美幸が仲の良い友人達と連れ立って校門を出た時、そのうちの一人が声をかけてきた。
「美幸、今日はこのまままっすぐ帰るの?」
その問いに、美幸は難しい顔になって考え込む。
「う~ん、何か軽く食べて帰ろうかな? 最近ちょっと家の中が気詰まりで、あまり早く帰りたく無いんだよね……」
いつも闊達な美幸らしくない物言いに、周りの者達は無言で顔を見合わせた。
「美幸のとこって、確かこの前、お姉さんが里帰り出産したって言ってたよね? その関係?」
「そうじゃ無いんだけど……。あれ?」
何気なく道路の向かい側に目を向けた美幸は、そこに見覚えがある人物が佇んでいた為、思わず足を止めた。その為周りの友人達も、揃って美幸が凝視している方に視線を向ける。
「美幸? どうかしたの?」
「何? あの男の人、手を振ってるけど」
「美幸の知り合い?」
そこで美幸は我に返った様に勢い良く頷き、別れの言葉を口にした。
「うん、ちょっとした知り合いなの! ごめん! 今日はあの人と話しながら帰るから! また明日!」
「分かったわ」
「それじゃあね」
挨拶もそこそこに、美幸は走っている車に注意しながら車道を横切って、淳に駆け寄った。
「小早川さん、こんな所でどうしたんですか? お仕事の途中、じゃないですよね?」
「ああ。美幸ちゃんの部活は月・水・金だと聞いた覚えがあったから。火曜日と木曜日だったら、比較的下校時間の見当が付くかなと思って来てみたんだ」
そこでさらっと言われた内容に、美幸が訝しげに言い返す。
「でも、結構待ったんじゃありません?」
「そんな事は無いよ。三十分位かな?」
(本当にそれ位で済んだのかしら?)
何でもない事の様に告げた相手に、美幸は疑念を覚えたが、ここで淳が提案してきた。
「取り敢えず立ち話もなんだし、移動しながら話をしないか?」
「そうですね。じゃあ駅までご一緒に」
そう言って並んで歩き出した二人だったが、淳が何やら物言いたげに自分を見下ろしている事に気が付いた美幸は、不思議そうに淳を見上げた。
「小早川さん、私の顔に何か付いていますか?」
そう問われた淳は、苦笑しながら答える。
「ああ、悪い。特に気になる所があるわけじゃないんだが、その制服が懐かしいなと思って」
それを聞いた美幸は、すぐに納得した。
「そう言えば美実姉さんも桜花女学院卒だし、小早川さんと付き合い出したのも、ちょうど私の今の年でしたか?」
「うん、そうだね」
そこで美幸は、真顔で考え込んだ。
(小早川さん位、年齢差がある人とお付き合い……。あり得ないわ。美実姉さんって、実は渋好み?)
しげしげと淳を見上げながら美幸がそんな事を考えていると、淳が僅かに口元を引き攣らせながら、懇願してくる。
「美幸ちゃん……。大体どんな事を考えているかは想像できるけど、できれば口に出さないでくれるかな?」
「い、いえっ! そんな失礼な事なんて、考えてませんから! 大体、男の人の魅力なんて、三十過ぎてから出てくるものですよ! 十代二十代なんて、ガキで小僧で若造ですから! それに小早川さんが美実姉さんと付き合い始めたのは六年前ですから、当時の小早川さんは今より六歳若かったわけで!! それに小早川さん、四捨五入すればまだ三十の筈ですし!!」
「……うん、分かったから、少し落ち着こうか」
(うっ、何か空気が重い。自業自得だけど!)
静かに宥められて美幸はがっくり落ち込んだが、その気まずい空気を何とかするべく、淳が声をかけてきた。
「俺の都合で付き合って貰うのは申し訳ないし、何か食べたい物があったら奢るけど」
しかしその申し出に対し、美幸は微塵も迷わず、丁重に断りを入れる。
「すみません。奢って貰ったりすると確実に美子姉さんに怒られますので、歩きながらの話で構いませんから」
「それもそうだな」
納得した淳と並んで歩き出してすぐに、美幸は彼を軽く見上げながら尋ねた。
「それで……、当然、美実姉さんについての話ですよね?」
「ああ……、うん。悪いね、学校に押しかけて。皆、電話もメールも着信拒否にしているみたいで」
本気で申し訳無さそうに言ってきた淳に、美幸は少々不思議そうに確認を入れた。
「それは構わないんですが……。秀明義兄さんにも、全く連絡が取れないんですか?」
すると途端に淳が俯き加減になりながら、低い声で呟く。
「……親友同士だと思っていたのは、どうやら俺の方だけだったらしい」
(暗っ!! 何かいつもの小早川さんらしくないし、秀明義兄さんも意外に鬼だわ。美子姉さんを多少怒らせても、少しは庇ってあげれば良いのに)
かなり淳に同情し、しかし迂闊な事は言えない為、美幸は横を歩きながら黙って様子を窺っていると、何とか気を取り直したらしい淳が、話題を変えてきた。
「ところで……、美実は元気なんだろうか?」
心配そうに尋ねられた為、美幸は相手を安心させる様に、笑顔で応じた。
「はい。元気一杯って感じとは違いますが、特に問題無く過ごしてます。具合も悪くないみたいですし、美子姉さんと美恵姉さんから、妊娠期間と出産の心得をみっちりレクチャーされてます」
