小マゼランの小悪魔

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第一話 小マゼランの小悪魔

公開日時: 2020年10月21日(水) 17:00
文字数:4,617

 「身分証をご提示ください、先生」

 私は厚生労働省の有明合同庁舎に車で入ろうとして、駐車場の門衛に止められた。


 門衛は私が白衣を着ているから先生と呼ぶのだろう。医師には違いないのだが。

 車の窓を開けると、真夏の熱気が車内に流れ込んで来た。


 「厚生労働技官 しろ 貞子、今日からここに常勤です」

 助手席に置いたハンドバッグの中から身分証明書を探し出すと、右腕で突き出す。


 門衛は棒状の器具でそれをスキャンすると、手元のタブレットで私の身分情報と照合した。

 「城先生、連絡が来ています。厚生労働省異星人観察所にようこそ」

 門衛はそう言うと身分証明書を返却する。


 私は返して貰った身分証明書を首から掛けて、車の手動ブレーキを外した。

 車は自動的にエレベーターゲート前まで行くとそこで停止する。


 私はする事も無くハンドルに前のめりに乗って空を眺めた。

 明るい光の筋が西から上り、東の空に走る。


 「観察対象を乗せてきた恒星間貨物船は、あれ?」

 復習のため、トートバッグからiPadを取り出した。

 「天の川銀河イニシム船籍の貨物船、88-イルグーシン、キリテ星から外部観測時間で八年」


 今日は、西暦二〇五六年七月三日月曜日だ。

 十二年前、地球は乙女座超銀河団星系間国家連合の準加盟星系となった。

 人類は突然異星人の実在を知り、準備も整わない内から彼らの使節団との交渉を強いられた。


 地球統一代表を選ぶ会議は紛糾し、受け入れ可能な主要国だけが星系間国家連合との間に個別に外交条約を結んでいる。

 不平等条約という訳では無い。しかしテクノロジーや軍事力の格差が大きすぎて実質的な保護下に有ると言うのが正しいだろう。


 そうしている内に、エレベーターゲートが開いて車を駐車場に案内する。

 

