裏腹なリアリスト

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58.あちらもこちらもロック・オン

公開日時: 2021年6月29日(火) 22:17
文字数:4,138

 和真に伴われて加積邸を訪ねる事になった美実だったが、まず門構えの立派さに驚き、次に屋敷そのものの広さと作りに度肝を抜かれ、かなり動揺しながら奥へと進んだ。その様子を見て和真は笑いを堪えながら、そして時折美実を宥めながら並んで歩いて行った。


「美実さん、こちらが当主の加積康二郎氏、そちらが桜夫人です。お二人とも、こちらが藤宮美実さんです」

「初めまして、藤宮美実と申します。本日は年末のお忙しい時に押しかける形になってしまって、申し訳ありません」

 使用人らしき人物に案内されて、広い座敷に通された美実は、緊張がピークに達していたが、辛うじて残っていた平常心をかき集め、座卓の向こうに座っている男女に挨拶して頭を下げた。すると厳めしい顔つきの老人が、若干顔を綻ばせて鷹揚に頷く。


「いや、それは気にしないでくれ。最近は若い人が訪ねてくる回数がめっきり減っているから、可愛らしいお嬢さんが顔を見せてくれるだけで、嬉しいからな」

「お正月になったらお客が山ほど来るのだけど、年末はする事が無くて暇なの。忙しいのは掃除や正月の支度で忙しい使用人だけだから、気にしないでね?」

「はぁ……」

 横からにこにこと笑いながら老婦人も会話に加わってきて、美実は漸く緊張が解れて、冷静に相手を観察し始める事が出来た。


(何か印象が定まらない不思議なご主人と、お年の割に可愛らしいけど豪快な奥様だわ。一体美子姉さんは、この人達とどこでどんな風に知り合ったのかしら? あ、そういえば)

 ここで美実はここに来た本来の目的を思い出し、手提げ袋から菓子折りを出して、向かい側の二人に恭しく差し出す。


「あの、先日は姉夫婦が喧嘩した折に二人を諫めて頂きまして、誠にありがとうございました。一応お電話でお礼を申し上げましたが、機会があれば直にお礼を言いたかったもので、今回小野塚さんにお願いした次第です。こちらは些少ですが、宜しかったらお納め下さい」

 それを聞いた加積は苦笑いし、桜が嬉しそうに応じる。


「それはご丁寧に、ありがとうございます。そこまで恐縮される事もありませんが、せっかくだから頂きましょう」

「あれ位で美味しい物が頂けるなら、美子さん達には週に一回位は派手な喧嘩をして欲しいわね」

「桜、止めろ。美実さんが本気にするぞ?」

「あら、私は本気よ?」

「全く、困った奴だ」

(うぅ~ん、益々不思議。美子姉さんとどういう知り合い?)

 夫婦のやり取りを困惑しながら眺めていた美実に、ここで加積から声がかけられる。


「美実さんは、何やら私達に尋ねたい事が有るのではないかな?」

「分かりますか?」

「それはまあ、美実さんよりかなり長く、生きているので」

「あの……、不躾な問いでしたら申し訳ありません。お二人は美子姉さんと、どの様に知り合ったのかなと……」

「ああ、それですか。それは……」

 納得したように加積が何か言いかけたが、それを遮って桜が説明してきた。


「それはね? 私が道を歩きながらソフトクリームを食べていて、美子さんの横を通り抜けようとした時に、偶々よろけて彼女の着物にソフトクリームをべったり付けてしまってね。そのお詫びに、着物を新調する事になってからのお付き合いなの」

「そういう事でしたか」

(あれ? その話って、以前確か、どこかで聞き覚えが……)

 桜の話に素直に頷いた美実だったが、何やら頭の片隅に引っかかった。そして少し考えてから、該当する記憶に行き当たる。


「あああぁっ!! 思い出しました! そういえば住所が三田の、華菱で『棚のここからここまでを全部頂戴』をマジでやらかした、豪快セレブおばあさん! ……じゃなくて! 誠に失礼致しました!!」

 絶叫しながら思いっきり相手を指さすと言う暴挙をやらかしてしまった美実は、それに気づいた瞬間即座に腕を下げて勢い良く頭を下げて謝罪した。そして座敷の隅に控えていた給仕役の女性が真っ青になる中、桜がころころと楽しそうに笑う声が響く。


「あらあら、構わないのよ? 美実さんから見たらおばあさんなのは確かだし、人から良く豪快だと言われるし、セレブなのは本当だしね」

「はぁ……、恐縮です」

 冷や汗を流しながら(こんな事が美子姉さんにばれたら、どんな制裁を受けるか)と恐れおののいていると、加積が「今のは美子さんには内緒にな」と笑いながら妻に言い聞かせる声が聞こえる。それで心底安堵したものの、美実は益々加積の事が良く分からなくなった。


(桜さんの方は何となく分かったかも。年は違うけど、何となく美子姉さんと馬が合いそうだし。でも加積さんって……)

 美実が恐る恐る顔を上げながら加積の様子を窺うと、彼とばっちり目が合ってしまった。その瞬間、美実の顔が強張ったが、加積は益々面白そうな顔つきになりながら尋ねてくる。


