今日は薬の仕入れに来ています。
先日イオリさんが娼館の人達を片端から一人残らず、ママさんまでお相手してお店が絶賛休業中だそうで……腰を痛めているので湿布薬をという注文を受けての事。
ギルドで薬の取り扱いや製造をしている人を捜したところこの街には専属の薬師がいると聞いたのだけれど……。
「ここか……」
少し苦い表情をしたギルド職員から貰った手書きの地図を片手に件の家に着いたのだけれど……先日タカヒサさんのところに顔を出した家のすぐ近く。
つまりスラム街の一角に居を構えていた。
まぁ理由は大体わかる。
薬師というのは調薬をしているわけで、分量を間違えると毒になるようなものも珍しくはない。
それが摂取することで効果を発揮する物ならまぁ許容範囲だが、たいていの場合揮発する。
つまり空気に溶け込んだ毒が周囲一帯にばらまかれる可能性が高いのだ。
結果、薬師という職業の人間は大抵の場合調薬専門の建物をスラムや街外れに構えて住居は別という事が多い。
だというのにこの街の薬師は住居兼調薬場としてスラム街に住んでいるというのだ。
もうね、この時点で変人確定なわけです。
スラム街で貴重な薬を取り扱う危険性というのは言うまでもなく、薬師は希少性から儲かるわけでして……家には金目の物がごろごろ。
周りには飢えた獣で目の前には美味しいお肉ともなれば、ねぇ。
たぶんタカヒサさん辺りが制御しているんだろうけれど、スラム街なんてのはそこに身を落とさなければいけなかった人以外にもただのごろつきとか人攫いとか、そういう危険な人もたくさんいるのだ。
そして今こうしてみている限り見張りや護衛の一人もいない。
いつどこから襲われるかもわからない、美味しくいただいてください状態なわけだ。
だというのにこの近辺には人がいないわけでして、例えば貧乏な人のためにとかそういう崇高な人ならもっと人望があって、人だかりとまではいかなくとも誰か氏らがいてもおかしくはない。
それもなく、ただそこにポツンと放置されているという事は……まぁ危険人物扱いなんだろうなぁ。
なんかこの街の異常性に慣れてきている自分が嫌だ……。
「すみませーん、商人のエルマと言います。サディさんはいらっしゃいますかー」
ドアをドンドン。
しかし返事がない、物音はするが出てくる気配はない、ただの居留守のようだ。
「サディさーん、出てこないとタカヒサさんに言いつけちゃいますよー」
ガッタンドッタンバッタンと中で転げまわるような音がする。
でも出てくる気配はない。
……何かあったのかな?
「入りますよー」
無作法だけど鍵が開いていたら入ってしまおう。
そう考えてドアノブをガチャリ。
鍵なんてものはついてないと最初から分かっていたけどね。
「サディさーん? 」
「……ご……ごが……」
「こっちかな? 」
ひとまず声のした方に向かって歩いていくとドアがあった。
中からうめき声やら暴れる音が聞こえる。
……これは本格的にタカヒサさんを呼んだ方がいいのかな?
強盗とかだったら私の身も危ないし……でももしそうなら声を張り上げて名乗った時点でアウトだから顔くらいは見ておいた方が安全だよね。
そう言い聞かせてドアを少しだけ開ける。
「あ……あぁ……ぁ……」
中ではぴくぴくと痙攣する男性が一人。
他に誰もいないし人が隠れられるような場所もない。
窓もはめ殺しで完全な密室だ。
おやおや? これは私の灰色の脳細胞が活性化するときですかな?
ふーむ、被害者はサディさんと思われる人物。
腕には注射痕がある。
ただしこの部屋には何も置いていないようなので、おそらく別の部屋に保管されていた毒薬を注射されて生死の境をさまよっている……と見るべきか。
だとすると犯人は……毒の種類がわからない以上なんとも言えないけれど、遅効性の物であれば既に逃げ出しているはず。
ただ打撲の跡などが見られないから、気絶させてここに詰め込んだわけじゃないはず。
縛られた様子もないから即効性の毒である可能性が高い。
つまり、犯人はこの中にいる!
……あれ、これ一番疑われるのって第一発見者の私じゃね?
…………………………よーし私は何にも見ていなかったぞー。
回れ右して酒場で安いエールを飲んで宿で惰眠をむさぼることにしようそうしよう。
「うぶっ」
残念回り込まれてしまった。
というわけではなく回れ右をしたら何か柔らかいものにぶつかったのだ。
えーと?
「「どちら様? 」」
ハモった。
見ず知らずの、えーと割とイケメンだけど青白い肌と長く伸ばしすぎた髪、痩せこけているこの人は……犯人さん?
