行ってしまった。オレは、進を乗せた車を、ただ呆然と見送ることしか出来なかった。オレの頭のなかには、進と出会ってから今日までの思い出が走馬灯のように駆け巡る。
初めてオレが見たのは、両親の後ろに隠れて、オレを見つめる、進。そうだ、進はビクビクしながら、オレの顔色をうかがっていたんだっけな。
それから一緒に暮らしていくうちに、次第に心を許し、オレに甘えてくる、進。進はいつもオレにベッタリで、悪い気はしなかったけど、オレがいなくなったらと考えたら不安だったな。
学校でいじめられて帰ってきて、泣きじゃくりながらオレに抱き付いてくる、進。オレはそんな進の頭を撫でながら、泣き疲れるまで話を聞いていたんだっけ。
胸の奥から際限なく溢れてくる、進と過ごした思い出。オレは進と一緒にいられるだけで、毎日が満たされている気がした。
そんな毎日が、今日、終わりを告げた。
もう、オレの隣には進はいない。
もう、進に触れることは出来ない。
もう、進を抱き締めることは出来ない。
もう、進の体温を肌で感じることは出来ない。
そんなことを考えていると、オレの目から涙が溢れてくる。止まらない、止まらない、止まらない。そんなオレを見て、恭平が心配して声をかけてくる。
そうさ、オレだって、進と別れたくないさ。それでも、オレは片瀬家のメイドだ、主人には逆らえない。オレは、自分にそう言い聞かせるために、ただ、叫んだ。
それでも、アミィもオレを心配して声をかけてくる。止めてくれ、止めてくれよ、これ以上、オレに優しくしないでくれ。
オレは思わず叫んでいた。自分でも聞くに耐えない八つ当たり。馬鹿かオレは。せっかく二人とも見送りに来てくれたのに。
そんなオレを見かねた二人は、オレの元から去っていった。そりゃそうだ、オレが二人に帰れと言ったんだから。
オレの足から力が抜ける。全てが終わってしまった。そんなことを考えてしまうほど、オレは参ってしまっていた。
それでも、いつまでもこんなところには居られない。オレはフラフラと、進の家の中へと、戻った。
…………
オレは進の部屋で、一人、物思いにふける。主がいない部屋は、まるで時間が止まってしまったかのようだった。
オレは、進と出会ってから今日まで、進の成長を見守ってきた。最近の進は、見違えたみたいにしっかりして、もうオレが必要ないくらいにまで成長した。
そして、進は旅立っていった。これでオレの役目は終わり、万々歳だ。それでも、オレの胸の中はどうしようもない空虚感で満ちていた。これまで、オレはこんな気持ち、感じたことがなかった。
とても恐ろしい気持ちだ。このまま自分が消えてしまいそうな感覚さえする。この気持ちの正体、実際のところ、オレは自分でも気付いていた。
失って初めてわかることもあるってことだよな。オレの隣には、いつも進がいた、いや、いてくれた。
オレは、自分がいないと進は何も出来ないなんて思っていたんだ。思い上がりも甚だしい。進だって、成長していくに決まっている。
オレは、根本的な勘違いをしていたんだ。進にオレが必要だったんじゃない、オレに進が必要だったんだ。
気づいた頃にはもう遅い。進はもう遠くに行ってしまった。もう遅い、もう遅いんだ、もう遅いんだよ。そう思っていた。
違う。オレはいつまで自分に嘘をつき続けるつもりだ。オレの胸の奥から、さっきまでとは違う感情がメラメラと湧き上がる。
オレは片瀬家のメイド、主人には逆らえない。嘘だ、オレの胸に湧き上がる感情は、それを激しく否定している。
別れたくない、嫌だ、進と別れるなんて考えられない!進が隣にいない暮らしなんて、オレにとっては消えてしまうのも同じだ。
気付いたら、オレの足は家の外へと向かっていた。静寂な廊下に、カツカツと歩くオレの足音が反響する。
そうさ、今のオレの気持ちを止めることは誰にも出来ない。進と別れたくない、それだけのことだ、言ってしまえばこれほど簡単な話はない。
それを阻むのは、オレのメイドとしての立場だ。いや、もうそんなことすらどうでもいい、知らねぇ、知ったこっちゃねぇ! 進と一緒にいられないなら、オレはもうメイドじゃなくていい!
オレは家の外に飛び出して、脚の両脇の掃除機を起動させ、空へと駆け出す。今ならまだ間に合う! 出力最大でブッ飛ばせば追い付ける!
オレはただ、もう一度、進に会いたい一心で、空の上を駆け続けた。
…………
オレが進の家から飛び立って30分ほど経った。向かい風がオレの体に激しく叩きつけられる。ダメだ、こんなスピードじゃとてもじゃないが追い付けねぇ!
今から降りてタクシーでも拾うか? 馬鹿か! 間に合う訳が無ぇ! 畜生! これじゃあ間に合わねぇ! やっぱりオレには何も出来ないのか?
いや、まだだ、諦めてたまるか! 諦めきれるかよ! オレは脚の両脇の掃除機の出力を上げる。頼む、もっと速く、もっと速く! もっと速く!!
すると、オレの逸る気持ちに答えるように、掃除機の吸気が激しくなっていく。それに、オレの両足に何だか変な感覚がするぞ? オレのその感覚は、程なくしてオレの脚を熱くした。
オレの脚の両脇の掃除機から轟音と共に激しい火柱が噴出する。その勢いはさながらジェットエンジン、オレの体の速度は爆発的に上昇した。何が起きたかはよく解らないが、今はそんなことはどうでもいい!
大丈夫、これなら十分に間に合う、間に合うぞ! オレは、軋みを上げる体を、何とか堪えながら空を駆ける。
体から少しずつ力が抜けていく、恐らく激しい燃焼によるバッテリー消費のせいだろう。それでも、オレは空を駆け続ける。
すると、急にオレの顔を髪が覆う。クソッ! 邪魔くせぇ! どうやらこのスピードに耐えきれず、髪止めが切れたようだ。
それでも、オレは全力で空を駆け続ける。ここで速度を緩めたら全てが終わってしまう。だんだん意識も怪しくなってきた、それでもオレは止まれない。
「間に合えぇぇぇぇぇ!」
オレは、自分を鼓舞するために思わず叫んでいた。オレはただ、ひたすらに、空港を目指して飛んでいく。
打ち付ける突風、それはオレの体力を容赦なく奪っていく。頼む! もう少し! 持ってくれ、オレの体!
しばらくすると、オレの目の前に、うっすらと空港が見えてきた。あそこに進がいる。オレの頭のなかは、進と会うことだけで一杯になっていた。
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