「では、私たちは部屋に戻ってますから」
恭しく一礼して出ていく姉。奔放そうな様子で出ていく妹。
ダイニングルームに残ったのはホリィとその父親、カエザール・センテイアのみである。
白いスーツに身を包み、たくわえられた口髭をさするその姿は実業家というよりかはマフィアのボスと言われた方がしっくりくるだろう。
「ヒーロー活動、頑張っているようだな。大きな怪我もなく安心しているよ」
長いテーブルの向かい側に座っているというのに息苦しくなる重圧にホリィは膝の上に置いておいた手を強く握りしめる。
「家の名に泥を塗らないよう、精進しています……」
「そんな固くなる必要はないだろう? 私たちは家族じゃないか」
優しい言葉を与えられつつも、ホリィはカエザールの心の奥底が見えなかった。
未だに塗り固められた言葉を向けられていることを自覚しつつ、ホリィは一歩踏み込む。
「このようにお呼び頂いたのは、初めてのような気がしたので」
「そうだったか?」
ホリィにとっては微笑む父親が珍しいのか、流れるような金髪が動揺に揺れた。
もしかしたら本当に姉妹のように褒めてもらえるのかもしれない、と期待が膨らんでいく。
「お前のヒーロー活動のおかげで名前しか知らないと言われていた層にも我が社の名前が広まっている。しかもクリーンなイメージがな。全てお前のおかげだ」
「……あ、ありがとうございます!」
自分の活躍が父の役に立っているという事実はホリィを歓喜に振るわせた。
今まで自分から身の回りの出来事などを話したことのないホリィは今までの任務のことを楽しそうに話した。
カエザールもまた何度も頷き、優しく耳を傾けている。
(私も、やっと認めてもらえたんだ!)
嬉々とした表情のまま、今ならば全てを認めてもらえると考えたホリィは自分が提案した奪還作戦の話を始めた瞬間、カエザールの顔つきが変わった。
「ホリィ、少しいいかな?」
「あ、すみません! 自分ばかり話してしまって……!」
「構わないよ。ホリィがそんなに活き活きとしてるのは初めて見たかなぁ」
家族のために何も出来なかったホリィが唯一貢献出来ていると知れたからか舞い上がってしまっていたことを恥じる。
父の二の句を待とうとした瞬間、食事の時と同じような威圧感に包まれ下がろうとしてもそれを阻む椅子を恨んでしまった。
「この前、無断で出動したそうだね?」
「——す、すみません。出動許可を待ってからでは異世の侵略が……」
咄嗟についた嘘だが、カエザールにとってはそれが嘘だろうと真実だろうと関係ないようだ。
掌を合わせ肘をテーブルに乗せる、威圧的な視線を全てホリィへと向けて。
「お前に死なれたら損失が大きい」
その一言は親子の愛が存在しないことのショックよりも、ホリィの心に迷いを植え付けた。
家のためにヒーローになったホリィにとって心の中の天秤が揺れ動く。
「お前の出撃は全て私が統制している。お前が出撃しても華麗に勝利するように、余計な傷を負わないように……な」
それが全て愛ゆえにならば美しい親子の関係かもしれない。
だが、二人の間にあるのは損得勘定だけのようだ。
「侵略区域奪還作戦だったか? あれは危険すぎる」
「で、でも! 一度は成功しています!」
「過ぎたことを咎めるつもりはない。だが、これからのものは別だ。お前を失う、もしくは表に出れないような深い傷を抱えては我が社の広告塔を失う……何より娘にそんな危険な真似はさせられないだろう?」
思い出したように建前を述べたカエザールにホリィは悲しむこともなく、どうすれば家の役に立てるのかという思考に取り憑かれた。
「で、でも私が言い出したことですし……」
「そんなものいくらでも何とかなるさ。別に奪還作戦は民衆に見せるものではなく軍事作戦だ。お前が出撃していたことになど調整できる」
「つまり比較的安全な仕事だけ、請け負っていろと……?」
反論にも似たホリィの質問に驚いたカエザールは嬉しそうに笑い、その通りだと肯定した。
娘の成長を楽しみつつも、より金を生み出す方向に成長するように修正せねばと悪い笑みを浮かべる、
「その通りだ」
「み、みんな命懸けで戦っているのに私だけ……?」
「お前は昔からヒーローになりたかったのか? 違うだろう? 仕事でヒーローをやっているだけなのだからセンテイアに益がある方に努力を重ねるのだ。まやかしの正義に命など賭けてはならんぞ」
その言葉を最後に下がってよいと言われたホリィは小さく頭を下げ、何も言わずに自分の部屋へと向かっていった。
植え付けられた悩みを抱え、飛彩に相談しようとする前日のことである。
ここから先、ダイニングに残されたカエザールの言葉を聞かなくてホリィは正解だったかもしれない。
「よろしいのですか?」
別の出入り口から入ってきたスーツを纏う人物。
センテイア家の執事長とも言える存在のこの男はカエザールに物申しながら現れる。
「スティージェンよ。いくらお前でも私の教育論に口を出すのは許さん」
「もちろんでございます。しかし、些か周りくどいかと思いまして」
「作戦だよ。私が私のために働けといってもいつかは拘束から解かれる。つまり、自分から檻に入らせなければならないのだ」
実の娘に対する言葉ではない暴論を止めるものはいない。
スティージェンと呼ばれた黒髪の男は整った顔立ちを一切崩すことなく話に聞き入った。
「ゆえに、お前に仕事を命ずる」
「なんなりと」
