「よっ」
眠い目を擦りながら教室の扉を開く。扉の前にいる優斗と目が合った。こいつもこいつでダランと机に垂れながら俺の方を見た。
「おはよう、その後『リバース』はどうだ?」
どうやら優斗も昨日は『バイユー』に没頭していたようだ。おかげで彼の目の下のクマはかなり広がっている。
「昨日ミノタウロス狩ってきた」
俺が疲弊した声でそう言うと、優斗は目を見開いて聞き返してきた。
「ミノタウロス?何のために?」
いい言い訳が思いつかなかったから若干言葉に詰まってしまったが、ここで答えないのも不自然だ、と無理やり絞り出した一言。
「……何となく狩りたくなっただけだ」
これしか思いつかなかった。
本当ならもっといいのが思いついたかも知れないが、昨日の事で頭がいっぱいになってる俺にはこれが限界だった。
「まぁ、そういう日もあるよなぁ……」
優斗は眠さで頭が回ってないらしく、机に突っ伏したまま俺とふわふわした会話を続ける。主に『リバース』の話だ。『バイユー』の使い勝手はどうだとか、新しい装備の性能はどうだとか、アプデで修正された箇所に文句言ったりだとか、そんなくだらない会話だった。
「あ、そうそう。今日隣のクラスに転校生来るらしいぞ」
「転校生?珍しいな」
「しかも外国人。スペインの人だとか言ってたな」
「スペインかぁ…………」
現実どころか『リバース』でも言ったことがない。それどころか、スペインっていう国名を聞いてもどんな国だとか、名物は何だとか、どこが観光名所だとか、そんな情報も全く思い出せない。というか最初から知らない。
結果、俺からこぼれた疑問はこれだ。
「日本語、通じるのか?」
「やっぱそうなるよな」
優斗も同じだったみたいだ。少し安心した。
「大丈夫だと思うぞ、何年か前から日本にはいたっぽいし」
なるほど、スペインからいきなりうちの高校に来たんじゃなくて、どこか他の高校に通ってた所から引っ越してきたってわけか。
「あとで覗きに行ってみるか」
と会話を終わらせ、俺も朝のホームルームが始まるまで一眠りしようか、と机に顔を近づけたその時。
「あの……こんにちは」
柔らかい女性の声が俺の耳を突き抜けた。
と同時に、優斗が一瞬で飛び起きた。見たことがないほど直立に立っていた優斗に、笑いをこらえるのが大変だった。
とはいえ、実際のところ緊張しているのは優斗だけではない。俺含め、男子も女子もその声の主に釘付けになっていた。
それもそのはず、俺達の教室の前に立っていたのは、黒髪のストレートヘアーで着飾りしないシンプルな出で立ち、にも関わらずその透き通った肌やスタイルの良さから抑えられない清楚さを溢れだしている美少女。
水ヶ音高校の華・櫛名澪だったからだ。
「え、あ、櫛名さん。え、えっと、何か用?」
優斗はロボットのようなギクシャクした動きで身振り手振り櫛名さんにアピールをする。櫛名さんは恥ずかしがりながらも、用件を言った。
「あの……須佐野くんっている?」
「俺ェ!!?」
俺も飛び起きてしまった。ガタンッ!と机が揺れる音と共に俺の眠気は明後日の方向へ消えていった。
え、俺櫛名さんとほとんど喋ったことないよ?しかも名指し?え?なんで?緊張と焦りと混乱がぐちゃぐちゃに入り乱れながら、まばたきをいつもの2倍の速さで行う。
俺はクラス中の痛い視線を浴びながら席を離れ、扉の前へ向かった。
俺が目の前に立つと、櫛名さんは目を逸らしながら小さな声で問いかける。
「あ、君が須佐野君、だよね?」
「あ、えっと……そうです」
さっきまでガチガチになってた優斗を馬鹿にしていたが、俺も人のことを言えないほど挙動不審になってしまった。
何か告白とかデートとか、いい感じな展開になるという期待に50票、自分でも知らぬ間になんかやらかしてて怒られるんじゃないかという不安に50票。
俺の中の投票は引き分けに終わった。
「あの……ここで話すのもアレだし、屋上、行こうか」
この流れはまさか…………!
