思え。ほら……フォーリア、舌出して」
「え? ん……」
そして、またキスが降ってくる。抵抗しようにも、抵抗の仕方も分からなかった。ワンスが好きで、好きな人からの熱いキスを拒むなんて、そんな複雑なことがフォーリアにできるはずもなかった。好きだからキスをする。簡単なことだった。
濃紺の髪にどうしようもないほど溺れて、淡い黄色の瞳が深い底まで刺さった。彼の声でつま先まで痺れて、彼の唇できゅっと結んだものはスルリと解かれた。
そうして、ワンスのキスを受け止めれば、魔法にかけられたみたいに『好き』って言葉しか頭に浮かばなくなる。好きで好きで仕方がない。こんなに好きな人に出会えた。それだけでふわふわと幸せに包まれるように温かかった。
彼女が温かく感じたのは、きっと彼の熱のせいだ。だって、寝室の壁掛けランプのロクソクには、いつの間にか火が灯されていた。いつからだろうか。きっと、もうずっと前からロウソクには火がついていたはずだ。熱く、消えない、じりじりと焦がれるような火が。ずっとずっと前から。
ワンスはフォーリアの耳に軽くキスをして、彼女の身体がビクッとなるのを何度か楽しんだ後に、耳元でそっと囁いた。
「やらせて?」
……最高に最低な囁きであった。なんてこった。
「え、やら……? え?」
「俺のこと好き?」
「好き」
「してもいい?」
「あ……」
「処女もらうね?」
「……ん」
返事とも取れない彼女の微妙な呟きを、ワンスは肯定と受け取った。最低である。どこまでいってもワンスはワンスだった。
でも、その最低な男は、ものすごく甘い笑顔でフォーリアを見つめる。優しい指先で髪を撫で、大切そうに壊れないように、宝物を扱うように、そっとキスをした。
「じゃあ、遠慮なく。いただきます」
ぱくぱく。もぐもぐ。ごっくん。
「ん……?」
カーテンの隙間から差し込む朝の光と、何やら髪をつんつんといじられているような気がして、フォーリアはパチリと目を開けた。
「あ、おはよ」
フォーリアの金色の髪をいじって遊んでいたのだろう、そのまま髪を一つ撫でられて、彼はおはようと笑いかけてくれた。目を開けた瞬間に夢のような現実を見せられて、フォーリアは『夢かしら?』と思った。現実であることを確かめるように彼を見つめると、答えるようにチュッと軽くキスを返してくれる。思わずほわんと溶けそうな、現実だった。
「ワンス様……あの、……あら?」
しかし、そこであられもない自分の姿を確認してしまい、フォーリアは悲鳴を上げた。
「わー! きゃー! えー!」
「うるせぇな、落ち着けよ」
「……わたしっ!!」
「ん?」
「結婚前なのにっ!!」
「はぁ? そんなこと気にしてんの? 別にいいんじゃね?」
キングオブサイテー。最低の王がここにいる。ワンスは心底どうでも良さそうに、何なら少し嫌そうな顔をして言い放った。
「ダメです! 婚前交渉をすると他の人とは結婚できなくなると、母から教わりました!」
「なにそれ? 俺以外のやつと結婚するってこと?」
「え? ワンス様以外と? ないです、ありえないです」
「じゃあ、何も問題ないじゃん」
「あ、本当だ。よかった~」
ホッとしていると、彼はまたキスをしてくる。こんなに甘いキスが何回も貰えるなんて、もうドキドキが止まらなくて身体中に熱が集まってしまう。その熱を閉じ込めるように彼が覆い被さってきて、またキスが降ってくる。
二人の視線がぶつかって、空気がとろりと甘く溶けた。まるで口の中に放り込んだチョコレートみたいに、甘く甘く、溶けた。
「ワンス様……」
フォーリアはワンスの瞳に、初めて確かな熱を感じ取った。大切そうに見つめてくれる視線には、愛とか恋とか、そういう類いの何かが刻まれているような、気がしないでもない気もした。気のせいではないはずだと思いたい。そう願いたい。
「あー、やばい」
ワンスは一言そう呟いて、また唇を重ね、角度を変えてまたもう一回。そして見つめ合って、もう一回キスをした。
「ワンス様……」
「癖になりそう。もう一回してい?」
「は、はい~。いくらでも!」
フォーリアはキスの事だと思っていた。
キスのことじゃなかった。
そんなこんなで、やっと起きた二人はシャワーを浴びたり着替えをしたり、身なりをキチンとしてから朝食を食べ、紅茶を飲んで一息ついた。
「俺はこれからハンドレッドの動きを確認してくる。昼に一度、食料とか衣類とか届けに帰ってくるけど、またすぐ出る。夜には帰ってくるけど、遅いからメシは……メシはー、あーどうしよ」
「ふふふ、簡単に作って置いておきますね」
「はい、オネガイシマス」
「はい、分かりました」
「フォーリアはここから出るなよ。庭もダメだからな。窓の外も見るな。むしろ窓にも近付くな」
「はい!」
あれ? 幼児のお留守番かな?
