(ええと、何か普通の軟禁っていうイメージよりも、かなり好条件な感じなんだけど……。ひょっとしたらもう少し、融通を利かせて貰えるかしら? そうなったら助かるんだけど)
そして美実は慎重に、持って来たハンドバックを引き寄せつつ、確認の言葉を重ねた。
「ええと……、大変気を遣って頂いている上に、条件に付いて相当配慮して頂いているのに、あっさりお断りするのは申し訳ないんですが、やはり小野塚さんとの結婚は無理なので、幾ら軟禁してみても無駄だと思うのですが……」
「ほう? そうかな?」
「まあまあ、和真ったらそうとう魅力が無いみたいね」
「五月蠅いですよ……」
苦笑する夫婦からの視線を受けて、和真が憮然として黙り込む。その隙に美実はハンドバックの中から目的の物を探り出し、慎重に右手の中に握り込んだ。
「それで、こちらの都合で加積さんと桜さんにご迷惑をおかけするのは、申し訳なく思いますから」
殊勝にそんな事を申し出た美実に、加積達が笑いながら向き直る。
「いや? 別に私達は、美実さんに長期滞在して貰っても、一向に構わないが?」
「そうよ。そんな遠慮しないで?」
「ですが私の仕事に関してまで、加積さん達に色々配慮して頂くのは、流石に心苦しいので……」
「美実さんは謙虚だな」
「女の人が頑張ってお仕事してるんだもの。それに協力するのは当然よ」
変わらず鷹揚に頷く加積達に向かって、美実は軽く頭を下げてから、再度心配そうに尋ねた。
「ありがとうございます。でもお屋敷の中で働いている方達にとっては、迷惑ですよね?」
「この屋敷は出入りが多いし、滞在者に妊婦が一人増えた所で、皆びくともしないがな」
「そうよ。好きなだけ協力させるわよ?」
「ええと……」
そこで何故か口を閉ざした美実は、立ち上がって和真の後ろを回り込み、対角線上に座っている加積のすぐそばに腰を下ろした。その移動の途中で、不審に思った和真が「美実さん、どうかしましたか?」と尋ねたが、それを無視した美実が加積に向かって質問を再開する。
「それなら外での出版社との打ち合わせや、資料の収集に限らず、このお屋敷の中に居る方に色々お手伝いをして頂いたり、お話し相手になって貰っても差し支えないでしょうか?」
「それは勿論だ」
「全面的に協力させるわよ?」
機嫌良く応じた加積達だったが、彼らに向かって何故か美実が、くどいくらいに問いを重ねる。
「それではご迷惑かもしれませんが、加積さんと桜さんにも、お時間がある時には、色々お話を聞かせて貰って構いませんか?」
「構わないが?」
「話すのは好きだしね」
何気なく夫妻がそう応じた瞬間、美実は座ったまま歓喜の叫びを上げた。
「いよっしゃあぁぁ――っ!! 言質取ったぁぁ――!!」
「え?」
「は?」
「ほう?」
周りの者が唖然となったり、興味深げな視線を送る中、美実はそのままの体勢で、右手の拳を天井に向かって勢い良く突き出す。
「偉い、私! 良くぞ持ってた! 物書きの必須アイテム、ICレコーダー!!」
「はぁ?」
まだ唖然としている和真を尻目に、手の中に収まっているレコーダーを操作して「うん、ちゃんと録れてる」と満足げな呟きを漏らした美実は、満面の笑顔で和真に宣言した。
「あ、小野塚さん、やっぱり私署名捺印できないので、暫くここに軟禁されますから! じっくり加積さんと桜さんのお話を聞いて、その内容でノンフィクション大賞を狙う作品を書かせて貰います! ご協力、ありがとうございます!」
「……え?」
そして呆然としている和真を無視して、美実はレコーダー片手に加積ににじり寄った。
「早速ですが、是非、二人の馴れ初め話を聞かせて下さい!」
その要請に加積が応える前に、桜がおかしそうに会話に割り込んでくる。
「まあまあ、せっかちさんねぇ。でもどうして馴れ初め話が聞きたいの?」
その問いに、美実が微塵も臆せず説明した。
「この前お会いした時にも思ったんですが、何かお二人のイメージにギャップが有りすぎて。どういうきっかけでお二人が出会ったのかな~と、想像が止まらないんです!」
「なるほどねぇ。確かにちょっと普通とは言い難い出会いだったかもねぇ」
