温泉旅行の二日目の朝、俺は普段嗅ぎ慣れない畳の香りで目を覚ます。俺が体を起こすと、体から掛け布団が滑り落ち、一面ガラス張りの窓からの朝の日差しに思わず目を細めてしまう。
「おはようございます、ご主人様」
俺が声のする方に顔を向けると、アミィが椅子に座ってお茶を準備しながらこっちを見ていた。
どうやらアミィは俺が起きるのを待っていてくれたみたいだ。時計を確認するといつも起きる時間よりも少し遅めだった。
「おはよう、アミィ。お茶を準備してくれてたんだな、ありがとう。すぐに顔洗ってくるから待っていてくれよな」
俺は布団から立ち上がり、洗面所へと向かい、洗顔、歯磨き、髪のセットを済ませてからアミィと向かい合ってテーブルについた。そして、アミィが急須をユラユラと揺らして、湯飲みにお茶を注ぐ。
「さて、それじゃあ、カグラさんを呼んで朝御飯にしてもらおうか」
俺はカグラさんを呼ぼうと、呼び出し用のベルを探す。確か寝る前にテーブルの上に置いていたはずなんだけど、どこにも見当たらない。するとアミィが何やら慌てて俺の方にベルを差し出した。
「あの! こちら、ちょっとお借りしてました! 先ほどカグラさんがいらっしゃって、朝食の準備ができたとおっしゃったので、ご主人様が起きたらカグラさんを呼ぼうと思って預かってました!」
何だろう、アミィの様子が少し変だ。まぁ、今はそれよりも朝食が先かな。昨日あんなに食べたわりには腹具合はちょうどいい具合に空いてきた。俺はアミィからベルを受け取って、カグラさんを呼び出す。
カグラさんを呼び出してから数分後、カグラさんがお盆に朝食を乗せて部屋へと入ってくる。その足取りは軽く、もう昨日の危なっかしい足取りは完全に消え去っていた。
朝食のメニューは昨日の夕食とはうって変わってシンプルなもので、お粥の上に鰹だし仕立ての葛餡をかけたものに、ごま豆腐ときゅうりと白菜の浅漬けが乗ったお盆がそれぞれ俺達の前に置かれた。
「こちら、当旅館が自信を持ってお勧めする朝食でございます。食べ盛りの男性には少し物足りないかもしれませんが、昼食の折り詰めもありますので、これくらいにしておくのがよいかと思います」
そう言って、カグラさんは部屋を出ていった。そして、俺達は冷めないうちに朝食に取りかかった。
お粥は見た目の薄茶色の割りには濃厚な風味がして、ごま豆腐も純粋にごまの香ばしさが引き出された見事なものだった。
そして、俺達が朝食を食べ終わり、カグラさんが食器を下げていった。さて、今日の予定は温泉街から少し離れた丘に登って、アミィとゆっくりと二人きりの時間を楽しむ予定だ。
温泉街の観光スポットは粗方回ったから、今日は贅沢に時間を使いたいもんだ。
「それじゃあアミィ、少しゆっくりしてから着替えて旅館から出ようか。何か持っていくものとかあったかな?」
俺の声に、アミィは少し遅れて答える。アミィは何だか考え事をしていたみたいで、その顔はちょっと難しそうにしていた。
「あ、はい。そうですね、持っていくものといったら、お弁当と水筒と、後はカメラでしょうか。私、カメラの準備をしますね!」
アミィは慌てて旅行バッグを漁ってカメラを探している。やっぱり、何だかアミィの様子がおかしい。空元気っていうか、無理して笑ってるっていうか。
そんな俺を尻目に、アミィが旅行バッグからカメラを取り出した。
「ありました! ご主人様! もしかして忘れてしまったかなと思いましたけど大丈夫でした! さぁ、ご主人様、今日もいっぱい思い出作りましょうね!」
アミィは俺にいつもの笑顔を向けて、そそくさと私服に着替え始めた。アミィの言葉とは裏腹に、アミィの態度は何だかよそよそしい。
もしかしたら、俺が昨日寝てしまってから何かあったんだろうか。俺は勇気を出してアミィに訪ねてみた。
「アミィ、俺、アミィに何か悪いことでもしたかな? 何だか今日のアミィ、昨日と違うよ。怒らないから、正直に話してくれないか?」
そんな俺の言葉に、アミィは少し物悲しげな表情で答える。
「ご主人様、実は……」
アミィの喉から声が出掛かったタイミングで、部屋の外からノックする音が聞こえてきた。俺は一旦アミィを待たせて、部屋の襖を開けた。
「失礼します。本日持っていって戴く折り詰めの方をお持ちしました……もしかして、お取り込み中でしたかね?」
襖の向こうには、カグラさんが弁当が入った包みを持って立っていた。カグラさんには悪いけど、ちょっと間が悪かったな。
「いえ、何でもありません、わざわざお弁当まで準備して戴いて本当にありがとうございました」
俺はカグラさんから包みを受け取ると、カグラさんはアミィの方をチラッと見て、何だか妙に神妙な顔をして旅館の奥へと戻っていった。
間違いない、昨日の夜、アミィとカグラさんの間で何かあったんだ。俺は再びアミィの方に向き直る。
「アミィ、昨日カグラさんと何があったのか話してくれないか?」
アミィは観念したかのように、俺の方を伏し目がちに見つめてきた。何だろう、何だか胸騒ぎがする。アミィは不安げな表情のまま、俺の願いに答える。
「ご主人様、もし宜しければ、このお話はこれから丘の上に登ってからお話させてもらってもよいですか? 万が一にも、他の方には聞かれたくないお話なので」
他人に聞かせられない話、俺には現時点ではその意味が解らなかったけど、ここで話せないということは、その他人には、カグラや板長さんも含まれるということだろう。
「解ったよ、アミィ。それじゃあ、そろそろ出ようか」
こうして俺達は旅館を出て、丘の上を目指して歩き始めた。その間、俺とアミィの間には何だかギクシャクした空気が流れ、とても散歩を楽しめるような雰囲気じゃなかった。
そして、俺達が歩き始めて30分ほどで、目的地の丘の上の展望台に辿り着いた。
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