「万が一、誰か訪ねてきたら隠れてやり過ごして」
「隠れる? バスタブとかでいいですか?」
「こっちきて」
そう言うと、彼は本棚に手をかけて何やらグイッと引いた。難しくて重そうな本が並んでいたが、それは本棚っぽく飾られた扉であった。突然現れた秘密の小部屋の中を覗けば、一人掛けのソファとランタンが置いてある。
「狭いけど、いざというときはここに隠れること」
「わぁ! 秘密基地みたいです~」
「呑気なやつ……じゃあ出掛けてくる」
ジャケットを羽織って鞄を持って準備を整える彼を見て、フォーリアはハッとしながら一歩近付いた。
「あの、ワンス様」
「なに?」
「あ、あの、帰ってきたら結婚の相談をしましょうね? きゃー! はずかしい!」
テンションMAXで五月蝿いくらいにはしゃいでいるフォーリアを、ワンスは極上の冷ややかな目で見ていた。その瞳には、先ほどの恋とか愛とか、そういう類いのものが一切刻まれていなかった。あれ、おかしいな……さっきのは幻覚? 目をこすりこすり……。
そして、彼は衝撃的なことを言い出した。
「俺、結婚するなんて言ってねぇけど」
「え!!!? 嘘!」
「本当本当、一言もいってない」
本当だ。確かに一言も言ってはいない。結婚どころか、好きという告白めいた事すら言ってない。最低だ! 卑怯者め!
「でも! さっき、俺以外と結婚するのかって聞かれました!」
「うん、聞いただけ」
「聞いただけ……はぁ、なるほど? え? えー!?」
なんてこった! 騙された! これにはフォーリアも口を開けて驚いた! 処女を失った今、ワンス以外と結婚もできないし、ワンスとも結婚ができないし、行き遅れ貧乏令嬢まっしぐらではないか。
しかし、フォーリアはめげない女であった。ワンス耐性がついていると言ってもいいだろう。処女だろうがなかろうが、ワンスの言うとおり彼以外と結婚することなど考えられない。押して押して押しまくるしかない!
フォーリアは勢いよくワンスに詰め寄って、腕を絡めてみせた。絶対に逃がすものかと、絡める力を強くする。
「ワンス様、結婚してください!」
「ぇえ~? どうしよっかなぁ」
一方、ワンスはニヤニヤとしながら、それはそれは楽しそうに彼女を見て笑っていた。大変最低でよろしい。フォーリアは、もう半ば涙目になりながらも懇願した。
「結婚してください!」
「こ・と・わ・る」
そう強く断りながら、甘い笑顔でフォーリアの髪を撫で、愛おしそうにチュッとキスをしてくる。そんなキス一つで必死に絡めていた腕は緩まってしまい、彼は「いってきまーす」と出て行ってしまった。
「そ、そんなぁ~!」
さすが詐欺師。怖い男である。
これって有名な『結婚詐欺』なのでは。
最低な主人公で申し訳ございません!
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