 「通勤に車が使えるのは楽」

 私は車のシートに深く座って、申し訳程度にハンドルに手を添えた。

 霞ヶ関の本庁舎に電車で通勤する事に比べたら、それはもう楽である。最もこれから四十日間は通勤する必要さえ無いのだが。


 地下駐車場内ビルゲートで降りると、車は指定された駐車場所に自動的に走り去っていく。


 「あの時、車が使えれば間に合っていた? いや、今言っても仕方が無いか」

 私は半月前の事を思い出して、独り言ちた。


 異星人観察課は、このビルの四階と五階の二フロアに入っている。ビルゲートを通過すると、勤務場所である四階に直行した。


 「えっ……ええと、城先生ですよね。随分お若い。わ、私は……い、異星人観察課の課長補佐、高木 民樹です」

 「技官の城 貞子、これでも三十路です。今日からよろしくお願いします」

 初めて会う上長と朝の挨拶を交わすも、課内が何故か慌てている。


 「何か有りました? 観察室の異星人はどうですか?」

 私は騒然とした雰囲気の説明を課長補佐に求めた。


 「それが、先生、彼女はまだ起きていなくて」

 「中に入って起きるまで待ちます」

 「いえ……後、打ち合わせが。それに栗原課長がまだ」

 課長補佐が露骨に狼狽え始める。


 「必要なら、打ち合わせをしましょう」


 こういう時、官僚と言うのは何かを隠したがっているのだ。私は構わず観察室に入る事にする。

 課長補佐はまだ何か言いたそうだったが、無視して観察室に向かった。

 私は翻訳機を首に掛けて、観察室のゲートに身分証明書を提示する。


 「城先生どうぞ。私には先生の通行を妨げる権限は有りません」

 ゲートの門衛は身分証明書をスキャンする事も無く、錠を解放した。私は扉を開けて観察室の中に入る。


 観察室は、異星人観察のために特別に設計された居住施設だ。

 南側全面が調光ガラスによる窓になっておりカーテンやブラインドは存在しない。

 二つの寝室・バスルーム・トイレが有り、リビング・ダイニング・キッチンは共用だ。豪華に作られており、一流ホテルのスイートルームに匹敵する。


 「地球人は見栄を張り過ぎ」

 私は、室内を見渡してその贅沢さに呆れた。


 起こすのは悪いとリビングで待つつもりだったが、異星人はそこで寝ている。

 異星人、名前を日本語に音写するならばシーリア・クズネフォーリと読む女性の異星人は、裸のままソファーに丸まっていた。


 「私好みの娘。人間とあまり変わらないなら播種種族の一つ?」

 私は美しい彼女の容貌とグラマラスな肢体を眺めて、眼福がんぷくを楽しむ。主観年齢は二十代後半だろうか。

 星系間国家連合を構成する種族の九十八パーセントが同一の始祖を持ち、多少の受精卵操作で繁殖可能な子孫を作る事が出来る。

 遙かな昔、始祖種族による播種が原因であり、結局は同一性が超銀河団においても国家を結束させているのだ。


 趣味の悪い事だが観察室の全ての行動は録画されている。

 私は彼女にブランケットを掛けると、キッチンに移動した。


 キッチンには、地球が星系間国家連合に輸出している高級嗜好品がほぼ完備されている。


 「オレンジペコ、こんな所に有ったの」

 私は薬缶でお湯を沸かすと、市中では手に入らない高級紅茶の缶を開けた。

 ティーポッドに茶葉を入れ湯を注ぐと、トレイに載せてリビングに戻る。


 物音に気が付いた異星人シーリアは寝ぼけ眼で、ソファーに座り直した。その拍子に掛かっていたブランケットが落ち、彼女は上半身裸になる。

 豊かな乳房が東からの陽光に揺れ、私の目は思わず釘付けになった。


 「○※△?」

 知らない言語だが、美しい響きが彼女の口から漏れる。


 「こ、紅茶を入れるから」

 私はソファー前のローテーブルにトレイを置くと、ティーカップ二つに茶色の液体を注いだ。


 「□◇◎※○」

 彼女はティーカップをトレイから持ち上げて、猫がする様に舌で飲む。

 目を細める彼女の横顔には入れ墨が入っていた。


 「○○※、シーリア・クズネフォーリ・デアクス。デアク・シーリア、☆◎※」

 彼女の言葉は自己紹介の様だが、翻訳機無しでは理解出来ない。


 「デアク・シーリア、ポイチル・セアン・ベイ・貞子、デミア・城、トール・ミラタ(デアク・シーリア、私の名前は貞子、姓は城です。医師をしています。)」

 取りあえず、彼女は称号付きでデアク・シーリアと呼ぶようなので片言の乙女座超銀河団共通プロトコル言語で返事をする。

 これは星系間国家連合における外交・軍事・商業用の共通言語だ。


 「???、貞子。デアク・貞子」

 彼女は少し考え込んだ後に、シーリアと同じ称号を付けて私を呼び返す。

 〈デアク〉とは何であろうか?

