「淳君……、ちょっと良いかな?」
「ええ、構いません。でも泰之さんが電話をくれるなんて、珍しいですね。どうかしましたか?」
決して仲が悪いと言う訳では無いが、連絡を寄越すならやはり実の姉の縁であり、淳は怪訝に思いながら義兄からの電話に応じた。すると彼が、困惑気味に話し出す。
「それが……、縁が寝込んでしまったので、私が代わりに電話しているんだが」
「あの頑丈な縁が寝込んだ? まさか病気とか? 大丈夫ですか?」
慌てて問い返した淳に、泰之が冷静に言い返す。
「そうじゃないんだ。とあるパーティーに藤宮社長が参加すると聞いたから、夫婦でお義母さん達の事を謝罪しに行ったら、事態が余計に悪化して……」
それを聞いた淳は、一瞬当惑してから、思わず声を荒げた。
「藤宮社長……、藤宮さんの事ですよね? でもそれは美子さん夫婦の所で止めて、藤宮さんの耳には入れていない筈ですよ!? 婿入りした藤宮家を大事にして誇りに思っているあの人の耳に入ったら、激怒する事が必至なのは、これまでの付き合いで俺にも分かりますし!」
「やはり、ご存知無かったんだ……」
「義兄さん、すみません。詳しい話を聞かせて貰えませんか?」
何やら気落ちした様に呟いた義兄に淳が尋ねると、相手は順序立てて説明を始めた。
「少し前から予約が満室状態でも、実際に宿泊客が殆どいない状態が続いている事は、縁から聞いているかな?」
「はい。昨年のうちに」
「その殆どの客が、当日キャンセルとか無連絡だったから、宿泊料はほぼ百%うちに入っていたんだが、半月位前から七日前とか三日前までにキャンセルの連絡が入る様になって、宿泊料が殆ど入らなくなったんだ」
「そうなんですか? それは聞いていませんでした」
「それで少しでも空いた部屋を埋めようと、提携している旅行会社に斡旋をお願いしたら、『お宅は近々廃業予定で、新規の予約を受け入れない事にしたと二ヶ月以上前に連絡を受けて以降、システム上から項目を削除しているし、こちら経由で予約も入れていないが』と言われたんだ」
そこまで聞いて、淳は本気で驚いた。
「何ですって!? そんな連絡なんかしていませんよね?」
「勿論だ。慌てて提携している旅行会社やサイト運営元に確認を入れたら、全て同様だったんだ。慌てて『それは何かの間違いなので、宿泊客の斡旋をお願いします』と依頼したんだが、『最近お宅の評判が悪いんだよね』とか、『もう春向けのパンフレットは作製済みで、それにお宅は載って無いから』とか言われて……」
そこで泰之が溜め息を吐いた気配を察した淳は、根本的な疑問を口にした。
「でもそうなると、これまでの宿泊予約はどうやって入っていたんですか? 今時電話での予約は、あまりありませんよね?」
「そうなんだ。それが全く分からない。提携先からの接続が皆無の筈なのに、どうやってうちの管理システムに反映されていたのやら。しかもこれまで宿泊料もきちんと振り込まれていたし」
(どういう事だ? そうなると、気が付かないうちに旅館のシステムが、外部から乗っ取られて操作されていたって事か?)
どう考えても穏やかでは無い話に、淳の顔が強張ってきたが、泰之の話は更に物騒な物になってきた。
「そうこうしているうちに、県の観光協会の理事をしている、俺の母方の伯父の一人から連絡が入ったんだ。その人の事は知っているかな?」
「小耳に挟んだ事は。すみません、お名前は覚えていませんが」
「それは構わないんだが……、伯父から『お前の所が困っているみたいだが、それは実はお前の姑と揉めた、東京の藤宮社長の仕業だと分かった。実は近々彼が来県して、県主催の観光物産奨励のパーティーに出席するそうだ。お前と一緒に頭を下げてやるから、それに出席する気は無いか?』と誘われたんだ」
「それで藤宮さんに頭を下げに、パーティーに出向いたんですか?」
淳は嫌な予感を覚えながらも話の先を促すと、泰之は声のトーンを若干低くしながら説明を続けた。
「ああ。だが当の藤宮さんは何の事やら分からない顔付きで聞いてから、婿養子の男性を呼びつけて詰問し始めて……。その人が持ち歩いているデータの中に、お義母さん達が自宅に伺った時の内容も入っていたらしく、その会場のホテルに宿泊しておられたから、少し待たされた後、揉めた内容の一部始終を、藤宮さんと県内のお偉方の前で披露されたんだ……」
「泰之さん……」
それだけで、その場の光景が想像できた淳は、心底姉夫婦に同情した。すると泰之が、その予想に違わぬ内容を告げてくる。