「命ばかりは……」
三歩下がって地面に頭をこすりつけて命乞い。
ふふふ、商人たるもの土下座くらいは極めているのだ。
自慢にならないけど。
「おいおい……いきなりなんだよ……」
「あの……サディさんみたいに私にも毒を打つのは辞めていただけませんか? 」
「は? サディ? 俺毒なんか打ってないけど」
「え、でもこの人の症状って明らかに……」
「あぁ、こいつには打ったよ。そういう契約だから。でも俺には打ってないぞ」
……ん? なんか話がかみ合ってないな。
「えーと、この男性のお名前ってなんです? 」
「さぁ? そこら辺で管巻いてた暇人だから名前までは知らねえ」
「ではあなたのお名前は? 」
「サディだ、あんた一体何者だ? 物取りじゃなさそうだし」
……OK、大体わかった。
この人酷い人だ。
「えっと……改めまして商人のエルマです。お声掛けさせていただいたのですが、人が暴れているような音が聞こえたので勝手ながら上がらせていただきました……」
「あぁ、あんたが最近噂の」
え? 私噂になってるの?
なんで?
「あの、噂とは……」
「常識外れのエンチャンター、カリンを護衛にしてたこと。街の汚点とまで言われたドリアに資金援助して街から追い出したこと。気難しい事で有名なタカヒサと仲良くなったこと。ヨートフに平然とした態度をとれること。イオリから逃げ切ったこと。どれも伝説級の偉業だと一部界隈で有名になってる」
「……マジですか? 」
「マジ」
まぁ……悪い気はしないけどさ。
商人って噂の中心にならない方がいいっていうジンクスがあるんだよね。
ジンクスというか、先人の知恵。
有名な商人はそれだけで金を持っていると判断されて方々から狙われることになるから。
「ところで、何の用? 」
「あ、湿布薬の注文に来ました」
「あーはいはい、ママさんとこのね。イオリが暴れたって聞いたからそうなるんじゃないかなと思って用意してたけど本当に来るとはね」
「それとヨートフさんに精力剤を売りつけようと思っていました」
「それならいいのがある。一晩中女を抱いてもまだまだ元気でいられる代物だ。副作用でしばらく性欲が死滅するけど」
「じゃあそれをいくつか」
「おう、用意してやるよ」
ふむ、なんか久しぶりにまともな商売している気がする。
ここ最近変な人ばっかり見てたからなぁ……。
と、後ろで悶えている人から目を背ける。
「っと、その前に時間だな」
そう言ってサディさんはいま目をそらしたばかりの男性の首に手を当てて脈を測る。
同時に口元に手を当てて呼吸回数を数えているようだ。
そして注射器で採血も忘れていない。
「うし、じゃあこれで実験は終了だ」
ぷすり、と注射を腕に打ったサディさんは壁際で煙草に火をつけながら男性の様子を観察していた。
そして煙草が燃え尽きる頃、男性はガバリと起き上がった。
先程まで死にかけるほど苦しんでいたとは思えない勢いでだ。
「やぁおはよう。気分はどうだ」
「……最悪の気分だが、不調はねえよ」
「それは重畳、苦しかったか? 」
「本当に死ぬんじゃねえかって思うくらいにはな……」
「まぁ実際あと一時間もすれば死んでいたのは間違いないからな。今日は此処に泊まっていけ。夕食と明日の朝食も用意してやるぞ」
「……いや、飯は遠慮しておく」
「そうかい、じゃあ食事代として賃金を上乗せしておこう」
そう言ってから採血したばかりのそれを片手に鼻歌交じりに家の奥へと進んでいった。
どうしたものか、と思いながらもその後に続く。
「あの、さっきの男性はいったい……」
「毒薬を作ってみたんだが、だれか良い被検体はいないかと思っていたところに彼がいたんだよ。で、毒と解毒薬を試した」
「人体実験ですか」
「モルモットを買う金ももったいないからね」
……いや、人間使う方が高くつくと思うんですがそれは。
というかそこら辺の冒険者に頼めばネズミくらいならダース単位10ゴールドで納品してくれると思うけど……。
という事はあの人への賃金もその程度ってことなのだろうか。
「ちなみに、死んでいたらどうするつもりだったんですか? 」
「え、スラムで人が死んでると何か不思議? 」
……酷い人だ、どころかやばい人だ。
この人がスラムで暮らしてるのこれが原因か……。
久しぶりに真っ黒い悪を見た気がする。
なんだかんだで新月派のヨートフさんは信念のある悪人であり、その心には光る物を秘めていた。
タカヒサさんはもっとわかりやすい。
というよりは信念の塊みたいな人だからあの人は立場上悪と言われているだけで実際は善人だ。
だけどこの人は、根っこから悪に染まっているタイプだ。
