裏腹なリアリスト

篠原皐月
篠原皐月

45.美幸の受難

公開日時: 2021年6月16日(水) 13:31
文字数:5,422

 帰宅する為に校門を出たところまでは、美幸の日常風景そのものだったのだが、その日、友人に腕を軽く引かれた瞬間、彼女に厄介事が降りかかった。


「ねえ美幸。ちょっと、あの人」

「何? あの人って……」

 そして友人が指で示した方向に目を向けた美幸は、通りの向こう側に佇んでいる淳を見付けて軽く顔を引き攣らせた。そして同行している友人達に、断りを入れる。


「……ごめん、あんみつはまた今度ね」

 既に一度、淳を目にしている美幸の友人達は、気分を害した様子も無く、あっさりと美幸を解放してくれた。


「了解」

「あんたも色々、大変そうね」

「美幸、今度はあのイケメンとの関係を、ちゃんと教えてよ?」

「だ~か~ら~! 三番目の姉の元カレだって、この前教えたじゃない!」

 幾分ムキになって言い返した美幸だったが、友人達はからかう気満々で口々に言い合う。


「そのお姉さんの元カレが、どうして美幸に会いに来るのよ?」

「ひょっとしてお姉さんの元カレで、今は美幸の彼とか?」

「うっわ! ドロドロの略奪愛!? 美幸ったら、意外に鬼ね~」

「ちっがーう! 誤解を招く発言は止めてよね!?」

 血相を変えて叫んだ美幸に、周りは苦笑いしながら歩き出した。


「冗談よ、冗談」

「今度、本当のところを教えてね?」

「楽しみにしてるわ」

「だからこの前、正直に話したから!」

 その美幸の訴えにも、彼女達は軽く手を振って応じたのみで、美幸は本気で頭を抱えたくなった。


(全くもう! 洒落にならないし、見当違いな事ばかり好き勝手に言ってるんだから!)

 からかわれていると分かってはいたものの、美幸はうんざりしながら道路を横切り、この間様子を窺っていた淳の元に向かった。


「お久しぶりです、小早川さん」

 ここに来るまでに平常心を取り戻し、いつもの表情で挨拶した美幸だったが、そんな彼女を見て、淳が申し訳なさそうに言い出す。


「ごめん……。また待ち伏せしたりして。それに、何だか俺の方を見ながらお友達と揉めていたみたいだし、美幸ちゃんに変な噂が立ったりしないと良いんだが……」

 淳が神妙にそんな事を言い出した為、美幸は明るく笑って手を振った。


「そんな心配は無用ですから! それにもし万が一、校内で私に『姉の元カレを奪って略奪愛まっしぐら』なんて不名誉な噂が立ったとしても、名誉毀損で訴えてやるだけの話ですし」

「その時は無報酬で美幸ちゃんの代理人になって、相手が単独だろうが集団だろうが必ず全面的な謝罪と十分な慰謝料をもぎ取ってみせるから、安心してくれ」

「……どうも」

 にこりともせず、真顔で力強く言い切った淳に、美幸は先程とは別の意味で頭痛を覚えた。


(失敗した……。なんか小早川さんの表情が暗いから、笑い話にして空気を変えようと思ったのに。どう見ても目がマジだわ)

 しかし何とか気を取り直し、美幸は目の前の相手を促した。


「ええと……、取り敢えず駅まで歩きながら話しませんか?」

「そうだね」

 そうして駅まで並んで歩き出しながら、美幸は早速切り出してみる。


「それで……、当然小早川さんは、美実姉さんに関する話があるんじゃないかと思うんですが……」

「あ、ああ……、うん。そうなんだが。その……、最近、美実はどうなんだろうか?」

「どう、と仰いますと?」

「最近、急に寒くなってきたから体調が心配だし、それ以上に、先月俺の両親がお宅に押し掛けただけでなく、美実と美子さんに暴言を吐いているし」

「小早川さんは、ご両親から詳しい事を聞いているんですか?」

 美幸は質問に直接答えず、慎重に問い返したが、淳は気を悪くした風情は見せず、軽く頷いてから話を続けた。


「詳細までは聞いていないが、お袋のあの口振りでは、美実の仕事に関して相当色々言ったらしいと分かるし、あいつが気に病んでいないかと思って。妊娠中だし、精神的にも不安定になってるんじゃないかと、心配になったものだから……」

 そんな淳の懸念を理解した美幸は、力強く頷いてみせた。


「私も揉めた時の詳細については知りませんが、取り敢えず美実姉さんは元気に過ごしていますから、安心して下さい」

「本当に?」

「はい。ついこの前もお見合い相手と意気投合して、その直後の小野塚さんのゲイのお友達の誕生パーティーに一緒に出向いたんですが、『すっごいネタの宝庫だったわ! 今度は小野塚さんと一緒に、新宿二丁目に突撃よ!!』とウッキウキで帰って来ましたし」