「全て聞き終えた藤宮さんが、無表情で『先程のお話では、私がそちらの宿泊予約を調整したり、わざと取材の妨害をしたり、果ては無関係な与党県連への働きかけを実弟に依頼したわけですね。そして、その理由がこれだと。いやはや、驚きました。一面識も無い方に、そんな矮小な人間だと思われていたとは。不徳の致すところですかな?』と淡々と仰って。その時点で、縁は腰を抜かして床に座り込んだ。怒鳴りつけられたりしていないのに、俺も寒気が止まらなかった……」
「…………」
もう言葉も無い淳は黙ってうなだれたが、泰之が昌典の怒りの程が知れる内容を口にする。
「それで『経営者としてそんな危なっかしい状態では、色々と不安が多いでしょう。あなた方の弟と、私の娘の間に些かの関係が有ったのも何かの縁。後顧の憂いの無いように、居抜きで旅館を買い上げて差し上げましょう。従業員の雇用は保証しますので、どうかご心配なさらず』と笑顔で仰ったんだ」
「何ですって!?」
「それからは周囲に、寄ってたかって会場から引きずり出されて。伯父には『どうして公の場であんな話を持ち出した!』と叱責されたから、『伯父さんが人目のある所で謝罪した方が、相手も強く出られないからその方が良いだろうと、電話で言ってたじゃないですか!』と反論したら、『俺はそんな話はしていない! 第一、藤宮社長に義母が失礼を働いたので、今度社長が来県する時に出席するパーティーで、自分達を紹介してくれと、泣きついて来たのはお前だろうが!』と怒鳴り返されたんだ」
そこで淳は、慌てて今の話の矛盾点を突いた。
「ちょっと待って下さい。そうすると泰之さんも理事の伯父さんも、お互いに自分からは電話をしていないんですか?」
「ああ。もうわけが分からない……。当日は打ち合わせ通りの時刻に、会場の外で待ち合わせをして、伯父に入れて貰ったんだが……。ひょっとしたら藤宮さんは本当に無関係で、あの人と揉めている事を耳にした、同業者の陰謀かもしれないと思って、淳君に電話してみたんだ……」
(こんな大掛かりな、しかも尻尾を掴ませない裏工作……。どう考えても加積、と言うか小野塚の野郎が糸を引いているとしか……)
泰之が独り言の様に呟いたが、淳はある可能性に気が付いた。しかし詳細を気軽に口にする訳にもいかず、苛つきながら義兄の話に耳を傾ける。
「それで……、今日うちに、藤宮さんから指示されたと言って、婿に当たる方が司法書士と不動産鑑定士同伴で出向いてきて、買い取り額を提示されたんだ」
その話に、さすがの淳も度肝を抜かれた。
「はぁ? 今日? 秀明が!?」
「ああ。君の友人だそうだね。『長年の友人の実家のよしみで、買い取り額を査定より百万上乗せしておきました』と、さらりと笑顔で言われたよ」
「秀明……、あの野郎……」
盛大に唸って歯軋りした淳を宥める様に、泰之が冷静に話を続ける。
「当然お義母さんが激怒して、その話をはねつけたんだが……。その後、従業員の主だった面々に、引き抜き話を持ち掛けたらしくて。今日のうちに三人が退職を申し出てきた」
「何ですって!?」
「他にも勧誘された人間はいるみたいで、正直どれだけの人間が辞めたいと言い出すか分からない状況なんだ。無理もないよ。この間不穏な事が続いていて、皆が疑心暗鬼になっていたし」
(秀明……、お前、仕事早すぎだろ!?)
ろくでもない手腕を発揮した友人に向かって、淳は心の中で罵声を浴びせると、泰之がどこか疲れた様に言い出す。
「それでお義母さんが、一連の騒動が全部藤宮さんの仕業だと、益々わめき散らしていて」
「いや、あの人に限ってそれはないです」
きっぱりと断言した淳に、泰之も同意を示した。
「それは俺も実際にお会いしてみて、そうだと思う。だからまたお義母さんが上京して、藤宮さんの所に押し掛けるのは何としてでも止めるから。ただ今回の事で、藤宮さんの淳君に対する心証が悪くなってしまっただろうと思って、取り敢えず経過だけ報告しておこうと思ったんだ」
内外の対応で神経をすり減らしているであろう義兄が、自分の立場を心配して電話をかけてくれたのを正確に理解した淳は、電話越しながら相手に向かって深々と頭を下げた。
「連絡、ありがとうございます。それに旅館が大変な時に、こちらの心配までして頂いてすみません」
「いや、まさか俺達も、あんな展開になるとは思っていなかったからね。様子を見て少し落ち着いたら、改めてご都合をお聞きした上で、藤宮さんにお詫びに伺うつもりだよ。その時は、淳君の方からも口添えしてくれたら助かるんだが」
「分かりました。勿論、そうします。実家の方は宜しくお願いします」
「ああ。それじゃあ失礼するよ」
そうして気が重い話を終わらせた淳だったが、内心では怒りに震えていた。
「小野塚の奴……、どこまで嫌がらせすれば気が済むんだ……」
しかし淳の読みはまだ少々甘く、和真の謀略はこれからが本番だった。
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