夏季休暇に入る直前、イリアの謹慎がとけて学園に戻ってきた。
あの傲慢だったイリアも今回の事件で懲りたのか、おとなしくなっていた。
「ごきげんよう!イリア嬢」
教室に入ってきたイリアに声をかけたのは、いままでイリアにくっついていた令嬢たちではなく、私だった。
あれから、教室の情勢はかなり変わってしまった。
イリアに媚び諂う人間は、いなくなってしまったのだ。
それどころか、腫れ物に触るかのような雰囲気すら出ている。
そんな中、被害者である私が話しかけ、加害者であるイリアの反応をみんなが固唾をのんで見守っていた。
一応、私も加害者でイリアも被害者であるのだけれど……そのことはみな忘れてしまったのだろうか。
王室と筆頭公爵家からの私に対する対応の抗議が、爵位の順番を重んじる貴族社会での順番を逆転させたようだ。
「……ごきげんよう……アンナリーゼ様……」
「イリア嬢、あまりご機嫌ではありませんね。そうだ!
これね、ハリーが休んでいる私のために作ってくれたノートなんだけど、そのあとの分も私が
まとめて書いてあるから、使ってね!」
イリアが、謹慎中の分のノートを渡すと、弱々しく笑い手渡したノートを見つめていた。
「ねぇ?イリア嬢、私の背中の傷はすっかり治ったわ!
イリア嬢は、もう私に対して何も思うことはないわよ!」
「そう……治ってよかったわ……」
ヒソヒソという話声が、私達の後ろから聞こえてくる。
イリアに苦汁をなめさせられていた者たちは、決して少なくないのだ。
最たるは私なのだが、苦汁をとは思っていなかったから、イリアに声をかけられた。
私の横にハリーが来る。
「イリア……」
「みじめな私を笑いにきたのですか?ヘンリー様!」
「そんなことはしないよ。今なら、君の気持がわかるから……君が、もし、やり直すというなら、
僕は手を貸そう。もちろん、アンナも君に手を貸してくれるはずだ」
ハリーの言葉に私は頷く。
「公爵家の人間として、それに相応しい人間として、一緒にやり直さないか?」
イリアの目からは、涙が零れる。
次から次へと……音もなく。
ハリーに抱きつきたかっただろうが、先に私がイリアを抱きしめてしまった。
今までなら突き飛ばされていただろが、しがみつくようにイリアが抱きついて本格的に泣き始める。
嗚咽が漏れてくる。
チラッと隣にいるハリーを見ると、妹でもみるかのような優しい顔でイリアの頭をなでていた。
私もよしよしと背中をさすると、落ち着いてきたようだ。
教室では、そんなイリアを憐れに思う生徒がたくさんいたようだ。
私は、思い出す。
昔は、私がイリアにしがみついて泣いていたな……と。
無鉄砲な私は、よく木登りをして落ちたり、追いかけっこして転んですりむいたり、お気に入りのドレスを破いたり……それはそれは……お転婆だった。
ウィルに言わせれば、今もお転婆は変わらないらしいが……少々のことで泣くことはなくなった。
あのころは、かなりの黒歴史なのだが、その度に、私は自分が悪いのに泣いていのだ。
そんな私を慰めるのは、イリアの役割だった。
もちろん、殿下とハリーは、周りをどうしたものかとうろうろするだけで、今も変わらず役立たずだ。
イリアと私は、殿下の妃候補として5歳のときに出会った。
出会ったときのイリアは、令嬢とは妃とはとすでに厳しく教育されていて、こんなお転婆な私を素敵な令嬢として導いてくれようとしていたのだ。
なので、小さい頃からイリアにはよく叱られた。そのことを疎ましく思っていたのも事実。
殿下とハリーとでイリアには内緒で街に出かけたりしたものだ。
言うことを聞かない私には、イリアもかなり手こずっただろう。
イリアは、公爵家の人間として、令嬢としての矜持が高すぎただけなのだ。
無茶苦茶な私に振り回されている殿下やハリーの仲間に入りたかったけど……プライドが許さなかった。
殿下の妃になれるようにと両親からのプレッシャーもあっただろう。
それが、自由奔放な私への恨みとなった。
自身の恋心を知って、ハリーの気持を知り、ハリーに相手にされている私にも嫉妬していたのだ。
嫉妬がイリアを狂わせていく。
いつしか、ハリーへの恋心を持つイリアと私の間には深い溝ができてしまった。
学園でのお呼び出し、お茶会での嫌がらせ、今は、お友達とはとても言えない人たちといろいろあった。
それになんの反応も見せない私に腹もたったことだろう。
あのお茶会は、沸点をゆうに超えていたイリアの心を開放するにはちょうど良かったのかもしれない。
令嬢としては、褒められたことではないが、私もそれ以上に規格外のことをしているのだから……おあいこである。
イリアは、ハリーの言葉を聞いた瞬間、今までの心の澱が取れたようで、私とハリーを見つめる。
すべてではないだろうが、少しだけ心に余裕ができたように見える。
「イリア嬢、改めて……お友達になってくれないかしら?」
私の提案にイリアは頷く。
「よろしくてよ、アンナ。元々、あなたは私の幼馴染なのですから」
涙を拭いてこちらを見るイリアの目は、腫れぼったい。
私が溢れる涙を親指で拭うと、イリアはニッコリ笑い返してくれる。
「もう、私はあなたに振り回されてあげないわ!もちろん私自身の嫉妬にも。
だけど、公爵家の令嬢として、私は私でありたい!」
「そうこなくっちゃ!!イリアは、私の教育係ですものね!」
そう言って、二人は笑いあう。
「そうね……私は、あなたの手本になる!と小さいときに誓ったのよ。
全くいうことを聞かないアンナが憎たらしくて……ヘンリー様と二人で街へ出かけて行く姿も
羨ましくって……誓いのこともすっかり忘れていたのね……」
「ふふふ。これからを楽しみにしているわ!」
手を取り合い、イリアとこれからを想い笑いあうと、隣で微妙な顔をしているハリー。
「盛り上がったところ、悪いんだけどさ……君たち二人揃うと……ちょっと……怖いな?」
「ハリー!どういう意味?」
「ヘンリー様、どういうことですの?」
私とイリアの声が重なる。
「まさに、そういうところだ……」
少し離れたところで、私達二人の成り行きを見守っていた殿下が、ぼそっとこぼしたのだった。
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