「うわ……、美子さんが付いているなら心配要らないだろうが、なんだか大変そうだ」
「同感です。美実姉さん『色々面倒を見てくれるのは感謝してるけど』って、うんざり顔になってました」
「そうか……」
思わず釣られて淳が苦笑するのを見ながら、美幸は真顔になって確認を入れた。
「あの、小早川さんは美実姉さんの近況を聞く為だけに、私を待ち構えていた訳じゃありませんよね?」
そう言われた瞬間、淳の表情も真剣な物に変化する。
「そうなんだが……。美実と話がしたいと言ったら、美幸ちゃんが困るだろうし」
そんな如何にも心苦しいと言った感じの淳の台詞に、美幸は苦笑しながら言い返した。
「校門の外で待ち伏せまでして、今更ですよ。確かに私もこのままで良いとは思って無かったですし、条件を飲んでくれるなら、二人で会う機会を作っても良いです」
「どんな条件?」
少し安堵しながら尋ねた淳に向かって、美幸は真顔になって条件を提示した。
「まず一つ、美実姉さんに確認した時に、小早川さんに会いたくないし話もしたくないと言われたら、幾ら頼まれても仲介はしません」
「それは道理だな」
文句を言ったり無理強いしたりせずに淳が神妙に頷くと、美幸の申し出は更に続いた。
「それからもう一つ。その場に、私も同席させて下さい」
「美幸ちゃん?」
本気で驚いた顔になった淳に、美幸は真剣な顔付きで話を続ける。
「小早川さんと美実姉さんが、揉めた時の話を聞きました。馬に蹴られる様な真似はもの凄く不本意ですが、仲介する以上、二人がまたキレそうになったら、責任持って私が止めます」
決意漲るその発言に、淳は表情を緩めて快諾した。
「分かった。その条件で構わない。変な気苦労をかけてすまないね」
申し訳なさそうに口にした淳に、美幸は明るい笑顔で請け負う。
「いえ、じゃあ美実姉さんに確認して、なるべく早く小早川さんに連絡します。都合の良い日時を、すり合わせる必要がありますし」
「分かった。宜しく頼むよ」
「お任せ下さい。 じゃあここで、失礼します」
「ああ、気を付けて」
そこで駅の出入り口付近までやってきた美幸は、淳に一礼した。淳も無理に引き止める事はせず、笑顔で見送る。そして階段の向こうに美幸が姿を消した途端、真顔になって呟いた。
「さて……。今度は最後まで、冷静に話を進めないと。せっかく機会を作ってくれる、美幸ちゃんの顔を潰すわけにはいかないしな」
自分自身にそう言い聞かせながら、淳はその場から歩き去って行った。
「美実姉さん、今、大丈夫?」
「構わないわよ? どうしたの?」
淳と会った日の夜、美幸は早速美実の部屋に突撃して、用件を繰り出した。
「美子姉さんや美恵姉さんには内緒で、小早川さんと会って話をするつもりはない?」
「美幸?」
いきなり切り出された内容に、椅子に座ったまま背後に向き直っていた美実は面食らった。しかし姉の戸惑いを無視して、美幸が話を続ける。
「だって美実姉さん、不完全燃焼って言うか、煮え切らないって言うか、あれから鬱々してるのが丸分かりなんだもの。らしくないわよ」
「そんな事を言われても……。子供の分際で、人の別れ話に首を突っ込まないでよ」
「それなんだけど」
「『それ』って、何が?」
「美実姉さん、本当に小早川さんと別れる気があるの? と言うか、このまま別れたりしたら未練が残らない?」
若干目つきを険しくして確認を入れてきた美幸から、美実は微妙に視線を逸らしながら答えた。
「……本当に別れる気だし、未練も無いわよ」
「それならそこら辺を、きちんと小早川さんに説明してよ。ろくに話もしないで、この前乱闘騒ぎになったんでしょう? かいつまんだ話を聞いただけだけと、『子供』の立場から見ても、あれは無いわ」
最後ははっきりと呆れ顔になった美幸に、美実は諦めて了承の返事を口にした。
「分かったわよ。淳と一度、ちゃんと話をするわ。確かに、直に言いたい事もあるし」
「良かった。じゃあ私の方で、予定をすり合わせるね? それからその時、私も同席するから」
「分かっ……、って? えぇ!? あんた何を言ってるの?」
当然の如く言われた内容に、美実は素直に頷きかけて慌てて問い質す。しかし美幸は軽く顔を顰めたまま、決定事項として姉に告げた。
「だって、とても成人した男女のする事とは思えない、乱闘騒ぎを起こしたカップルだもの。信用なんか皆無よね。二人っきりで会わせられますか」
「あのね!?」
「じゃあ、お邪魔様。くれぐれも、美子姉さんと美恵姉さんには内緒だからね!」
「ちょっと、美幸!」
さっさと話を終わらせて部屋から出て行く美幸を止める事などできず、半ば呆然と見送った美実は、再び一人きりになった自室で、深々と溜め息を吐いた。
「全く……。余計なお世話よ」
そしてひとしきり美幸に対する愚痴を口にしてから、今度実際に淳と顔を合わせた時、何をどう伝えるべきかを、美実は真剣に考え始めた。
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