裏腹なリアリスト

篠原皐月
篠原皐月

25.バトル勃発

公開日時: 2021年5月24日(月) 13:21
文字数:3,254

 美野が急いで座布団を出し、取って返して台所でお茶の支度をしていると、二階に呼びに行くまでもなく、ワンピースに着替えを済ませた美実が顔を出した。

「美野、美子姉さん達は?」

 その声に、手間が省けたと安堵しながら、美野が顔を上げて振り向く。


「奥の座敷に居るわ。今、お茶を淹れたら持って行くから、一緒に行きましょう? その方が入りやすいと思うし」

「ごめんね。美野にまで迷惑をかけて」

 神妙に謝った美実だったが、それを見た美野は首を振って真顔で告げた。


「ううん、それは良いんだけど……。美子姉さんに、お茶と一緒にICレコーダーと、美実姉さんのデビュー作をこっそり持って来る様に言われているの。だけど私はお盆を持って行くから、隠しようが無いし。美実姉さんが私の後ろから入って、小早川さん達に気付かれない様に美子姉さんに渡して欲しいんだけど」

 そんな事を頼まれてしまった美実は、慌てて妹を問い質した。


「ちょっと待って。どうして座敷に、そんな物を持って行く必要があるわけ?」

「それは分からないし、聞いてないけど……。持って行かなかったら後が怖いし、中座して自分で取りに行くと思うの。美実姉さん、一人で小早川さんのご両親と対面したい?」

「……分かったわ。私が持って行くから」

 少し迷った美実だったが、美野の言い分は尤であり、大人しく頷いてお茶の支度を手伝った。そして準備を済ませると、お盆を抱えた美野と、ハンカチで包んだデビュー作とICレコーダーを手にした美実は、不安を抱えながら座敷へと向かった。


「失礼します。お茶をお持ちしました。美実姉さんも一緒です」

「二人とも、入って頂戴」

「お邪魔します」

「失礼します」

 襖の前に座って声をかけると、美子から声がかけられた為、美野は襖を引き開けて一礼してからお盆を抱えて中に入った。一方の美実は、そこで客人に向かって正座したまま頭を下げる。


「小早川さん、ご無沙汰しております。ようこそいらっしゃいました」

「やあ、美実さん、お久しぶり。なんだか顔色が優れないようだが、大丈夫かい?」

「はい。病気というわけではありませんので、ご心配なく」

「こんにちは、美実さん。若いからってダイエットとかしたがる気持ちは分かるけど、あまり神経質にならない方が良いわよ?」

「いえ、これは」

「美実。取り敢えず入りなさい」

「はい」

 鷹揚に声をかけてきた良子に美実が弁解しようとした時、美子が冷静に会話に割って入った。その為、大人しくハンカチで包んだ物を手にして立ち上がり、美子の後ろを回って彼女の隣に座る。


「……姉さん、これ」

「ええ」

(さっきから黙って聞いていれば、とことん不愉快な人ね。本当に客商売なのかしら?)

(なんか美子姉さんの笑顔と、周りの空気が怖過ぎる。どうしよう……。本気で逃げ出したい)

 座りながら隣の美子に、座卓の陰になるような位置で差し出すと、美子は何食わぬ顔でそれを引き寄せ、片手でハンカチを剥がしてレコーダーを取り上げた。そして感度を最大にした上で、録音を開始したそれを座卓の下に置き、そ知らぬ顔で静かに話し出す。


「まだ小早川さん達の来訪の理由をきちんと伺ってはいませんが、美実に関わる事だと思いましてこの子を呼びました。支障はございませんか?」

 その申し出に、潔は神妙に頷く。


「ええ。今回急にお邪魔させて頂いたのは、できれば美実さんとご家族の方に、一目お会いしたかったので。ところで、本当に顔色が悪そうですが、大丈夫ですか? 先程病気ではないと伺いましたが」

