地球を初めて訪問する他星系種族に対して、外交条約が定めている四十日間の観察期間。
医師が観察対象と共同生活を送り、入国に際して問題点が無いかチェックする仕組みだ。
厚生労働省の医系技官である城 貞子、すなわち私は観察を行う観察官を志願し、異星人シーリアを担当する事に成った。
中立であるべき観察官であるが、初日から私は彼女に恋をした。
☆★☆
シーリアの観察作業を開始してから三日が経つ。
少しは変わった事が有る。
閑職に回されて、ふてくされていた栗原課長は、とうとう役職を外されてしまった。
「課長補佐、昇進おめでとうございます」
私は朝の会議で高木課長補佐をからかう。
「訳無いじゃ無いですか」
課長補佐は悔しそうに舌打ちした。
「残念でしたね」
「煽てても何も出ません。えーと、次の民間船の到着は半年後のようです」
私の戯れ言に対応する代わりに、課長補佐は星系間国家連合の軍艦がもたらした最新の航路使用スケジュールについて周知する。
シーリアの後は半年間、誰も来ないと言う事だ。
「先生から何か有りますか」
「こちらから報告する事は無いですが、今日中には服が届くかと。そうすれば録画の閲覧注意制約を外せるでしょう」
私はオンラインショップの発送メールをiPadで見付けると、課長補佐に転送する。
今までシーリアはずっと裸のままだった。
そのため、観察室全体の録画を閲覧注意制約に指定してある。確認した所、誰の閲覧記録も無かった。
私が製菓用ブランデーで酔った事、雪江の電話で号泣した事を知る者はシーリア以外居ない。
「それじゃ、朝の会議を終わります」
課長補佐が終会を告げる。
「では、観察室内に戻っています」
私はiPadを持って立ち上がった。
「先生、二十四時間四十日って長く無いですか」
ふいに課長補佐が聞く。
「結婚よりは短いです」
「先生、結婚されていましたっけ?」
「六十四日間」
周りの期待に応じただけの、結婚ごっこ。悪夢のような日々だった。
「課長補佐、地下の荷物室に何か届いたとの事です」
会議中に内線を受けていた荒木さんが呼びかける。
「多分服です。取りに行ってきます」
私は課長席前の打ち合わせスペースから立ち上がった。
「何も先生が行かなくとも」
課長補佐が配慮して止める。
「異星人に害が有る物だったらどうするんですか。そういう手順です」
私はiPadを机に置くと、エレベーターホールに向かった。
荷物室は地下一階駐車場ビルゲートの近くに有る。
段ボールは荷物室内で既に開封されていた。世界的に異星人関連施設はテロ対象で、警戒が厳しい。
「ありがとう、中身だけ、持って行く」
私は荷物担当者に言うと、服を両脇に抱える。
「いいですが、城さん、服数着って何なんです」
「さあ?」
私はしらを切った。
「ま、そうですよね」
荷物室担当者は苦笑いする。日本では、テロより野党が怖い。
観察室に戻り服をリビングに持ち込むと、コートハンガーに掛けた。
リビングのソファーでiPadを弄っていたシーリアは、興味を持って立ち上がる。
「それで貞子は、このうちどれを最初に着て欲しい?」
服を手に取りながら、シーリアは振り返って私に問う。
柄物のワンピースを着ている所を見てみたかったが、それは声に出さなかった。
「どれも二人で選んだ服だから。それより、まず、下着を身に着けて」
私は最後の袋にまとめて入っていた下着とランジェリーを、彼女に押し付ける。
「ここで?」
下着の袋を抱えながら、シーリアは悪戯っぽく笑う。
「寝室で」
私は、彼女の背中を押して個室の方に押しやった。
シーリアは下着の袋と、緑色の柄物ワンピースを持つと寝室に入る。
私はため息をついた。
☆★☆
互いに惹かれた最初の日を除けば、私達はそれほど親密に行動していた訳では無い。
毎食を共にして、その準備と片付けを一緒に行っている程度だ。
寝室とバスルームは別で、そこに居る間は干渉しない。
日中、私は観察室の内外を行き来し、シーリアはリビングでiPadに執心している。
観察期間が三十日経過して、残り十日と成った頃、私は違和感に気が付いた。
シーリアの好んで着る服が、幅広パンツと柄物トップスを組み合わせた三つのコーディネートに集中しているのだ。
好みは有るだろうから、その事に問題は無い。
問題なのは、それが私の好みである点だ。
私は唇を中指で撫でる。
最初の日、ティー・ロワイヤルを流し込まれたキス。心を読まれていたかのような察しの良さを感じた。
気にし過ぎだろうか? いや確信に変わりつつある。
「デアクス。デアク・シーリア、霊媒医師シーリア」
霊媒の意味を考えた事も無かった。
シーリアは、心を読めるかも知れない。
「なら、望む事を心に浮かべれば、シーリアはしてくれる?」
ベッドの中で午睡から醒めながら、私は不適切な事を考える。
シーリアが心が読めるのならば、私の中途半端な思いを知っているはずだ。その上で彼女は私の気を惹こうとしている。
シーリアの読心能力を確認するためには、自分の気持ちを決める必要が有るだろう。
キッチンには監視カメラの死角が存在する。そこでならば閲覧注意制約を付けなくても課長補佐達に見られる事は無い。
昂ぶった心を落ち着けていると、内線電話が鳴る。