「やっぱりそうですか! 是非お願いします!」
くすくすと笑い出した桜に、美実が嬉々として食いつく。すると加積が苦笑いする中、桜がサラリととんでもない事を口にした。
「あれは暑い、夏の日だったわね……。白い日傘をさして歩いていたら、道の反対側で一人をよってたかってボコボコにしている集団が居てね。咄嗟に傘を畳んで、そいつらに向かって投げたのよ。そうしたら一番後ろで仁王立ちになってた、この人の後頭部に突き刺さったの」
「さっ、刺さったぁっ!?」
流石に動揺して声を荒げた美実だったが、加積が苦笑いしながらそれを宥めた。
「刺さったと言っても、正確には傘の先端がめり込んだ程度だがな。その後、ずっとそこだけ禿げているんだ」
「マジですか……」
上半身を捻って、後頭部の髪を軽くかきあげた加積の手元が、確かに一部分丸く地肌が見えているのを目にして、美実は恐れおののいた。しかしすぐに我に返り、桜の過去の行動を窘める。
「って、桜さん! 何怖すぎる事やってるんですか!! やり投げの選手だったんですか!? いえ、例え選手だったとしても、傘なんか投げないで警察に通報しましょう! 因縁付けられたらどうするんですか!?」
しかし桜は、おかしそうに笑っただけだった。
「選手では無かったけど、美実さんったら、笠原と同じ事を言うのね」
「そりゃあ誰だって……。え? 笠原さん?」
その人物が、加積達の側に控えている老人の事だと分かっていた美実は、反射的に桜の視線を追って、出入り口の襖に目を向けた。するといつの間にか戻って来ていた彼が、疲れた様な溜め息を吐く。
「笠原は、元は私の実家で働いていてね。その日は私が買った物を両手に提げて、私の後ろを歩いていたのよ。……ねえ? 笠原?」
桜がそう話を振ると、笠原はどこか遠い目をしながら頷いた。
「はぁ……。桜様の代わりに連中に寄ってたかってボコボコにされたのが、つい昨日の様な気が致します……」
その黄昏っぷりに美実は顔を引き攣らせ、加積が笑って詫びを入れる。
「はは、あの時は本当に悪かったな。俺も若かったからなぁ」
「……いえ。桜様に手出しされなかった所にだけは、感服致しました」
「それは嫌みか?」
「少々……」
疲れた様に笠原が漏らした言葉を聞いて、加積達は夫婦揃って楽しげに笑った。
(桜さんが結婚する時、心配した実家から付けられたのかしら……。何にせよ、長年ご苦労様です)
思わず美実が笠原に憐憫の眼差しを送っていると、ここで使用人らしい女性が入室し、昼食の準備が整った旨を告げた。
「美実さんが来ると聞いたから、ちゃんと人数分準備させておいたんだ。どうかな? 話の続きは食べながらでも良いが」
「はい。是非ともご一緒に!」
自分の申し出に、一もニもなく頷いた美実に苦笑しながら、加積は桜に告げた。
「そうか。じゃあ桜、先に美実さんを連れて行って、食べていてくれ。すぐに行くから」
「分かったわ。美実さん、こっちよ」
「はい。失礼します」
そうして女二人が楽しげに話をしながら立ち去る気配を感じながら、加積はその場に残って憮然としている和真に声をかけた。
「残念だったな。だがそもそもあの美子さんの妹が、軟禁すると言って大人しく言う事を聞いたり、怖がるとは思えん。お前の判断ミスだな」
「…………」
笑いを堪える表情で加積が指摘すると、和真の眉間に深い皺が刻まれた。
「で? どうする? 予定を変更して、彼女を帰すか?」
「変更なんかしませんよ。何を言ってるんですか」
「そうか……。まあ、彼女の事は責任を持って面倒を見るから安心しろ」
「お願いします。それでは失礼します」
不機嫌そうな表情を隠そうともせず、和真は素っ気なく挨拶してその場を後にした。それを見送ってから、加積がしみじみとした口調で感想を述べる。
「あいつも色々と、面倒くさい奴だよな」
「旦那様程ではございません」
「そうか?」
すかさず入った笠原からの突っ込みに、加積はおかしそうに笑ってから立ち上がり、食事をするべく桜達の後を追った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!