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(3人称/枢機卿ラミサル視点)
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商業都市アラルバ。
大陸中央に位置するこの都市は、名義上はテラニス領の一部である。が、一種の治外法権扱いされている場所だ。
治外法権というと、スラム街のような治安が悪い場所のイメージが浮かぶが、むしろこの街は聖テオデウス王都とならんで大陸一安全な街とも言われている。
アラブシ・カ・ミランテの小屋を経って1日目。
教皇スラルス・ミルキアス一行はこの街に滞在していた。
この街は商人の街。
王族や貴族の権力や、教会のカリスマ力とはまた違った、『物流』という人々の暮らしに根付いた力によって管理されている街だ。
街全体の経済規模は王都を越え、商人たちの相互補助による福利厚生も整い、他の街なら少なからず見かけるストリートチルドレンもほとんどいない。
医療設備も王都と並んで最高峰。経済的にも豊かである。
教会への信仰心は高くないが、人々に経済的余裕がある街なので教会への寄付金もそれなりに潤っている。
ゆえに、教皇一行が滞在しているこの街最大の教会は、王都の総本山ほどではないにせよ、かなりの規模であった。
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貸し与えられた部屋に入り、ラミサルと2人きりになると、教皇スラルスは疲れきった様子でソファーに座った。
いつもならばラミサルと2人きりであってもここまでグタッとした様子は見せない。
ラミサルの目から見ても、彼に相当な疲労がたまっていることは明らかだった。
「お体は大丈夫ですか?」
「心配はいりません。が、些か疲れているのも事実ですね」
無理もない。
寿命を削るとされる教皇にしか使えない飛行魔法の連続使用。
王都からラクルス村まで休憩を挟みつつ3日間。その後『闇』との戦いを経て、今度は王都への飛行1日目だ。
老体の枢機卿にとっては無謀に近い。
いや、それだけではない。
予期せぬアル王女との出会いによる心労。睡眠不足による肉体的疲労。キラーリア・ミ・スタンレードに使った回復魔法。
さらにいえば、この街の教会に着いてからも、現地の教会関係者と堅苦しい挨拶をしなければならなかった。
さすがに『せっかく教皇猊下においでいただいたのですから、是非とも説法を』という希望はやんわり断ったが。
パド少年の母親は部屋のすみで心のこもらない笑みを浮かべ続けている。
現地の教会には『彼女のことは深入り無用』とだけ伝えてある。
なにしろ、世界の滅亡の可能性を示唆する神託に関わる話である。できる限り情報は機密にしなければならない。
「状況的に致し方がないとはいえ、あまりご無理をされないでください。やはりこの街で数日休息を取りましょう」
ラミサルはコップに白湯をついで教皇に渡した。
彼にとって、教皇スラルス・テオデウスは『尊ぶべき教皇』であり、『信頼する上司』であり、『少年時代からの親代わり』でもある。
今教皇に倒れられたら困るという実務的な問題と同時に、本心からの心遣いでもあった。
「しかし……いえ、そうですね。確かにこれ以上無理をするのは得策ではないでしょう」
確かに総本山に教皇とラミサルがいない状態が長く続くのは、教会内の政治的勢力バランスや、王家および諸侯連立との関係から考えればあまり好ましくはない。
しかし、数日単位の誤差であればどうという問題でもないのだ。
さすがに飛行魔法を使わずに馬車で数ヶ月かけて移動するわけにはいかないが。
「しかし……本当にあれでよかったのでしょうか」
ラミサルは本題をぼかしつつ問いかける。
パドをアル王女らに預けた決定。
天より賜りし神託に逆らうかのごとき所業。
「神託はパドくんの抹殺を示唆していました。ですが、あの場でそれを行うことが適切だったとは思えません」
「確かに、罪もない子どもを殺すというのは私も避けたいです。彼はアラブシ師匠の最後の弟子でもありますし。しかし世界の滅びの可能性と天秤にかけるとなると……」
「ええ、私もそう思ったからこそ、飛行魔法を使ってまで大陸の南まで向かったのです。しかし、いくつかの理由で断念しました」
