藤宮家でそんな騒ぎが勃発していた頃、淳は自宅に大量に届けられた代物を忌々しく見下ろしながら、実家に電話をかけていた。
「縁、この写真は何だよ?」
「あ、届いたのね? 見ての通り見合い写真よ。お母さんが『あんな家の娘に負けない結婚相手なんか、掃いて捨てる程居るわよ!』って血道を上げていて。もう会う人毎に、あんたとの縁談を持ち掛けてるわ」
「あれ以来、何も言ってこなかったから、少しは大人しくしてると思えば……。本当に、勘弁してくれ」
思わず愚痴を零した淳に、縁は幾分同情する口調で答える。
「大人しくしているわけ無いわよ。もう直接対峙したお姉さんなんて、すっかり天敵扱いよ?」
「お袋の奴、どうあっても美実との事を、認めない気だな……」
「それよりどうするの? 気に入った女性がいたら、二人で会う場を設けるけど。地元と東京在住、半々なのよね」
取り敢えず促してみた縁だったが、淳はきっぱりと断りを入れた。
「縁、悪いが見合いをする気はない。お袋にも、金輪際話を持ちかけるなと言っておいてくれ」
そんな弟の反応は予想が付いていた為、縁は諦めの口調で応じる。
「一応、私から言ってはおくけど……。言っても聞く耳持たないと思うわ。自分で何とかしてね?」
「分かった。今日はそんな気力は無いから、日を改めて電話する」
「そうして頂戴。機嫌が良さそうな時は、メールで教えてあげるわ」
「頼む」
さすがに迷惑をかけている自覚はあった為、淳が神妙な口調で応じると、縁がしみじみと言い出した。
「全く……、最近、ただでさえ変な事が続いてるんだから、あんたの事位、早めに片が付いて欲しいわ」
「変な事? 旅館で何かあったのか?」
普段は全く関わっていない事ながら、さすがに心配になって淳が尋ねると、縁が困惑しながら近況について語り出した。
「あったと言うか……、でも別に大した被害は無いのよ」
「何だよ、それは?」
「最近、客室の予約率が、連日ほぼ百%なの」
その台詞の意味するところを悟った淳は、僅かに眉根を寄せた。
「それは、平日も含めての話なのか?」
「そうなの」
「確かに珍しいな。繁忙期でも無いだろう?」
「ええ。それだけでも変なんだけど、キャンセル率も高いの。九割位予約がキャンセルされていて」
「なんだそれは?」
明らかな異常事態を聞いた淳は、疑惑に満ちた声を出したが、そんな弟を縁は困惑気味に宥めた。
「でも殆ど予約三日前から当日にかけてキャンセルの連絡が入ったり、当日無連絡で発生した諸々のキャンセル料はしっかり入ってるから、今のところ経営上の問題はないのよ」
「損害が出ていないなら良いが。それにしても九割……」
そこで考え込んだ淳に、縁も自分でも納得しかねる口調で話しながら、会話を終わらせた。
「何かすっきりしないでしょう? 団体客じゃなくて、旅行会社を通した個人客ばかりだから、偶々そういうのが重なっただけだとは思うけど、こう続くとね。じゃあそういう事だから、お母さんにちゃんと自分で断りを入れてよ?」
「ああ、分かってる。じゃあな」
そして通話を終わらせたものの、先程聞いた内容について、淳は渋面になりながら考え込む。
「しかし予約率が百%近くで、そのうちキャンセルが九割……。どう考えてもおかしくないか?」
そんな自問自答をしていると、夜にもかかわらず玄関の呼び出し音が鳴り響いた。
「何だ?」
連続して鳴らされるそれに、淳は呆れ気味に腰を上げて玄関へと向かう。そしてドアの覗き穴から外の通路を確認した彼は、意外な人物を見つけて少々驚いた。
「秀明?」
連絡も無しに押し掛けてきた友人を見て、不思議に思いながらもロックを外してドアを開けると、完全に開けきらないうちに、秀明が強引に引き開けて押し入ってくる。
「さっさと開けろ。この愚図が」
「こんな時間にいきなり押しかけて来て、随分な言いぐさだな。お前らしいが」
「入るぞ」
「おい! ちょっと待て!」
問答無用で靴を脱ぎ捨てて上がり込んだ秀明は、スーツケースを放り出すとまっすぐ台所の冷蔵庫に向かい、その中を物色し始めた。
「こら! 勝手に冷蔵庫を漁るな!」
「五月蝿い! お前のせいで、美子と喧嘩する羽目になったんだ。酒の一本や二本でガタガタぬかすな!」
缶ビールを両手に一本ずつ持ち、今度はリビングに入った秀明を追い掛けながら、淳は驚愕の表情で確認を入れた。
「俺のせいで、美子さんと喧嘩? まさかお前、家を出て来たってわけじゃ無いだろうな?」
「…………」