商人としてはあまりお付き合いしたくない方面の人かもしれない。
「えーと湿布と精力剤……どこにやったっけな……お、あったあった」
「随分多いですね……」
「イオリが店に出るって話も聞いてるからママさんにも売りつけるといい。それなりの値段で買ってくれると思うぞ」
「はぁ……あの人お店に出られるんですか? 」
「3人腹上死させた伝説の女ってキャッチフレーズで売り込んでるんだよ。俺の予想だと今月中に4人目が出そうだがな」
「……勘ですか? 」
「いんや、確信。来週に性欲におぼれた貴族がこの街に遊びに来るって話を聞いたんでな」
あぁ……死ぬなぁ。
貴族の世界で性豪で知られるというのは悪い事じゃない。
それだけ子供を作れるという事であり、つまり跡継ぎ問題に困らないという事だから。
ただそれだけの名声を手に入れるには相当女遊びを極めないといけないわけで、例えば側室が10人超えているとか、国内で行ったことのない娼館は無いとか、下は5歳上は80歳まで行けるとか、そういう実績が無いとまぁ埋もれるわけでして。
3人殺しのイオリさんを満足させればそれだけで名誉を手に入れる事はできるんだろうけど、文字通り命懸けだからなぁ……。
「というかそんな情報どっから引っ張ってきたんですか? 」
「薬師は貴族が来訪するとき伝書鳩とかで伝えられるんだよ、持病の有無とかでな」
「ほほう、それはいいですねぇ……せっかくだからその貴族が死ぬ前に少し稼いでおきますか……」
「お、悪だくみしてる顔だな」
「ふむ……さっき言っていた精力剤、効力弱めた物って作れますか? それと性病防止の薬」
「できるぞ」
「作ってください、その貴族に売りつけてメインディッシュは最後にと散財させてからイオリさんをあてがいましょう」
「ほう……なるほど、それなら確かに街に金を落としてくれるな……」
「私の懐が潤う、サディさんも潤う、娼館も潤う、宿屋に飲食店も潤う、みんな潤って貴族だけ死ぬ。どうです? この筋書き」
「ふふふ、お主も悪よのう……」
「いえいえ、貴方ほどでは」
本当にな。
この人自分の欲求を満たすためなら何でもするタイプだと思う。
でも自分の利益になるなら貴族だろうが王族だろうが利用するタイプ。
今回上手く乗せられたから、あとは裏切られない事を願うばかりかな。
下手に密告とかされたら私の首が物理的に飛ぶ。
「とりあえずその貴族向けの薬は適当に作っとくから、それ代金置いて持って行って」
指さされた湿布と精力剤の詰まった箱を見て一つ手に取る。
湿布薬はミントの葉も混ぜているのか清涼感のある匂いがする。
ふむ、これならそれなりの値段で買い取ってもいいかな。
「金額交渉ですが……」
「面倒だから全部まとめて1000ゴールド、これ以上の値引きはしないよ」
「安すぎます、見合った対価をという事で1500ゴールドお支払いします」
「……いいのかい? 」
「正当な対価は正当な仕事に対して与えられるべき、それが商人の鉄則です」
「商人のねぇ……安く買いたたいて高く売るのが仕事だと思ってたけど」
「高く売るの部分は否定しませんけどね、無意味に値切って信頼関係まで損なう商人は三流にも至らないカスです」
ごくまれにそういう屑商人が現れるんだけどね。
だいたい一年もたずに死ぬか店をたたんでいる。
ぶっちゃけた話、商人なんていなくても生産者と消費者がいれば商売というのは成り立つものだから。
その間に入って流通を手伝うのが私たちの仕事。
それを勘違いすると痛い目を見る事になる。
「ふーん……タカヒサが気に入るわけだ。わかった、あんた相手なら今後も仕事受けてやるよ。清濁併せ吞む覚悟もできている人間みたいだしね」
「それはどうも、お褒めに預かり光栄です」
「皮肉も飲み込めるとなれば重畳、俺は性格が悪いんでな」
「その程度の性格の悪さ、私の人生のうちでは清い方ですよ」
「……あんた若いのに苦労してるんだな」
「件の噂思い出してください、この街にきてまだひと月経っていないのにそれだけの事態に巻き込まれているんです」
「……本当に苦労してるんだな」
本当だよ。
というかここ最近、カリンさんに会ってから妙な運が取り巻いている気がしてならない!
あの人私の私物に勝手にエンチャントとかしてないだろうな!
「精力剤は今度取りに来ますので、今回の分のお代と精力剤の前金で合わせて2000ゴールド置いていきますね」
「前払いまでしてくれるとはな。ますます気に入った」
「それはどうも」
こうしてサディさんとの顔合わせは無事終わったのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!