「美実さんは、隠し事ができないタイプだと言われないかな?」

「あ、はい。その通りです。どうしてですか?」

「まだ何か、聞きたそうな顔をしているからな」

「そんなに分かり易い顔をしてますか?」

「ああ」

「まあ! 若い人が遠慮なんかしちゃ駄目よ? 何でも聞いて頂戴」

「はぁ……」

 夫婦揃って笑顔で促された美実は、先程から気になっていた内容を、思い切って尋ねてみる事にした。


「それなら、差し支えなければ教えて頂きたいのですが、加積さんのご職業は何ですか?」

「美実さんにはどう見えるのかな?」

「それは……」

 すかさず面白そうに問い返されて、美実はちょっとだけ迷ってから口を開く。


「ちょっと失礼な事を申し上げても、宜しいでしょうか?」

「勿論、構わない」

「それなら遠慮無く、言わせて貰います。私、実は初対面の方の職業や職種を当てるのが、割と得意なのですが、どうも加積さんのイメージが定まらないもので……」

「ほう? 私はそんなに得体がしれないかな?」

 おかしそうに問いかけてきた加積に、美実は素直に頷いてみせた。


「はっきり言わせて頂ければそうです。明らかに会社勤めのサラリーマンの定年退職後って風情ではないですし、芸術家関係でもありません。このお屋敷を見れば相当な資産をお持ちだとは分かりますが、動産不動産の投資や転売だけで財を成したという感じもしませんし」

「ほう? そうかな?」

 明らかに面白がっている加積から、美実は徐々に視線を逸らし、俯き加減になりながら自問自答気味に語り続ける。


「そういう儲け方もされているかもしれませんが、ほんの一部じゃないかと。本業は……、投資顧問? うーん、違うな。なんかそんなチマチマした事をする様な人には見えないし。お顔が怖いし、実家が暴力団関係の小野塚さんの遠縁だから、一瞬ヤクザさんかとも思ったけど、それもなんか違う感じだし。一番お金に関わるのは金融関係だろうけど、なんかお金は持ってるけど、そんなにお金そのものが好きって感じがしないんだよね……。もっと色々広範囲に影響を及ぼすような……、でも政治家とかじゃないよね? うーん、後は……」

 ぶつぶつと呟きながら自分の思考に嵌まり込んだ美実を見て、和真は呆気に取られ、部屋の隅で控えていた使用人は、ヤクザ云々の所で顔色を変えたが、加積は特に気にする事もなく問いを重ねた。


「そんなに難しいかな?」

 その声に、美実は顔を上げた。

「はい。良く分かりません」

「それでは、こんなじいさんの相手をするのはつまらないだろう?」

「いえ、大変興味深いです」

「ほう? そうか?」

「私、あなたの様な底知れない人についての、本を書きたいです」

「はあ?」

 真顔で見据えながら、唐突に言われた台詞に、加積は本気で面食らった。しかし美実は彼の戸惑いなど物ともせずに、思った事を正直に告げる。


「でも残念ですが、きっと今の私の実力では、あなたのこれまでの人生を、余す事無く書き切れないと思います。ですから書くとしても、かなり先の事になると思いますが」

 そんな事を如何にも悔しそうに述べた美実をしげしげと眺めてから、加積は含み笑いで尋ねた。


「そうか……。俺の様な人間の事を、そんなに書きたいか」

「はい」

 真正面から視線がぶつかっても恐れる事無く、真剣に見返してくる美実を見て、加積は軽く膝を打って楽しそうに笑った。


「さすがは美子さんの妹だ。これまで何人もの有名無名の作家に会った事はあるが、俺に面と向かって俺についての本を書きたいと言ったのは、美実さんが初めてだ。気に入った」

「そうですか? 加積さん位、興味をそそる素材はそうそういないと思いますが。それに物書き崩れの私にこんな事を言われたら、気分を害すると思ったのですが……」

「『物書き崩れ』とは謙遜が過ぎるな。確かに美子さんから聞いて、美実さんが今現在どんな本を書いているかは知っているが、決してそれ以外の本が書けないと言うわけではあるまい」

「はぁ……」

「寧ろ他の分野で、もっと才能を開花させそうな気がするな。まだ若いんだ、色々やってみると良い。頑張りなさい」

「ありがとうございます」

 滅多に見られない程の上機嫌な笑顔で加積が励ましの言葉を口にすると、それに美実は心から感謝したが、桜や和真は思わず自分の目を疑った。


(うん、やっぱり顔は怖いけど、物分かりの良い、良い人っぽいよね? 小野塚さんはあの善人面で実家を継げなかったけど、加積さんは悪人面で誤解されて、人生損しているタイプだわ)

 そして周囲の者達の驚愕になど全く気付く事なく、美実は加積に見当違いの同情をしながら世間話に花を咲かせ、結局最後まで巧妙に加積の正体についてはうやむやにされて、再び和真に伴われて屋敷を辞去した。


「あなた。美子さんの時と同様に、珍しくあの子の事が気に入ったみたいね」

「お前もな」

 わざわざ屋敷の玄関まで出て美実達を見送ってから、桜が茶化す様に夫に声をかけると、笑いを含んだ声が返ってきた。それを受けて、桜がちょっとした願望を漏らす。


「このまま首尾良く、和真があの子をお嫁さんにしないかしらね? そうしたら一応親戚になるし、色々面倒を見てあげられるもの。……あら、それに美子さんとは姉妹なんだから、美子さんとも遠縁になるんだわ」

「親戚と言うには随分遠い、義理の縁だがな。しかし……、そう上手くいくかな?」

 ウキウキとし始めた桜を横目で見ながら、加積はそう苦笑気味に呟き、屋敷の奥へと戻って行った。


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