「ういーす…………」
俺はカバンを肩に担ぎながら教室に入った。俺のいつも通りの挨拶はガヤガヤとした会話の群れの中に消えていった。
いつもなら会話の中に入っていくところだが、あいにく昨日の疲れを引きずってしまっている。俺は荷物を席に着くなり、すぐに机に突っ伏してしまった。
「なぁ大地!」
俺が短めの寝に入ろうとしていたその時、後方から聞きなれた声が聞こえた。重い頭をのっそりと上げて振り返ると、案の定その男は笑顔で俺の真後ろに立っていた。
こいつは島田優斗。俺の1番の友達であり、俺と同じ『リバース』のプレイヤーだ。
こいつが話しかけてきたということは、あの話題だろう。
「今朝、ランキング見たぞ!やったな!ついにランキング10位だ!」
優斗は両手を振りながら自分の事のように喜んでくれる。いやむしろ、俺以上に喜んでいる。
常にハイテンションで、いつも笑ってる。こいつがそういう奴なのは承知しているが、こうも喜んでくれると嬉しくなる。
「あぁ!やってやったぜ!お前も早く追いついてこいよ」
優斗に合わせてハイテンションになった俺は軽く煽るようにそう言う。それに対し、優斗は首を振りながら、
「あはは!無理だってーの!俺はお前みたいなプレイ力も勇気もないんだわ!」
「そうだ、前言ってたあの話結局どうなった?」
1週間くらい前、優斗は帰りの電車で『隣のクラスの櫛名さんをデートに誘う』と豪語していた。
思い返せばあれから進展がない。あれば優斗の方から自慢してくるはずだ。
「いや、結局誘えてねー。どうにも誘うタイミングが掴めなくてな」
とは言っているが、実際は誘うのを躊躇ってしまっているだけだ。こいつはいつも肝心なところでビビって手を出さない。
「ま、お前らしいか」
呆れたように俺が言うと、優斗はあははと楽しそうに笑った。こんな会話が毎朝続いている。
俺と優斗と、それと他の友達たち。みんなくだらないな話で大笑いしながら、当たり前の朝を迎える。
そして授業が始まって、昼飯を食いながらまた談笑して、また授業が始まって、授業が終わったと思ったらすぐに帰宅する。
これを何度も繰り返すだけの高校生活。
普通と言わずしてなんと言うのか。
「あれ、今日電車じゃないのか?」
「あぁ、親が車で迎えに来てくれるんだ」
「そっか。じゃな」
俺は校門の前で優斗と別れ、駅へ向かった。
親が迎えに来る…………か。あまり考えたくない話だが、無自覚に意識してしまう。
現実逃避するようにスマホを取り出し、画面に向かってうつむいた。
そういえば今朝、スマホ版『リバース』の『リバース・バイユー』がリリースされた。朝からグラフィック関連の緊急メンテナンスでログインできなかったが、ちょっくら覗いてみるか。
俺は電車を待っている間、『リバース・バイユー』を触っていた。
PC版のように繊細な操作は出来ないが、逆に言えば簡略化されていて操作しやすい。近くの人とのローカル通信や位置情報を利用した特典もある。
何より大きいのが、オートモードの実装だ。
これで雑魚敵を周回して素材を集める必要がなくなった。朝スマホで設定して放置していればログインしていなくても周回してくれるのだから。
電車に乗った後もその辺りの設定を繰り返していた。正直最初からあまり期待はしていなかったし、期待を大幅に裏切るような要素もなかったが、それでも楽しく感じる。
が、この辺りで俺の体に異変が起きる。
「……………………ぁ?」
なぜだか急に眠くなってきた。
今の今まで何の兆しもなかったのにも関わらず、アホみたいにまぶたが重く感じる。これが昨夜の影響だということは考えなくても分かった。
少しだけ、少しだけ仮眠しよう。どうせ家まではまだかかる。今寝ても着く頃にまでは起きられるだろう。
俺はそう思い、睡魔に抗うことなく眠りに落ちていった………………………………………………。
…………………………。
………………。
……き。
…………ぎは………………ね。
次は、北水ヶ音、北水ヶ音。
「…………ぅおっ!」
頭から水をかけられたようにハッと目が覚めた。が、もう遅かった。俺の家の最寄り駅は水ヶ音駅だと言うのに、その2つ先の北水ヶ音駅まで乗り過ごしてしまった。
昨晩の疲れを甘く見ていた。
仕方ないから北水ヶ音で降りて、反対の電車に乗り換えて水ヶ音駅に向かおう。
そう思い、北水ヶ音駅で降りたが、なぜか俺は無意識のうちに改札をくぐってしまった。
「………………あ」
手に持ったICカードを見て血の気が引いた。なぜ俺は駅を出てしまったんだ。つい癖で、何も考えずに動いてしまった。
