夏の終わり
気が付けば蝉の声が聞こえなくなっていた。
いつ、私の世界から蝉がいなくなったのだろう。私は止まない雨と下がっていく気温に落ち込まされたり忙しない気分にされるばかりで、あんなにも煩わしく思っていた蝉の声が聞こえなくなっていたことに、今の今まで気が付かなかった。
喉元過ぎれば熱さ忘れる、そんなことわざを引用したいような気分。
煩わしいと思っていた蝉の声も、聞こえなくなってしまえばどこか寂しさを感じる。今までいた生き物がいなくなってしまったということに哀愁を覚える程度には私の心は多感で、嫌いだったものに何かを感じてしまう程度には情があるらしい。
秋から冬にかけて世界が寂しくなるのは、きっと蝉の声が聞こえなくなるからなんだろう。
人生を何年かやってきて初めて気付いた一つの答えが、私が蝉に対して感じた気持ちを増幅させる。本当に小さくてささいな、どうでもいいような気持ちに色を付ける。
あのぎらついた夏を作っていたのは蝉なんだなあ。
射抜くような太陽の光、灼けつくような熱、肌に纏わりつく湿気、目が痛くなるような鮮やかな緑、けたたましい蝉の声。
眩しくて騒々しくて、夏の存在感は強い。だけど、しばらく続いた雨に流されてしまったように、あれだけ強い存在感を出していた夏はどこかへ消えてしまった。蝉の声と一緒に全部消えて、真昼の太陽に照らされた世界が、とてもとても静かになった。
安らぎと寂しさが同居した昼下がり。呼吸がしやすい粘度になった空気を少し多めに吸い込んで、私は冷蔵庫から冷えたジュースを取り出して口に含んだ。
夏の間に、冷たい、という感覚に付随していた気持ちよさが消えていることにまた少しの哀愁を覚えて、私は感傷的になった私の心を笑った。
さよなら、蝉の声。
こんにちは、甘くて暖かい紅茶。
今年の思い出をきちんと胸に融かしてから、私は冷蔵庫の扉を閉めた。
とりあえず、やかんを洗おう。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!