 私は首に掛けたスティック状の翻訳機を手に取り、手動設定を試みる。


 「!?、トレアゾ(翻訳機)」

 シーリアは、飲み掛けのカップを机の上に置くと、全裸で立ち上がった。

 昨晩からの録画の閲覧権限を男性職員から剥奪するべきだろう。


 「イ・トレアゾ? ポイチル・ギム・トレアゾ・ム(翻訳機? 私も翻訳機を探す)」

 私は共通プロトコル言語で喋りつつ、シーリアの左手を掴んで落ち着かせた。

 シーリアは共通プロトコル言語が得意では無い様で、一瞬キョトンとした顔をする。


 「??、!!貞子! トレアゾ! トレアゾ……☆◎☆○」

 直ぐにシーリアの表情が和らいだ。そして私の左手を握って上下に振る。


 「こういうのは灯台下暗し、手近に落ちてるものだから」

 私は周りを見渡すと僅かに飛び出したストラップを手がかりに、ソファーの隙間に手を差し入れた。

 指先に触れる冷たい金属の棒をつまむと、それを引っ張り出す。


 「トレアゾ!」

 シーリアは大喜びで私を後ろから抱くと、ソファーの上に押し倒した。

 服越しにも伝わる湿気を含んだ暖かさが、私の背中全体を圧迫する。


 「シーリア!ちょっと待って。録画されている」

 それ以前に、私の理性はもう崩壊寸前だ。


 私は、シーリアの胸の中で向き直ると、二つの翻訳機を軽くぶつける。これで自動ペアリングの完了だ。


 「シーリア、滅多な事をしないで」

 「シーリア、○☆※△△◎★◇※」

 私の囁きは、そのままの声色でシーリアの母国語の囁きとなり首から掛けた翻訳機から発声される。

 去年の調達価格でスマートフォン一台の値段より安い翻訳機は星系間国家連合の公用では無く民需品だ。

 しかし高さ五センチ、直径一センチのアルミニウム製の円筒はオーバーテクノロジーの塊であり、地球製のいかなる翻訳ソフトウェアより性能が高い。


 「○☆※△△◎★○?」

 「滅多な事をすると?」

 シーリアの挑発も同様に、彼女の母国語から日本語に変換されて、そのままの声色で発声される。


 「今好きですと言われたら、そのまま私も好きになる」

 「△⊂∀◎○□※◎★※△、☆□◇★※◎⊂∀※○◎☆」

 私はシーリアの戯れを冗談でなそうとした。


 「※☆、★*□□※○。⊂∀◇※◎★●◎△△◎◇?」

 「後、一押しなんだ。好きと言われたら嬉しい?」

 シーリアは、一段と小声で囁く。


 「嬉しいけど、後悔しないのならば」

 「※◎★□●、◎△△◎◇◎※○□」

 本当は既にシーリアを惹かれ掛けていたし、その事について後悔していた。

 私は恋愛が長続きした事が無い。難儀な性癖のせいで、どこかで私が躊躇して終わってしまう。

 

 「後悔しないなんて、それは無茶を言ってるよ」

 そう指摘してシーリアは私に身を預ける。彼女の体重が私に負ぶさり、ソファーが深く沈み込んだ。

 

 「シーリア、そろそろ仕事をしていい?」

 「いいよ、貞子。このままでなら」

 しかたなく、私は彼女の長髪に手櫛を入れ翻訳機を首に掛けてあげる。


 「Hey Siri、異星人観察アプリケーション起動、本人確認シーケンス、名前はシーリア・クズネフォーリ、肌の色は白、髪の毛は茶色」

 私は、トートバッグに入れたまま、iPadの業務アプリケーションを起動した。

 「厚生労働省異星人観察官、城 貞子を認証しました。異星人観察アプリケーションを起動しました。肌色と髪色は合致しています」

 「虹彩円形、瞳孔円形、虹彩の色薄紫」

 「全て合致しています」

 「機械部品の装着は確認出来ず」

 「合致しています」

 「頬、鳩尾みぞおち、腰に入れ墨有り」

 「頬に茶色の入れ墨、胸部、腰部の入れ墨については記載無し」

 「女性型、身長は百六十センチ程度、体重は重たくは無い」

 「遺伝子型、表現型女性、百六十二センチメートル、五十八キログラム」


 「それはどうも、本人と確認出来た?」

 シーリアは自分の身体的情報に照れて、僅かに目を逸らす。


 「地球にようこそ。

  シーリアは小マゼラン雲イイルドナイラ星から地球への初めての来訪者なので、乙女座超銀河団星系間国家連合と日本国との外交条約に基づき観察の対象となります」

 私はシーリアに、観察の開始を宣言した。

 「分かった、観察者は貞子という訳ね」

 「四十日間の観察期間、共同生活を行い問題なければ入国を許可します」


 乙女座超銀河団には数万種の人型種族が居る。遺伝子多様性はさほどでは無いが、身体的差異や食習慣、風習、法律は様々であり種族間トラブルの元になる。

 大気や微細塵への感受性の違い、アルカロイド分解酵素の有無、食のタブー、武器携帯の風習、身分制から来るトラブル。

 臭気や洗濯などの公衆衛生や、服装や性に関する習慣と、公序良俗間の軋轢。

 地球は知識データベースが未整備であり、実際に確かめるしか無い。

 それが観察制度である。


 「そうだ? 地球は性的に厳格?」

 シーリアがことさら翻訳機同士を近づける。


 「部屋の中なら特に問題は無い。外では脱いじゃ駄目」

 私は少し考えてから答えた。

 外で監視カメラを見ている課員には刺激が強すぎたかも知れないが、別に観察官と性交に及んだ訳でも無いので、問題と言うほどの事は無い。


 「無重力服はきついのが多くて」

 「なら、地球製のゆるい服を用意する」

  私はシーリアに約束する。

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