「啓介、光、よく来てくれたな。こちらは俺の妻の二番目の妹の、美実ちゃんだ。美実ちゃん、この二人は俺の大学時代のサークルの後輩で、向かって右側が松原啓介、左側が篠田光だ。因みに啓介は東京国税局査察部所属で、光はフリーのジャーナリストなんだ」
「そうなると方向性の違いはあれ、お二人とも調査のプロですね!? 凄いわ~」
「いえ、そんな華々しい物では」
「第三者には、ハイエナ呼ばわりされる職業ですし」
後輩達に裏切られ、悪の巣窟に誘い込まれたなどとは夢にも思っていない松原と篠田は、秀明に美実を引き合わされてからも如才なく愛想を振り撒いていたが、徐々にその笑顔が強張ってきた。
「うふふっ……、今度も有望。っていうか、もう漠然と話が浮かんできちゃった。『これを世間に公表されたくなかったら、大人しく俺の物になれ』でも良いけど、『お前の為なら、どんな事でも暴いてみせる』とかでも良いよね。やっぱりこの組み合わせでも、何パターンかいけそう。美味しい……、本当に美味し過ぎるわ、お義兄さんの交遊関係……」
チラチラと時折自分達の方を見ながら、不気味な笑い声を漏らしつつ一心不乱に何かをノートに書きなぐっている美実を、松原と篠田は薄気味悪い物を見る様な目で眺めた。
「なあ……、何かあの義妹さん、目つきが怪しくないか?」
「まさしく、得物を狙うハイエナですよね。白鳥先輩は俺達に、肉食系女子を紹介する気なんでしょうか? 勘弁して欲しいんですが」
「全くだ。女に不自由なんかしてないしな」
ボソボソとそんな事を囁き合っていると、秀明がさり気なく声をかけてくる。
「ところでお前達、内容は異なるが、今現在偶然にも、同じ人間を調査しているみたいだな」
「え?」
「そうなんですか?」
互いの顔を見合わせて驚愕した二人に向かって、秀明がおかしそうに笑いながら話を続ける。
「情報漏洩する筈が無い、とでも言いそうな顔だな。はっきり名前を出して、確認するか? 俺が小耳に挟んだのは、重田兼敏衆議院議員と実弟の梶原雅文コクド開発社長に関しての内容だが」
「…………」
サラリと言ってのけた秀明に、真顔になった二人の視線が突き刺さる。しかし秀明は、それを物ともせずに提案してきた。
「ちょっと面白い内容だったから、俺の頼みを聞いてくれたらお前達に教えてやろうと思って、今日出向いて貰ったわけだ。どうだ?」
「先輩の事ですから、俺達にとって有益な情報に決まっていますが……」
「だからこそ無償で提供してくれるなんて、有り得ませんよね?」
本来なら飛びつきたい情報の存在を匂わされても、在学中に秀明の底知れなさを嫌と言う程体感していた二人は、慎重に探りを入れた。そんな彼等のやり取りを観察していた美実が、かなり高いテンションで三人を褒め称える。
「やっぱりお義兄さんのふんぞり返りぶりが最高! それにお二人も付き合いが長いだけあって、もうお義兄さんの性根の悪さが身に染みて分かってるんですね!? やっぱり旨い話には、すぐ飛びついちゃ駄目ですって! 戸惑って苦悩して自問自答した末に、情愛の渦に自ら飛び込むんです!!」
「……やっぱり変だぞ、彼女」
「ええ。目をキラキラさせて喜ぶ話の流れでも、空気でもありませんよね?」
盛大に顔を引き攣らせて囁く二人に向かって、秀明が宥める様に言い出した。
「勿論、無償では情報は渡さない。これから一時間程、美実ちゃんの指示に従って欲しいだけだ」
「義妹さんの指示?」
「一時間? それだけですか?」
しかしその疑問には、美実が明るく答えた。
「はい。本当にそれだけで結構です。これから書く小説のモデルを探してまして。ですから色々指示した動作をして貰って、そこを写真で撮らせて貰いますが、他には流出させませんので」
「はぁ……。まあ、そういう事なら」
「お付き合いしますが……」
「ありがとうございます」
「快く引き受けてくれて、嬉しいぞ。約束は守るからな。帰る時に手土産に持たせてやる」
