僕はしっかりとリラを抱きしめ、50メートル以上ある崖を落下する。
いくら僕がチートを持っていたとしても。そして、これまでなんとなく分かったように、自分のチートに耐えられるような頑丈さもあるとしても。
さすがにこの高さから落ちたら助かりようがない。
まして、リラにはそんなものはない。
だから、このままなら間違いなく死ぬ。
獣人達も僕らが心中したと思うことだろう。
僕の意図通りに。
ルシフの提案通りに。
眼前に木々が迫る。
――まだだ。
――まだ早い。
――まだ、崖の上から見える。
やがて、木々の木の葉が僕らを叩く。
――よし、今だ。
木々が僕らの姿を上空から完全に隠したと思われるタイミングで、僕はルシフにもらった魔法を発動した。
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『つまりさ、獣人達は彼女が生きている限り追ってくる。なら、彼女が死んだと思わせれば良いんだよ』
困惑する僕に、ルシフはそう言った。
『ちょうど良いことに、目の前には飛び降りれば確実に死ぬであろう崖があるじゃないか。そこから2人で飛び降りてみせれば、獣人達もそれ以上は追わないさ』
いやいやいや、確かにそうかもしれないけど、死んだら意味がないじゃん。
『そこはボクが結界魔法を与えるよ』
つまり、崖から落ちて死んだふりをする。
そのために、落ちても死なないですむよう結界魔法――バリアのような魔法をくれるらしい。
でも、死体が見つからなかったらバレバレじゃないかな?
『彼らは崖の下まで死体を探しには行かないさ』
何でそんなことが分かるんだよ?
『崖の下の森には魔女が住む。獣人達は魔女とのトラブルを恐れる。生きたまま魔女の森に逃げ込んだならならともかく、確実に死んだ思われる状況を演出できれば崖の下は探さない』
本当かな。
『それでも心配ならもう1つ魔法をあげよう。1時間くらいだけど、フェイクの死体を作れるよ』
それならなんとかごまかせるか。
っていうか、魔女が住む森か。
なんか、それこそ僕らが無事で済むのかどうか。
だが、僕の心配は無視したまま、ヤツは話を進める。
『じゃあ、少しだけ魔法についての授業だ』
ルシフの説明によると、人族が魔法を使うには精霊か神様と契約する必要があるらしい。
『もっとも、神様はそうそう人間と契約したりしないし、その世界では、精霊との契約の大部分を教会が一元管理しているみたいだけどね』
つまり、ルシフは神様か精霊?
『いいや、ボクは神様でも精霊でもないよ』
いや、それは話がおかしい。
今の説明はこうだ。
魔法を授けられるのは神様と精霊だけ。
ルシフは僕に魔法を授ける。
でも、ルシフは神様でも精霊でもない。
……論理的矛盾ってヤツだ。
『厳密に言えば、今のボクは神様じゃないってところかな』
なんだよ、それ。
あ、ひょっとして免許が取れていないとか?
おねーさんは神様免許とか言っていたし。
『それはひどい侮辱だ。30回も免許取得に失敗する下級神と一緒にしないでくれ。あんな試験はボクにとっては楽勝さ』
……30回も落第したのかよ、おねーさん……
いや、それよりも、つまりルシフは……
『さあ、これ以上のことは、今は言えないし、お兄ちゃんには関係ないことだけどね』
そして、僕はルシフと契約した。
他に方法がなかったし、代償もないと言う言葉を信じるしかなかった。
契約と同時に、僕の頭に2つの魔法の知識が浮かぶ。
いや、魂だけの状態で頭と表現するのが正しいかは微妙だけど。
『特別サービスでお兄ちゃんの催夢魔法も解いておくね。あの鷹獣人の羽はもう打ち止めのはずだから安心して。
コウモリ女の方は攻撃能力を持たないけど、夜目が利くから、魔法を使うのは木々に自分たちの姿が隠れてからの方が良いよ』
わかった。
僕はうなずく。
『そうそう、今後も何かあったらボクを呼んでね。できるかぎりお兄ちゃんの手助けをしたいから』
そして、ルシフは稔の顔に邪悪な笑顔を浮かべる。
『ただし、次はそれなりの代償を払ってもらうけど』
そして、僕の魂は元の世界に帰還し、リラと共に崖から飛び降りたのだ。
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いまいち信用ならなかったが、結界魔法はちゃんと発動した。
漆黒のバリアーが僕とリラを包み、落下の衝撃を吸収する。
「ぐはっ」
それでも僕らの体にかかった衝撃はものすごかった。
ルシフのやろう、落ちても大丈夫な魔法って言ったくせに。
いや、アイツなら飄々と『死なない保証はしたけど、無傷を保証してはいない』とか言うんだろう。
ともあれ、結界を解いて立ち上がる。
肉体的にはともかく、脳への衝撃が凄かったのか、やや足下がおぼつかない。
頭がクラクラする。
あるいは魔法の発動には精神力を使うのかもしれない。
リラは僕の腕の中で完全に気を失っている。
しかも、彼女の右手はあらぬ方向を向いている。
落下の衝撃ではなく、僕が強く抱きしめすぎたせいだ。
やっぱり、僕の力は人を傷つけてしまう。
心苦しいが、いまは気に病んでいる場合じゃない。
とにかく、もらったもう一つの魔法で……
僕は魔法を発動し、足下に僕とリラの遺体のフェイクを出現させる。
1時間ほどで消えるらしいが、今の時点ではほとんど区別が付かない。ご丁寧に血まみれで首が折れている。正直、自分で作ったニセモノなのに吐き気がするくらいだ。
その瞬間、今まで以上に頭がクラっとする。
だめだ、意識が飛びそう。
寝不足、緊張感の連続、今の衝撃、そして魔法の連続使用。
だけど、今、僕まで気絶するわけには……
――これからどうしたものか。
水も食料もない。
リラは目覚めないし、彼女の骨折の治療もできる状況ではない。
なにより、ルシフはああ言っていたが、鷹やコウモリの獣人達が僕らの様子を確かめに来る可能性は十分あると思う。
鷹やコウモリの獣人だけならまだしも、犬の獣人らしいブルフまで一緒に来たら臭いでフェイクもバレるかもしれない。
一刻も早くどこかに移動して、まずは水を確保して――
でもそのまえにリラの腕を固定する方が先か?
それとも、リラを起こす?
何を優先すべきだ?
それ以前に、意識がもたない。
背後からガサガサと草をかき分ける音が聞こえた。
「誰!?」
別の獣人?
それともアベックニクスみたいな獣?
僕が振り向くと、そこには真っ黒なローブを身につけた老婆が立っていた。
「こりゃ、驚いた。天から子どもが落ちてきて、しかも生きておるわ」
崖の下には魔女が住む。
僕はルシフのその言葉を思い出しながら、気を失った。
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