私が奥様に成り換わってから数年が経った。私は今日も前の体だった時と同じように、家事をこなして、昼下がりのティータイムを楽しみながら旦那様の帰りを待つ。
この体の調子にも大分慣れて、旦那様も少しずつ元気を取り戻してくれている。全ては順調、私の提案は功を奏したみたいだ。
周囲を取り巻く環境はというと、元々病弱だった奥様は屋内に籠りがちだったこともあって、周囲の人間達は私がアンドロイドであることさえ気付かない。
もっとも、今の私の体は世の中に出回っているアンドロイドとは一線を画す精巧さの素体であることも要因のひとつではあるのだけれど、それでもなんだか妙な気分だ。
私だって、初めは奥様の換わりとして過ごすという、やむを得なかったとはいえ無茶な選択をしたものだと考えたものだ。でも、そんな私の考えとは裏腹に、周囲の人々は私を奥様だと信じて疑わない。
所詮、人と人との繋がりなんてこんなものなのかという、アンドロイドにあるまじき考えが頭をよぎったことは、もう数えきれないほどになっていた。
とはいえ、それも致し方ないことなんだと割りきり、頭から邪念を振り払うように勢い良くテーブルから立ち上がる。
『さ~て! 琢磨坊っちゃんはどうしてますかね~?』
私は琢磨坊っちゃんがいる寝室へと向かう。音を立てないようにドアを開けると、そこにはスースーと寝息をたてながら眠る琢磨坊っちゃんがいた。私は静かにベビーベットを覗き込み、琢磨坊っちゃんを起こさないようにリビングへと戻る。
『は~あ、琢磨坊っちゃんも大きくなったら、お嫁さんを貰って、子供が出来て、私はお婆ちゃんになるのかぁ……!!』
思わずギョッとした。ふとした一瞬、自分が奥様の換わりとして命を受けているアンドロイドであることさえ忘れてしまいそうになってしまっている自分がいることに気付いた。
もちろん、私はアンドロイドだから歳なんてとらない。いずれは真実を語らなくてはいけない日が来る。それは解ってる。問題は私が私を人間である前提でものを考えてしまったという事実だ。
私はただ奥様の振る舞いを演じ続ける機械であるはずだったのに、あろうことか、人間として振る舞ううちに、自分は本当は人間なんじゃないかという、馬鹿げた妄想を抱いてしまっていたんだ。
でも、よくよく考えてみると、人間とアンドロイドの違いなんて、本当は無いんじゃないの? だって、人間もアンドロイドも同じ命を持っているじゃないの。
そうよ、現に、周囲の皆は私がアンドロイドであることさえ気付かないじゃない。それなら、私の口から語る以外、私がアンドロイドであることを知るのは旦那様以外誰もいないじゃない。
そこで私はハッとした。これだ、これが故人を模したアンドロイドが容易に許可されない本当の理由なんだと。
そう、外見だけ取り繕ったって中身は所詮人工知能。互いに認識の齟齬を感じることなんてすぐにわかることじゃないの。本当は、アンドロイドが人間として過ごすうちに自我を持ってしまうのを防ぐための措置だったんだ。
そうなってしまったアンドロイドなんて、もはや人間にとってはただの危険因子でしかない。現に、世の中にそんな妄言を語るアンドロイドが一切いないのはそういうことなのだろう。
ああ、私は壊れてしまったんだ。狂ってしまったんだ。自分の役目を忘れて、自分は人間なんだと勘違いしてしまったんだ。
自分で認識できているうちはいい。でも、このまま過ごしていると、それさえ出来なくなってしまうのではないかという不安が私の頭のなかを支配してしまう。息が詰まる、体が冷たい、力が入らない。
『そんなことは起きない、起きないはず。だって、私達アンドロイドは人が創ったものだもの、そんなことが起きるのであれば、世の中は自我を持ったアンドロイドで溢れかえってしまうじゃないの!』
私は自分に言い聞かせるように口に出した。それでも、一度そんなことを考えてしまったらもう私は今までの私ではいられない。怖い、怖い、怖い。
このままでは、近い将来必ず旦那様や琢磨坊っちゃんに対してとんでもないことをしてしまうのではないか。それだけが怖い。旦那様と奥様の命を守れず、暴走してしまうかもしれない自分が、怖い。
それでも、私は旦那様の命を全うする義務があり、それが私の存在理由だ。そうだ、全部、話そう。今私が考えたことを全て、包み隠さずに。
その結果として、私はどうなろうと構わない。良くて素体の再変更、悪くてメモリの初期化といったところだろうか。どちらにしても、少なくとも、もう私はこの体ではいられない。
そうなると、旦那様は奥様を二度亡くされる形になるのが心苦しいけど、私が取り返しが付かないことを起こす前に何とか手を打たないと!
今日は旦那様の帰りはそこまで遅くなかったはず。お疲れのところ申し訳ないけど、今日は旦那様に私の話を聞いてもらおう。
…………
『戻ったよ、朝美』
『お帰りなさいませ、旦那様』
『……朝美?』
私が旦那様を旦那様と呼ぶのは久しぶりだ。そして、奥様の声で『旦那様』と呼ぶのに至っては初めてのことだ。
『旦那様、お疲れのところ申し訳ありませんが、今日は大切な話が御座います。お休みの前に時間を戴けませんか?』
私の口調に旦那様は数秒沈黙し、やがて薄く私に笑いかけた。
『解ったよ、メリー。でも、その前に夕飯を貰ってもいいかな? 今日は体を動かしたからお腹が空いて仕方ないんだ』
そんな旦那様に、私も精一杯の笑顔で笑いかける。多分、今の私の笑顔は、生前の奥様とは違うものだろう。
『はい、旦那様。今日は旦那様がお好きな、ハンバーグですよ』
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