倒れたままの僕の横に立ち、ルシフはニヤニヤ顔で言う。
『さあ、お兄ちゃん、今度こそ契約しようよ。もう、お兄ちゃんを助けられるのは、ボクだけだよ』
契約。そう、契約ね。
……
…………
………………
……するわけないだろ、バーカ。
僕はそう答えて|嗤《わら》ってやる。
だってそうだろう?
僕が契約して何になる?
ルシフとの契約は『闇』になるってことだ。
確かに死なないで済むかもしれないけど、リラたちは余計ピンチになるだけだ。
ちょっと考えれば分かる単純な理屈である。
『そうだろうね。お兄ちゃんならそう答えるだろうって思ったよ。
……だから、さ。もう一人呼ぶことにするよ』
ルシフがそう言うと、僕らの目の前に一人の少女――リラが現れた。
『パドっ!! ここって……ルシフ!?』
『やあ、ひさしぶりだね、リラお姉ちゃん』
ルシフはニヤニヤしたまま言う。
『どういうことよ?』
『いやぁ、このままだとパドお兄ちゃんが死んじゃいそうだからさ。助けてあげたいんだけど、パドお兄ちゃんは絶対契約なんてするもんかって言うんだよね。
だからさ……』
ルシフはそこで、これまでで一番凶悪な笑みを浮かべた。
『代わりにリラお姉ちゃんが僕と契約してよ。パドお兄ちゃんを助ける魔法をあげるからさ』
その言葉に、僕の中の感情が逆立つ。
コイツはっ!!
『私が頷くとでも思っているの?』
『頷くさ、パドお兄ちゃんはこのままなら死んじゃうよ。そして、王妃様えっと、テミアールだっけ? 彼女は君も、王様達も、王都の人間も、皆殺にしちゃう。
でも、君が僕と契約して、パドお兄ちゃんを治してあげれば、パドお兄ちゃんがテミアール王妃を倒せるじゃないか』
リラっ、よせ。
『分かってる。パド、私は頷いたりしない』
そうだ。
コイツと契約すれば、今度はリラが『闇』になってしまう。
『もちろんそうなるね。そして、契約にはリラお姉ちゃんが愛する者の死が必要』
『私にパドを殺せって言うの!?』
『ひゅうっ、愛する者っていわれて、あっさりパドお兄ちゃんのことって考えるんだねぇ。ヤケちゃうなぁボク』
殴りてえ。とりあえず、コイツを殴りたいっ!!
『だからさ、簡単なことだよ。ボクと契約して、リラお姉ちゃんはパドお兄ちゃんのケガを治す。そのあと、あらためてリラお姉ちゃんにはパドお兄ちゃんを殺してもらう』
意味が分からん。
『でも、パドお兄ちゃんにはボクが与えた刃の魔法があるからね。『闇』になった、リラお姉ちゃんを逆に殺せばいい。あ、もちろんテミアール王妃もね。
ほら、これでパドお兄ちゃんも助かるし、王都の人たちも助かる。バンザーイっ!!』
今度こそ、ボクの感情が沸騰した。
ルシフっ!!
お前はっ!!
ボクは立ち上がろうとし、しかし力が入らない。
そんな僕を横目に、ルシフはリラに近づき、耳元で囁く。
『どうだい、リラお姉ちゃん? リラお姉ちゃんの犠牲だけで、パドお兄ちゃんも、アル王女達も助かるんだ。お得な契約だろう?』
リラ、よせ。
ソイツの言うことなんて聞くな。
『私は……私は……』
『どのみち、このままだったら君もテミアール王妃に殺されるさ。それならパドお兄ちゃんを助けた方がいいんじゃないの?』
リラの表情に迷いが浮かぶ。
ダメだ。
迷うな。
リラっ!!
『私はっ!!』
よく考えろ、リラっ!!
お師匠様ならなんていうか。
『お師匠様……ブシカお師匠様なら……』
『決まっているじゃないか。彼女だって最後は自分を犠牲にして君たちを救ったんだ。リラお姉ちゃんも同じようにすればいい』
違う!
それは絶対に違う!!
そうだ。
そもそも、ルシフの目的は何だ?
リラを『闇』にして、僕に殺させて、それで一体何が起きるって言うんだ。
ルシフの目的は世界を滅ぼすこと。
そして、その為に、僕を『闇』にすること。
それなのに、リラと契約したところで意味が……
……あっ。
そうか、そういうことなのか!?
この世界では僕の思いつきがそのまま、ルシフやリラにも伝わる。
リラがハッとなり、ルシフが苦々しげな表情を浮かべる。
やっぱり、図星かよ。
ルシフは、僕に愛する者を殺させたいのだ。
たとえ『闇』と化したあとであっても、僕がリラを斬れば、僕は愛する者を殺したことになる。
その時、僕もまた、『闇』に変えられる。
そういうシナリオだったのだ。
僕を大けがさせて、リラに契約を迫り、リラを『闇』に変え、そのリラを僕に殺させる。その結果として、僕もまた『闇』へと落ちる。
なんとも回りくどいやり方だ。だが、僕が最大限にルシフに警戒している中では、確かに他に方法がなかったかもしれない。
『で、それが分かったからなんだって言うのさ。パドお兄ちゃんはこのままなら死ぬし、そうなったら『闇』は止められないよ』
憎々しげに言うルシフ。
だが、僕は笑う。
心配いらないさ。
アル様もキラーリアさんも、僕なんかよりずっと強いから。
テミアール王妃のなれの果てなんて、アル様がやっつけてくれる。
『何を馬鹿なことを。ボクの与えた剣もなしに、アルに『闇』が倒せるはずがないだろう!?』
それも問題ない。
ピッケがいるからね。
『何?』
龍の飛行能力なら、レイクさんのお屋敷から王宮までなんて一瞬さ。剣を届けるのもすぐだ。そもそも、ピッケなら『闇』をたおせるかもしれないし。
『連絡できなければ意味がないだろっ!!』
はははっ。気づいてないのかよ。
『なんのことだ!?』
レイクさんはね。最初からピッケを王宮に呼ぶつもりだったんだよ。
本当は国王陛下説得の切り札だったんだろうけどね。今となってはそんな意味はない。
でも、ピッケかルアレさんか、あるいはセバンティスさんに通信用の魔石は渡しているはずだよ。
出かけに、レイクさんがピッケに何か頼んでいた。
あれは、そういうことなのだろう。
だからさ。
僕が死んだって問題ない。
リラも助かるし、アル殿下も、レイクさんも、キラーリアさんも助かる。
そういうことだ。
リラが震える声で叫ぶ。
『でも、でも、それじゃあ、パド、あなたは……』
死ぬだろうね。
でも、リラや僕が『闇』に変わるよりはマシだ。
さあ、ルシフ。僕らを元の世界に戻せ。
僕らは絶対に契約なんてしないから。
『……好きにしろ』
ルシフが冷たい声でそう言い放ち、僕らは漆黒の世界から追い出されたのだった。
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