マキュリー。『リバース』内の地名で、現実世界での水ヶ音市に位置する。水ヶ音市自体が発展した街であるゆえに、このマキュリーも他とは頭一つ飛び抜けている。
昼間は活気溢れる繁華街。良くも悪くも騒がしい人の声がアタシの耳にもよく通る。しかし、ひとたびそれが夜になるとオシャレで大人の雰囲気がある、おしとやかな街になる。活気とはまた違う不思議な雰囲気が、アタシの心をくすぐる。
星空の下でこの街を歩く度に、アタシがこの街に溶け込んでいる様子を想像してしまう。堅苦しいスーツを着ながら、カフェのテラス席でワイングラスを揺らし、黒縁のメガネをクイッと上げる。
大人の女性に憧れる、アタシなりの妄想だった。
そんなアタシに夢を見させてくれる優雅な街並みの中を、アタシは全力で駆け抜けていた。
「どう?着いてこれてる?」
アタシは耳に当てたスマートフォン型のデバイスに向かって語りかける。デバイスからは今まで何度も聞いてきた男の声が聞こえた。
「あぁ、なんとかな」
大地は少し息切れしながらアタシにそう語り掛ける。アタシはリバースで、件のミノタウロスの捜索、大地はバイユーのマップを見つつ、現実世界のアタシの位置に対応する場所に移動。
万が一、ゲートが生まれてミノタウロスが現実世界に出ても、アタシと大地が袋叩きにする。
今回はそういう作戦だった。
本当はこんなに全力疾走するつもりはなかった。アタシと大地で、世界を跨いだ夜の散歩を楽しむぐらいの気持ちだった。
が、少々予定が狂ってしまった。その理由はただ1つ。
「………………いた」
ミノタウロスが思いのほか早く見つかったからだ。
「いたって……マジか!?」
リバースに戻ってきてすぐ、建物の隙間に一瞬だけ黒い影が動いたのが見えた。最初はあまり気にしてなかったけど、頭の中にその映像が繰り返されているうちに気づいた。
その影の全身が傷だらけだった事に。
多分あの傷はアタシと大地がつけたもの。つまり、アイツがアタシ達と交戦したミノタウロス。
そう思うと、額から冷や汗が流れた。
影を追ってたどり着いた先、そこは広い公園だった。緑色の芝生が一面に敷き詰められていて、それらに微かに付着する露が月明かりを浴びて美しく輝いている。
その淡い光のど真ん中にミノタウロスは片膝を立てて座っていた。
幸か不幸か、周りにはアタシ以外のアバターはいない。ミノタウロスは「かかってこいよ」と言わんばかりにアタシを睨みつけた。
それは同時に、ここにはアタシしかいない。これから始まるのは孤独な戦いだ、ということを再確認させた。
「…………ッ!」
アタシは顔を歪め、銃を装備した。そして1歩、警告するように大袈裟に踏み出す。それでもミノタウロスの表情は全く変わらなかった。
そっちがその気なら、アタシだって躊躇はしない。
ダンッ!
銃を持った手で空間を殴るように引き金を引いた。そのまま連続で、今度は空間を切り裂くように長い銃身を振り上げながら銃を撃った。さらに今度はまっすぐ銃を持ち、ミノタウロスの眉間目掛けて弾丸を放った。
いつか大地が使ってた、『ガン=カタ』という戦い方。格闘の動きに銃撃を絡めた戦闘スタイル。それをアタシなりに模倣してみたものだ。
確かに、アタシの長い銃はガン=カタには向いていない。でも、アタシの手の中には確かな手応えがあった。
ドスドスドスッ!全ての弾丸はミノタウロスの体に命中し、
グモォォオオ!!