荒木さんからのケータリング到着の知らせだ。礼を言うと、私は寝室から観察室のゲートに向かう。
リビングにはシーリアが居て、iPadに東京近郊路線図を表示して眺めていた。
「シーリア、後十日で東京を歩ける」
「後十日しか貞子と一緒にいられない」
シーリアはソファーに座って、炭酸水の泡と共にわざとらしく嘆息を漏らす。
読心を意識すると、彼女の一言一行に気が落ち着かない。
「休日は、私が東京を案内する」
私はシーリアに提案する。
休日も何も、二十四時間四十日間連続勤務の後は二ヶ月の休暇だ。
「それだけじゃ、足りないな」
シーリアは微笑んで、言葉に要求を含ませる。
「私の家に監視カメラは無い」
「それは良いね」
シーリアは満面の笑顔に変わった。
「じゃあ、夕食のケータリングを貰ってくる」
私は観察室の外で荒木さんから、夕食と朝食のケータリングを受け取る。
カレーの匂いがするケータリングボックスをキッチンのテーブルに置いた所で、シーリアに手を引かれた。
そのまま、監視カメラの死角まで連れて行かれる。私が読心能力に気が付いた事さえ、お見通しだったのだ。
「心が読めるのを隠していた。貞子は私に幻滅した?」
彼女はキスが交わせそうな距離で囁く。
シーリアの言葉に、私は頭を横に振った。
それでもシーリアの読心能力が本当ならば、私はそれを報告書に書く必要が有る。
彼女が入国出来ない可能性がある馬鹿正直な行為だ。だが不運にも私は日本国の公務員なのだ。
「それは嫌だな」
シーリアが心を読んで私に酌量を要求する。
「シーリア、それは……」
「それでどうされたい?」
シーリアの質問に私はキスを望んだ。
彼女は私を抱くと、口を重ねる。
突き出した私の唇を、ざらざらとしたシーリアの舌が走った。
腰が抜けるぐらい、気持ちが良い。
「貞子の全てが欲しいな」
シーリアはキスの代償として私を所望する。
けれども、私はまた決心を付けられなかった。
口に出そうとした言い訳までシーリアに読心されてしまう。
「それは違う。貞子もいつか自らの人生を決める時が来る。さあ夕食が冷めてしまう」
シーリアは私を慰めると、食事を促した。
夕食はカレーとナン、そしてサラダだ。
私達が飽きないように、荒木さんが趣味の食べ歩きを活用してケータリングを頼んでいると言う。
今晩の食事はとても美味しかった。
私は手に付いたバターをナプキンで拭い取って、炭酸水を二人のコップに注ぐ。
「貞子、何か聞きたい事があるの?」
シーリアは遠慮無く私の心を読んだ。
「聞きたい事も知っているはず」
「大事な事は、言葉に出す必要が有るんだ」
シーリアは私をたしなめる。
しかし、これは彼女の機微に触れるような質問だ。
「シーリアは、何故故郷の星を出たの?」
私は遠慮がちに疑問を口にする。
「医療の近代化の中で、私達〈デアクス〉霊媒医師の地位は失われた。仲間が次々と廃業する中で、若かった私は絶望してキリテ星行きの貨物船に乗ったんだ」
彼女の口から絶望なんて言葉が出るとは思わなかった。
「母を失ったのも有る」
彼女はリビングの窓越しに夜空を眺める。
「小マゼラン雲から天の川銀河までは遠い」
私は指摘した。
キリテ星は銀河外縁部の中心星系の一つだが、小マゼラン雲から天の川銀河にいたるスリップゲートからおそらく一番遠い。
「イイルドナイラ星からキリテ星まで外部観測時間で二十六冬眠サイクル掛かる。貞子が思っている通り、これは時間的自殺だ。帰るつもりは無かった」
炭酸水を少しずつ飲みながら、シーリアは宇宙に出た経緯を告白した。
二十六冬眠サイクルは四十年ほどに相当する。
亜光速でスリップゲートを抜ける航海者達は相対論的な時間圧縮効果を受け、さらに航行中はコールドスリープするのでほとんど歳を取る事は無い。
一度宇宙に出てしまうと、航海者は孤立してしまう。
それほどまでの犠牲を払って、シーリアは天の川銀河に何を見出したのだろうか。
「キリテ星は、当時一番遠い星だったんだ。キリテ星の軌道上で働いている時、地球開星の話を聞いて入星を目指した。端っこだったから来たんだ。母星イイルドナイラ星も小マゼラン雲の端っこだからね」
シーリアは私の心を読み取って、疑問に回答する。
「悲しい事を聞いてごめん……」
「いいよ、いつかは話さなきゃ」
彼女はコップの炭酸水に目を落として、心なしか元気が無い。
「地球で暮らすつもり?」
「貞子も居るしね」
シーリアはそう言って、顔を明るくした。
ふわっとした気持ちだけれども、シーリアと一緒に暮らすのも良いかも知れない。厚生労働省としてはスキャンダルだし、それにまつわる様々な覚悟まで出来ていた訳では無いけれども。
「代わりに貞子の悲しい話も聞きたいな。ここの仕事と関係が有るんだろう」
「そう、話さなきゃ」
シーリアにとってはお見通しだからこそ、私は話さなければ成らない。
☆★☆
今を遡る事一月半前。
私が厚生労働省の本庁に居て、雪江のクリニックでパートをしていた頃の話。
国会閉会中で残業も少ないので、早めに帰宅準備に入った。
ロッカーからスマートフォンを取り出すと、電池が虫の息だった。
大量のTwitterダイレクトメッセージと、留守番電話。
――加島 美智子!