だんだんと俺の中での期待の方の割合が多くなってきた。
屋上に向かう階段一段一段がとてつもなく重く感じる。それは周りから嫉妬の目で見られているから、ではない。俺の高校生活を大きく左右する出来事が始まろうとしている。そう思って、柄にもなく胸が高鳴ってしまったのだ。
錆びた屋上のドアを開けると、晴天が俺達を迎えた。吹き抜ける風が俺と櫛名さんの髪をなびかせる。先客もおらず、俺達は青空の下で2人きりになった。
扉からある程度進んで屋上のど真ん中に立った時、俺と櫛名さんは向かい合った。櫛名さんは泳ぎまくっている俺の目を見て、すうっ……と息を吸い、少しタイミングをずらして言った。
ついに告白の一言が……!
と期待していた分、その衝撃は大きかった。
「昨日の夜、須佐野君どこにいた?」
「………………え?」
予想外だった。あまりにも予想外すぎた。
この際、この空気で告白じゃなかったとか、そんなことはどうでもよかった。まさか昨日の戦い……櫛名さんに見られてたのか!?
とにかく、ここは何とか言いくるめないと――――――
「いや、普通に家にいたけど……」
「嘘だよね?」
「…………………………」
俺は思わず無言になってしまった。その間も、品定めするような櫛名さんの鋭い目が光っている。
ヤバい、これは非常にヤバい。
「昨日の夜、水ヶ音駅の近くの公園にいたよね?私、あの近くに住んでるから知ってるよ」
「え、あ……ごめん」
俺は後頭部を掻きむしり、謝罪する。今にでもここから逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。
「あんな真夜中に、何してたの?」
「えっと……まぁ、ゲームだな」
「ゲーム?」
「あぁ。リアルと連動したやつ。ちょうどあの辺りにレアなのがいたからさ…………。まぁちょっとした散歩だよ。夜遊びしてたって訳じゃねぇさ」
「…………そっか」
櫛名さんは納得いってない、というよりピンと来ていないような顔で何度か頷いた。そうだよな、確かに俺も櫛名さんがゲームやってる姿なんて想像できない。この人は無関係なんだ。
ただ……昨日一歩間違えれば無関係な人の命が失われたかも知れない。もしそれが櫛名さんだったら……?考えたくもない事が脳裏に焼き付いた。
「ごめんね、わざわざ呼び出しちゃって。用事っていうのはそれだけなんだ」
「あ、あぁ。そっか」
結局、何も進展しないまま俺は教室に戻った。
――――――――――――――――――
「って事があってさ」
帰宅後、夕暮れに染まる街を俺とプラチナは特に意味もなく歩いていた。今回は正真正銘ただの散歩。コンビニ行くついでに、プラチナに街に慣れてもらおうと思ったのだ。
「そうだよね……運が悪ければ『リバース』とは全然関係ない人が死んじゃうかも知れないんだよね」
プラチナもこの話は重く受け止めているらしい。彼女の表情に光が消えている。
「それも1人や2人じゃない、下手すりゃ何十人も巻き込む大虐殺にだって繋がりかねない。『リバース』のエネミーはそれだけ危険だ」
昨日のミノタウロスもそうだが、『リバース』のエネミーはゲーム内ですら死ぬような強さの怪物が多い。まともに戦闘経験のない一般人が戦って勝てる相手じゃない。
戦える俺たちが、手の届く範囲の命を守るしかない…………のかな。
そんな事を考えながら、オレンジ色に塗られた街を見渡す。いつも見ているはずの景色なのに、どこか寂しげで、胸が締め付けられた。
そんなことを考えながらアスファルトの道路を歩いていたら、ふと目に止まった。
広めの空き地の真ん中に存在する歪な光を。
「ゲート…………!」
俺にのしかかった重しはいきなりその姿を現した。
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