ミノタウロスは雄叫びを上げる。すると、奴の体からグォングォンと波が打つように視界の歪みが発生した。まるでミノタウロスが何かを排出しているかのように。
ビリビリと伝わる空気がアタシの頬を通り過ぎた。
次の瞬間、ミノタウロスは巨大な地響きと共にもはや武器と呼ぶことすら躊躇ってしまうほど巨大な斧を叩きつけた。
下が土だから良かったものの、その衝撃で地面が大きくえぐれた。あの攻撃を食らった時には、アタシの死体は人型をしていないだろう。グロテスクに潰れた自分の姿が一瞬頭によぎり、アタシは顔をしかめた。
というより、アタシの知っているミノタウロスはあんな馬鹿みたいな攻撃力は持ち合わせていない。装備的にも、アタシが一撃食らっても余裕で耐えれるくらいだ。
要するに、あのミノタウロスは決定的な強化を得ている。
「……ふーん。久しぶりに歯ごたえある奴来たじゃん」
アタシは指でガッと口を擦り、武器を槍に持ち替えた。
ザッザッザッザッザッ!
アタシは微かに濡れる芝生の上を軽い足取りで走る。もちろん、標的であるミノタウロスに向かって。
グモォオオ!!
ミノタウロスはアタシを迎え撃つかのように大斧を振り上げ、アタシを睨んだ。
アタシはそれを見て転がるようにミノタウロスの懐に潜り、手に持った槍を全力で振り回した。
ギッ…………ザシュゥ!
一瞬刃が硬い筋肉に引っかかったが、そのまま筋肉ごと引き裂いた。そのままアタシは刃の先で∞の字を描くように連続で斬り続けた。
ビュンビュンと風を切る音が絶えず鳴り続ける。
グモォオオオオオ!!
ミノタウロスはまた雄叫びを上げ、斧の刃を自分の腹に、もとい懐にいるアタシに向けた。
なるほど、多少自分が傷ついてでもアタシを殺そうってわけか。エネミーのくせになかなか根性あんじゃん。
いいよ、乗ってあげる。
ミノタウロスの大斧がアタシの首めがけて勢いよく振りかざされた時、アタシはそれを受けるように槍を横向きに突き出した。
そしてその2つが接触するその瞬間、武器を槍から斧に変えた。
斧は射程の代わりに重量と攻撃力がある。こういう場合は斧で受けるのが適切だ。
ギリギリギリギリ…………と鉄と鉄が重なり合う耳障りな音。アタシの手にかかる負荷も、音が大きくなるにつれ増えていった。
「もう少し……もう少し…………!」
腕の筋肉はとうの昔に限界を迎えている。いつはち切れてもおかしくはない。だけどアタシは粘った。まだいける……まだいける……そう自分に言い聞かせ、その時を待った。
チラッとミノタウロスの表情を伺う。その眼はアタシの顔に釘付けになっていた。完全にアタシを敵、獲物として見ている眼。明確な殺意を抱いた恐ろしい眼だった。
化物という言葉がこんなに似合うのも珍しい。
グモォォォオオオオオ!!
ミノタウロスはさらに雄叫びを上げ、斧を振る力をさらに増す。アタシの斧の刃が少しずつミノタウロスの刃に喰われていくのが分かった。
今だ。
次の瞬間、アタシはミノタウロスの目の前から消えた。ミノタウロスの腕の力が急に解放され、斧が地面に深く刺さった。
あっけにとられながら首を動かすミノタウロス。その真後ろでカチャと無機質な音が鳴った。
「じゃあね♪」
ダァンッ!
アタシが放った1発の弾丸は的確にミノタウロスの弱点を貫いた。
「今のいいとこ入ったねー。やっぱアタシさいきょーだわ」
ミノタウロスと斧と斧でぶつかり合った時、アタシはその手に伝わる莫大な力を感じた。と同時に、このままやっててもアタシがコイツを押し切れるわけが無いという確信も抱いた。
だからミノタウロスの手の力が最大まで乗った所でミノタウロスの足の横辺りに滑り込み、そのまま真後ろへ回った。
そうしてミノタウロスの弱点を突き、撃破したってわけだ。
アタシはうつ伏せになって倒れたミノタウロスを見て安心し、んーっと上に伸びた。
「疲れたぁー。あっちの世界に戻って大地になんか奢ってもらお」
アタシがそう言って武器をしまおうとした時。
計算外の事態が起きた。
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