「娘の心を折れ」
冷酷なまでの宣言に武術の心得があるスティージェンでも流石に精神にゆらぎが発生する。
実の娘を完全な傀儡として会社の利益をあげさせる広告塔としか考えていないことに。
「芽生えかけているもう一つの夢を潰せば自分から檻に入るさ。もちろんやり方はお前に任せる。日時もな」
目を伏せたスティージェンは瞳を閉じて深く頭を下げた。
歯向かったところで無意味だとわかっている上に、飼い主はカエザールな時点でホリィに遠慮をする必要もないのだ。
「それと……」
まだ下げていなかった食器類を掴んだカエザールは老体とは思えぬ強肩でそれらを思い切り投げつける。
頭を下げたままのスティージェンの全身へ散弾のように迫るそれは一瞬で積み重なり、いつの間にか手の中に収まっている。
何事もなかったかのように顔をあげたスティージェンはフォークや皿を抱え直した。
「今日のシェフは解雇しろ。成長するかと思ったが、ここらが頭打ちのようだ」
「怒りをお鎮めください。私が責任を持って対応させて頂きます」
「頼むぞ……娘のことも」
再び恭しく頭を下げたスティージェンは足音を消して無音で踵を返して消え去った。
何も見ずに飛来する食器類を受け止めたりなど常人離れした動きから、ボディーガードとしても相当の実力者であることが窺える。
「では、失礼します」
真の実力を知るのはカエザールただ一人。
飛彩たちの潜入作戦の大きな障壁となることは間違いないが、それを知る術は誰も持ち得ていないのだ。
そして時は再び今へと戻る。
パーティーに参加しなくてよいと言われてしまったホリィは自室に篭りながらも蒼い細身のドレスに身を包んでいた。
やはりまだ家族の中で認められていないのだと思考が負の螺旋階段を降りていく。
差し向けられている邪悪な思惑と、救おうとする希望の作戦がリード・ヘヴンにて交錯しようとしていた。
「ついた」
予め決めていたパーティー会場より一番遠いトイレの個室に籠る。
短くメッセージアプリで連絡を入れると、飛彩の目の前に人が通るのには厳しいサイズの異空間への入り口が現れた。
「そっちから引っ張ってください」
くぐもったカクリの声が聞こえてくると同時に飛彩が入れ替わった新谷義経の顔がぬるりと現れた。
普通は足とか手とかから出すだろと文句を言いかけたが、何度も気絶させられたであろう男に同情しつつ優しく便座へと座らせた。
アルコールをほんの数量注射し、酔い潰れたように偽装することも忘れずにである。
最低限の装備を受け取った飛彩は本来ならば荷物検査で引っかかってしまう極小の通信機を右耳に装着する。
「聞こえるか?」
「通信は最小限にね。スマホのアプリでの通信もやめておきましょう」
「ごめんなさい……装備はバレちゃうかもしれないから送れません」
「わかってる。これで連絡さえ取れれば充分だ」
その会話を最後に異空間への扉は消え去り、何事もなかったかのような空気へと戻る。
しかし男子トイレの個室で気絶した男と二人きりとはかなりまずい状況だと飛彩は苦々しい表情を浮かべて飛び出した。
「あ、飛彩さん。もう一つ贈り物です」
通信機からカクリの声が聞こえた瞬間、飛彩の手元に小さな異空間が現れて舞踏会でかぶるような怪しげな白い仮面が送られて来た。
「潜入する時はそれで顔を隠してください」
「むしろ目立つだろこれ?」
「とにかく飛彩がそこにいなかったってことが重要になるの。三十四階から下に降りる時はそれをつけて」
真面目な声音の蘭華が言うのであれば付ける価値もあるか、とそれを内ポケットに格納し悠々と何事もなかったかのようにトイレを出た瞬間に飛彩の肌が粟立った。
「!?」
殺気の方向を向いてはいけない、あくまでも一般人を装えと心に命じて建物の中で迷った振りをして辺りを見渡す。
「お客様、いかがなされました?」
静かな足運びで飛彩と距離を詰める男はスティージェンだった。
一番作戦を気取られてはいけない相手と知らずのうちに相対した飛彩は似合わない薄ら笑いを浮かべてパーティー会場へと戻っていく。
「トイレって結構遠いんですね」
「案内が行き届かず申し訳ございません。会場となっている天の間の近くにもございましたので、次回からはそちらをご利用ください」
「は、はい。すみませんねぇ」
精一杯の人畜無害を演じる飛彩だが、相手がただならぬ存在だということを認識できていた。
ヴィランにも似たオーラをまとうスティージェンに飛彩はどうしても警戒心が募る。
パーマがかった短髪と垂れ目なスティージェンは明らかに柔和で優しそうな印象を与えていた。
一刻も早く離れなければ、と歩く飛彩だが心なしか足早になってしまっている。
ただの給餌にここまで緊張している姿を見せてしまえば何かを隠しているとも思われてしまうだろう。
飛彩の緊張を見抜いていたのか、その場で会釈をして見送っているスティージェンは地面を見つめる表情を険しいものへと変えていた。
とはいえ、すぐに確保できるほどの情報があるわけでもないことから即座に部下を監視に向かわせる。
「ただの社交界デビューに緊張しているだけの青二才ならいいんだがね」
そう呟きつつも、すでに数人の怪しいと感じた人物を給仕に紛れ込ませ監視させているこの男は、リード・ヘヴンにいる誰よりも用心深い。
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