「これって……」
藤宮家の固定電話に送信されてきたFAXの文面を見て、美子は最初当惑し、すぐに不敵に微笑んだ。
「そう言えば、今日は土曜日だったわね。美実が帰って来るまでに、準備しておきましょうか」
そう呟いて満足げに笑った美子は早速行動に移り、その成果は夕食後に、家族に披露される事となった。
「美実、小早川さんから夕方にFAXが届いたから、内容を半紙に書いておいたの。目を通してくれるかしら?」
「え? 書いたって……、例の子供の名前を?」
「ええ。これよ」
食後に居間に移動した全員にお茶を配ってから、美子がどこからともなく出してきた、墨痕鮮やかに名前が書かれた二枚の半紙を目にして、当事者の美実は勿論、昌典まで不穏な物を感じて顔を引き攣らせた。
「美子。どうしてわざわざ半紙に書いたんだ?」
「なんとなくその方が、命名の感じが出るかと思って」
「そうか?」
父親からの疑わしげな視線を無視し、美子は美実に感想を尋ねた。
「どう? 美実。気に入った?」
しかしそれをチラリと見た美実は、にべもなく却下する。
「嫌。駄目だって返事してくれる?」
「分かったわ」
それを聞いた美子は半紙を持ったままさっさと居間を出て行き、あまりの即決ぶりに美野が姉に詰め寄った。
「美実姉さん、あんなにあっさり否定しなくても良いんじゃない?」
「だってあんな名前、嫌だもの」
「そうは言っても小早川さんが、一生懸命考えてくれた筈なのに」
「考えても、あの事をすっかり忘れているみたいだしね……」
そこでボソッと美実が呟いた内容を聞き損ねた美野が、不思議そうに尋ねた。
「え? 今、何て言ったの?」
「……何でも無いわ」
「そう? だけどせめて、もう少し考えてあげても」
「五月蠅いわね! 嫌な物は嫌なのよ! 私の勝手でしょう? 部外者は口を挟まないで!」
「美実姉さん! ちょっと待って!」
微妙に非難する響きを含んだ美野の物言いに、美実は怒りを露わにして勢い良く立ち上がった。そしてそのまま足音荒く出て行く姉を美野が引き止めようとしたが、この間黙って様子を窺っていた昌典が、彼女を宥める。
「美野、止めろ」
「でも、お父さん!」
「美実が気に入る名前を考えるのが大前提だ。美実が変に妥協する必要は無いだろう。そんな事をしたら、却ってしこりを残す」
「そうかもしれないけど……」
もどかしげな表情になった美野だったが、父親の主張を全面的に認めて口を閉ざした。それから無言で茶を飲み干した昌典は、居間を出て美子達の部屋へと向かった。
「美子、こっちに居るのか? ちょっと話があるんだが」
「お父さん? ええ、構わないから入って」
ドアをノックしながら室内に呼びかけると、美子が気安く返事をしてきた為、昌典は遠慮無く室内に入った。
「美子。さっきの美実の子供の名前…………、何をしているんだ?」
美子に歩み寄りながらの質問の途中で、彼が微妙に口調を変化させた。それは美子が机で下敷きの上に半紙を乗せ、その傍らで専用の筆に朱墨液を含ませていたところだったからである。
「小早川さんに採用の可否を知らせないといけないから、添削しているところよ」
涼しい顔で事も無げにそんな事を言った美子は、その直後、全く躊躇わずに名前の上に大きく朱色の×印を記した。昌典が唖然として声が出ない中、美子は書き終えた半紙を横の新聞紙の上に置き、二枚目の半紙を下敷きに乗せて同様に繰り返す。
そして無事に作業を終えた美子は、清々しい表情で父親を振り返った。
「お父さん、そう言えば話って何?」
「あ、ああ……。ちょっと胃がもたれている感じがするから、明日の朝食は軽めにして欲しいんだが……」
「あら、大丈夫? 分かったわ。そのつもりで準備しておくから」
「すまん。宜しく頼む。ところで、その半紙はどうするんだ?」
予測は付いていたが一応昌典が尋ねてみると、美子は当然の如く答えた。
「乾いたら封筒に入れて、明日の朝に速達で小早川さんに送るわ」
「……そうか。じゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
そして笑顔の娘に見送られて廊下に出た昌典は、先程目にした物を送りつけられた時の淳の心境を思って、人知れず深い溜め息を吐いた。そこで部屋に荷物を置きにやって来た、秀明と出くわす。
「お義父さん、戻りました。顔色が優れませんが、どうかしましたか?」
「ああ、秀明か……。お前には色々と、苦労をかけているな」
「はぁ?」
帰宅するなり、何故か舅から気づかわし気な視線を向けられてしまった秀明は、本気で困惑した表情になった。
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