 美幸が笑顔で報告したが、淳は瞬時に顔色を変えた。


「ちょっと待った! あいつ妊娠中なのに、どこに行く気なんだ!?」

「小野塚さんが行きつけの、ゲイバーだそうです」

「はぁ!? 美実の奴、正気か?」

「私もそう思ったんですが、小野塚さんの話では、ノンアルコールのカクテルも幅広く揃えているから心配要らないそうです。『またネタを拾ってくるわ!』って美実姉さんがノリノリで、さすがにお父さんとお義兄さんは渋い顔をしていますが、『小野塚さんが一緒なら心配要らないでしょうし、気分転換に行ってらっしゃい』と美子姉さんが勧めていまして」

「美子さん公認か……」

「はい。最近は仕事もすこぶる順調みたいで、正に『水を得た魚』みたいな感じです」

「……そうか」

 正直に報告した美幸だったが、ここで淳の表情が先程よりも沈鬱な物になっている事に、漸く気が付いた。


「ええと、その……。すみません。美実姉さんに関しては心配要らないって事を、サクッと簡潔に説明してみたつもりだったんですが……。ひょっとして、サクッと心に刺さっちゃたりしました?」

「いや、大丈夫だから気にしないでくれ。美幸ちゃんに悪気は無いのは分かっているし」

 そう言って力無く微笑んだ淳を見て、美幸は心の中で反省した。


(そう言われても……、笑顔が黄昏ているし。却って悪い事しちゃったわ。どうしよう……)

 そこで、ふと疑問を覚えた美幸は、そのまま口にしてみた。

「そういえば、驚かないんですね? お見合いの事」

 それに淳は平然と答える。


「ああ。秀明から聞いた。少し前に、あいつがプチ家出をしたのは知ってるかな?」

「話だけは。翌朝、お義兄さんが戻って来てから話を聞いて、美野姉さんと一緒に震え上がりました」

「その家出先が、俺のマンションでね。あいつ、夜に突然押し掛けて来やがったんだ」

「その時に聞いたんですか……。どこに行っていたかまでは聞かなかったので、ホテルにでも一泊したのかと思ってました。そうすると一応小早川さんとお義兄さんは、今でも直接連絡は取り合っていないんですね?」

「ああ。秀明が美子さんの指示を拒む筈は無いさ。この前は例外中の例外だ」

「はぁ……」

 義兄の長姉への服従っぷりをきっぱりと断言され、美幸はどうコメントすべきか本気で悩んだ。その様子を見た淳が、この際美幸の意見を聞いてみようと考え、問いを発する。


「美幸ちゃんは、美実の見合い相手の小野塚って男に、直接会った事がある?」

「はい。美実姉さんを迎えに来たり、送って来た時にチラッと顔を合わせて、挨拶をした程度ですが」

「そいつの事をどう思う?」

「どう、と言われても……」

 途端に美幸は困った顔になり、やはり美子が勧めている相手に関して否定的な事を言えないか、元カレの立場である自分には言いにくいのかと淳は考えたが、その予測は微妙に外れた。


「何となく……、不思議な感じなんですよね」

「どんな所が?」

「どんな所と言われても……。見た目は平々凡々で、優しげな感じなんですよ。これまで接した限りでは、実際に穏やかな物言いで、気配りのできる方だと思うんですが、何となく違和感とは違う威圧感……、じゃなくて、緊張感……、でもないか。うぅ~ん、とにかく上手く表現できませんが、小野塚さんから感じる空気が、ピリピリと言うかチクチクと言うか、微妙に警戒感が拭えないんですよね。でもこの手の事には敏感な筈の美子姉さんが何も言わないし、どうなのかしら?」

 戸惑いながらも自分の意見を述べ、本気で首を傾げて困惑している美幸を見て、淳は思わず少しだけ救われた気持ちになった。


(美子さんは自分や家族に不利益や危害を加えそうな人間には結構警戒心が働くが、それ以外では無防備って事なのかもな。あいつは確かに藤宮家に対して敵対行為をするつもりはなさそうだし、納得と言えば納得だが。一般的な危険人物の判別能力は、美幸ちゃんの方が上かもしれないな)

 取り敢えず秀明と美幸が盲目的に小野塚を信用していないなら、何とかなるかもしれないと安堵していると、美幸が話を進めてきた。


「それで……、小早川さんは、また美実姉さんと話があるんですよね?」

 そう話しかけられて、淳は慌てて彼女に意識を向ける。


「できれば、また骨を折ってくれたら助かる。この前の事もお袋から話は聞いたが、美実には美実の言い分もあるかと思うから、直に本人の口から詳細を聞きたくて。それと、小野塚と言う男の事についてもだが」

「そうですか……」

 途端に美幸は先程以上に難しい顔になり、歩きながら考え込んでしまった。


(正直、とても穏やかに進むとは思えない話題……。でも小早川さん、相当切羽詰まってる感じだし、ここで突っぱねるのは気の毒過ぎるもの。それに小早川さんのご両親と美子姉さんがどんな揉め方をしたのか、皆の口が固くて未だに知らないし。それを知るチャンスよね?)