まだ何となく納得しかねる顔付きながら、松原と篠田が了解すると、美実が笑顔で礼を述べた。そして時間を無駄にせず、二人に指示を出す。
「じゃあ早速、ソファーに座ったままで良いので、篠田さんが松原さんの片足を抱えて、靴下を脱がせて貰えませんか?」
「……え? ですが」
「査察」
「あの……、それって何の意味」
「スクープ」
「…………」
そして絶妙のタイミングで秀明が二人の当惑と講義の声を封じつつ、上機嫌な美実の暴走がエスカレートしていった。
※※※
藤宮邸で、余人には窺い知れない取引が行われてから数日後。
淳は大学時代の後輩に呼び出されて、仕事を終えてからとある中華料理屋に出向いた。
「よう! 皆、久しぶりだな。こんなに顔を揃えているのは、秀明の結婚披露宴の時以来か?」
予約した後輩の名前を告げて案内された個室には、大きな円形のテーブルを囲んで既に六人の後輩が座っており、淳は明るく声をかける。しかしそれに対する彼らの反応は、記憶にあるそれより明らかに覇気が無かった。
「……そうですね」
「各自、個別に顔を合わせてはいますが」
「やっぱり白鳥先輩が絡むと、ろくな事が無いな」
「あの人、昔から周囲に甚大な被害を及ぼしても、自分一人だけはちゃっかり無傷だったし。まさに台風の目」
「分かり切った事を言うな」
何やらボソボソと呻く様に応じた彼等に、淳は一つだけ空いていた椅子に座りながら、不思議そうに問いかける。
「何の事だ? 秀明がどうした? それにそもそも秀明抜きのこの面子で、何の集まりなんだ?」
その問いに、彼らは益々重苦しい空気を醸し出しながら、口々に呻く様に告げた。
「いえ、まあ……。今回先輩のお宅で、貴重な体験をさせて貰いまして」
「俺達は普段、間違ってもパワハラとかセクハラとか、受ける筈ありませんし」
「そうだな……。疑似体験ができたと思えば、貴重な体験だったとも言えるか」
「寧ろ、それ位ポジティブに考えないと、やってらんねぇぞ」
「俺の中では今、パワハラセクハラ撲滅キャンペーン展開中です」
「弱者救済……、強者許すまじ……」
「おい……、だから一体、何の話だ?」
全くわけが分からない淳が、周囲を見回しながら困惑気味に尋ねると、隣の席に座っている、後輩達の中では最年長の松原が、ガシッと淳の肩を掴みながら低い声で言ってくる。
「俺達が、小早川先輩に言いたい事は、たった一つだけです」
「……何だ?」
「あんた白鳥先輩の義妹さんに、一体何をしてくれやがったんですか!?」
うっすら涙を浮かべた松原の魂からの叫びと、後輩達からの恨みがましい視線を一身に浴びた淳は、彼等の身に降りかかったであろう不幸のおおよそを悟った。
「ああ……、うん。詳細は分からないが、お前達に迷惑をかけた事は分かった。確実に、お前達が被った被害の原因と責任の半分は俺にあると思う。ここの支払いは全部俺が持つから、今日は好きなだけ飲んで食ってくれ」
心底同情しながら、せめてもの詫びにと淳が口にすると、彼等は最初からそのつもりだったらしく、やさぐれた空気を醸し出しながら動き出した。
「遠慮無く、そうさせて貰います」
「それ位して貰わないと、やってられませんよ」
「おい、アルコールのリストは?」
「ほら、コースの一皿目を催促しろ。他に食いたい物があれば、単品追加でどんどん頼め」
「呼び出しボタン、押したぞ」
それからは世間話をしながら大いに飲んで食べ、それなりに笑顔を取り戻した面々だったが、誰一人として藤宮邸での出来事について愚痴を漏らすどころか、秀明の名前を言及する者も皆無であり、淳にはそれで彼等のトラウマっぷりが垣間見えた。
(美実、秀明……。お前達、こいつらに何をした?)
そして予想外の出費以上に、容赦が無さ過ぎる友人と恋人を思って、淳は頭を抱える事になった。
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