「ええと、これはですね」

「はい。病気ではなく、悪阻ですの。ちょっと始まる時期が遅れて、何日か前から急に始まってしまいまして」

「美子姉さん!?」

 さらりと横から口を挟んできた美子の台詞を聞いて、美実は狼狽したが潔達も唖然とした表情になった。


「え?」

「本当ですか?」

「はい。……あら? 息子さんから、聞いていらっしゃいませんでしたか? 今十二週目なんですが」

「いえ、全く。初耳でした。面目ありません」

「いえ、お父さん。そんな」

 すっかり恐縮して頭を下げた潔を、美実が慌てて宥めようとすると、ここで良子が満足そうに笑った。


「あらあら、まあまあ! 淳ったら、さっさと教えてくれないから、散々気を揉んでしまったじゃないの。子供ができたのだったら、別れる別れないの話なんかになる筈も無いわよね。美実さん、うちの事は気にしなくて良いのよ? 淳がどんな女性と結婚したいと言っても、認めてあげるつもりでいましたし」

「え? あ、あの……」

 言うだけ言って「おほほ」と愛想笑いをしている良子に、美実が戸惑いながら説明しようとしたが、ここでまた美子が落ち着き払った声音で会話に割り込んだ。


「小早川さん。今、何やらおかしな台詞が聞こえた気がしたのですが」

「え? 何がでしょう?」

「『結婚を認めてあげる』とか何とか、仰いませんでした?」

「ええ、言いましたが。それが何か?」

「美実と小早川さんの間に、結婚の予定なんか微塵もございませんので」

「はぁ?」

「…………」

 美子ににっこりと笑顔で断言された潔と良子は、驚いて絶句し、次いで美実に視線を向けた。対する美実はどうすれば良いか咄嗟に判断が付かず、無言で冷や汗を流す。

 そんな沈黙の中、幾らか気を取り直したらしい潔が、美実に向かって慎重に尋ねてきた。


「あの……、美実さん。一つ、不躾な質問をしても構わないだろうか?」

「遠慮無くどうぞ」

「お腹の子供は、淳の子供で間違いないのだろうか?」

「はい。そこの所はきちんと淳にも話してありますし、ご希望なら出産後に遺伝子鑑定を依頼しても構いませんが」

 律儀に『不躾な質問』と事前に断りを入れてきた為、潔の聞きたい事が容易に想像できた美実は、落ち着き払ってそれに答えた上で、一つの提案をしてみた。すると潔は慌てて手を振って否定した上で、他の可能性を口にする。


「いやいや、流石にそこまでは! そうなると美実さん達は、今流行りの事実婚をすると言う事なんだろうか?」

 その問いかけにも、美実は真面目に答えた。


「そうしますと、淳がきちんとした結婚ができませんし、弁護士としての職務上、世間一般的な結婚をした方が良いと思うんです。ですからこの機会に、淳とは別れる事にしまして」

「うぅ~ん、娘が電話で聞いた限りでは、生憎と淳は別れたくは無さそうだったらしいが……。なるほど。それで揉めていると言うわけだね?」

「そういう事です。当事者だけの問題で済ませようかと思っていたのですが、予想外にお父さん達にまでご心配とご迷惑をおかけして、申し訳ありません」

 心底申し訳無く思った美実が頭を下げると、潔は穏やかな口調で宥めてきた。


「頭を上げて下さい、美実さん。確かに驚いたが、淳がなかなか結婚について詳細を連絡をしてこなかった理由は分かったから。こちらこそすまないね。タイミングが悪かったのか、淳と連絡が付かないまま押し掛けてしまって」

「いえ、こちらこそ、わざわざ東京まで出向いて頂く事になってしまって、恐縮」

「あなた一体、何を考えているの!?」

「え? ですから」

 ここまで比較的冷静に話を進めていた潔と美実だったが、突然良子の金切り声が座敷内に響いた。そして美実の話など聞く耳を持たない剣幕で、声高にまくし立てる。


「結婚しないで子供を産んで育てるって、何を世迷い言言ってるのよ! 世間知らずの小娘じゃあるまいし!?」

「あら、十分未婚の母になるメリットはあるかと思いますが」

「美子姉さん?」

「まあ! 姉妹揃って何を言い出す気? 一体、どんなメリットがあるって言うのよ?」

 おっとりと、余裕すら感じられる口調で指摘してきた美子に美実は当惑し、良子は喧嘩腰で応じたが、美子はそのままの口調でさらりと答えた。


「少なくとも、厚顔無恥ギスギスヒステリーババアを姑に持たなくて済みますわ。ねぇ、そう思わない? 美実?」

「…………」

 そう言って優雅に微笑んでみせた美子を見て、美実は完全に顔色を無くして固まり、室内に不気味な沈黙が満ちた次の瞬間、激昂した良子の叫び声が上がった。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート