僕達が稔の家についたのは夕方で、だからしばらくすると夕食の時間になった。
リビングのテーブルに、4人でつく。
食卓に並ぶのは、ご飯と味噌汁、魚の煮物、それに肉じゃがだ。
お母さんがご飯をよそってくれる。
「どうぞ、たいした物はないけれど遠慮しないで食べてね」
それだけで、僕は涙が流れそうになり、必死にこらえていた。
一方リラは。
『ねえ、パド、フォークもナイフもないけれど、どうしたらいいのかしら? この2本の棒で突き刺すの?』
確かに、向こうの世界にはお箸なんてなかったもんね。
「あの、すみません、フォークとスプーンはありませんか? お箸は慣れなくて」
僕が言うと、お母さんは「ああ、そうね」と言って、フォークとスプーンをリラに渡した。
「パドくんはその手だと、フォークも難しいかな?」
「僕はリラに食べさせてもらうので大丈夫です」
「そうなの。それじゃあ、食べましょうか」
「いただきます」
そして、僕らは4人での初めての食事を始めた。
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『これ、美味しいわ』
魚の煮物を口にしたリラがそう言う。
『レイクさんのところで食べた食事よりもずっと味が濃い。それに、魚も新鮮だと思う』
そう言って、リラは今度は僕の口に魚を運んでくれる。
うん、美味しい。
ラクルス村の食事はもちろん、旅の途中や王都で食べた食事よりもずっと美味しい。
「どうかしら、お口に合う?」
たずねるお母さんに僕は頷く。
「はい。リラも美味しいって言っています」
「よかった。2人がこれまでどんな食事をしていたのか分からなかったから不安だったの」
お母さんはそう言ってにっこり笑う。
最初は僕らの来訪に戸惑っていたようだが、今は受け入れてくれたようだ。
僕とリラは次々食事を口にしていく。
お米もわかめ入り味噌汁も、向こうの世界にはなかったけれど、僕やリラが食べても美味しかった。
そして、肉じゃが。
『すごい、ジャガイモをここまで美味しく煮るなんて。パドのお母さんは料理の天才ね』
リラの言葉は少し大げさに聞こえるかもしれない。でも、本当に美味しい。
向こうの世界とこちらの世界では手に入る調味料が違うっていうのもあると思う。お砂糖やお醤油や味噌をたっぷり使うなんて、向こうの世界では無理だ。味噌や醤油はそもそも向こうの世界にはないと思う。砂糖も高級品だしね。
11年間、桜勇太の体は食べ物を受け付けなかった。
病院の食事すら口にする度に気持ち悪くなってしまったのだ。
だから、当然お母さんの料理なんて食べたことがなかった。
今、初めて桜勇太の母の料理を美味しく食べている。
それが、嬉しくて嬉しくて。
僕とリラがここに来たのは運命の悪戯だ。
ルシフがそこまで狙っていたとは思えないし。
その運命に、僕は心から感謝していた。
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僕とリラは同じ部屋で寝ることになった。
男女同じ部屋というのは問題がありそうなものだが、僕の外見は7歳だし、リラは日本語が分からないから仕方がないと稔たちは判断したようだ。
リラに蛍光灯の紐を引っ張って、明かりを消してもらう。
『……本当に、不思議な世界ね』
布団に潜ってから、リラがそう言った。
『あの明かりも、テレビとかいうのも、すごく不思議。スイッチを押すだけで炎が出るコンロとかいうのもあったし。この世界の魔法は凄いわ』
『だから、魔法じゃなくて科学だよ』
『それ、何が違うの?』
――うーん、どう説明したらいいんだろう。
暗闇の中、僕らは少し沈黙した。
それから、リラが言う。
『ミノルもお母さんもいい人よね』
『うん』
『パドは……ここに来れて幸せ?』
『え? それは……』
僕は今、幸せなのだろうか。
確かに稔やこちらの世界のお母さんのやさしさに触れた。
母の味を知り、心穏やかだと言える。
だけど。
本当にここに居てもいいのだろうかという気持ちはずっとある。
向こうの世界のこと――バラヌのことや、あちらのお母さんのこと、アル様のこと、ルシフのこと。
心残りはたくさんあるのだ。
でも、じゃあ、どうしたら良いのかと言われれば分からない。
押し黙った僕に、リラが言う。
『……ごめん、変なこと聞いたわね、忘れて』
『そんなことないよ。僕こそごめん』
それから、また少し沈黙が流れる。
そして、リラが言う。
『パド、お願いがあるの』
『何?』
『この世界の言葉、私に教えて』
『……そうだね。必要だよね』
僕も、難しい日本語は分からないけれど、リラに教えられる範囲で教えよう。
『あと、私も仕事を探さないと』
『いや、それは難しいんじゃないかな』
『でも、いつまでもタダで厚意に甘えているわけにもいかないわ』
それはそうかもしれない。が。
『この国では子供が働くのは難しいと思う』
児童福祉法とかそんな法律があったような気がする。
そもそも、僕らは現在密入国者状態だし。
『そうなんだ……』
『明日から、お母さんの手伝いをさせてもらおうか』
『うん、そうね』
もっとも、両手を失った僕には手伝えることは限られているだろうけど。
心の中でそう付け加えつつ、僕は眠りにつくのだった。
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