「フフフ…………ハハハハハ!これだよ、これがいいんだ!」
男は狂気的に笑いながら俺に訴えかける。麻薬でも勧めてくるみたいに、自分の持つそれの効力を楽しそうに語る。
「これさえあれば、これさえあれば神にだってなれる!どんな夢でも簡単に叶うのさ!」
ハハハハハッ!と笑い続ける。
…………今のコイツに話が通じるとは思えない。早く何とかしねぇと…………!
だが、何とかするって言ったってどうすれば?
そもそも、さっきアイツが腕に刺した試験管みたいなアイテム、あれはなんだ?あんなもの、見たことも聞いたこともないぞ?
得体の知れないものを何とかするなんて、どれだけの幸運があっても不可能だ。
となれば、何とかするべきなのは男本人って事になるが…………。
そこまで考えて、俺は身震いした。手に持ったナイフは銀色に輝いている。その冷たさと鋭さに、俺の思考はかき混ぜられた。
たとえ敵だとしても…………相手は人間だ。確かに対人戦は得意だが、その力は競い合うためのものだ。人を殺めるための力じゃない。
本当なら傷つける程度で止めて相手の降伏を狙いたいが、相手が何をしてくるか分からない以上その作戦が上手くいくかも分からない。
「…………チッ!」
結局、俺はその場しのぎを繰り返して時間を稼ぐことしか思いつかなかった。
「プラチナ!」
俺が彼女の方を向いた頃には、彼女は既に男の足に銃口を向けていた。そして瞬時に、ほんの少しだけ人差し指が3回動いた。
ダンダンダン!1発1発の間隔も狭く、ほぼ同時に叩き込まれた鉛玉。それらは一切のブレを許さず、標的に直進した。
が、
「……今の私を正攻法で倒せるとでも?」
銃弾は全て男の足に当たったが、傷1つ付けられないまま力なく落ちた。
「嘘……でしょ?」
効いてない……なんてレベルじゃねぇ。弾丸を無傷で受け止めるなんて、いくらゲームでもありえない。
プラチナは青ざめながらも武器を槍に変えた。そして相手を迎え撃つように、もとい自分の身を守るように斜めにそれを構えた。
「……うぉぉおおらぁ!」
俺は姿勢を低くしながら男に近づき、ナイフを持った手を水平に、パンチを打つように突き出した。ナイフは男の心臓を的確に捉え、鋭い刃先が男の体にめり込ん…………
「何をしているんだ?」
「なにっ…………!?」
俺のナイフは男の胸筋に阻まれて止まった。鉄板を突いたような痺れた感覚だけが手に残った。
「銃?ナイフ?全く、物騒な物を持つな君たちは…………」
男はそう言って左手を上げ、垂直に構えた。その立ち姿は影となって俺の視界に被った。
「真の強者は、武器なんて使わないのさ」
ゴォッ…………!
風を切る轟音が俺の耳元に擦れた。砂煙と瓦礫が飛び散ったかと思えば、目を開けたら俺がいたはずの地面は放射線状のヒビが蜘蛛の巣のように入っていた。
が、気になったのはそれだけじゃない。今の攻撃、間違いなく俺に命中していたはずだ。何者かが俺の体を引っ張って強引に避けさせたのだ。
が、まず最初に思いつくその候補プラチナは今俺の姿を見てこっちに走ってきている。
櫛名さんとムラマサは別の場所に行ったはずだし…………。
一体誰だ?俺がその正体を見ようと振り返った時、
「しっ」
そこにいた見ず知らずの女性は人差し指を唇に当てた。
そして小声で俺とプラチナにこう言う。
「彼が使った『バーサティリティ』には、副作用として視力が低下する効果があります。この距離なら彼は私達を視認できません」
そ、そうなのか。初めて知った。
…………というか、結局この人誰だ?
黒い髪の少し長いボブヘアー、同じく黒い縁の四角い眼鏡をかけていながら、その肌は白く透明感がある。服は黒多めのグレーで、会社終わりのOL、なんて印象を受ける。
「えっと、あなたは……?」
プラチナがそう問うと、女性は答えた。
「私は『AAU』の総司令官、霧島葵と申します」
「はっ……!?」
『AAU』の……総司令官!?一体何をしにここに……?
いや、そんなことより…………!
「えっと、霧島さん。あの男は一体何をしたんですか?試験管みたいなのを腕の装備にはめたと思ったらあんな感じに…………」
「あれは『ハック』。
リバース側の人間が使用する兵器の1つです。データの世界を生きる彼らはその体すらもデータから出来ています。
『ハック』はその体に局地的なバグを発生させて体を強化し、戦闘を有利に進めるものです」
あの男が使った『バーサティリティ』は身体強化を行うハック。シンプルな効果ながら強力な力を持つ、と霧島さんは言った。
「……っと、それで霧島さんはなぜここに?」
まだ『AAU』へ入団するとは言っていない。非メンバーの俺をわざわざ追ってきたとは考えにくい。
「櫛名さんからご連絡を頂き、こちらに参りました。この場所で須佐野さんがゲートの対応をしている、だから彼を支援すると共に、例の物を渡してほしい。と」
例の物……?
俺がその詳細を聞く前に、霧島さんは影に隠れていたアタッシュケースを取り出した。カチャカチャと2箇所のロックを外すと、中の黒いスポンジに包まれて2つの物が現れた。
1つは、男が付けている物と同じ黒い腕輪。
そしてもう1つは…………青白く光る液体の入った3本の試験管だった。
「これって…………!」
ハック……!という言葉が出る前に霧島さんはそれを訂正した。
「これはハックではありません。ハックに対抗する為に我々『AAU』が開発した兵器『アドオン』です」
ハックに対抗するためのアイテム……?
「『ハック』がデータの体に異常を起こして強化する兵器なのに対し、『アドオン』はデータそのものを現実の人間に導入する兵器。これこそがリバースの侵略を跳ね除ける切札です」
アタッシュケースの中のアドオンは煌びやかに輝いていた。3本の容器にはそれぞれラベルが貼ってあった。霧島さんはそれを一つ一つ説明してくれた。
「左から、
攻撃力を増強する引き換えに集中力が低下する『アウトレイジ』、
集中力を増強する引き換えに行動速度が低下する『クラックデイズ』、
行動速度を増強する引き換えに攻撃力が低下する『レッドコメット』。
どれを選んでいただいても構いません。
あなたは、どれを選びますか?」
ゴクリ……。
俺はその一言の重圧に押し負けそうだった。
どれを選んでも構わない、それすなわち、どれかひとつは必ず選べ、ということ。
兵器を手に取って戦え、敵を殺せ、容赦はするな。拡大解釈に違いはないが、どうしてもそう言われているように聞こえてしまった。
霧島さんは俺を期待の眼差しで見つめている。俺がアイツを倒せると本気で思っているようだ。
「…………選べません」
「……え?」
「俺には、これを使えない。たとえ相手がどんな悪党でも、俺がどれだけ強い武器を持っていても、俺に人殺しはできない…………」
俺は普通の高校生。
いい意味でも悪い意味でも普通の高校生だ。
人を殺すなんてこと、本気で考えた試しがない。ハックとかアドオンとか、本来俺とはかけ離れた存在なはずだ。
それが、今になって俺の前に迫ってきた。
顔を背けたくなるのも当たり前だろ。
「…………大地、でもこのままじゃ!」
「分かってる……分かってんだよ!でも俺は殺せないんだ!」
そこに情や信念、正義などない。
ただ怖い。人の命を俺の刃で切り剥がすのが怖いだけだ。甘ったれた話なのは俺だって承知してる。でも、それでも俺は甘えたままでいたい。
「…………分かりました」
霧島さんがアタッシュケースを閉じ、立ち上がろうとしたその時。
「全部、聞かせてもらったぞ」
予想外の人物が俺の背後に立った。
「優斗……!?」
俺の驚く表情を後目に、優斗は勇ましい表情で俺を通り越していった。
「なんで最近お前が暗い顔してるのか…………やっと分かった」
「おいバカ!死ぬぞ!アイツはお前じゃどうしようも――――」
「バカはどっちだッ!」
初めて聞いた、優斗の怒鳴り声だった。
「言ったじゃねぇか、俺も道連れにしろって……!いつもそうだ、お前は何でもかんでも独りで抱え込んで、いつも俺を置いていきやがる…………」
「優斗……」
「友達だろ……たまには俺を頼れよ。確かに俺は何もかもお前より劣ってるけどさ……俺だってなんにもできない訳じゃないんだ……
ちょっとぐらい力になってやるよ。そうさせてくれよ」
優斗はそう言って、武器のひとつも持たずに男の前に歩いていった。その後ろ姿は何よりも頼もしくて、何よりもかっこよくて、
そして何よりも強かった。
「かかってこいよ…………!」
優斗はそう言って、拳を握った。
男はそれを迎え撃つように、手刀を用意した。
ぽつぽつと降り出す雨。
男と優斗の戦いが始まった。……が、それは長くは続かなかった。
ものの1分も経過せず、小さな雨が大雨に変わった時。
俺は思い知らされた。
甘ったれた理想は、もう通用しないと。
「…………ふざけんなよ」
目も当てられなかった。
そこにあったのはついさっきまで俺の親友だったもの。ほんの数秒前まで、優斗だったものだ。
腹から真っ二つに切られた彼の体は、瞬きのひとつもしなかった。
呆気ない最期だった。
友情パワーとか、奇跡の力とか、そんなものは助けてくれなかった。
だって、ここは現実なのだから。
「ハハハハハッ!馬鹿なヤツだ!私に勝てないことは目に見えていたはずなのに、なぜ無謀にも私に挑んだ!?自殺の方法も進歩しているんだなぁ!!!」
俺の内側にあった何かが、グツグツと煮え始めた。……いや、そうじゃないな。
煮えたなんてそんな生半可な火力じゃない。焼き切れたんだ。俺の中の鎖が。
「……もう一度問います」
霧島さんは俺の隣に立った。
目の前の男の視界には俺達が入っているはずなのに、男は余裕ぶって何も仕掛けてこなかった。
その油断が命取りとなる事を知らずに。
俺の横で開けられたアタッシュケースには、憎らしいほど輝いたアドオンが並んでいる。
「あなたは、どれを選びますか?」
……俺は黒いバンド、『導入装置』と呼ばれる装備を左腕に装着し、さっきと同じことを答えた。
「選べません」
そうは言いつつも、俺の左手はアタッシュケースに伸びていた。そしてまっすぐに掴みに行ったのは…………
「1つじゃ足りねぇ」
全てのアドオンだった。
優斗が俺に火をつけた。
あいつの命が、俺に勇気を与えてくれた。
この行動は正義でも正解でも、ましてや優斗が望むことでもない。分かっている。
でも、俺は決めた。
俺に纏わりついていたしがらみは全部灰になった。残ったのは、光の消えた焼け跡だけだ。
「もう躊躇なんてしてやらねぇよ」
俺は3本のアドオンを見せつけるようにしながら、宣言した。
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