無言でカーペットにドカリと座り込み、面白く無さそうに缶ビールを飲み始めた秀明の態度が、その問いに対する答えだった。それを見た淳が、本気で頭を抱える。
「おい……。一体何がどうなって、そんな事態に」
「じじいの差し金で桜査警公社の奴が、美実ちゃんの見合い相手として家に来た」
忌々しげに秀明が口にした内容を聞いて、淳は僅かに顔を強張らせながら呟く。
「……知ってる」
「何?」
「本人が事務所に来て、牽制していった」
「じゃあ分かるだろう? 俺並か、俺以上に性根が曲がりきって、腐ってる奴だ。そんなのに美実ちゃんを渡せるか!」
「お前……、自分でそれを言うか……」
グキョッと変な音を立てながら、秀明の手の中でアルミ缶が変形し、淳は自分と同類と言い切った悪友に対して、疲れた様に呻いた。しかし秀明の悪態は、止まることを知らずに続く。
「それなのに美子の奴……。いとも簡単にあいつに丸め込まれやがって! 目が節穴にも程があるぞ! それを指摘したら逆ギレしやがったんだ!」
「お前と結婚した位だしな……。一般的な悪党は完全排除するけど、色々突き抜けた野郎に関してはガードが甘いんじゃないか? それにキレたのは、絶対お前の方が先だよな?」
「ふざけるな!! そもそも誰のせいで、美子と喧嘩をする羽目になったと思ってる!?」
「ああ、間違いなく、俺のせいだな……」
ここで飲みかけの缶を放り出して秀明が掴みかかってきた為、カーペットに転がった缶を見た淳は、(零れたあれ、シミになるな……)などと現実逃避気味な事を考えながら、神妙に応じた。それでも気が収まらない秀明が、地を這う様な声音で凄んでくる。
「お前……、あんなのに遅れを取ったら、問答無用で潰すからな? あれと比べたら、お前の方が百倍マシだ」
「一応……、激励してくれてるんだよな?」
言葉だけ聞くと、とてもそうとは思えない相手の主張に、淳が疲れた様に応じると、秀明の携帯が着信を知らせて鳴り響いた。
淳は美子からの着信かと推測したものの、秀明はディスプレイに表示された発信者名を見て無言で眉を顰め、そのまま応答する。
「俺だ。一体何の用だ、このくたばりぞこないが」
それを聞いた淳は、一気に肝が冷えた。
(おい、まさかとは思うが、このタイミングで加積老からかかってきたんじゃないだろうな?)
それきり秀明は無言のまま、相手の話を聞いていたが、少ししてから如何にも面白くなさそうに一言呟く。
「……分かった」
それで会話は終わったらしく、秀明は無言のまま元通り携帯をしまい込んだが、この間緊張を強いられていた淳は、当然の権利とばかりに確認を入れた。
「さっきの電話、もしかして加積老からか?」
「ああ。今日明日中に美子に頭を下げなかったら、美子に再婚相手を世話してやるだと」
「耳が早い事で」
素で淳が感心した声を上げると、秀明は殺気の籠もった目で相手を睨み付けた。しかし先程の緊張感から解放された淳は、そんな視線に恐れ入る事無く、未開封の缶ビールを秀明に向かってマイクの様に向け、苦笑しながら尋ねる。
「ちょっとお尋ねしますが」
「何だ?」
「『大家族の一員で、最近、色々気苦労が絶えない藤宮秀明』さん?」
「だから何だ? 貴様、今すぐ潰されたいのか?」
「今更『天涯孤独でやりたい放題自由気ままに生きてる江原秀明』に戻りたいんですか?」
「…………」
途端に仏頂面になって、差し出された缶を奪い取った秀明は、そのまま無言で缶を開けて飲み始めた。それを見た淳は、溜め息を吐いて宥める。
「悪い事は言わんから、さっさと美子さんに頭を下げろ」
「五月蝿い」
目の前の男が素直に頷く筈も無いと思いながらも、淳はこれ以上は状況が悪化する事は無いだろうと思いながら立ち上がった。
(どうせこいつ、明日には頭を下げるだろうし、一晩とことん付き合ってやるか)
そして台所に入った淳は、冷蔵庫を開けて残っているビールやウイスキーを取り出しながら、一人苦笑した。
「秀明? 起きてるか?」
翌朝、いつもの時間に起き出した淳は、リビングに足を踏み入れたが、ソファーで寝ていた筈の秀明の姿は、影も形も無かった。
「何時に起きて、出てったんだよ……。本当にあいつ、可愛い性格になったよな。美子さんは偉大だ」
秀明が残していった、昨晩押し掛けた事に対する詫びと、とめてくれた事に対する礼の言葉を短く記載したメモを取り上げて眺めた淳は、苦笑いしながら朝食の支度をするべく、台所へと向かった。
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