……ま、まぁ前向きに考えればあまり来ない北水ヶ音を散歩するいい機会だ。せっかくだしこの辺を見て回ってからゆっくり帰るのも悪くない。
俺は駅を出てアスファルトの地面を踏みしめた。
が、どうやら神は俺に散歩をさせる気すらないようだ。
駅を出てすぐ、俺の視線はある建物に止まった。それは黒くさびれた廃ビル。表の看板も茶色く錆び付いており、そこが元々なんの建物だったのか検討もつかない。
にも関わらず、俺の頭の中には絶えずこう流れていた。
ここに入れ、と。
……どうせだし入るか。何も無ければそれでいいし、損することはないだろう。
俺はそんな軽い気持ちで廃ビルの中に足を踏み入れた。
その行為が、俺の人生で最も考えの甘かった瞬間。そして、俺の人生で最も大きな転換点だった。
3階までざっくりと見たが、廃ビルの中は予想通りと言うべきかホコリまみれで、会社のオフィスをそのまま50年間放置したような廃れ方だった。
だが、そんな中俺はあることに気づく。この上の4階から何か重い音が聞こえてくるのだ。ズシン、ズシン、と風や軋みの音では断じてない奇妙な音が。
恐怖心を抱きながらも、恐る恐る音の聞こえる部屋を覗いてみる。
そこには現実からかけ離れた光景があった。
頭は牛、体は筋肉質な人型、そして手には身長と同じくらいある巨大な斧。浮き出た血管はピクピクと動いていて、鼻息は荒くホコリを舞わせた。これが人形とかの類いでは無いことは容易く分かった。
それに、こんなにも現実味のない生き物なのに俺は姿そのものに違和感を抱かなかった。この化け物に慣れ親しんでいたのだ。
理由は簡単だ。
これが『リバース』の敵キャラだからだ。
「あれは……ミノタウロス。エネミーの中でも強い方だ」
『リバース』の敵キャラはエネミーと呼ばれている。たとえ怪物であっても優しい心を持っていれば敵ではない。敵=モンスターとするのは間違っているという見解だ。
だからこそそのまま敵を意味する「エネミー」という呼び方で呼ばれている。
が、今そんなことはどうでもいい。
なぜ『リバース』のエネミーが現実世界にいるのか、そこが重要なのだ。
当たり前だが、ゲームのキャラクターが現実に現れるなんてことはありえない。普通に考えれば、たまたま姿が似ている別の何かだと推測できる。
だが、『リバース』を何十時間もやりこんだ俺には分かる。
あれが『リバース』のミノタウロスであり、それ以外の何者でもないということが。
そして同時に、生身の俺が戦って勝てる相手ではないということも容易に理解出来た。
俺はとりあえずこの場を離れ、警察に通報しようと考えていた。
が、今日の俺は極端に運が悪かった。
バキッ!
突然、俺の足元の床が音を立てて割れた。
慌てて上向きに力を加えたが、足首まですっぽりと床に吸い込まれてしまったため、引き抜くのに時間がかかる。
が、真に問題なのはそれではない。
グモォォオオオオオ!!!
ミノタウロスが俺に気づいたという事実だ。
まずい…………殺される!
俺にはゲームの才能はあるが、それ以外の才能はまるで無い。自分の身長の倍近くあるミノタウロスと、素手で、しかも現実世界で戦って勝てるわけが無い。
急いでこの場から逃げないと……!
だが、エネミーは待ってはくれなかった。
大きな歩幅を活かし一瞬で俺に近付き、睨みつけた。俺の焦りはどんどん増していき、冷静な判断はもう出来なくなっていた。
突然訪れた死の感覚、それは俺を一瞬で蝕み、黒く塗りつぶした。
もう終わった。
こんな呆気なく終わるなんて、今までの人生は何だったんだ。
俺が運命に嘆いていたその時だった。
「全くもう……しょうがないなぁ」
もうひとつ、現実からかけ離れたことが起きた。
俺とミノタウロスのちょうど間に、光るうねりのようなものが生まれた。ぐにゃぐにゃと止まることなく動き続けるその光、その中から、俺と同じくらいの人間が、まるで門をくぐるかのように現れた。
そいつを見て、俺は度肝を抜かした。
リボンの着いた銀髪のサイドテールに純白のシャツと対象的に真っ黒なスカート。そこから伸びるスラッと長い脚と茶色のブーツ。
そいつは俺であり、俺ではなかった。
「プラチナ…………!」
そこに現れたのは俺のアバター・プラチナだった。
彼女は満面の笑みを浮かべながら、俺にピースして見せた。
《須佐野 大地》
《プラチナ》
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