 最後はちょっとした好奇心に負けて、美幸は条件付きで応じた。


「その……、会える事になった場合、また私が同席しても構いませんか?」

「勿論、構わない」

「分かりました。また美子姉さんにバレないように、美実姉さんに頼んでみます。また暫く小早川さんの番号やアドレスは、応答可能にしておきますので」

「ありがとう、助かるよ」

 同席を願い出るのは想定内だったらしく、淳が即座に頷いた為、美幸は安心して話を進めた。対する淳も明らかに安堵した顔付きで彼女の言葉に頷き、駅で笑顔で別れて歩き出した。


「よし。頑張ろうっと」

 彼の背中を見送った美幸は、一人になってからどう話を進めたものかと真剣に考え始め、帰宅までには粗方の方針を決めた。そして思い立ったが吉日とばかりに、夕食を食べ終えた直後、美実の部屋に押し掛けた。


「美実姉さん、入って良い?」

「美幸? 良いわよ。何?」

 気安く応じてくれた美実に感謝しながら部屋に入った美幸は、姉の顔色を窺いながら慎重に口を開いた。


「その……、美実姉さん、最近小野塚さんと出かけたり、電話やメールのやり取りをしてるよね?」

「そうだけど。それが何か?」

「別に、それについてどうこう言うつもりじゃ無いんだけど……。美実姉さんは、小野塚さんと結婚するつもりなのかな~って」

 控え目にそう尋ねると、美実は困惑した顔付きになった。


「別に今の時点でそこまでは……。向こうだって『まずお友達から始めましょう』って言ってるし。結構気が合って博識な友達って感じだけど?」

「……そういう台詞って、遠回しのお断り台詞か、ステップアップ前提の台詞か、どっちかだよね。どっちなんだろう?」

「美幸。一人で何をブツブツ言ってるの?」

「ううん、何でもないから」

 小声で自問自答した美幸は、ここで密かに気合いを入れて本題を切り出した。


「それなら美実姉さんの口から、それを小早川さんに言ってあげてよ」

「どうしてここに、淳が出てくるわけ?」

 急に淳の名前が出てきた事に美実は面食らったが、美幸は真剣に話を続けた。


「秀明義兄さん経由で、小野塚さんの事が小早川さんの耳に入ってるのよ」

「そうなの……」

「それにこの前ご両親が家に押しかけて、美実姉さんに暴言を吐いたから気に病んでないかって心配してるし」

「別に気にしてはいないけど……」

「直に美実姉さんの言い分とかも聞きたいし、小野塚さんの事を含めて他にも話したい事があるみたいだから」

「……そう」

「美実姉さんが構わないなら、会って話をする時に、また私が同席するけど……。どうする?」

 言いたい事をたたみかける様にして言い切ってから、美幸が姉の様子を窺うと、美実は少し考え込んでから、落ち着き払って答えた。


「そうね……。会おうかしら」

「ええと、本当に良い? それなら小早川さんと予定をすり合わせて、日時を決めるけど」

 慎重に確認を入れた美幸に、美実は苦笑いしながら詫びを入れる。


「お願い。美幸に任せるわ。ごめんね? 面倒くさい上に、つまらない話を聞かせる事になって」

「そんな事気にしないで! それじゃあ、早めに調整して教えるから」

「うん、宜しく」

 思ったよりすんなりと了解して貰った為、美幸が笑顔になって部屋を出て行ってから、美実は机の引き出しを開けながら小さく呟いた。


「うん、ちょうど良かったかも。合鍵の件もあるし。しっかりしないとね」

 一方の美幸は美実の部屋を出た途端、小さくガッツポーズをし、意気揚々と自室に向かって歩きだそうとしたが、ここで背後から声をかけられた。


「よっし! 第一関門突破! ここで断固拒否されたら、話が進まないものね! 幸先良いわ~」

「何が進まないのかしら?」

「何がって、それはもち、げっ!?」

 振り返った先に、無表情で佇む美子の姿を認めた美幸は、叫び声は上げなかったものの、盛大に顔を引き攣らせた。そんな妹の様子を見た美子は、軽く眉根を寄せて言い返す。


「美幸。化け物でも見た様な反応をしないでくれるかしら?」

「いえいえ、化け物だなんて滅相も」

「ちょっとこっちに来なさい」

「……はい」

 口答えなど許される筈もなく、美幸は大人しく姉の後に付いて歩き出した。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート