午前0時12分。もう深夜と呼んで差し支えない時間に、俺は俺の全てをかけた戦いを始めようとしていた。
俺はよくあるデスクチェアに座り、額から一筋の汗を垂らしながら、パソコンのモニターを凝視していた。コントローラーを持つ手は小刻みに震えている。武者震いか、それとも恐怖か。
すぐ手の届く位置にあるコーラも暑さでボトルに水滴を作る。それに呼応するように俺も全身から汗が溢れた。
全世界プレイ人口1億人を記録する超大作MMORPG『リバース』。
自由度の高いゲームシステムと細部までこだわれるキャラメイク、その他惜しげも無くトッピングされた高等技術は瞬く間に世界中に稲妻を走らせた。
俺はその『リバース』のプレイヤーの1人。だが、どこにでもいる、とは言わない。言わせない。
今日はそれを証明する日でもあるんだ。
もう少しで、夢にまで見た場所に名前が乗る。ビビってる場合じゃねぇ。
俺は両頬を叩き、よしと呟いてからヘッドホンを着けた。瞬間、今まで隔離されていた世界に吸い込まれるかのように、脳裏に音楽が流れた。
大胆かつ繊細な、中世ローマを想像させるようなBGMは俺の焦りを加速させると共に、俺の緊張を全てプラスの感情へ変えた。
「…………行くか」
俺はコントローラーのスティックに少し力を加えた。真っ暗な道の中、俺の操作するキャラはゆっくりと歩き出した。目の前の光を目指して。
ワァァァアアアアアア!!!
暗闇を抜けると、歓声が湧き上がった。
ここはドームと呼ばれる、PvP専用の対戦会場。土器のような薄い肌色の壁や床の中に、同じく土器のように焼けた土が敷かれている。
さながらコロッセオのような、歴史と感情の重みを感じさせられる場所だった。
本物のコロッセオのように会場の周囲には観客席があるが、俺が見た限りほぼ満席だった。
こんな夜中に何百人もの人が俺の戦いを見に来ている。そう思うと、心臓が引き締められるようだった。
俺が入場して数歩歩くと、司会者がチャット欄にこう書き込んだ。その文字は音声合成システムを介して、俺の耳に声としてすり抜けた。
「さぁさぁ入場されましたぁ!
斧、槍、銃の3種類の武器を使いこなし、世界ランキング11位という輝かしい椅子に座る白銀の美少女!
この荒れ果てたドームに勝利という名の花を咲かせてくれ!
その名も…………『プラチナ』ァァア!!!」
ワァァアアアアアア!!!
さっきの何倍も大きい歓声に合わせて、俺は長い槍を踊るように振り回して見せた。
もっとも、正確には俺ではないが。
今槍を振り回したのは俺のアバター・『プラチナ』。銀髪サイドテールに白いシャツと黒いスカートが特徴的な女性キャラクターだ。
万人受けするとは思えないが、少なくとも俺の好みにはバッチリ合っている。
俺もといプラチナが観客席に手を振っていると、司会は更に続けた。
「さぁ対するは!
刀一筋で世界ランキング7位まで上り詰めた孤高の侍!呪われた鋼で白銀の快進撃を止められるのか!?
頼むぞ、『ムラマサ』ァァア!!!」
オォオオオオオオオオ!!!
俺のとはまた違ったタイプの声がドーム中を埋めつくした。
『ムラマサ』。司会からもあったように、世界ランキング7位の実力者。水色の髪に少し閉じた目、紺色の重そうな着物を着た侍だ。
自分と同じ名前を持つ刀『妖刀・村正』を手に、数多の挑戦者を心ごと真っ二つにしてきた。
「この勝負、プラチナが勝利した場合彼女は晴れて世界ランキング10位に!誰もが憧れた強者の円卓へ腰を下ろす事となるぅぅううう!!!」
そうだ。この試合でムラマサさんを討ち倒せば、PvPランキングのポイントが上昇し、世界ランキング10位の称号を手に入れることが出来る。
だから、ここで引き下がる訳にはいかないんだ。
「さぁ両者とも、もう3歩前へ出てください!」
司会者がそう言うと、今までの盛り上がりが嘘だったかのように会場が静まり返った。
1、2、3歩と無意識に数えながら足を動かす。たった数メートル近づいただけなのに、対戦相手のムラマサさんがすぐ近くに見えた。
「3……2……1……バトル、スタート!」
ドォォオオオオン!
鈍く響く銅鑼の音と高く揺れる歓声に挟まれ、試合が始まった。
俺は早速銃を横向きに構え、ムラマサさんを狙った。ダンッ!ダンッ!ダンッ!とまずは3発撃ち込み、様子を伺った。
ガキンッ!ガキンガキンッ!
ムラマサさんは3発の銃弾を全て刀で弾き返し、逆に距離を詰めてきた。
さすがムラマサさん、刀1本で7位まで上り詰めた男は格が違う。俺はそんな相手への尊敬を頭の中で生み出しながら、武器を槍に切り替えた。
ムラマサさんは刀を縦に持ったまま真っ直ぐに突進してくる。俺はそれを読み、その位置に置くように槍を突き出した。
俺のプレイスタイルは武器の切り替え。その場その場を判断し、適切な武器を使う戦い方だ。
刀1本で戦うムラマサさんとは正反対のスタイルである。
ムラマサさんは真っ直ぐ伸びた槍に一瞬驚きを見せたが、それを食らうことはなかった。
いや、それどころじゃない。ムラマサさんは太さ4cmあるかどうかの槍の上に乗り、走ったのだ。
ムラマサさんはこの緊張状態の中で俺の攻撃を逆に利用してきた。
まずい、このままじゃ上から斬り殺されて負ける。俺は慌てて槍をしまい、転がるように前方へ回避した。
そして左膝と左手を地面に密着させたまま、右手で持った拳銃でムラマサさんを撃った。
ムラマサさんは虫を払うようにその銃弾を払いよけ、再度俺に接近してきた。
俺の横腹を狙うように水平に振られた刀を、俺は瞬時に取り出した斧の刃で受け止める。
ぶつかったと同時に火花が飛び散り、2つの刃が共に交わりあっていた。
最終的に両者が後ろに飛んで距離を取ることでそれは解決した。それに、距離が離れたとなると遠距離武器を持つ俺の方が有利だ。
俺は即座に斧をしまって銃を取り出した。
それが甘かった。
ムラマサさんは俺が斧と銃を入れ替える一瞬の隙を突いて、なんとあろう事か刀を投げてきたのだ。
武器を銃に取り替えたばかりの俺はその刀から身を守ることも出来ず、腹に深々とくらってしまった。
「きゃぁぁああっ!」
プラチナの悲鳴が俺の意識と切り離されて聞こえる。プラチナの腹からはゴボゴボと血が溢れている。今のでHPも大幅に削れてしまった。
距離を取ったから有利だ、なんて油断してしまったのが命取りとなったか。
ムラマサさんは動けない俺に猶予を与えるかのように大振りな動きで近付いてきた。その歩く姿からは絶対的な強さを感じた。兎を狩る獅子のような、手に負えない強さを。
おそらくムラマサさんはプラチナの腹の刀を抜き、トドメの一撃を指すか、もしくはこの刀を蹴って体を貫通させて倒すつもりなのだろう。
観客席も、「あいつはもう死んだも同然だ」といった表情で溢れかえっている。不愉快なざわつきが俺の悔しさに追い打ちをかけた。
ついにムラマサさんは俺の目の前に現れ、刀に手をかけた。その目には少しの迷いもない。俺が円卓に足を踏み入れるのを心の底から拒んでいる。
その冷たい手に触れた時、思った。俺と彼は、似た者同士だな、と。
スウッ………………。
ほとんど無音だった。俺はムラマサさんの首元にそっと斧を近づけた。遠くから見れば、最後の悪あがき、パフォーマンスの1つ。そう見えただろう。
だが、近くで見ればそれは違った。
「……!…………!!」
ムラマサさんの顔が不自然なまでに強ばっている。体もプルプルと末端から震え、目も泳いでいる。
彼は油断したのだ。
俺が、『距離が離れたから有利になった』と勘違いしたように、彼も、『致命傷を負わせたから有利になった』と勘違いしてしまったのだ。
ザンッッッ!!!!
ムラマサさんの腰から肩にかけて、一直線に真っ直ぐな傷が出来た。彼はそこから大量の血を吐き出し、バタリと肌色の地面に倒れた。
「………………き」
誰もが目をパチパチさせながらドームを見つめたが、司会の一言で答えが明らかになった。
「決まったァァァァァァァ!!!
勝者、プラチナ!!!!
みなさま、両者に盛大な拍手を!!!!」
ドワァァァアアアアア!!!
豪雨のような拍手の音の中、プラチナは青空を、俺は家の天井を見ていた。
「勝った………………」
実感の湧かない喜びが、染み渡るように体を巡る。
ついに、夢をその手に掴んだ。その達成感から、睡魔が一気に襲ってきた。
俺はベッドに移動することすらせず、椅子にだらんと垂れたまま眠ってしまった。
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