そう言うと、教皇は白湯を少し口に含む。
「その理由をお聞きしても?」
「まず、パドくんが『闇』を倒した段階で、アル王女が彼を庇護することを決定していたようにみえたことです。
パドくんのあの200倍の力と、盗賊女帝の力、さらにはキラーリア殿の剣術。それらを敵に回した状況下で、パドくんを抹殺するなど私たちの手にあまります。
むしろ、下手な動きをすれば私たちの方が無事では済まない状況だったと思いますよ。それならば、パドくんのお母さんを担保として預かるという妥協点は、決して悪い結果ではないでしょう」
教皇の言い分はもっともだった。
実際にアル王女らが敵に回ったかどうかはともかくとして、200倍の力と魔力を持つパド少年を、自分たちが抹殺できたかといえば相当に難しかっただろう。
下手をすれば、アル王女に殺されたらしい異端審問官と同じ目にあっていたかもしれない。
「我が身の力不足、申し訳ありません」
「いえ、あなたはよくやってくださいました。むしろ、僧兵でもないあなたを危険な戦場に送り込んでしまったことを謝罪します」
「もったいないお言葉です。ですが、私は教皇猊下のためならば、この命など惜しくはありません」
「いいえ。私のために、あなたの命は惜しいのです。あなたに死なれては困ります」
その言葉に、ラミサルは涙を流しそうになる。
尊敬、崇敬、情愛。
(この方のために、私は全てを捧げよう)
あらためて決意するラミサルに、教皇は続けた。
「――というのが、表向きの理由です。神託を知っている総本山の者たちには、この理屈で通しましょう」
「表向きとおっしゃいますと、別の理由もあると?」
ラミサルの問いに教皇は頷いた。
「裏の理由は『闇』です。私やあなたの魔法は『闇』に対しては決定打たりえませんでした。アル殿下の大剣も人型の『闇』にはどこまで通じるのか。
あれを倒せるのは、現状パドくんの魔法だけでしょう。
龍族の使う浄化の炎ならばあるいは対抗できるのかもしれませんが、エルフ以上に龍族と人族との間には交流がありません。アル殿下は龍族の支援を受けようとしているようですが、上手くいくかどうか。
それに、あの神託がルシフとやらの陰謀だったのではないかというアル殿下のお言葉も一理あります。私の立場上は認めにくいですがね。
ならば、少なくとも『闇』への対抗措置が見つかるまでは、パドくんを抹殺するわけにはいかないでしょう」
「確かに、その通りです」
『闇』とルシフ。人族どころか、亜人種を含めた人間全体への脅威だ。
神託の真偽はともかく、今パド少年を殺すわけにはいかないという判断には一理ある。
「もちろん、『闇』の存在そのものが公言できることではありません。パニックを呼ぶだけですからね。ゆえにこれは裏の理由です。
もっとも、アル王女やラクルス村の住人も知っている以上、どこまで情報制御できるかは難しいところですが。
――とここまでが、公式的な立場での表と裏の理由ですかね」
教皇のその言い方には、さらなる含みがあった。
「それ以外にも理由があると?」
「極めて個人的な感情をいうなら、パドくんに好意を持っているということですね。たぶん、本当はこれが1番の理由なのかもしれませんね」
「猊下……」
教皇は本質的に良い人だ。やはり、子どもを抹殺するなどいかに神の言葉によるモノとはいえ抵抗があったのだろう。
「いずれにしても、パドくんの抹殺を取りやめたからには、教会としても彼の魔力制御修行に最大限に協力するべきでしょう。人族の魔力制御技術は、我々がもっとも知識も経験もあるわけですしね。
今後の『闇』や諸侯連立への対抗措置という意味でも早急に方策を考えましょう」
「猊下、そのことなのですが私は1つ気になることがあります」
「なんでしょうか?」
「神託に寄ればパドくんの力と魔力は常人の200倍とのことです。たしかにあの力は常人の200倍に値する恐るべきモノかもしれません。ですが……」
ラミサルはそこで言葉を句切る。
「……200倍の魔力といいますが、そもそも『常人の魔力』とはどの程度を示しているのでしょうか」
それは、ラミサルがずっと考えていたことだった。
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