Twitterの発信元は、雪江のクリニックにおける私の担当患者だった。
患者にTwitterばれしている時点で精神科医失格であったが、それはともかく彼女に何か有った事は間違い無い。
モバイルバッテリーを繋ぐと、まず電話の方に折り返す。
電話の宛先は茨城県警水戸警察署だった。
私は目の前が暗くなる。
思い出した、今日、加島 美智子は大洗に行くと言っていた。
―― 『明日、九十九里に星を見に行きます。晴れるのを祈っていてくれますか』
―― 加島 美智子は屈託の無い笑顔を私に向ける。
―― 『大丈夫、晴れる』
―― 安請け合いして、私は診察室から彼女を送り出した。
「加島さんは自殺を図って現在意識不明の重体です。羽黑先生にも来て頂く予定ですが、直接の担当医の方が望ましいです」
茨城県警の担当者は、電話先で淡々と語る。
「雪江が? ええと、どこに行けば良いですか」
「大洗の○○総合病院に入院しています。そこにお願いします」
私は霞ヶ関から千代田線に乗り、常磐線に乗り換えて大洗まで辿り着いた。
その道中、加島 美智子からのダイレクトメッセージを読む。
――『先生、星は私には瞬いてくれなかったみたい』
彼女は雨に降られて、星空が見えない事に絶望したのだ。
しかも私に救いを求めながら、安請け合いを一回も責めずに。
「ごめんなさい」
私は常磐線のボックスシートの中で涙を流す。相席の男性客が敬遠して席を立った。それから私は遠慮無く声を上げて泣く。
私は彼女の臨終にも間に合わなかった。
「先ほどお亡くなりに成りました」
病室の前で看護師はそう言う。
安らかな死に顔をしている。雪江のクリニックで最後に見せたような笑みだった。
病室から見た大洗は晴れ渡っている。太平洋に沈む星空が窓一面に瞬いていた。
「意識は有ったの?」
私は病院の看護師に聞く。
「明瞭な意識は無かったと思います」
「そう」
私は病室のカーテンを閉めた。
「なんで待ってくれないの」
私は悲嘆を漏らす。
そして病室の椅子に虚脱状態で座りながら、雪江と茨城県警の訪問を受けた。
☆★☆
「加島 美智子は、夜空が晴れるか否かに自分と世界との関係を賭けていた。彼女が綱渡りのロープを歩いていた事に貞子は気が付いていたんだろう」
シーリアはそう詰問する。
彼女は心を読んでいるのだから、事の把握としては間違い無い。
「彼女が喜ぶ顔が見たくて、成功体験だけを賞賛してしまった。私は医者に向いていない。患者に同情するのは仕事では無いはず。だから観察官の仕事を自ら……」
私は言葉に自戒を込める。
「失敗は改めれば良い。貞子は悲しみを癒す仕事をしていた。ならば自らも悲しくなる」
シーリアはコップをテーブルに置くと、窓の方に目を逸らした。
「〈デアクス〉霊媒医師も悲しみを癒すのが仕事。悲しみを引き受ければ自らが悲しくなる」
シーリアの口調に明確に悲嘆が混じる。
「シーリア……」
「悲しみを分かち合う〈デアクス〉の仲間が居なくなれば辛くなる。近代化に追い詰められて、私は仲間を見捨てて逃げ出した。今は〈デアクス〉復興運動も行われたけど、私は逃げた〈デアクス〉だから、帰る場所はイイルドナイラ星には無いんだ」
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